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スポーツ

日本シリーズ どこにでもある考察

読売ジャイアンツ対楽天イーグルスに決まりましたね。楽しみです。

ジャイアンツが優勝するためには24勝無敗の絶対エース、田中投手をどう攻略するかにポイントの一つがあるのは明らかです。

全7戦戦うと仮定すると、田中投手は少なくとも2試合に登板することになります。ジャイアンツがこの2試合を落として優勝するためには残り5試合で4勝しなくてはなりません。

これはかなり厳しい数字です。

すると少なくとも1試合はジャイアンツは田中投手に黒星をつけるか、少なくともマウンドからひきずり下ろさねばならないことになります。

個人的には坂本選手、長野選手の流星のような一発、村田選手、阿部選手の豪快な一発で打ち崩してほしい気がしますが、そう簡単に行かないのは明白です。

田中投手は最近三年間の防御率が、1.27, 1.87, 1.27です。9回投げて1点とれるかどうか。そして、今年は登板28試合で212回の投球回数ですから、大体毎試合8回くらいまで投げていることになります。まぁ、ほとんど点を取れない、ということでしょう。

一方で、一試合の平均被安打は6ですし、平均四死球は一回あたり0.16で一試合に一個くらい。つまり少なくとも平均で行けば7人くらいの走者は出るわけです。点を取れないわけではありません。

勝敗のつかなかった試合も3試合ほどあります。神の子と言われる田中投手も人の子、勝機がないわけではありません。

まずは球数を多く投げさせて簡単に完投させないこと、足を絡めて数少ない走者をチャンスに結びつけ、プレッシャーを与えること、そんなところからでしょうか、、、。

一点勝負の野球で虎の子の1点をもぎ取り、ミスをせずに相手を押さえ込んで競り勝つことができるかどうか。

ほかにもイロイロな見所があるかと思いますが、どちらが優勝するにせよ、熱戦を期待します。

東京オリンピック最終プレゼンテーションの素人的感想

東京オリンピック招致のための最終プレゼンテーションは8人のプレゼンターによってなされました。プレゼンターの方々の感想等を聞くと、「各自が自身の役割をきっちりとこなしてチームとして最高のパフォーマンスをした」、といったコメントが散見されます。

また、そのプレゼンテーションがIOC委員の方々から高評価だったという声は断片的に聞こえてきます。

同時に、第三者的な視点からの、一つ一つのプレゼンテーションに対する評価、感想などは多く見られます。どのプレゼンテーションが一番印象的だったかとか、プレゼンターの身振り手振りとか、「お・も・て・な・し」とか、、、。

それらを見聞きしていて、僕は、プレゼンターの感想がチーム、全体を意識したものであるのに対し、受け手の感想の多くは断片的なものへの感想を述べているように感じました。

プレゼンターの感想を聞いて僕が知りたいと思ったのは以下のようなことです。

このプレゼンテーションにおいて、どのようなメッセージをIOCメンバーに伝えるため、どのようなアプローチ戦略が考えられていたのか、各プレゼンテーションがどのような役割を持っていたのか、各プレゼンテーションはいかにしてつなげられていたのか、、、。

そんなことを具体的に知りたいと思いました。でも、プレゼンテーション全体を俯瞰してその構造を解析した解説をネット上で見つけることができませんでした。

なので、大変おこがましいですが、自分なりにこのプレゼンテーションを解釈してみることにしました。

参考にしたHPは「こちら」です。

まず、プレゼンターを概観すると次のごとくです。

1.高円宮妃久子さま・冒頭ご挨拶
2. 佐藤真海選手(パラリンピアン)
3. 映像上映 - Feel the pulse
4. 竹田 恆和 (招致委員会理事長)
5. 水野 正人 (招致委員会副理事長/専務理事)
6. 競技会場映像上映(小谷実可子) - Venues
7. 猪瀬 直樹(東京都知事/招致委員会会長)
8. 滝川 クリステル(招致“Cool Tokyo”アンバサダー)
9. 映像上映 - Pulse of the city
10. 太田 雄貴(オリンピアン/招致アンバサダー)
11. 安倍 晋三首相
12. 映像上映 – Share the pulse
13. 竹田恆和(招致委員会理事長)

各プレゼンで用いられた言語を並べるとこうなります。

1.(フランス語・英語)
2. (英語)
3.   映像
4. (英語)
5. (英語・フランス語)
6.   競技会場映像(英語)
7. (英語)
8. (フランス語)
9.   映像
10. (英語)
11. (英語)
12. 映像
13. (英語)

高円宮妃久子さま、滝川クリステルさん以外に、水野副理事長も、プレゼンの最後、締めの部分にフランス語を使われているのですね。わざわざ『フランス語でこれを言うのは初めてだ』と前置きまでしてフランス語を使っています。なぜそうしたかは明白です。滝川さんのプレゼンにつなぐため。

フランス語が出てくるのは1番目、5番目、8番目です。いかにIOCの公式言語が英語、フランス語とされているとはいっても、しゃべりのプロが、一人だけフランス語で印象的なプレゼンをすれば、全体から遊離しかねないでしょう。滝川さんのプレゼンが全体から浮かないようにするためには、他の誰でもなく、水野副理事長の順番でフランス語が出てくる必要性があったのだと思います。高円宮妃久子さまのスピーチがなければ佐藤選手のプレゼンにフランス語が入っていたかもしれません。そんな気がします。

次に内容を見てみます。多分、全体の構造はこうなっています。

Part 1:1~4:スポーツの力、オリンピックの価値
Part 2:5~7:実現
Part 3:7~10:TOKYO 2020が提供するもの
Part 4:10~12:オリンピックの価値を世界に広め、次世代に継承していく約束
Part 5:13:まとめ。東京に投票を!

多くのパートで用いられているのが、現実と理想を往復すること。これによって説得力を高めているのだと思います。

Part 1では、震災復興におけるスポーツの貢献から始まります。

高円宮妃久子さまの、東日本大震災被災者支援におけるIOC貢献に対する謝意に始まり、パラリンピアンの佐藤選手が自分がスポーツの力によって救われた個人的体験を語ります。個人体験が復興とスポーツの力、オリンピックの価値を結びついてゆきます。

そして映像により、スポーツが持つ力の映像によるイメージ化されます。震災後の東日本を想像させるような荒地で1人でバスケをする男の子が、オリンピアンを想像させるバスケットボール選手からから力をもらいます。少年は選手からもらった赤いリスバンドを握りしめます。

竹田理事長によってスポーツの力、オリンピックの価値という理想を広めることが約束されます。

Part 2は生々しい話です。
まず、水野副理事長から、実業界からのスポンサーシップによるサポートの保証がなされます。このまま予算の話に行ってしまったらうんざりしそうですが、その間に小谷実可子さんの映像による開催計画が紹介されます。こんなことが実現できるぞ、という具体的イメージです。
その後に猪瀬知事から大会開催のための経済的保証がなされます。リアルに実現可能なプランなんだぞ、と強調します。

僕が思うに猪瀬知事のプレゼンはPart 2の締めくくりであると同時に、Part 3の始まりでもあります。

Part 3はTOKYO 2020が提供するものについてのプレゼンです。

猪瀬知事はそのカネによって『インフラ、スポーツへの投資、大会後のスポーツ政策』を提供できると約束しました。滝川クリステルさんは『心、お・も・て・な・し』を提供することを約束しました。太田選手は東京はスポーツに光をあて、情熱を与えてくれることを約束しました。

太田選手のプレゼンはPart 4へのつなぎでもあります。スポーツを通し、その情熱が広まり、次世代へ受け継がれることを語ります。

映像ではその情熱が様々な人種の様々なスポーツ選手、次世代に伝わっていくさまがイメージされます。

Part 4の主役は安倍首相です。安倍首相は 自らのオリンピック体験を通し、首相はその価値を信じていることを語ります。オリンピアンでない普通の日本人も、過去のオリンピックによってその価値を認め、信じていることを訴えたのです。そして、日本がそれを世界に広めてきたことの実績を紹介し、これからも発展させていくことを約束します。

この流れを受け、最後に竹田理事長が再び登壇し呼びかけます。個人の経験談に始まって、理想を語り、実現性を語り、個人の経験談にもどり、将来を約束します。

『我々はオリンピック・ムーブメントの信奉者である。』

『東京、日本は、それを確実に引き継ぎ、発展を実現できる。』

『東京に投票を!』

竹田理事長の話にはオリンピアンの被災地訪問の話も出てきます。最初から最後まで、全てがつながっていることを、最後に改めて確認できることが説得力を増していると思います。

僕が言うのはおこがましいですが、僕なんかが気づかない工夫がまだまだあるのでしょうけれど、それでも、よくできたプレゼンテーションだと思いました。

太田選手の涙

TOKYO2020決まってよかったですねぇ。

今からワクワクしてしまいます。

昨晩はテレビの前で一夜を過ごし、明け方からは起きてずっと見てました。残念ながら、東京が開催を射止めた瞬間には、僕は車を運転していたので、その映像を見ることができせんでした。その後、テレビで繰り返し流された映像はとても印象的でした。僕にフェンシング太田雄貴選手の涙が心に残りました。

太田選手はアスリートのプレゼンテーターとして何度も登場してきました。詳しくはわかりませんが、マスコミの報道で一番よく見たアスリートだった気がします。ロボットと掛け合いをしてポーズをとるパフォーマンスなんかもありました。

明るい笑顔をいつも振りまいておられましたが、重圧を感じておられたことでしょう。最後の瞬間のプレッシャーはいかばかりだったでしょうか。

多くの方々が、同様の責任感を持ち、様々なものを背負い、そのプレッシャーと正面から向き合って重責を果たされたのだろうと思います。その意味で本当に感動的な瞬間でした。

お疲れさまでした。おめでとうございます。ありがとうございます。

早くも、これからがスタートだとして、今後について気を締めなおす発言も聞かれます。識者の活発な議論も報道されています。時には経済問題、国際問題、教育問題などとからめての真剣な議論がなされています。国中皆がどうしたら素晴しい東京オリンピック2020になるか、頭をひねっているかのようです。

みんな真面目ですねぇ。その生真面目さがオリンピック招致成功の秘密だったのかもしれません。これからまだまだ知恵を絞って、敗れたマドリード、イスタンブールの分まで頑張って、良いオリンピックになればいいと思います。

でも、今日一日くらい、祝福ムードに浸るのもいいでしょう。

何てったって、あと7年ありますし。今日は日曜日ですし。

希望は知性に宿る

「弱くても勝てます」: 開成高校野球部のセオリー
』を読みました。

 

本書は超有名進学校、開成高校野球部を取材した本です。基本的には監督、部員へのインタビューと試合の実況からなっています。

 

これがなかなか面白い。面白く読める要素はいくつかに集約できます。

 

 

まず、チームの問題。そして個人の問題。

 

チームについて言えば、有名校のようなチーム編成はできません。まず、『初心者』が多い。そして、校庭を使えるのは週一回だけ。試験などがあれば簡単に一ヶ月近く間が空いてしまいます。だから、というわけではないけれど、チーム編成の発想ががまるで違います。

 

例えば、ポジションの決め方。

 

ピッチャーの条件。

 

投げ方が安定していること。これだけ。理由は相手に失礼があってはいけないから。投げ方がそこそこ安定していれば内野手。それ以外は外野。

 

守備。

 

自分の守備範囲のものをとること。ダブルプレーなんて必要以上。

 

打順。

 

一番打てる人が一番。

 

攻撃。

 

サインもバントもなし。一番打者が出塁し、二番がおくり、三番四番で得点、なんてセオリー通りの野球をやろうとしても、どうせできないから。とにかく打つしかない。

 

戦略は、当然のことであるかのように、よどみなく理路整然と説明されるけれど、みんなどこか普通ではありません。

 

 

 

なんとなく、ひと昔前の野球漫画、ドカベンとかに出てきそうなチームです。

 

体力も、練習時間もない、超進学校の神童達が、そのトテツモナイ知性を駆使して、里中、山田、岩鬼、殿馬のいる明訓高校の前に立ちはだかる、、、。マンガならそんなストーリー。

 

ただ、現実はそんなに甘くないのです。だから面白いのですが。

 

さぁ、「弱い」開成高校野球部が、いかにして「強い」高校野球部に立ち向かおうとするのか。

 

かなり笑いながら読ませていただきましたが、真剣だからこそ、の面白さです。

 

本書の大半は「弱い」開成高校野球部員は、個々の技術についてどう考えているのか、それをどうレベルアップしようとしているのか、という個人の問題についての取材記事によって構成されます。

 

何人もの野球部員のインタビューが紹介されます。一年生から三年生まで。一人一人の個性に光を当てます。ここで紹介される会話は確かに、普通とはちょっと違います。でも確かに普通の高校生らしさもちゃんと持ち合わせています。

 

普通と違うところは、間違いなく、みな頭が良い。だから、多くの選手たちは勉強をそれほど苦にしていない。進学校の高校野球部を取材しているので、お約束通り、勉強の話も質問されます。得意科目はみんな様々。古文が好きだったり、歴史が好きだったり、化学が好きだったり。

 

 

勉強も野球も自然に取り組んでいる感じで好感が持てます。

 

ある選手は、『正法眼蔵』を勉強して、野球をしている自分達を「道元キャラ」なんて言葉で表現したりします。脇の友人からの「道元は京都じゃなくて福井だろ。」なんていう突っ込みはサスガと思わせます。親鸞の浄土真宗が思い出せないと言うオチもついていましたが。

 

でも僕が一番違うと思ったところは、「頭の良さ」ではありませんでした。

 

それは「用心深さ」だと思います。

 

恐らく、彼らは無意識的に絶対間違わないようにしています。受験勉強の影響じゃない?って思いたくなる位。だから意見を求められると、まず、間違いのないところから、外堀を埋めるようにして議論を進めようとします。

 

インタビュアーとしての筆者ははやく結論にたどり着きたいので、核心を突いた(つもりの)質問をする。

 

なのに、返ってくる返事はまた外堀を埋めるものだったりする、、、。筆者も虚をつかれたように納得しそうになる、、、。読者は笑える位じらされます。

 

プレイについても、そんなに考えている間に実行に移してしまえば、、、なんていうまどろっこしさを感じます。

 

そんなまどろっこしさを一番感じているのが、野球部員たちを束ねる青木監督だと思います。実は、監督が一番面白いのです。

 

すごく熱い、すごく真剣な監督です。おかげでコメントがすごいです。

 

ちょっと抜き出すと、

 

『「ドンマイ、ドンマイ」
誰かが声を上げると、青木監督が怒鳴った。
「ドンマイじゃない!」』

 

『バットは振れず、守備も某然と玉を見送るようなプレイが相次ぎ、監督も誰を叱ればよいのかわからなくなっている様子で、「そう、こうやってふるんだ!イチかバチか!」と相手校の選手のスイングをほめたり、「俺だけが気合が入っているのか!」「さあやるぞ!俺がなんでやるぞ!って言うんだ。そのこと自体がおかしい!」と自らを責めていた。』

 

『「人間としての本能がぶっ壊れている!」』

 

『「普通の人間生活を送れ!」』

 

『「体ごと爆発!」』

 

『「人間のコミュニケーションとしておかしいでしょ!人間の会話としておかしい!コミュニケーションとして破綻してるんだよ!」』

 

こんな感じ。普通の野球部の監督が怒っているのとは、やっぱりかなり違う気がします。

 

監督は野球はジャンケンと同じ勝負事だと言い切ります。勝っても負けても、生徒たちにとっては何の優劣が変わるわけではない。だからこそ、徹底的に勝負にこだわろうじゃないかと。真剣にやろうじゃないかと。

 

弱いなりにこだわって、バクチのような戦法で活路を見出そうじゃないかと。

 

本当に真剣に考えています。それがある程度うまくいった時、東京都大会ベスト16という結果に結びつきました。

 

本書の後半であかされる監督の想いに、その真剣さの源泉がありました。

 

監督は自分が現役だった頃、打球が外野に飛んだ記憶がありません。チームのためになるように、バントの練習を徹底的にしたそうです。大学時代はマネージャーに転身しました。でもそんなのは人間の本性じゃない。監督はそう言い切ります。そして自分ができなかったことを生徒たちに託しているのでした。

 

『思い切り振って球を遠くに飛ばす。それが一番楽しいはずなんです。生徒たちはグラウンドで本能的に大胆にやっていいのに、それを押し殺しているのを見ると、僕は本能的に我慢できない。』

 

『生徒たちには「自分が主役」と思ってほしいんです。大人になってからの勝負は大胆にはできません。だからこそ今なんです。』

 

そして筆者の一言が大きな説得力を持って響きました。

 

『いかなる文脈でも「可能性」をねじ込むことが「教育」というものなのかもしれない。』

 

いかなる文脈でも可能性をねじ込むこと。

 

自分もそれをやっていかねばならないと素直に強く思うことができました。

 

 

 

(P.S. そういえば、彼らがやっているようなことを、極めて高いレベルで具現化し、頂点を極めた高校がありました。池田高校。闘将蔦監督は「攻
めダルマ」と呼ばれていたかと思います。同じレベルに到達することはないでしょう。「同じにするな」と怒られるかもしれません。でも、彼らが目指している
野球の遥か彼方には、「やまびこ打線」があるように思いました。あと、「さわやかイレブン」も。)

 

 

 

 

 

悔しい思い

まだ2回しか参加していない空手の稽古。

僕が通う道場では大人と子供が一緒に稽古します。

それは逆突きの稽古のときでした。逆突きでは左足を前に出し、右手で突きます。

子供が斜めに一列に並び、大人が順番に逆突きをしていきます。もちろん寸止め。

次に大人が斜めに一列に並びます。今度は子供の番です。子供たちは大人たちの腹に思いっきり突きを入れていい事になっています。

子供とは言え、それなりに重みのある突きがくることもあります。

「結構痛いなぁ」

と思っていたら、終わった後、長男から、「お腹がオトナの中で一番やわらかかった。」と、言われてしまいました。

「白帯なんだからしょうがないだろ。」

言い返しましたが、我ながら論理的に破綻しております。

心の奥底に頑張れない自分がいる事を自覚しつつ、悔しさを抑えきれなかった結果出てきた、苦し紛れの一言でした。

悔しさがあるだけまだいいかなぁ。でもやっぱり、つらくない程度に頑張ったのではダメなのかもしれませんねぇ。

なんとか、道場通いと稽古の継続を通し、「頭」ではなく、「腹」の硬いオヤジになりたいと思います。

来年くらいにはそうなれるといいなぁ。

押忍。

バンクバー・オリンピックで思ってしまったこと

 今回のオリンピックではスノーボードの國母和宏選手の制服の着こなしが話題になりました。様々な形でマスコミに取り上げられた選手たちがいますが、残念ながら、それによって競技前に集中力をそがれてしまった選手もいたのではないかと想像します。

 服装問題について、そろそろ感情的な議論はおさまってきていると思うので、それについて一言。

 個人的には制服を着崩すことで自己主張ができると思っているであれば、それは幼稚なことだと思います。

 ただ、スノーボーダーがその身なりや行動でマスコミの標的となるのは日本だけではありません。トゲのついた犬の首輪をしてオリンピックに出場した選手がいたり、金メダリストからマリファナ陽性反応が出た事のある (しかも結局金メダル剥奪になっていない!!) 競技なんてスノーボードくらいでしょう。

 メダル剥奪にならないマリファナの検査が選手に対して行われたことは、スノーボーディングにまつわる文化と歴史を象徴的に表わしていると思います。

 その黎明期にスノーボーディングはマリファナを始めとする反社会的行為と分ちがたく結びついている一面をもっていました。マリファナを想像させるような言葉を、敢えて競技会のキャッチフレーズとして用いたこともあったようです。

 「あのファッション」も同じカルチャーの延長線上にあると言っていいでしょう。

 そんな反社会的なニオイが若者の目にカッコ良くうつるのは何時の時代も同じです。そしてそのニオイが、スノーボードの競技人口を増加させる事に大きく貢献した、という事も間違いないと思います。

 しかし、スノーボーディングがスポーツとして発展する過程では、このカルチャーは諸刃の剣であったことも確かです。

 オリンピック競技として認知されてもなお、先の金メダリストの例のように暗い影をおとすこともありました。(しかも金メダリストからマリファナが実際に検出されてしまうというワキの甘さ!)

 日本では主としてそのファッション性のみが輸入され、マイナス側面が語られることは少ないようです。

 しかし、米国などでスノーボーディングの黎明期からその競技の発展に力を尽くしてきた人達は、そのマイナス側面を払拭するために多くの努力を払ってきたはずです。僕の知るクリス・クルーグ選手はその一人です。他にも同様の選手は沢山いるに違いないと思います。

 日本のスノーボーディングを代表する選手が、プロとしてスノーボーディングの発展を望むのであれば、そのスポーツが歩んできた歴史を知ることが必要でしょう。(僕などが言うまでもなく、そして僕より深くご存知の事とは思いますが、、、。)

 その上で、マスコミへの対応も含め、戦略的にふるまう視点があってもいいだろうと考えます。これは人間性や実力/成績とは別の話です。

 どのように行動するのが効果的であるのか、そのヒントがあの騒動にはあったような気がします。

バンクーバー・オリンピックで感じたこと

 おわりましたねぇ。バンクーバー・オリンピック。

 月並みですが、目標に届いた喜び、届かなかった悔しさ、力を出し切れた満足感、出し切れなかった悔しさ、そのいずれもが純粋で一途なものであるだけに、心に響くものがあります。出場する全選手にそれぞれの物語があって、時間がそこに凝縮されています。

 今回のバンクーバー・オリンピックでは、目標に届かなかった人達が特に印象に残りました。

 まずはモーグルの上村愛子選手。

 長野7位、ソルトレイク6位、トリノ5位、そして今回のバンクーバーで4位。この結果に涙を浮かべて一言。「どうして一段ずつなんですかね」でも、計12年間世界最高レベルでステップアップし続けているだけで十二分にスゴいではないですか。

 それからフィギュアスケートの織田信成選手。

 演技中、靴ひもが切れるアクシデントがありました。「ショックすぎて言葉にならない。終わった瞬間は真っ白という感じだった。」そりゃそうでしょう。でもその逆境にも関わらず最後まで演技をし、7位入賞をはたしました。このアクシデントについての意見はいろいろありましょうが、この逆境における振る舞いに、彼の人間性を見た気がします。立派だったと思います。

 そして同じくフィギュアスケートの浅田真央選手。

 演技後に「本当に長かったけど、あっという間に終わってしまった。」世界の頂点を目指して、僕なんかでは想像できない程の努力を積み重ねてきた後に絞り出された言葉です。バンクーバーまでの4年間も、演技していた4分間も、本当に凝縮した時間であったのでしょう。人にとっての時間の感覚をあらためて考えさせられました。

 最後に、スピードスケート・パシュートで銀メダルをとった先輩達を見た高木美帆選手の「まだメダリストにならなくてよかった」という、言葉もまたスバラシイと感じました。15歳にして既に、目先のことにとらわれず、しっかりと未来を見つめています。

 僕も目先のことにとらわれず、逆境にめげずに、密度の高い時間を過ごしながら、ステップアップし続けたいと思いました。

七位入賞

スノーボード・パラレル大回転 (PGS) 男子で、応援していたクリス・クルーグ (Chris Klug) 選手は七位となりました。彼にとっては三度目のオリンピックで三度目の入賞。長野の六位、ソルトレイクの銅メダルには届きませんでしたが、高いモチベーションを保ちながら競技を続けていて素晴らしいと思います。

日本の野藤選手は残念ながら予選敗退となりましたが、また次の機会に実力を発揮していただきたいと思います。

金メダルはジェシーJアンダーソン選手でした。この選手もクリスと同様、この競技の黎明期から一線で活躍してきた選手の一人です。

最近は、女子の竹内智香選手など強い選手が日本人にも出てきましたが、スノーボードPGSの日本での人気は、正直、いま一つだと思います。

実際、昨年、今年と、アルペン・スノーボーディングはアジアでのFISスノーボード・ワールドカップの種目から外されてしまいました。FISの公式ホームページを見ると、2010/2011から2012/2013までワールドカップが猪苗代で開催される予定となっているようですが、競技は今のところフリースタイルのみのようです。

ソチのオリンピックでは、表彰台にのぼるような日本選手がでるといいなぁ。

He is going to Vancouver!

 第21回オリンピック冬季競技大会(バンクーバー・オリンピック)についての報道が熱さをましてきておりますが、、、。

 Very Many Congratulations!!

 プロスノーボーダーのクリス・クルーグ選手が米国代表に選ばれました。

 彼にとっては長野、Salt Lake City以来、3度目のオリンピックになります。

 種目はパラレル・ジャイアント・スラローム (PGS) です。

 スノーボードというとハーフパイプの派手なジャンプなどの印象が強いですが、この競技はスピード勝負です。

 またスノーボードクロスとも違い、アルペンスキーに近い感じです。

 PGSは青と赤の2つのコースを二人で1回ずつ同時に滑り、2本のタイムの合計で勝敗を決します。そして予選の後はトーナメント方式で決勝が行われ、1回ごとの勝ち残りとなります。

 左右のコースには斜面の状況などによって、一本ごとに駆け引きがあります。

 彼はここ数年、以前に比べて表彰台に登る事が少なかったのですが、今シーズンは調子が良いようです。(彼のコメントはいつでも絶好調の時のそれですが。)

 かれのオリンピックへの思いには特別なものがあると思います。それを常に口にしながら実現していくあたりがアメリカっぽいですね。

 また、日本からは野藤優貴選手が代表に選ばれました。

 Go for it! みんながんばれ!

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祝Yankees優勝

 New York YankeesがWorld Seriesで優勝しました。しかも松井選手のMVPという最高の形で。
 
 素晴らしい。僕たちが渡米した翌年、松井選手はやってきました。
 
 
 背番号55を模したパンなんかが売られて歓迎ムード一色でした。
 
 僕たちは安いチケットを手に入れては子供連れでヤンキースタジアムに通いました。初めて行った夜には、帰りのスシ詰め電車で財布をすられてしまい、ショックをうけました。 
 
 僕が米国で受けた「Welcome to USA. Welcome to New York.」の手荒い洗礼の一つです。
 
 以後は早めに帰るようにして、それでもヤンキースタジアムに通いました。
 
 
 野球の事など何もわからなかった長男も、いつの間にか、球場の雰囲気から何となくゲームの流れを感じるようになりました。
 
 研究室のボスは、ずっと「ゴジラ松井」を「キングコング松井」と間違えたまま呼んでいましたっけ。
 
 研究室みんなで見に行ったヤンキースタジアムでの試合も、子連れの僕たちはいつものように、9回表の始まりに帰りました。その試合では9回裏、松井選手がサヨナラ本塁打を打ちました。
 
 以来、ボスからは「野球は最後まで見るモンだ」と言われ続けています。
 
 その後、松井選手は、大けがを含め計3度も手術をし、それを乗り越え、新しくなったヤンキースタジアムで、今シーズンを最高の形で締めくくりました。
 
 もう随分前の事のようだったあの頃が、まさに走馬燈のように脳裏をめぐりました。その間、その後、ずっと松井選手は「不動心」で努力を続けてきたのだなぁ。
 
 前のヤンキースタジアムは「The house Ruth built.」と呼ばれていました。
 
 さすがに新ヤンキースタジアムが「The house Godzilla built.」と呼ばれる事は無いでしょうが、新しい歴史に名を刻むと同時に、僕の心にも、希望と勇気を刻み込んでくれたように思います。