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書籍・雑誌

2022年の読書

今年一年間、感想文など書くこともせずに読み散らかした本を備忘録的に残しておこうと思います。

来年は今年以上に本から多くの刺激を受けられるといいな、と思っています。

 

GENIUS MAKERS Google、Facebook、そして世界にAIをもたらした信念と情熱の物語

シリコンバレーの天才たちの物語

BAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相

シリコンバレーの天才に憧れ、(多分)自分もその一人だと勘違いし、それを信じ続けた(多分)狂人の物語

1兆ドルコーチ シリコンバレーのレジェンド ビル・キャンベルの成功の教え

天才たちも、コーチングが必要だったということか。コーチングの本というよりも、素晴らしいエピソード集のような感じ。

座右の書『貞観政要』 中国古典に学ぶ「世界最高のリーダー論」 

尊敬する先輩が呼んでおられたようなので『貞観政要』を買ってみたけれど、あまりの分厚さに恐れをなして、こっちを買って読んでみた。とてもわかりやすいけれど、やっぱり「誰かの解釈」を受け売りするのではなく、自分で解釈を語れるようになりたいと思った。

風のことは風に問えー太平洋往復横断記
海と山の冒険家の物語。冒険はしたくないと思ったけど、別の形で「まだみぬ景色」を見るための努力をしていきたいと思った。

祈りのカルテ

テレビドラマになった研修医の小説。軽くサクッと読める。

基礎からわかる論文の書き方

大学生向けの講義を本に起こしたもの。総論的に全体像を把握するのに良いと思った。

犬から見た世界 その目で耳で鼻で感じていること

犬という動物にとって、人は特別な存在であることがよくわかった。逆に、人にとっても犬はとても大切な存在なのだと思えた。

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

今年読んだ本で一番印象に残った。失敗を成長の糧とする視点が大切だと、改めて思う。

マネー・ボール

とても面白かった。嘘のような本当の話。他球団で評価されていない選手の中からデータをもとに安く獲得し強いチームを作り上げる。

弱者の戦略

弱者の戦略 (新潮選書) [ 稲垣栄洋 ]」を読みました。

 野生の世界、自然界は「弱肉強食」であると言われ、自然界では強いものが生き残ろイメージがあります。
 「食物連鎖」のピラミッドを見ると、より強いものが上位にあって、「強い」様に見えます。でも、ピラミッドの頂点に位置するはずのライオンをはじめとする動物たちは絶滅の危機に瀕していたりします。一匹一匹、各個体が「強い」かどうかと、種として成功できるか、ということは別のことである、ということはよく分かります。
 種の反映という見地からすれば、「弱者=敗者」ではありません。弱者でも成功者になりうることを本書は示しています。
 弱いように見える生き物たちも自然界では確かに生き残っています。ピラミッドに見られる通り、弱くても、ピラミッドの下に位置する「弱者」は、「強者」よりも圧倒的に多く生存していたりします。そして、本書では、後から考えれば理にかなった戦略がそこある様に見えるという、実例を数多く示されています。
 本書で書かれている通り、「生き物の世界は『歯を食いしばって頑張ればなんとかなる』といった甘い考えは通用しない」というのは多分真実で、本書では、多くの生物が、無謀な戦いを挑むことなく、巧妙な生き残り戦略をとっていることがわかります。
 そうなると、何が弱者なのかわからなくなります。少なくとも、ナンバーワンになれなくても、オンリーワンになれれば生き残る可能性が高くなりそうだ、と思いました。
漫画の名言
『ないものねだりしてるほどヒマじゃねえ
あるもんで最強の戦い方探ってくんだよ
一生な』
を思い出しました。

「弱者の戦略」を思い出した

最近、経営とか生き残り、、、みたいな話をよく聞くようになり、しばらく前に読んだ「弱者の戦略 (新潮選書) [ 稲垣栄洋 ]」と「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか [ チップ・ウォルター ] 」
を思い出しました。

弱者の戦略 (新潮選書) [ 稲垣栄洋 ]」には「生き物の世界は『歯を食いしばって頑張ればなんとかなる』といった甘い考えは通用しない」と、書かれていましたが、これは人間社会においてもその通りだと実感します。生き残るためには、無謀な戦いを挑むことなく、どのような戦略をとるのかを考えねばなりません。

生物一般で考えれば我々も地球上の生物の一員です。生物としての我々も、同じようにして生き延びてきた歴史があるそうです。「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか [ チップ・ウォルター ] 」によれば、地球上に進化してきた人類は27種に及ぶけれど、現生人類は一種類しかいないとされています。そして現生人類(=我々)は華奢型に分類される人類で、頑丈型に分類された人類は生き延びることができませんでした。(この本は、かなり歯ごたえがありましたが、とても興味深かったです。)

実は進化論を唱えたダーウィンも、「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ。」といった内容の言葉を残していると聞いたことがあります。「変化できるもの」というところがミソだと思っています。状況に応じ、積極的に変わっていかなくてはいけないということなのでしょう。

色々なことに、受け身でなく前向きに対処していきたいと思います。

「三体」おもしろかった。

三体 [ 劉 慈欣 ]」を読みました。

一般的な話として、「世界観」という言葉をつかって感想を述べるのは、僕は好きでありません。

なぜなら、そうしたところで使われる「世界観」という言葉は「雰囲気」という言葉と置き換え可能なことが多く、単にカッコつけているだけのように感じられることが多いからです。

でもこの「三体」という作品で表現されている「世界」は極めてスケールが大きく、かつリアルで「世界観」以外の言葉が見つかりません。

物語は僕の生まれたちょっと後、1967年から始まります。でも、中国の現代史、文化大革命の持つ意味みたいなものについて、僕は殆ど知らないと言っていいし、何の思いれもありません。何となくは知っているつもりですが、「外国の歴史」という感じで全く他人事でした。

だから、最初は
「いきなり文化大革命の話をされても、、、」
と思いましたが、ここで描かれている時代、その情景描写はとても迫力があります。中国の人たちにとっては事実としてリアルに体験されてきた歴史なのでしょう。その迫力に圧倒されながら引き込まれていきました。

そしてその後は、SFのSはサスペンスなのではないかと思わせる様なストーリー展開をみせます。

ドキドキが止まりません。

そして、リアルとバーチャルを行き来しながら、Sはやっぱりサイエンスだったのね、と、納得させてくれるロジックの組み立て。騙される感覚というか、そこで展開される物語に没入するという面白さ。

背後にいるのは一体誰?と思いながら、え?、なぜ??そ、そうだったのか、、、

そしてその後のストーリーを期待させるエンディング。

久々の本格SFを堪能いたしました。

 

十六歳のモーツァルト

十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの [ 小倉 孝保 ]読了。

幼少期から音楽の才能に恵まれ、豊かな才能に恵まれながらも十四歳で脳腫瘍が発症し、十六歳で早逝した天才のドキュメンタリー。

前半は、溢れる才能をいかに育むかに腐心する母親の様子、それに素直に答える息子が描かれる。天才だけど普通の男の子。

それが中盤には壮絶な闘病期となっていく。

そして後半にはわずかな救いの光と共に終焉にむかう。

終始、静かな語り口はかわらない。

病と戦いながらも自分を保ち続ける強さと優しさに心を揺さぶられる気持ちになる。

純粋で善意の物語に心が洗われるように思う。

自分も真摯に生きたいと思った。

 


スピルオーバー ウイルスはなぜ動物から人へ飛び移るのか

主にウイルスによる人獣共通感染症(「ズーノーシス」とふりがながふられています。)について様々なストーリーを追った作品。索引まで入れると500ページを超す大作です。ここで語られる内容が圧倒的な説得力を持つのは、それだけ多くの事実が詳細に、綿密に語られているからと言えるでしょう。
本書の最後の方で、H5N1型の鳥インフルエンザがなぜ問題になっているのかが議論されますが、そこに至るまでの圧倒的ストーリーの積み重ねの上に語られた説得力は横綱に寄りきられているような感じでした。
本書で扱われているのはヘンドラ、エボラ、マラリア、SARS、Q熱、オウム病、ライム病、ヘルペスB、ニパ、マールブルグ、HIV、インフルエンザなど。そして補章として新型コロナウイルスが追加されています。
それぞれの感染症について、一回のスピルオーバー(動物から人間への異種間伝播)に焦点を当てると同時に、俯瞰的な視点からスピルオーバーを起こす感染症としての特徴について、詳細に語られます。
やっぱり、というか一番多くのページが裂かれているのはAIDSの原因ウイルス、HIVについてです。もちろん、仮説もありますが、それでも、こんなところまでわかっているのか、と驚くほどです。HIVの起源となるウイルスの、猿から人へのスピルオーバーは過去に少なくとも12回おこっており、現在世界に蔓延するきっかけとなったスピルオーバーはそのうちのたった一回であったこと、それは、1908年ころのカメルーン南東部の、かなり絞り込まれた一帯で、一頭のチンパンジーから一人の人間に生じたものであったことがわかっているというのです。
もっと驚いてしまうのは、2012年に本書が出版された時点で、現在おこっていることを、相当のところまで予言したかのような文章が散見されることです。例えば、P333には新型コロナウイルス(SARS-CoV2)はいつか出現するであろうとでも言うかのように下記のように書かれています。
SARSコロナウイルスは2002〜03年にかけて中国・広東省と香港で出現した当初から「それ」を備えていた。それ以降どこに、あるいはなぜ潜伏しているのかにかかわらず、SARS-CoVは今も「それ」を備えているはずだ。
ここで言う「それ」とは「人間集団のなかで効率的に伝播する能力」のことです。また、P180にはこんなことが書かれています。
「次なる大惨事(Next Big One)」は多分SARSとは逆で、インフルエンザのように症状が現れる前の感染力が強いパターンだろう。それによってウイルスは、死の大使のように軽やかに都市間や空港間を移動することだろう。
まさに新型コロナウイルスの病態を言い表しています。
一方、オミクロン株について、感染症が収束に向かう時、毒性が低くて感染力の強い株に置き換わっていくのだ、といった論調がマスコミなどで聞かれますが、P268に記載されている以下のような内容については心にとめておくべきかと思います。
毒性は、通常、感染率と感染によって死に至らなかった宿主が回復にかかる時間と関連している。「『成功する』寄生種は、宿主にとって無害になる方向で進化する」、というのは根拠がない通説である。
もちろん、なぜ根拠がない通説と言い切れるかについて、根拠を持った明確な議論によって明らかにされています。
また、1997年に感染症疫学者のドナルド・S・バーグが行なった講演では、新たなパンデミックを最も引き起こしそうなウイルス群候補について語る中で、すでにコロナウイルスについて以下のように警告を発していたことがp462に以下のように記されています。
中でもコロナウイルス科を引き合いに出し、「人間の健康に対する深刻な脅威と見なすべきだ。これらは進化性が高く、動物集団で流行を引き起こす能力が証明されているウイルスだ」と警告している。
そして、P32の以下のような記述を読むと、今後もウイルスによるパンデミックは起こるべくして起こるだろうと思われます。
飢えたウイルス、飢えた細菌の視点から見れば、我々は数十億の人体という巨大な餌場を提供しているのだ。ごく最近まで半分だった我々の人口はこの約四半世紀で二倍に増えた。我々を侵略するために適応できるあらゆる生物にとって、この上ないターゲットだ。
本書の最終章では、過去数世紀にわたる人口増加を考えると、人類そのものが地球にとってのアウトブレイクとも言えると論じます。そして一つの動物種のアウトブレイクの唐突な終わり方の例として、広汎なウイルスによる感染症が挙げられています。
筆者は、現在の人類の繁栄がウイルス感染症によって唐突な終わりを迎えるなどという予言をしているわけではありません。ウイルスのパンデミックに対する具体的な方策が示されているわけでもありません。でも、そのようなリスクがあることを認識する必要がある、ということはこのコロナ禍の経験から身をもって学ぶべきことではなかろうか、と思いました。


かくて行動経済学は生まれり

かくて行動経済学は生まれり [ マイケル・ルイス ]は行動経済学を創始した二人の天才心理学者の物語です。

 「バイアス」とか「ヒューリステックス」などという言葉を使いこなし、人の不合理な行動を説明する行動経済学はとても魅力的な学問に見えます。新型コロナ感染症対策にも応用されたと聞いています。そんな行動経済学を生み出したのはダニエル・カーネマンと、エイモス・トヴェルスキー。

 ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか? 」(上) (下) は一般読者向け行動経済学の名著として有名です。でも、僕は読んでいて挫折してしまいました。理由はよくわからないけど、多分、あまりに多くの事象が例示され、頭が混乱してしまったのだと思います。ダニエル・カーネマンはさまざまなことに疑いを持ち、深い思索をめぐらせる天才でした。そんな彼の書いた本は、僕が通勤の合間にちょい読みする程度の読み方で歯が立つものではありませんでした。

挫折してしまったが故に、もう一度チャレンジしたいという気持ちが心の奥底に流れています。(ほかに挫折したものとして、利己的な遺伝子  [ リチャード・ドーキンス ]、実験医学序説[クロード・ベルナール]があります。)そこで、行動経済学の本でなく、カーネマンとトヴェルスキーの物語ならもう少し読めるだろう、と考え本書を手にとりました。

なかなか骨が折れましたが、タイプの全く異なる二人の天才の生い立ちと、二人が出会ってどのように学問を作り上げ、二人の関係がどのようにして終わったのか、とても興味深く読みました。

本書でも、スポーツ界における、将来のスーパースターを見出すにはどうしたら良いか、軍隊のエリートを見分ける心理テスト、人はなぜ、どのように間違えるのか、人の経験に基づく印象はどのように形作られるのか、など、さまざまなエピソードが語られます。その中で印象的だったエイモス・トヴェルスキーの言葉は以下でした。

「優れた科学は誰にでも見えることを見ながら、誰も言っていないことを考える。とても賢明なことと、とてもばかげていることの違いはわずかであることが多い。」

最近の読書

最近、色々な事に忙殺されていますが、読んだ本を備忘録的にのこしておこうと思います。

多数決を疑う 社会的選択理論とは何か (岩波新書 新赤版1541) [ 坂井 豊貴 ]

最近選挙がありましたが、「多数決は本当に国民の意思を反映しているのか?」という事について議論した本。

単純な多数決で物事を決定し、多数派が自分たちの意見を少数派に押し付けるような物事の進め方は楽ですが、乱暴です。

民意を反映させるための意見集約の方法には、さまざまな議論があり、色々なやり方があるのだということを勉強しました。

 

スマホ脳 (新潮新書) [ アンデシュ・ハンセン ]

とってもたくさん売れた本、ということで手に取りました。

歳をとってくると、限られた人生の時間をどう使うのか、ということを考えることがあります。

そうした時に、スマホやパソコンをどう使うかはとても大きな分岐点になると思います。

スティーブ・ジョブズはパソコンを脳の自転車のようなものだと評したとありましたが、まさにその通り、と思いました。

 

石橋湛山の65日 [ 保阪 正康 ]

首相在任期間というよりは、石橋湛山の戦前戦後の歩みと、その人となりについて書かれています。

学生に向かって法華経の一節

「質直にしてこころ柔軟、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず」

を引いて語った言葉

「何らかの前提や思想感情に支配されることなく、心をやわらかにして、世の中のものを見、事に当たるという事であります」

という言葉は印象的でした。

 

肝臓病を悟る

肝臓病の大御所の半生記みたいな一冊。副題に「劇症肝炎との闘いからわかったこと」とあるように、日本で一番多くの劇症肝炎治療にあたった先生だと思います。

僧侶でもあり、言葉には含蓄があります。

 

ドリルを売るには穴を売れ 誰でも「売れる人」になるマーケティング入門 [ 佐藤義典 ]

マーケティング入門書。物語と一緒に解説されているので軽く読めました。ベネフィット、セグメンテーション、ターゲット、差別化といった僕にはあまり馴染みのない言葉が並びますが、物語に即して理解することができたと思います。

 

医師・医学生のための人類学・社会学 臨床症例/事例で学ぶ [ 飯田 淳子 ]

患者さんが医療者の指示に従わず、治療がうまく進まないような場合、「問題の多い患者さん」として疎まれてしまうことがあります。そのような事例を人類学的、社会学的な視点から掘り下げます。

医学教育のモデルコアカリキュラムに準拠していて、それぞれの事例で議論される内容に該当するコアカリの項目、学習目標が示されています。

学生指導の参考になるのみならず、自分の診療を振り返るのにも良い視点を与えてくれると思いました。

 

うっかりオリンピック [ こざきゆう ]

「え?」と思うようなオリンピックの記録を集めたかるーい一冊。

 

プロセスエコノミー あなたの物語が価値になる [ 尾原和啓 ]

品質のみでは勝負が難しくなってきた現代において、ワン&オンリーの価値を創造するためにはストーリーを通して共感を得ることができれば強いぞ、ということだと思った。

仕事をするにあたり、Will(やりたいこと) Can(できること) Must(やらなければいけないこと)を皆で共有し、目標達成のプロセスを大切にしていきたいと思いました。

 

もっとわがままになれ! [ 堀場雅夫 ]

「おもしろおかしく」を社是とする元祖学生ベンチャー企業、堀場製作所の創業者、堀場製作所最高顧問のありがたいお言葉。他人任せでなく、自分の意見を持ちなさい、ということと思いました。

「教育」とは「教えること」と考えがちですが、education(教育)の語源はeduce(引き出す)であるということが書かれていて印象に残りました。なるほど、produce(生じさせる、作り出す)induce(誘発する)などにも「duc」が含まれています。

 

日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫) [ 半藤 一利 ]

昭和20年8月14日正午から8月15日正午にかけての24時間のうごきを克明におったノンフィクション。

小学校の同級生の祖父君が大活躍していて、「こんな偉い人だったんだ」と思いながら読み終えました。

今の価値観とは相容れないところもあとは思いますが、熱い想いをもって国を想う人たちがいたということを改めて認識しました。

 

白 [ 原研哉 ]

まえがきにあるように、白という色彩について語った本ではありません。「白」という概念の周辺にある美意識を探る話でした。

吉田洋一「零の発見」を思い出しました。ないものを発見し、位置付けることにより世界が変わります。

白を背景として色が入る時、無と有の際立ちが意識されます。

本書はデザイン的な観点から白とその周辺について考察がされています。長谷川等伯の松林図の何も描かれない空間が鑑賞者の感性を刺激します。

音楽において、間とか静寂がそれと似た役割をしている時があると思いました。

読み終わった後、Miles Davisが聴きたくなりました。

 

ゾルゲを助けた医者 安田徳太郎と〈悪人〉たち [ 安田一郎 ]

小林多喜二の検死をし、ゾルゲ事件に巻き込まれる事にもなった「医師」安田徳太郎をめぐる物語。

「医者は、芸者、役者とならんで三者というのだ。幇間、つまり太鼓持ちなのだ」

相手がどんな主義主張をもっていいても、同じように接しなければならない。医者ならば、相手がなに様であっても、同じように、診察し、検査し、治療しなければならないとの信念が感じられました。

それを実践したからこそ、結果としてさまざまな事件に巻き込まれてしまったのだろうと思いました。

 

イスラームからヨーロッパをみる 社会の深層で何が起きているのか (岩波新書 新赤版 1839) [ 内藤 正典 ]

多様性ということを考えさせられた。

西洋とイスラーム、根本的に異なる文化の共生がいかに難しい事かを感じる。

「はじめに」では「2015〜20年にかけて、中東での内戦や戦争の結果、難民の奔流がヨーロッパに向かったことでヨーロッパとイスラームとの共生は不可能な状況に陥っている。」と記されている。

読んでみると、僕たちがヨーロッパと一括りにしている国々で難民受け入れの実情はそれぞれ異なっているようだ。イギリス、フランス、ドイツを代表として説明されているが、それぞれの立場、考え方は異なっている。そしてそのどれもが、自分たちの都合が優先される「共生」だった。国民を定義する基準設定によって成り立つ国民国家のシステムはの限界がそこにあるという。また、一方でトルコという国の存在の大きさを感じた。

米国留学で「多様性のある社会」を実体験してきたつもりだったが、まだまだ知らない「多様性」があるのだなと思う。

がん 4000年の歴史

最近、色々なことでものすごく忙しく、仕事以外の文章を書く時間をとることがなかなかできませんが、読んだ本の感想くらいは少しずつ残しておこうと思います。

がん(上) 4000年の歴史 (ハヤカワ文庫NF ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [ シッダールタ・ムカジー ]

がん(下) 4000年の歴史 (ハヤカワ文庫NF ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [ シッダールタ・ムカジー ] を読みました。

がんという病気は古からあった。しかしその病気の理解が深まったのは近年のことである。
4000年前の疾患理解に始まり、後半は近年(といっても50年ほど)の進歩により疾患概念がどのように変化したか、それに対し、治療の考え方がどのように変化したかについて、迫力ある筆致で描かれる。
今では誰でも明らかなことと思っているタバコと発癌の関係だって、最初は誰もわからなかった。証明されるまでには大変な労力が必要だった。
治療も同様だった。それぞれの時代に、その時代の疾患解釈に基づいた治療法が選択された。今から考えればそれらの中には間違いと言わざるを得ないものもある。しかしそれは「今から考えれば」であって、当時の考えであればそれなりに正当性を持っていたし、正解は誰にもわからないことだった。
読んでいて思い出したことがある。
大学の先輩O先生は、分子標的治療薬が開発されるちょっと前の時代、大量化学療法によって癌の治療が進歩すると信じられていた時代に、その時代の先頭を走っていた。そのO先生が、がんを患った。医療者の中には、自分がやってきた医療を選択しない人がいる。偉い人の中に時々いる。O先生は強力な抗がん剤治療を進めていた人だった。O先生は自分が行っていたよりもさらに強力な実験的化学療法を自分の治療として選択された。強い副作用にもかかわらず、十分な治療効果は上がらなかったという。O先生の最期の言葉は「もう、いいよ」であったのを聞いて、とても残念な気持ちになったと同時に、畏敬の念を抱いたことを思い出した。
大量化学療法の時代のあと、分子標的治療薬が登場する。本書の「がんの歴史」はここで終わりを迎える。
現実の世界では、本庶佑先生のノーベル賞受賞に代表されるがんの免疫療法が大きな進歩を遂げた。これについては解説で大阪大学病理学教授の仲野徹先生が書かれている。
時代にしっかりついていくこと、現在の理解の根拠をしっかり持つこと、過去はどう考えられていたのかを時に振り返ることを忘れずにやっていきたいと思った。温故知新がそこにあると思うから。

0メートルの旅

0メートルの旅 日常を引き剥がす16の物語 [ 岡田悠 ]を読みました。

作者は旅マニアのお兄さんです。

学生時代から旅に魅せられ国内海外と旅を続けています。今は会社員をされているということですが、新婚旅行が南極、というのだから、それだけ聞いても筋金入りの旅マニアだと思います。本書に書かれている以外にも、もう本当に世界中行かれているのでしょう。

ご本人は本の中でプロではないと書かれていますが、僕から見れば「プロ」言って過言ではないでしょう。本を出すくらいですから。

そして「プロ」ですから、もちろん、本書に出てくる旅にツアー旅行はひとつもありません。ほとんど行き当たりばったりの旅ですが、予想だにしない様々な出来事を、トラブルまで含めて、その非日常性を楽しんでいるような、おおらかさ(実力?)がそこにあります。

この経験を通して筆者は哲学的な疑問を持ちました。非日常性を感じるために「距離」は必要なのだろうか。

本書の旅行記は海外編から始まります。自宅から最も遠い南極(16350000メートル)に始まって、南アフリカ(13549000メートル)、モロッコ(11525000メートル)、イスラエル(9159000メートル)、、、魔術師に金をせびられたり、突然、予期しない大金持ちになったり、両替ができなくて逆に突然のピンチに見舞われたりしながら、16の旅日記は徐々に自宅に近づき、国内編、近所編と続いて、最後に自宅で最終章を迎えます。

どの旅も、非日常を感じさせてくれるものでした。「旅」は距離ではないのだと感じさせてくれます。

それは、近所であっても、自宅であっても、感じることができるものなのでしょう。非日常のスイッチをオンにすることができれば、距離は「旅」の必要条件ではないことが感じられます。ただ、「必要条件ではない」ということは「必要ない」ことを意味するものではありません。非日常性のあり方には無限の可能性があって、距離が必要な非日常性も確かに存在するということなのだと思います。それは本書の前半の旅を読めば明らかです。

一方で、後半を読むと、心の持ち様、感じ方によっては、普段の生活の中でも非日常性を感じて、旅と同じような刺激を得ることができるのでしょう。そういう余裕をもちながら生活し、コロナ禍が収束したらどこかに旅行に行ってみたいと思いました。

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