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学問・資格

神戸日帰り学会参加

日帰りで神戸に行って学会参加してきました。
今回は自分の発表はなかったので気楽といえば気楽です。

始発の電車で向かったのですが、参加費支払いとか、専門医の単位登録とかやっていたら、意外に時間がかかってしまいました。おかげで、朝一番のセッションで今日、2番目に聞きたかった招聘講演を聞き逃してしまいました。

うーむ、残念。あとは一生懸命聞いて帰ろうと、一日中、いろいろな発表を聞いて、勝手なことを夢想していました。

昼食も企業が開催するランチョンセミナーでお勉強。僕が聞いたのは、アベノミクス最初の成果とも言われる新しい検査についての講演です。開発を担当された先生が直にお話くださったので、迫力がありました。内容もわかりやすく、とてもよく理解できました。

国のため、産業界全体のために特許を取るけれど、それを独占はしない。「みなさん、どうぞ、お使いください。」といったあたりに気概を感じました。

かつての留学先の親分の発表も聞きました。

留学先のボスには「残念な知らせ」で書いたことについての詳細を聞きました。今回の来日が今年3回目のアジア訪問だと言ってました。当然全て招待講演。そのほかにもドイツとかがあって、ボスのさらに上司が怒ってしまったとのこと。自分の大学に全然いないじゃないかと。「俺も職がなくなると困る。」と言っていました。

結局、僕がお願いしていた日本の学会への招聘講演のほか、ドイツ、スイス、中国などへの渡航をキャンセルし、スカスカとなった今後の仕事の予定のカレンダーを見せて、納得してもらったのだとか。

いやいや、どんなに偉くなっても、もっと偉い人がいるものだと改めて思ったのでした。

そのボスの発表をはじめ、基本的にはインターナショナルセッションにいたので、最近使わない英語の勉強にもなりました。いや、英語力(特に会話力)、落ちてるかも、、、。来月米国で発表なのにまずいまずい。

留学先の先輩にも久しぶりに会えました。二人のお子さんはお二人とも医学部なのだそうで、お一人はもう卒業されたとのこと。それはそれは、おめでとうございます。

そして、ずっと昔の同僚にも会えました。彼の立派な仕事を聞いて、改めて自分も頑張らねばと思いました。

それにしても彼、仕事してるなぁ、、、。午後に、一緒に発表を聞いていたら、

「ちょっとお先にしつれいします。」

と、彼は席を立ちました。

「あれ?あぁ、帰るんですね。」

と僕。

「いや、これから宮崎に行って別の学会にでるんで、、、。」

と彼。

ええぇ、、確か、?先週はウィーンで発表していたはずなんだけど、、、。

まだまだ頑張りがたりません。

忙しいとか、大変だとか、文句言ってちゃいけないな。と思いました。


And yet it moves. それでも地球は回っている。

論文撤回とか、データのコピペとか、取り下げるとか取り下げないとか、科学論文がニュース番組をにぎわわせています。

データの扱いにはお粗末なところがあったのは確かなようで、このあたりが話をややこしくしているように思います。僕は「悪意による捏造があったかどうか」と、「報告内容の真実性」については分けて考えたいと思います。

遺伝法則を証明したメンデルのエンドウ豆の論文もデータは捏造されたものだったそうです。近年でも社会問題になるようなサイエンスの領域におけるデータ捏造事件がありました。過去から現代まで一定の頻度であったものなのだと思います。捏造がいいとは言いません。許されざることです。

何しろ科学コミュニティは、「科学者にそのようなことをする人はいないはずだ」ということが前提となっているからです。僕が教えられたり、経験した範囲で考えれば、通常、ウソをついて作った結果は、学問が進歩する過程で矛盾を生じます。そして更なるウソをつかねばならない状況に追い込まれていきます。いずれわかることです。

今回の問題で、データの取り扱いの問題は信用問題ですから、様々な方面に大きなダメージがあると思います。当事者となっている方々にとっては大変なことだと思います。でも、申し訳ないけれど、僕にとっては対岸の火事。だから、僕は悪意による捏造があったかどうかに興味はありません。

ただ、最先端の生物実験においては「ある一時期、なぜかうまくいっていたのに、ある時から再現できなくなってしまう。」ということが本当にあるようです。

STAP細胞が発表されたNatureと同じ系列の雑誌でNature Geneticsという雑誌があります。ここに掲載された「Nat Genet. 1995 Mar;9(3):243-8.」がその一例です。発表された時は報道ステーションなどでも取り上げられ、話題を呼びましたが、その後、なぜか再現できなくなってしまいました。

再現性の重要性を強調するときの悪い例として、総説に取り上げられたりもしていた記憶があります。

著者の先生方はその後、同様の現象が(効率は圧倒的に悪かったとしても)ある程度再現可能であることを、何年もかけ、大変な苦労をされて、証明されました。(Biochem Biophys Res Commun. 1999 May 10;258(2):358-65.)

だから、論文著者を含めて今回の報告と全く同じ内容を再現できなかったとしても、今回の論文が「メンデルの論文」の様なものなのか、「デタラメ」なのかを判断することはできないのかなぁ、、、と思っています。

僕は「STAP細胞(あるいはそれと似た細胞)が誕生するような生命現象」はあると思っています。つまり、細胞が生きるか死ぬかの状況におかれた時の「生き残り戦略」として、より未分化な細胞にトランスフォームするというのは「あり」なストーリーだと思うのです。文学的で、科学的な表現ではありませんが。

僕たちが「がん」の治療をするとき、がん細胞を死滅させるために薬をつかったり、熱で焼いたり、栄養血管をつめたりします。これは強い生存ストレスです。この治療の過程の中で、悪性腫瘍が突然性格を変えて狂ったように暴れだすことがあります。

僕たちはこれを実験的に再現してみようと考え、肝細胞癌の細胞株に10分間の熱ストレスを加えてみました。熱処理をされた細胞の中に強烈な増殖能力を持ったものが出現しました。(Hepatol Int. 2008 Mar;2(1):116-23. )この細胞につけられた番号は18番でした。当時、「怪物」と呼ばれ、レッドソックスで活躍していた松坂大輔投手の背番号と同じだったので、僕たちの間では「Matsuzaka」と呼んでいました。

この細胞は、「癌細胞」から作ったものですが、元の細胞と比較してES細胞などのような「幹細胞」のマーカー遺伝子発現が増強していました。僕は先に述べたような治療過程における悪性腫瘍のトランスフォームは生存ストレスに呼応した幹細胞化なのではないかと思っています。

ただこの「Matsuzaka」、再現性に問題がありました。10分間の熱処理で同じ「Matsuzaka」を作成することはついにできませんでした。幹細胞マーカーを発現したものは作れるのですが、、、。

そんなことで悶々としながらなんとか形にまとめようとしていたら、ハーバード大学の人達に先に発表されてしまいました。(Hepatology. 2013 Nov;58(5):1667-80.)

僕たちがやっていたことは間違っていなかったのだと自分をなぐさめていますが、昨年、ちょっと悔しかった瞬間です。

この経験から、生存ストレスによって細胞が変化することはあると思っています。ただ、熱だとか、酸だとか、ストレスに呼応する細胞の変性を厳密にコントロールするのはかなりデリケートなものであることは間違いないと思います。 

でも、もし著者らが、「STAP細胞は本当に存在する」のだと信じるのならば、堂々と主張していけばいいと思います。

研究の結果、間違っていたことが証明されるかもしれません。その時はその信念を捨てるしかありませんが、サイエンスにおいて、他人の意見で信念を曲げる必要はありません。

世界中の全ての人がその意見に異を唱えても、地球は太陽の周りを回っているのです。

最初と最後の文字だけ合っていれば途中の順番はめちゃくちゃでも、大体ちゃんと読める。

むかしちょっと聞いたことがあるのをふと思い出しました。

「さいしょと さいごの もじだけ あっていれば、とちゅうの じゅんばんは めちゃくちゃでも だいたい ちゃんとよめる。」

だから、以下の文章もそれなりに読むことができます。

「さいしょと さいごの もじだけ あってれいば、とちゅうの じゅんばんは めちゃくちゃでも だいたい ちゃんとめよる。」

実は途中、二文字だけ順番が逆になっています。

かなり無理矢理だけれど、頑張って先入観を持って読めば以下も大体同じ文章に見えます。

「さいしょと さいごの もだじけ あってれいば、とちゅうの じんゅばんは めちくゃちゃでも だいたい ちんゃとめよる。」

これは多分表音文字ならではのことだろうと思います。文脈の中で次に出てくる単語を想像し、次に出て来る音(文字)を予想しているからでしょう。さらに斜め読みするときはもう一つ先くらいまで文字が視野に入っています。だから似たような文字が並んでいると、結構fuzzyに解釈してしまいます。ちょっとくらい順番が違っていても、それを乗り越えて先に進む事ができます。さらに先入観を持ってしまうと自分で勝手に「正しく」並べ替えてしまいます。気づかないことさえあります。

これは日本だけの事ではありません。

子供服メーカー「ミキハウス」の洋服は子供が小さい頃よく着せていました。ニューヨークにいた頃、日本で購入した「ミキハウス」を着ていると、デザインが目立つのか、町中で「かわいいね」と、よく声をかけられました。ただ、僕の記憶する限り、米国に滞在していた4年間近くの間、『Miki House』をちゃんと読んでもらったことがありません。

声をかけてくるヒトはみんな『Mickey Mouse』と読むのです。最初の『Mi』と最後の『ouse』、それと真中へんの『k』は確かに同じです。太字で丸く書かれた『H』は何となく『M』に似ているかもしれません。でも、違うでしょ。まったく。当時は自分の国の言葉くらい、ちゃんと読めよと思っていました。

僕たちの無意識的な情報処理はこの位いい加減なのだと思います。イイ点もあります。いちいち細かい所まで突き詰めなくても意思疎通ができます。通常はその方がずっと便利。


実は文字だけでなく、英会話でも、似たようなところがあると感じます。もうなくなってしまったけれど、ニューヨークにあった

『World Trade Center』

僕が渡米したのは、あの9.11からまだ3ヶ月ほどだったので、まだ記憶が生々しく、時々話題に出てきました。渡米したての僕には

ぁとれせんなっ』

と聞こえたものです。実際、早口でリズムをつけて似せると、そう発音して十分通じます。


『What time is it now?』



『掘った芋いじるな!』

と聞こえるというのはよく聞く話です。

どうも、彼らは、アクセントを伴ういくつかの音が予想どおり並ぶことで内容を頭の中で構築しているように感じます。日本語には子音のみの音なんてないけれど、英語には子音のみの音があります。恐らく、細かな子音はきっちり聞こえなくても意味を理解できるのでしょう。そりゃそうです。遠くから大声で叫んだりする時に、子音のみの音が聞こえなきゃ通じないんじゃ困ります。逆にそう言う音に全部母音がくっついて、リズム感なく

『ワールド・トレード・センター』

と言われると、聞きづらいのかもしれません。なにしろ、相手は

『ワー』

が始まった瞬間、

『とれせんなっ』

っていう音が続いて、ひとかたまりで意味を理解しているように感じます。なので別の音が出てくると混乱してしまうみたいです。別の音が出てきて通じなかった経験としてはフロリダのディズニーワールドがある場所、

『Orlando』

の発音もそうでした。これまた留学中、英会話の先生に

『「オーランド」に行くんだ。』

と言ったら全然通じません。

『オランダか?』

とか言われて。彼らは

『おぅらんどぅ』

という音を期待しているので、最初に

おーらんど」

と言われても、最初が違うんで全然通じなかったみたい。筆談でようやく通じました。

実は会話の文章もそう。なかなか通じないけれど、単なる発音だけの問題ではないと感じることがあります。たぶん、同様の理由があるのではないかと思います。

彼らの情報処理は、一つの単語が出てきたときに、彼らの頭の中では次に出てくる音が何通りか存在していて、その音のつながりによって内容の行く先が定まって行くイメージ。

文法的に正しいとしても、外国人の頭の中で構築された文章が、普段使われている文章と同じである可能性は極めて低いと想像されます。僕たちは彼らの予想するのと全く異なる音を発するので、彼らとしては、音を全て拾って単語を理解し、文法的なつながりを構築しなくてはいけないので、会話としては大変なエネルギーを必要とするようです。発音も悪いし。時々、

「自分たちはそう言う言い方はしないけど、お前の言うことは理解できる。」

とか気を使ってくれる人もいます。 多分理解するのが大変だったのでしょう。


僕たちは日々、文字や言葉によって様々な情報を交換していますが、その時には「予測」という作業が同時に行われているようです。定型的なものほど予測が的中するので簡単に情報のやりとりができます。

日常会話で頻繁に使うフレーズがいくつか頭に入っていると、会話が楽になります。それらのフレーズを用いる時、内容をいちいち解釈したり吟味したりはしていません。その情報のやりとりは何方かと言えば反射神経に近いものでしょう。

そこでは情報そのものも、細かい所まで一つ一つ検討するなんて必要はありません。多少検討が必要だとしても、ファジーな「こんな感じ」という解釈で物事は先に進みます。

また予測には「先入観」も大きく影響します。『Mi』で始まる2語で『ouse』で終わる言葉は『Mickey Mouse』のはずなのでしょう。普通の米国人にとっては他はほぼあり得ない。だから注意深く見ていくと、

「『Mickey Mouse』だとおもっていたら、本当は『Miki House』だったんですよ。」

ということが見えてくることがあります。「○○学」というのはそういう営みのように思います。

当たり前だと思っているところに、疑問符を立て、問題設定をして一つ一つ確認し、認識を新たにしていく。そういう作業を繰り返すことで学問っていうのは進歩していくものなのではないか、なんて思ったりするのです。でも、これって、僕程度の脳みそだと結構な時間が必要です。それなりに楽しいのですが、忙しくなると苦しくなったりできなくなったりします。

今日から9月になりました。一年も3分の2をすぎて、残り4ヶ月です。早いものだと思いますが、秋は学会シーズンで毎年忙しく、これからの2ー3ヶ月はもっと速く過ぎてしまいそうです。改めて考えてみると、ここ数年、10月ころになると忙しすぎることを愚痴る記事を書いているような気がします。

今年は学会以外の仕事も昨年に比べて圧倒的に増えていますが、今から備えをしっかりして、ネガティブな気持ちに落ち込むことなく乗り切りたいと思います。

英文タイトルなどでの大文字小文字の使い分け Title case

米国の学会に演題登録をするため、抄録を作成していてちょっとまとめておこうと思ったこと。

英文タイトルなどでの大文字小文字の使い分けです。

通常、文頭の一文字、固有名詞の最初の一文字などに大文字をもちいてあとは小文字になります。

あとは、なにかを強調したい時、全部大文字を使う場合があります。

When I was in New York, I ate bagels everyday.

で、bagelとかeverydayを強調したい時、

When I was in New York, I ate BAGELS everyday.

When I was in New York, I ate bagels EVERYDAY.

みたいにやると、強調したいものが分かりやすくなります。

確かに、一文字一文字が大きくて、よりインパクトがあります。ただ、文章全部が大文字だと、とても読みにくくなります。

WHEN I WAS IN NEW YORK, I ATE BAGELS EVERYDAY.

元の文章より区切りがつきにくいのですね。

文頭や固有名詞が大文字になるだけで随分と読みやすくなります。

一方、こういう書き方もあります。

When I Was in New York, I Ate Bagels Everyday.

大文字をUpper case、小文字をLower caseと言いますが、Upper caseとLower caseを両方使うこの書き方は、Title caseと呼ぶのだそうです。

実際、本や映画、論文、スライドプレゼンテーションなどのタイトルで、本文と区別する時にこういう書き方をよく目にします。American English writingにおいては、フォーマルなスタイルという事になっているそうです。

学会発表などのスライドも英文で作成するときは、タイトルはこのスタイルで表記するよう、僕は指導されました。

でも、その使い分けのルールは、これまで僕の中であまり整理できていませんでした。 で、今回、学会に演題を投稿するにあたって、締め切り前日の夜中に悩み始めてしまったのです。

何を今更、、、という気もしますが、まぁ、お約束の逃避行動です。でも、何となくやってきたことに疑問を持ってしまうと、気になって気になって、、、。

既に、タイトルは決まっているのですが、この大文字小文字をいい加減に書いて査読者の心証を悪くしないらだろうか、、、みたいなことを考え始めたら、前に進めなくなってしまったのですね。ちなみにこの学会の演題採択率は50%程度と聞いています。

Title Caseの基本ルールは以下の通りのようです。

1)名詞、代名詞、動詞、副詞、形容詞などは大文字で始める。
2)冠詞、前置詞、接続詞は小文字で書く。

でも、thatなんて、代名詞だったり接続詞だったり、関係代名詞だったりします。自分の中でかなりあやふやでした。

上記基本だけおさえた上で、米国肝臓学会(American Association of Study of Liver Diseases、通称:AASLD)の機関誌、Hepatologyの目次を見てみました。

基本ルールはだいたい守られています。関係代名詞「who」は「Who」と表記されていました。加えて、すこしファジーなところがあるようです。

例えば前置詞。

「in」「of」「for」などの前置詞は、確かに、すべて小文字で始まっています。一方、「With」「After」「Through」などは大文字から始まっていました。

どうも文字数によって決まるようです。3文字以下は小文字から始まり、4文字以上の単語は大文字から始まるようです。

ちなみに、「from」と「From」は両方見られました。まぁ、感覚的なものなのでしょう。

be動詞とその活用形「be」「is」「are」なども大文字で始める場合、小文字で始める場合、両方あるようです。動詞だから大文字のはずですが、短いと小文字で始めたくなるのでしょう。でも「were」なんて4文字ですもんね。

そのへんは論文によってバラバラ。native English speakerならではの感覚的な使い分けがあるのかもしれませんが、そんなのは外国人の僕にはわかりません。

僕の中では「基本ルール」に可能な限り忠実に従い、迷ったらその場でルールを決め、少なくとも、その発表に関しては一貫させようことで納得しました。

抄録締切のギリギリ夜中になって、こういうことに逃避するから仕事がツラくなるんだと思いつつ、何となくスッキリした気持ちになり、自己満足にひたって夜明けを迎えたのでした。

麻布中学「ドラえもん問題」

東京の名門、麻布学園の今年の中学入学試験問題で次のような問題が出されたそうです。

<「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはありません。それはなぜですか>

この問題、だいぶ話題になっているようですね。

今日、Facebook で友人がとりあげ、先日、飲み会の席で別の友人からも聞きました。「正解」はネット上の記事にゆずるとして、僕の勝手な考えを記しておこうと思います。

僕の答えはこうです。

『「ドラえもん」がすぐれた技術で作られていても、生物として認められることはないのは、「すぐれた技術」が実はまだ「未熟」だから。』

その理由は、現代の生物学のよって立つ足下にあります。

かつての生物学は博物学でした。あんな生き物がいる、こんな生き物がいる。その生態は、、、、。そしてそれが論理的に説明できるようになり、パスツールにより、実験とその再現性の重要性が認識され、近代生物学が確立しました。

その後、クロード・ベルナールの『実験医学序説』などが著され、医学にもこの考えは及びます。(この本、僕の本棚に鎮座ましましたまま、放置されています。いつか読みたいと思っているのですが、、、、)

その後、生物学、医学は、生理学、生化学、分子生物学などの分野において目覚ましい発展を見ます。そしてその進歩を礎に、現代の医療が成立しています。これは今後当面変わる事はないでしょう。

ここで発展してきた学問は博物学とは全く違います。メカニズムを探求するものです。「メカ」という言葉に表されるように、機械論的世界観がここにあります。

生物を機械と捉え、その構成要素を部品のごとく考え、そのメカニズムを探求すること。

この事こそが現代の医学、生物学を支える根幹に立っているのだと思います。

そして、問題の中にとりあげられたとされる生物の特徴、

(1)「自分と外界とを区別する境目をもつ」
(2)「自身が成長したり、子をつくったりする」
(3)「エネルギーをたくわえたり、使ったりするしくみをもっている」

のいずれも、その「メカニズム」が今でも研究対象となっているのです。

ですから、この観点からすれば、ロボットによって再現できていない、生物の特徴は、人間の知識、理解、技術のいずれかに理由があるのだということになります。

このような世界観によってかつてあった「生気論」の復活が試みられたこともあったようですが、僕の知る限りにおいては失敗に終わっています。少なくとも、機械論に依拠した価値観、方法論で「生気論」の正当性を証明することはできないようです。

また機械論に依拠した世界観で生命を「組み立てられる」可能性を感じさせる実例もあります。

大賀ハスやクマムシです。

大賀ハスは2000年以上も種子の状態で時を過ごしたのち、発芽して花を咲かせました。現代の常識では種子はエネルギー摂取をして代謝したりすることはありませんから、2000年もの間、種子を構成する分子は「静止」していた事になります。それを部品のごとく組み上げれば、大賀ハスが出来上がるはずです。

クマムシも同様です。クマムシは水分が不足すると全身を硬い殻で覆った「タン(樽)」という状態となります。この「タン」は、絶対乾燥状態、100℃を超える高熱、絶対0℃に近い低温、数万気圧の高圧、真空、紫外線、放射線など、地上で考えうるあらゆる極限状態に耐えることができます。しかも、水を与えるとたちどころに、もとのクマムシにもどるとのこと。この「タン」ももしかしたら「組み上げられる」かも知れません。

このように思ってみると、機械論的立場からは、厳密に言えば、生物と機械に差はないことになります。

そしてその立場から、現代の医学、医療が成り立っているのです。

もちろん我々の知識、理解、技術はそのいずれもが、ドラえもんにすら遠く及ばない未熟なものですから、この点を理解して現実を見つめなければなりません。

機械論を超える世界観が示されるのか、機械論が究極まで発展し、神をも脅かすほどのSF的発展をとげるのか、妄想するのは、ヒマツブシとしてはなかなかに愉しいものです。

高価な本

一月に執筆依頼が来て、急な話でしたが、数ページだったので、何とか書き上げました。親分と共著です。

その本ができるっていうのでパンフレットなどが送られて来ました。書籍の案内は

こちら

たまげました。

お値段、一冊、約10万円。

たしかに、一から十まで、微に入り細に入り書かれているので、著者の数は多いし、膨大な内容です。

それでも今時、一冊10万円なんて本があるんですねぇ。

著者全員が一冊ずつ買ったら元とれちゃったりして、、、。

でも僕個人では、申し訳ありませんが、とても買えません。

著者1人につき1冊だけ割引で半額になるそうですが、小遣い生活者の身分では、それでもムリです。

図書館用でしょうか。

自分が書いたのに、手元に置けないのはちょっと残念です。とほほ、、、。

体罰について思うこと

今、マスコミで話題になっている「体罰」について。自分も2人の子供を持つ親として思うところがあります。浅薄なものですが。

体に罰、好きな言葉ではありません。

ただ、「体罰」=「悪」、「指導者の意識改革を!」と決めつけた単純な論調にはやや違和感を感じます。

なにか、わかりやすすぎて。

その違和感はモヤモヤとしたもので、自分の中でも、まとまりがありません。このままだとモヤモヤしたまま何となく消えていってしまいそうなので、甘いとは思いますが、今、自分が思っている事を記してみようと思います。

足りないところなど、ご指摘いただければ幸いです。

まず、「体罰」という言葉について。

母親が目に涙をいっぱい溜め、思わず繰り出してしまった息子へのビンタを、今、問題視されている「体罰」と同じに考える人はいないでしょう。

昨年の日本シリーズ第2戦、舞い上がってサインミスをしてしまった沢村投手の頭を阿部捕手がポカリとやりました。その後、沢村投手は立ち直り、見事な投球を披露しました。このポカリも「体罰」と呼ぶ人はいないと思います。

物理的な刺激によって「ハッ」と気づかされることもないわけではないと思います。でもそういうものが問題となっているわけではありません。

ここでは「体罰」と言う言葉は、教育などの場において行われる(行われてきた、行われる可能性のある)「身体的痛みを伴う、暴力を半常習的に用いた指導」を指すこととします。

僕が思うに、日本には「体罰を肯定する文化」があったのではないかと思います。たぶん、モヤモヤの源泉はそこにあります。

以前、本で読んだことのある野球を例にとります。(ここでさす「本」は主として「ベースボールと日本野球―打ち勝つ思考、守り抜く精神 (中公新書) 」「野球道 (ちくま新書) 」「こんな言葉で叱られたい (文春新書) 」の三冊です。)

野球道なんていう言葉もあるように、野球の日本導入の経緯では、その初期から武士道の精神を注入することが謳われていたようです。

野球が最初に導入された一高(東大)の応援歌は次の様な歌詞だったといいます。

「花は桜木 人は武士

武士の魂そなえたる

一千人の青年が

国に報ゆる其誓(そのちかい)


中略


なおその上にとぎ磨き

月日に励む腕力は

撃剣柔術銃鎗や

ベースボールにボート会」

いやいや、大変な事になってます。撃剣柔術銃鎗とベースボールが同列に並んでいます。文字通り命がけです。

また、昔の学生野球については、

血を流しながら「痛い」と言えず、「かゆい」といって練習したとか、

監督が選手をグラウンドの端から端までぶん殴り続けたとか、

殴ったバットが折れたとか、

果ては、その光景を見た親が「うちの子はまだ見込みがある」と安心して帰っていったとか、、、、

そんなことが書かれていました。そう遠い昔の話ではありません。

これらは、必ずしも否定的な文脈で叙述されていたわけではありません。少なくとも、事実としてそういうことがあったようです。

もちろん、今、僕がそれを肯定しているわけではありません。

ただ、かつて、それを肯定的に見ていた時代があったということは認めなくてはいけないと思うのです。恐らく、他のスポーツでもそうでしょう。その土壌はスポーツだけに限定されていたとは思いません。

廊下に水を溜めたバケツを持って立たされるとか、昔の漫画などにはよくあった光景です。あれだってやらされている状況を想像すれば立派な体罰であることは明らかです。

そのなかで、暴力的な体罰の犠牲となった人もいただろうと思います。恐らくそう言う人は数が少ないこともあって黙殺されてきたのでしょう。(具体的事例の根拠はありませんが。)

けれども、価値観の多様化とともに、体を痛めつけることに価値を見いださない人が増えてきました。そして少数の犠牲者を黙殺しない時代になってきました。最近の議論はそう言うことを背景にしているのだと思います。

体罰を「時代遅れ」の一言で片付けるのは簡単です。僕はこのような体罰がなぜ、指導として成立しえたのかを考えてみたいと思います。そこには継承すべきものと、時代に合わないものが混在しているような気がするからです。

ここで、今をさかのぼること約30年前、高校時代の個人的経験が思い出されます。

修学旅行で京都に行った時のことでした。(恐らく)学校全員で禅寺へ見学に行きました。恥ずかしながら、そのあと座禅を組んだので禅寺だと思うだけで、なんというお寺であったか記憶はさだかでありません。

まず、お坊さんに「お話」をうかがいました。

正しい姿勢をとりましょう、それが日常生活を正すことにつながり、まっすぐ生きることにつながるのです、、、そんな話だったように思います。その後、皆で座禅をくみました。

僕はありがたいお話に素直に納得し、言われるがままに心を鎮めて自分を見つめようと心がけ、目をつむりました。(そんな気がしています。)

ビシッ!

突然、警策(あの、座禅で使う棒のようなもの)で肩を叩かれました。恐らくは最初の一発だったこと、だから、まったく予測していなかったこと、けっこう痛かったことなどから、とても驚きました。

あまりの痛さに、僕は思わずお坊さんをにらんでいました。

僕の座り方のどこを見て、ダメだと思ったのか。無言でぶっ叩くくらいなら、あそこを直せ、ここを直せと言ってくれればいいじゃないか。そんなことを思いました。

彼は僕をみて微笑み返し、ただ、うなずいたのでした。

大変申し訳ないけれどj、30年後の今も強く残っているのは、いきなりぶっ叩かれた驚きと痛みと怒りです。話の内容はこの文章を書くまで「忘れた」と思ってました。書いていたら何となく思い出されてきました。不思議なものですね。

いずれにせよ、残念ながら、あの微笑み返しとうなずきは、僕にとって何も生み出しはしなかったと思っています。僕の意識ではただ見学に行っただけで、座禅を組んで修行しようと思ってあの場にいたわけではないのでした。

そんな不真面目な学生は叩かれても仕方ない?それでは「体罰」になってしまいます。

恐らくお坊さんも本当に修行させようと思われていたわけではないのでしょう。ただ、少しでもリアルに体験させようとお考えになったのでしょう。

でも、あのお坊さんは、僕が肌の色の違う外国人だったら、ぶっ叩かなかったんじゃないか、、、そう思います。少なくとも、反射的ににらみつけてしまうほどの力では叩かなかったはずだと思います。

説明せずともわかっているはずだ、通じる、と思ったから叩いたのだと思います。(想像でしかないけれど。)でも残念ながらそうではありませんでした。

その場で座禅を組むということの意味、位置づけなどについて共通認識が共有できていませんでした。

座禅は修行であって教育や指導ではありません。ここに大きな違いがあると思うのです。この修行と指導が混同されてしまったとき、「体罰」が生まれうるのだと思います。

修行というのは多かれ少なかれ、極限をきわめて新たな境地を求めようとするものだと思います。極限を極める行為に、自分を痛めつける行為が選ばれることがよくあります。荒行と呼ばれるものです。

僕はやったことがないからわからないけれど、体を痛めつけ、極限状態に至ったときに初めて何かがつかめるのでしょうか。そういう「行」につながる意識を持っているヒトにとって座禅における警策は修行の一環でしょうし、ありがたいものなのであることは(多分)間違いありません。

この観点からすれば、警策は体罰ではあり得ません。 修行の一環です。

それはよくわかります。

一方、話は少し飛びますが、僕が思うに、日本人は極めることが大好きな人たちです。

ラーメンしか出さない、そばしか出さない店、うどんしか出さない店、寿司しか出さない店、ウナギしか出さない店、トンカツしか出さない店、そんなレストランが数多く存在し、それらの店の料理人が職人として認められる国は世界中で日本以外にそう多くないはずです。僕の少ない経験からは、多分、日本だけだと思います。

勿論、そのほかにも様々な分野で「職人」がいます。

そして「道」が好きです。当然、武道はみんな道。柔道、剣道、弓道、相撲道、、、。その他にも、華道、茶道、書道、香道、、、 。

スポーツも道になっちゃいます。始めの方で書きましたが、「野球道」なんて本もあります。以前、北島浩介選手はインタビューで「水泳道」って言ってたことがあります。

そして多分、職人たちの多くは「その道」を歩んでいます。スポーツ選手も精神的には共通するものを意識することがあるでしょう。

僕の知る限りにおいて、この「道」を極めようとするとき、多くの場合、精神修養が必要と感じられるようです。そこには修行のイメージがあります。それは不思議なことではないと思います。素晴らしいことだと思います。自分が自発的に行う限りにおいて。

この時、座禅と警策のイメージが、今問題となっている選手と指導者のイメージに重なってくると思うのは飛躍し過ぎでしょうか、、、。

学生スポーツは教育の一環として位置づけられています。新学習指導要領の体育には、第一項にこう書かれています。

「心と体を一体としてとらえ,適切な運動の経験と健康・安全についての理解を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力の基礎を育てるとともに健康の保持増進と体力の向上を図り,楽しく明るい生活を営む態度を育てる。」

「心と体を一体としてとらえ」ることに全く異論はないのですが、それを教育、指導の立場から、いびつな形で拡大解釈すると、カラダを痛めつける事によって心をただそうとするカルチャーにつながりかねないのではないかと思います。

「以心伝心」が成り立つような状況で、「指導=修行」というような意識が共有されていると互いに認識している時、一定のルールのもとで、あるいは抑制のきいたやり方で体を痛めつけることは「指導」でありえたのかもしれません。

けれども「以心伝心」が死語となりつつあるような時代に、座禅のようなルールがなく、指導者のモラルに全てがゆだねられ、適切なチェック機構がなければ、「強要された修行」の様相を帯びるのはそう難しいことではないと思います。そこに様々な感情が加われば、容易にエスカレートするでしょう。

僕は「修行」をしたことがないのでわかりませんが、自分の理解では、修行は心が折れて挫折したとしても、また一からやり直すことができるものだと思います。

でも修行と混同された指導にそれは許されません。

教育や指導においては、向上心を持たせ、強い精神力を育てることが目標であって、ハードワークはその仕上げに位置すべきものだと思います。

(指導する側は大変でしょうけれど)目標にいたる道程は人によりちがってもイイと思います。最終目標だって人によって違っていいと思います。

以前は、そういった多様性が存在する可能性は低かったのであろうと想像します。だから、その入り口から画一的な目標設定がなされ、ハードワークが設定され、身体的痛みを感じながら自分の居場所を確認するという、方法論が成り立ちえたのでしょう。

すべてがうまく機能した時には驚異的な成果を上げることができたのだろうと思います。(ただ、恐らくそのような場面では体罰は必要とされないだろうと想像します。)でも、そのような状況はまれであったのではないでしょうか。多くの人にとっては「修行の強要」となっていた可能性があると思います。

もう一つ、大切なポイントがあります。

そのような指導法は前時代的に思えますが、それがハバを利かせるためには、指導を受ける側もそれをありがたがっていた部分があるに違いないと思うのです。

指導者にお任せすると言う意識です。あの人に任せておけば、言う通りにしていれば間違いない、そう言う指導者依存の意識です。そう言う意識の人たちからは前時代的指導法に反対する声は出てこないはずです。そういう人が一定数いなければ、体罰を伴う指導が高い評価を受けることはできなかったはずです。

前時代的指導法に最初に違和感を持った人たちは、自分で目標を設定し、必要な事を自律的に考え、体罰を受けずとも、自分の居場所と進むべき道を確認しようとする人たちだったのだろうと想像します。そしてそう言う人たちが無視できない数になってきたというのが今の時代なのでしょう。

本当に時代に合わなくなってきているのは、指導する側の、身体的苦痛にものを言わせようとする指導法だろうと思います。でも、本当にそれをなくすためには、指導者の意識改革のみでは不十分だと思うのです。

指導を受ける側も、他者依存的な姿勢から脱皮して自律的な考え方へと脱皮する必要があるような気がします。

ノーベル委員会はやっぱりすごいなぁ。と、思った。

山中教授、ノーベル医学生理学賞受賞、おめでとうございます。

僕が留学から帰国して、まだその記憶がリアルだった2006年の夏、Yamanakaがホームランを打ったようだ。という記事がネット上で話題となっていました。

論文掲載のため、40ページにも及ぶ質問すべてに答えねばならなかったらしい、、、などという噂話も聞こえてきました。(確認はしていませんが、、、)

その山中博士の成し遂げた仕事のなかにKlf4という文字を見つけて、僕は嬉しくなりました。

というのは、1998年、後にKlf7と呼ばれる事になる遺伝子UKLFを見つける仕事をさせていただいて以来、Klf遺伝子ファミリー(主としてKlf6)との関わりを持ち続けているからです。

留学できたのもKlfのおかげでした。というわけで、いつしか僕は、Klf遺伝子群に少なからぬ愛着を持つ「Klfオタク」になっていたのでした。

iPS細胞のおかげで再生医学研究は大きく進みました。そしてKlf4のおかげでiPS細胞に親近感を持っていた僕は、山中博士がノーベル賞の候補になっても、

「まぁ、当然だよね。」

と思っていました。大して知りもしないくせに。

けれど、山中博士が、英国のジョン・ガードン博士との共同でノーベル賞を受賞されたという発表を聞いて少し驚きました。無知蒙昧をさらすようですが、単独受賞だと思っていたので。

そして受賞理由を聞き、改めて考えてみれば、その通り、こうあるべきなのだと思います。そして改めて自分が浅はかだったと思いました。

そこで、どうして共同受賞する事になったのか、自分の理解をまとめてみようと思います。誤解、間違いなどありましたらご指摘ください。

動物は、受精卵という一個の細胞から、皮膚、神経、筋肉、血液、内臓といった様々な臓器の細胞ができて、一個の生命体となります。

一旦、各臓器の細胞として成熟したあと、その細胞は別の臓器の細胞に成熟しなおす事はできません。全ての細胞は、全ての遺伝情報を持っているはずです。なのに、「できない」のです。

ここで、この事実を説明する可能性は二つあります。(僕のアタマに思い浮かぶもの、ということですが。)

その一
細胞が成熟する過程で、不必要な遺伝情報を失ってしまった。

その二
細胞は全ての遺伝情報を保持しているが、使用するべき遺伝情報は厳密に管理されていて、それ以外の遺伝情報は使えないようになっている。

この問いに答えを出したのが、ガードン博士でした。

1962年、ガードン博士はオタマジャクシの細胞から取り出した細胞核を、核を取り除いた卵細胞に移植しました。

すると、その細胞は受精卵と同様の能力を再び取り戻し、オタマジャクシからカエルへと成長したのでした。

これは核の中に全ての遺伝情報が保存されていることを示しています。正解は「その二」であることが明らかになりました。

同時に、細胞を「卵」の状態に戻し、使えなくなった遺伝情報を、再び使えるようにする「何か」が核以外の細胞成分に存在していることもわかりました。

この『再び使えるようにすること』をリプログラミング(初期化)と呼びます。

そしてリプログラミングを可能にする「何か」は長らく生命の神秘でした。

山中博士はそれを明らかにしたのです。山中ファクターと呼ばれる事になる4個の遺伝子(Oct3/4、 Sox2、 Klf4、 c-Mic)を導入することで人工的にリプログラミングを起こさせることに成功しました。(ここでKlf4が出てくわけです。)

2万個とも言われる遺伝子を制御するリプログラミングがたった4つの遺伝子によってなされるなんて驚きです。これがホームランの内容です。

こうして、今回のノーベル賞は細胞のリプログラミングが起こりうることを見いだしたガードン博士と、それに関わる因子と方法を明らかにした山中博士が共同受賞することとなったわけです。

再生医学が実際に臨床応用され、患者さんに福音が届く日も、疾患によっては夢物語ではなくなりつつあるようです。

そのためにも、iPS細胞とその周辺の再生医学研究を強力にサポートすることは極めて大切だと思います。

ただ、今、僕たちは目先の成果に目が行き過ぎていないでしょうか。

今回のノーベル賞に関しては、そのブレイクスルーを実現した山中博士だけでなく、最初に扉を開いたガードン博士にも等しく表彰されたことがとても素晴らしいと思います。

奇しくも山中教授が生を受けた50年前、ガードン博士のカエルの研究成果が発表されました。この時、ガードン博士自身ですら、今日の山中教授の研究成果を想像することは不可能だったでしょう。

将来の日本の発展、人類への貢献を考えた時、ガードン博士のような学問の扉を開く基礎研究を充実させることもまた、大切にしてゆかねばならないと思います。

ノーベル委員会はやっぱりすごいなぁ。

そしてあらためて、おめでとうございます。

『すべてのアメリカ人のための科学』は日本人にとってもためになると思う

AAAS (American Association for the Advancement of Science) が出版している「Science for All Americans: Project 2061 」という小冊子があります。

一時、ネット上で話題になりましたが、先日読んだ本『もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書) 』がきっかけで、久々に見てみました。

日本語版は、2005年に日米理数教育比較研究会によって『すべてのアメリカ人のための科学』(米国科学振興協会)として発刊されています。

以下のアドレスから無料ダウンロードができます。

http://www.project2061.org/publications/2061Connections/2008/2008-02a.htm

これは、米国おける科学分野での教育改革の報告書です。

これを推進しているAAASというのは、科学雑誌scienceを発行している団体で、米国の科学技術政策などにも深く関与しているようです。ちなみにScienceは発明王エジソンが最初に発行した科学雑誌で、現在もっとも権威のある科学雑誌の一つです。

この教育改革、1985年から76年がかりのプロジェクトです。その名も "project 2061" 。

なぜ、1985年からで、76年という数字がどこからきたのか、、、。

1985年におこった出来事がカギです。

この年、ハレー彗星の地球接近がありました。最接近は1986年1月でした。この1985年にこのプロジェクトが始まったのでした。

2061年というのはハレー彗星が次に地球に接近する年。

1985年に就学する自動は2061年にもハレー彗星を眺めることでしょう。

そしてこの時には全てのアメリカ人が、今より科学への造詣を深めて同じハレー彗星を眺めることができるように、、、、

ちょっとロマンチックな、そしてとっても骨太なプロジェクトです。

「全てのアメリカ人のための科学」では「科学への造詣」という言葉でなく、「科学的リテラシー」という言葉を用いています。

リテラシーというのは「読み書き能力」の意味から発展し、「与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力」という意味で用いられます。

僕たちも「科学的リテラシー」というものをもっとみんな意識したほうがいいと思います。。

「科学的」=「正しい」

ではありません。

ロジックの進め方もそう。

「1+1=2」。だから「2+1」は「3」なのです。

このような論理展開だけが「科学的」であるというのであれば、それは間違いです。

みんなそんな風におもっているから議論がおかしくなるんじゃないか。そう思います。

project 2061ではその辺をしっかりと説明しています。

第一章の提言に記されている「科学の本質」についての説明をみれば明らかです。

その項目を抜粋するだけでも見えてきます。

    1) 科学的世界観について
        1-1. この世界は理解可能である。
        1-2. 科学的見解は変更されるかもしれないものである。
        1-3. 科学的知識は永続的なものである。
        1-4. 科学はすべての問いに完全な解答を提供する物ではない。
    2) 科学的探求について
        2-1. 科学には根拠が必要である。
        2-2. 科学は論理と創作の融和から成り立っている。
        2-3. 科学は事実を説明し、未来を予測する。
        2-4. 科学は物事の同定を試み、偏見を排除しようとする。
        2-5. 科学は権威におもねらない。
    3) 科学的活動について
        3-1. 科学は複雑な社会的活動である。
        3-2. 科学は内容により専門領域に整理され、様々な研究組織で実施される。
        3-3. 科学を遂行するにあたり、一般的に容認されている倫理的な原理原則というものが存在する。
        3-4. 専門家であると同時に一般市民として、科学者は公共的な事項に参加するのだ。 

今、世の中で流布している「科学的」な議論には、このごく一部のみを切り取っただけのものがよく見られます。

3)の要素はほとんど無視して、1-3を誤って理解し、ほかを飛ばして2-1と2-3を雑な議論でつなぎ、2-4、2-5を装いながら1-1を主張している様に思います。

すなわち、不確定な知識を固定化して根拠とし、連続性のない論理で事実を説明して未来を予測し、偏見を排除しているようにみせながら、実は結論ありきの姿勢で事象を説明しようとしている、そんな風に見えます。

風評被害なんてのは最もひどい例ですが、それ以外にも、断定的で説得力がありすぎる言説にはそのようなものが多い気がします。


O名誉教授の思い出

 僕が研修医として大学病院に入局したとき教授だったO名誉教授が他界されました。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 お通夜に参列し、研修医時代を思い出しました。

 同期の研修医は僕が入局した第一内科だけで21人いました。

 僕は、そのうちの一人で、取り立てて怒られた記憶も、褒められた記憶もありません。大勢の中の一人でした。

 小心者の僕自身、そうなれるように努力もしていました。

 自分に自信がなくて、「一緒」であること、目立たないことが安心の根拠だったのです。

 毎週金曜日は教授回診とカンファレンスでした。

 ある時、カンファレンスで、同級生の曖昧なプレゼンテーションにO教授が激怒されたことがありました。

「君は我々プロを前にプレゼンテーションすることをどう思っているのかね?」

言葉は丁寧だったけれど、話の内容は厳しいものでした。

 彼は、同期の中でもとても優秀だと僕は思っていました(今でも思っています)。 それだけに、彼があんなに怒られたのはショックでした。

 僕は、ますます目立たないよう、努力を重ねることとなったのです。 そしてまた、目立たないでいられることが、それなりに進歩していることの証のようにも感じていました。

 教授回診は午前中全部を使って行われました。

 O教授は一人一人を丁寧に診察され、細かく質問されました。 専門外のことでは、初歩的なことであっても、わからなければ、堂々と質問されていたのを覚えています。

「勉強になりますねぇ」

と、教授は口癖のようにそうおっしゃいました。

 そんな教授回診を「教授の勉強会」「俺たちが教えているんだ」という陰口を聞いたこともあります。 目立たぬよう努力していたはずの小心者の僕も、ちょっと自信がついてきた頃、その陰口に同意していました。

 はずかしながら。

 今、それは浅はかだったと思います。

 二十年、三十年と医学のトップランナーとして走り続けてきたエキスパートが、自分の専門外の分野でちょっとくらい知らないことがあっても、何を恥じることがありましょう。

 専門分野でだって、未知のものを求め続けなければ、トップランナーであり続けることはできません。

 むしろ、専門外の未知なるものに対しても興味を持てるのなら、それは知的感受性の豊かさ、知的活動性の高さを示しているのだと思います。

 「専門外だから」 の一言でスルーするのは簡単です。 知らないことがあってもいいと思います。

 学びたいと思う気持ちを持つことが大切なのですね。

 そして何より、O教授は、実地で、患者さんから学ぼうとする姿勢を教えてくれていたのだと思います。

 でも、やっぱり、僕のような小心者は、質問するのはためらわれてしまうのです。 そのままスルーした方がはるかに楽だし、何となく体面が保たれるような気がするから。

 自信を持って質問できるようになりたいと、改めて思います。 今、名誉教授の

「勉強になりますねぇ」

の声が耳にこだましています。