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映画・テレビ

今日を大切に

映画「カンフーパンダ」。サンフランシスコから成田に帰ってくるまでの間3回も見ちゃいました。

ここで紹介するのはそれに出てきた言葉です。 

Yesterday is history. Tomorrow is a mystery. Today is a gift. That's why we call it the present.

韻を踏んでいて覚えやすく、良いフレーズだと思います。何となくロマンチックな感じもします。何が良いと感じさせるのだろう、、、と考えてみました。

history には冠詞がついていません。「日本の歴史」などと言う時には "the history of Japan" と言いますので、この文章で意味する所の history は自分の個人的な過去ではなく、もっと一般的な「過去」を総体として意識した文章の様に感じます。

一方、第2文では Tomorrow is a mystery. と不定冠詞 "a" がついています。これから先におこる様々な事象を意識して、その一つである「明日」を "a" mystery と表現しています。mystery の意味する所は、「謎」というよりは「人知を超えたもの」という感じでしょう。そしてそれが、単数を表す不定冠詞 "a" とともに用いられます。

mystery は幾つもあって、その一つだというわけです。終わった事はひとつにひっくるめて終わった事。未来も一つにひっくるめるけれど、未来は一つじゃない、決定さ れていない。僕たちが経験するのはそのうちの一つ。

何が起こるかわからない。そんな可能性を感じさせます。

そして現在。Today is a gift. これは「現在」が沢山ある贈り物の一つであると言う感じです。

一方、 That's why we call it the present. と、"a" gift の別名には定冠詞がついて "the" present と表現されます。present が「現在」という意味と「プレゼント」という意味とかけ言葉として用いられています。gift は沢山ある。 「今日」はその gift の一つ。でもその gift は神さまから与えられた特別なもの。だから "the" present と言うのだと思います。

過去と未来を対比し、未来に目を向けつつ、現在の大切さを感謝とともに表現した文章だと思います。

僕は「今日」をそこまで大切にして生きているだろうか、、、。

「カンフーパンダ」をみてそんな事考えるヒトはいないでしょうね。

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ルイスと未来泥棒

先日、「ルイスと未来泥棒」を家族で見に行きました。「家族」について考えるお話。養子の話がふつうに出てくるところがアメリカらしいと思いました。

この映画で引用されていたウォルト・ディズニーの言葉。映画のテーマにもなっています。


“Around here, however, we don’t look backwards for very long. We keep moving forward, opening up new doors and doing new things… and curiosity keeps leading us down new paths.”
–Walt Disney

「けれども、いつまでも過去を振り返るのは、もうよしましょう。私たちは常に前進し、新たな扉を開き、新しい事を始めるのです、、、。そして好奇心は、これから進み行く新たな道へと、私たちを導いてくれるのです。 」
ウォルト・ディズニー

アメリカのinnovatorらしい、前向きの力に満ちた言葉です。そして、こういう言葉をテーマに子供向けの作品を作るっていうのもアメリカらしいと思います。

うれしかったのだろうか、、、。

プラハの町を歩いていて、特にローマ時代のものと思われる彫刻や建物にある装飾で気になる点がありました。

人の足場が筋骨隆々とした人によって支えられている、という形をとっている事が多いのです。バルコニーの柱がそのような人間の形に彫刻されていたり、人物彫刻の土台がそのようにデザインされていたりします。彫り込まれた人々はみな必死の形相です。鎖がかけられている事もあります。当時の為政者にとっては力の象徴だったのでしょう。

時代の違い、価値観の違いなのでしょうが、そういう状況になったら僕はうれしいだろうか?とふと考えてみると、答えは否。人に何かを強要し、踏み台にして自分が高みに登ってもうれしくないと思うし、そのような人を見ても僕は羨ましいと感じないと思います。

精神的、経済的には現代も同様の構造があるのではないか、という意見もあるかもしれません。また、ヨーロッパの彫刻ほどあからさまではありませんが、それに近い事が好きな人は現代日本社会にもいるかもしれません。ただ、個人的には「人にあからさまに何かを強要し、それにより満足を得たり、自己の力を誇示する」感性は持ち合わせていないつもりです。

僕は、それとは反対の方向に進みたいと思います。

そんな事を考えていたら、チャップリンの"The Great Dictator" (1940)の演説を思い出しました。

最初の部分だけ拙訳を添えてご紹介します。(間違えていたらご指摘ください。)

I'm sorry, but I don't want to be an Emperor - that's not my business. I don't want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone, if possible -- Jew, gentile, black man, white. We all want to help one another; human beings are like that. We want to live by each other's happiness, not by each other's misery. We don't want to hate and despise one another. In this world there's room for everyone and the good earth is rich and can provide for everyone.

申し訳ない。けれど私は皇帝になりたいとは思わないのです。興味がありません。私は征服したり打ち破ったりなんて事をしたくはないのです。可能であれば、ユダヤ人、非ユダヤ人、黒人、白人、全ての人を助けたいと思うのです。私たちは、人である限り助け合いたいと思っているはずです。私たちは互いの幸福により生かされたいと願いますが、他人の悲劇を食い物にしたいとは思わないものです。互いに憎み蔑み合うなんて事は望みません。この世界は皆が仲良く暮らすだけの余地がありますし、大地は肥沃で全ての人に恵みを与えてくれるのです。

ここから後が一段と良くなっていくのですが、、、。興味のある方はこちらをご覧ください。映像とともにテキストが参照できます。