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日記・コラム・つぶやき

新年 明けまして おめでとうございます

 旧年中はお世話になりありがとうございました。

 昨年は「少しだけ遠くに目標を設定し、freshな気持ちで朝を迎えられる日を増やせる一年にしたい」と目標を立てました。結果的に、達成できなかったことは数多くありましたが、ちょっとだけ達成できたこともあると感じられた一年でした。今年も何かしら「前に進めた」と、実感をもてる一年にしたいと思っています。

 それにしても、ここ数年、一年が前年より短く感じます。子供の頃は夏休みが永遠のように長く感じられたような記憶がありますが、最近では一年が一瞬です。

 今年は卯年。ウサギのように早く走ることはできませんが、カメの気持ちで1年間頑張っていこうと思います。

 なんてことを考えて、ふと気がついて12年前の年賀状を見返してみたら、同じようにウサギとカメを引き合いに出し、ガッツのあるカメになりたいと書かれていました。「ガッツのあるカメ」なんてことを言い出したのは、さらにその12年前だったような気がします。24年も同じこと言っていたとは、なんとまぁ進歩のないことか。自分でも呆れてしまいます。でも、ここであきらめては、本当に「ガッツのないカメ」になってしまうので、やっぱり今年も頑張ろうと思います。

 本年もよろしくお願い申し上げます。

令和五年 元旦

演奏会

久々の投稿です。

古くからの友人の誘いでNHK交響楽団の定期演奏会に行ってきました。

ブロムシュテット指揮によるマーラーの交響曲第9番。

NHK交響楽団は自分が遠い昔にトロンボーンを吹いていた時、先生がこの楽団の演奏者であったこともあり、なんとなく深い思い入れがあります


さて、演奏会はというと、レジェンドを迎えるということか会場は初めからやや興奮気味。予定調和の演奏会になるのかと思いきや、まったくそんなことはありませんでした。

演奏全体に、楽団員の尊敬と指揮者の精神性にみちていて、ストイックな曲作りが会場で解放されているように感じました。

マーラー9番を聴いたのは初めてで、印象を消化するのに時間がかかっています。楽曲の最後の終わり方は、浅薄に言えばチャイコフスキーの悲愴に似ていて、終了時の数秒間の沈黙がとても印象的でした。孤独とか死を連想させるものかと思いました。ゴッホにもにているのかな。

演奏会後は喫茶店で昔話+近況報告。これもとても楽しかった。同い年の友人が、夢をもって仕事を続けていることに改めて刺激を受けました。

これからも頑張ろう。

夏休みに逃げ続けて得たもの

もう8月も半分終わってしまいました。早いものです。

 

毎年、夏休みの頃になると思い出すことがあります。

 

中学校に入学した春、体育館でブラスバンドが演奏した「宇宙戦艦ヤマト」に感動した僕は、ブラスバンドに入部しました。入学式の時には、音楽など全く興味なく、野球部に入ろうと思っていたのですから大きな方向転換です。

 

入部後、僕はトロンボーンを吹きたいと思いました。3月に卒業した先輩達は東京都でも評判の名手だったと聞いて僕もそうなりたいと思ったからです。

 

しかし経験も才能のないものにとって現実は甘くありませんでした。

 

僕が入部した当時、ブラスバンドの練習は日曜日以外、毎日朝練習と午後練習がありました。夏休みも半分くらいは朝9時から昼休みをはさんで夕方5時半まで練習していました。

 

4月に新入生が入部して8月には東京都のコンクールがあります。ブラスバンド部は前年のコンクールで金賞を受賞していて、クラブ全体が「今年も」という雰囲気になっていました。

 

通常、ブラスバンドで合奏をするときには一つの楽器に3人あるいは4人の演奏者が必要です。これは和音を構成するためだと僕は理解しています。金管楽器、あるいは木管楽器は一つの楽器で一つの音しか出せません。一人でメロディを奏でる時はいいですが、それ以外の時で、例えばドミソの和音を奏でるために3人必要なのです。

 

トロンボーンは中低音領域を担います。かなり大きな音を出す事ができ、合奏全体をささえる役割をしますので、安定した和音をしっかりと作ることが大切です。

 

ところが、僕が入部した時、トロンボーンを吹いていたのは3年生のKH先輩、2年生のNT先輩、二人だけでした。

 

当然の事ながら、もう一人の演奏者を促成栽培する事が急務です。

 

一年生は僕とKR君の二人です。KR君は僕よりも体が大きく器用で音楽的センスもあり、度胸も備わっていました。当然彼の方が上達が早く、彼がコンクールの舞台に上がる事になりました。

 

僕はKR君と並んで楽器を嫌でした。だって明らかに彼の方が上手なので、その差に先輩が笑っちゃうほどなのです。

 

夏休みになるとコンクールに向けた練習が中心になります。舞台にのる人達が練習している間、一年生は自主練習をする事になります。

 

技術にひけ目を持っていた僕は、技術的な練習を殆どやりませんでした。ロングトーンと言って、同じ音を「ぶううううううっ」と吹き続けるだけでした。これならKR君と大した違いがありません。水泳をやっていたので肺活量には多少自信がありましたので、長く音を出しつづけるための努力にはあまり苦痛を感じませんでした。

 

コンクールは一年生が舞台に上がっていたにもかかわらず、2年連続金賞という最高の結果に終わりました。僕の劣等感は相変わらずでした。

 

ところが、夏休みが終わった頃、コンクールを終えた先輩達と久々に一緒に練習をした時、変化が起こりました。

 

技術的な練習から逃げた結果であったのですが、ロングトーンしかやらなかったおかげで僕の出す音が目に見えて良くなっていたのです。自分では全く気づいていなかったのですが、先輩達の驚きは大きかったようです。

 

結果として、そこでほめられた時に味わった感情が、その後のモチベーションを持続させる源となりました。

 

その経験からでしょうか。目標が定まらない時でも、いつもなにかしら地道な努力を続けていたいと感じています。

3年ぶりの渡米 帰国前

帰国に際し、飛行機搭乗前72時間以内にCOVID 19のPCR検査を受けて、陰性証明を取得する必要がありました。
これがないと飛行機に乗せてもらえません。あらかじめMySOSというアプリをインストールし、帰国の便名などを入力しておくと、日本帰国に際して必要な情報をいつからいつまでに取得しなくてはいけないか、指示してもらます。それを全部入力すると、事前検疫手続きが完了するのでとても楽でした。
僕の場合は水曜日の昼に搭乗予定でしたので日曜日の昼以降にPCR検査を受ける必要がありました。ミッドタウンの日本人向けサービスを、日曜日にネットで検索し、月曜日の検査予約をとりました。検査結果の受け取りまでの時間によって値段が異なります。翌日夜、翌日朝、当日中、数時間後とそれぞれ段々高くなります。僕の場合は月曜日に検査の予約を取ることができたので、一番安いコースでOKでした。それでも175ドル。円に換算して23000円あまりででした。結果は翌日の夜にメールでpdfファイルが届きました。
発熱はなく、その他の自覚症状もなかったので、大丈夫だとは思いつつ、陰性の結果をみて改めて安心しました。全ての検査には「偽陰性」という結果がつきものであることは十分理解しているつもりですが、検査によって得られる安心感は大きいものだと、改めて実感しました。
そしてこれをMySOSにアップロードして、要求される情報のすべてが問題なしと判断されると、事前検疫手続きが完了します。そうするとアプリの真っ赤な表示が真っ青に表示されるようになります。
飛行機搭乗前は、陰性証明のpdfファイルの提示を求められましたが、日本についてからは、MySOSアプリの表示が青くなっているのを見せるだけで検疫を通過することができるので、入国審査は極めてスムースでした。

3年ぶりの渡米 ニューヨークマスク事情

所用がすんだあと、数日マンハッタンに滞在して帰ってきました。
ホテルに入ってまず、ケーブルテレビをつけました。チャンネルは地元テレビ局のNY1。地元のニュースを中心に報道している放送局です。
前回来た時には、地元のテレビ局NY1のキャスターが、僕が留学していた2001−2005年と同じ方でした。その後世代交代が進んだようで、僕が見たことのある人は流石に誰もいませんでした。そりゃそうだよね。
ちなみに、映画バットマンの舞台はアメリカ東海岸のゴッサムシティ(Gotham City)という仮想の都市ですが、ここで出てくるニュース番組のテレビ局はGC1と表示されてました。NY1をもじったものではないかと思います。
このNY1で話題になっていたのが、マスクをいつまでやるの?ということでした。
公共交通機関内でのマスク着用義務は撤廃されましたが、CDC(疾病予防対策センター)からの勧告に基づき、マスク着用の推奨は継続されています。
マスクする派、しない派、色々な意見が紹介されていました。僕のヒアリング力では十分な情報を聞き取れなかったのですが、マスクしない派の人たちの方が、「マスクをしない理由」をその人なりに明確に述べているように感じました。マスクする派の人たちはどちらかというと、「念の為」「今までの習慣」「安心」などを理由に挙げているように感じました。
実際に世の中ではどうかというと、
CDCからの勧告に基づき、場所によってはルールを設けて、それ以外はTPOによって各自が使い分けている、そんな感じがしました。
街中(外)でマスクをして歩いている人は少数でした。
地下鉄でのマスク着用は、実際のところ、50−60%くらいの割合でマスクが着用されている印象でした。思ったより多かったかな。
ヤンキースタジアムでは誰もマスクはしていなかったと思います。
レストランでも、食後にマスクをして会話しているような人はほとんどいなかったように思います。
一方、劇場や美術館などではマスクを着用していないと入れてもらえませんでした。

3年ぶりの渡米 出国前


所用があって、ニューヨークに行ってきました。この2年、長期休暇もいただいていなかったので一緒に早めの夏休みもとらせていただきました。
これまでの渡米と違って、収束前とはいえ、コロナ禍での渡米だったので、個人の記録として、備忘録的にまとめてみました。
渡米が決まった時には、米国入国前のPCR検査や、帰国後の自宅待機など必要とされていました。特に、帰国後の自宅待機については、そんなに長く仕事を休むわけにもいかないし、COVID-19の流行と水際対策の状況によっては、旅程そのものをキャンセルすることになるかもしれないと思っていました。
幸いなことに、その後、ワクチン3回接種を条件に、帰国後の自宅待機期間がなくなり、渡米できるかな、、、と思えるようになりました。さらに、6月10日頃からは、これまたワクチン接種を条件に、渡米前のPCR検査が必要なくなくなったので、さらにハードルが下がりました。
そうはいっても、コロナ禍が収束したわけではないので、必要書類が足りなかったりすれば、飛行機に乗せてもらえません。このため、渡米、帰国に際してはそれなりに準備が必要でした。
まず、ワクチン接種済みであることを証明しなくてはいけません。この接種証明は、紙の証明書を持って行ってもいいと思いますが、iPhoneのアプリを使うのが便利で簡単でした。これならiPhoneさえ持っていれば良いので、忘れたり、無くしたり、という心配をしなくて済みます。
新型コロナワクチン接種証明書アプリをiPhoneに入れて、マイナンバーカードを使って登録します。すると、日本語と英語の接種証明書がダウンロードされるので、これでOK。マイナンバーカード、便利。
出国時には、一応紙の摂取証明書も持っていきましたが、飛行機搭乗前にアプリの画面で接種証明書を提示するだけで、米国入国に際しても特にワクチン接種証明書などが必要となることもなく、あとは普通の渡米とほぼ同様でした。

「弱者の戦略」を思い出した

最近、経営とか生き残り、、、みたいな話をよく聞くようになり、しばらく前に読んだ「弱者の戦略 (新潮選書) [ 稲垣栄洋 ]」と「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか [ チップ・ウォルター ] 」
を思い出しました。

弱者の戦略 (新潮選書) [ 稲垣栄洋 ]」には「生き物の世界は『歯を食いしばって頑張ればなんとかなる』といった甘い考えは通用しない」と、書かれていましたが、これは人間社会においてもその通りだと実感します。生き残るためには、無謀な戦いを挑むことなく、どのような戦略をとるのかを考えねばなりません。

生物一般で考えれば我々も地球上の生物の一員です。生物としての我々も、同じようにして生き延びてきた歴史があるそうです。「人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか [ チップ・ウォルター ] 」によれば、地球上に進化してきた人類は27種に及ぶけれど、現生人類は一種類しかいないとされています。そして現生人類(=我々)は華奢型に分類される人類で、頑丈型に分類された人類は生き延びることができませんでした。(この本は、かなり歯ごたえがありましたが、とても興味深かったです。)

実は進化論を唱えたダーウィンも、「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ。」といった内容の言葉を残していると聞いたことがあります。「変化できるもの」というところがミソだと思っています。状況に応じ、積極的に変わっていかなくてはいけないということなのでしょう。

色々なことに、受け身でなく前向きに対処していきたいと思います。

4月20日感染制御の日

 令和2年4月20日、僕が勤めている病院で新型コロナウイルスの院内感染が判明しました。
 当時は新型コロナウイルスのPCR検査も結果が出るのに数日を要し、COVID19という疾患の全体像も見えない中での戦いでした。大規模な院内感染は社会へのインパクトも大きく、注目を集める中、すべての職員が一丸となって正面から立ち向かいました。病院の信頼が大きく損なわれたと感じる一方で、多くの皆様方からの温かいご支援を得て、私たちは懸命に信頼回復に努めてきたつもりです。
 同じようなことは二度と繰り返さない。
 その思いを確固たるものとするため、僕たちのでは、4月20日を「感染制御の日」と制定しました。昨日はその2回目の追悼式と職員研修会が、多くの職員の参加を得て執り行われました。
 新型コロナウイルスとの戦いは今なお続いています。私たちが、この戦いに勝利することはもとより、将来体験することになるかもしれない未知の感染症との戦いにもしっかりと立ち向かえるようにするためにも、この院内感染の経験を風化させてはなりません。
 あの院内感染後、2回の春を迎え、多くの新入職員が新たな仲間として加わり、法人内での人事異動もありました。当時を経験していない職員が今後数多くを占めることになっていくと思います。そうした人材の新陳代謝を乗り越えて、過去の経験を病院の文化として残すことが、この院内感染で失われた御霊に報いる道と考えます。
 遠い過去のようにも感じますが、わずか700日ほど前の出来事です。昨日はそうした思いを胸に刻んで共有する日になったと思います。

4月になってはや2週間

 4月から、今いる病院の副院長を拝命いたしました。同時に色々な仕事が増え、未だに1週間のスケジュール感がつかめません。

 スケジュールを十分把握できていないまま、忙しい1日を過ごすと、倍ぐらい疲れる感じです。だから、この2週間はもう、あっという間でした。

 振り返ってみると、今の病院にきて3年経ちますが、コロナ禍ということもあり、これもあっという間でした。

 医者になってからは31年の月日が経ちましたが、ここはさすがにあっという間というよりは、今までよくやってきたなぁ、という感じです。なんと言っても、自分の年齢を考えたとき、医者になる前よりも、なってからの方が長い時間を生きてきたことになるのですから、それなりに長い時間と言って良いと思います。

 この間、日本経済のバブルが弾け、インターネットが普及して情報革命がおき、iPhoneが登場し世の中が変容していく中、地下鉄サリン事件や、9.11のテロがあり、東日本大震災がおこり、今は新型コロナウイルス感染症の、いつ明けるとも知れないパンデミックのなかにあります。こんな時代は想像しようもありませんでした。

 でも、希望もあります。2020年に始まったコロナ禍では多くの力強い励ましを多方面からいただきました。僕たちには、そのお気持ちに応え、信頼される病院を作り上げる責務があると思います。

 僕の好きな言葉に、こんなものがあります。

「富士山に登ろうと心に決めた人だけが
富士山に登ったんです。
散歩のついでに登った人はひとりもいませんよ」
「浮浪雲」(ジョージ秋山)

 15年くらい前に、米国で肝移植手術をやっているF先生から教えていただきました。

 これから、信頼していただける病院になることを心に決めて、微力をつくして参りたいと思います。

 今後ともよろしくお願いいたします。

目標について

ミケランジェロが
「目標が高過ぎて達成できないことが危機なのではない。低すぎる目標を設定して達成してしまうことが危機なのである。」
という内容の言葉を残していると聞き、なるほどなぁ、、、と思ってgoogleで調べてみました。
すると色々な人が同様の言葉をのこしていました。でも、これって、失敗して心が折れたことのない人たちの言葉なんじゃないかな、、、
目標に届かないことが続くと心が折れるんだよ。まぁ、ミケさんはそれを「危機」と言ったんだろうけど、みんなそんなに強くないんだよ。ミケさんはじめ、この手の言葉を残しているあなた方は「天才」「成功者」だもんね、、、
なんてひねくれたことを思ってたら、ちゃんと目標を達成できなかった人にも目を向けた言葉がありました。
Don’t fear failure. – Not failure, but low aim, is the crime. In great attempts it is glorious even to fail.
Bruce Lee
失敗を恐れるな。失敗することではなく、目標が低いことが罪なのだ。大きな挑戦ならば、失敗さえも栄光となる。
ブルース・リー
カッコイイ、、、。やっぱり頑張ろう。
色々な問題提起がありましたが、365日の間に夏と冬のオリンピックがあったこの一年に、学ぶべき言葉の一つであるように思いました。
で、僕の「目標」はそもそもなんだっけ?
まずはそこから。

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