「病院羅針盤 2022年2月1日号 No.204」に、がん研有明病院の平澤俊明先生が「前方連携は顔の見える関係と返書から」という興味深い報告をされているのを読みました。
近年ではそれぞれの医療施設が地域医療に果たす役割を明確にして、医療資源が効率的されるよう、制度整備がすすんでいます。僕の働く病院は「紹介中心型の病院」に分類される(はず)なので、地域の医療施設から「紹介したい病院」として選んでいただく必要があります。
都市部では似たような専門性を持つ病院の選択肢が複数ありますから、その傾向はより強まると思われます。
結論としては
・自分達の専門性を高めていくこと
・目の前の患者さんをしっかりと診療すること
・地域の先生方に礼を尽くすこと
といった、あたりまえのことをしっかりやるのが大切なのだとあらためて思いましt。
ただ、それが具体的なデータとともに語られるとととても説得力を持ちますし、それを「しっかりとやる」だけでなく、患者さんや地域の先生がたに「伝わる」「伝える」ことが大切なのだと思いました。
「予期せぬ瞬間 医療の不完全さは乗り越えられるか [ アトゥール・ガワンデ ]」を大変興味深く読みました。時を置いてまた読もうと思います。
本書は、医師である筆者が研修医時代に経験したことを基に、深い洞察をもって「現場」を語った一冊です。最初の出版は2002年、翻訳の出版は2004年。最初の出版から15年をへて、題名を変え、2017年に再版となりました。考察は普遍性を持ち、古さは感じません。
原題はComplications (合併症)です。でも「合併症」の一言で済ませてしまうより、良い邦題だと思います。簡単に答えを出すことはできません。それにしても、本当に研修医時代に書かれた文章なのでしょうか。世の中に、これだけ深い洞察をもって仕事をしているとは。研修医がいるとは自分を含め出会ったことがありません。
たしかに、日々の経験を普遍化することは次の経験につなげる最善の方法だと思います。でも、この著者のように考察を巡らせていたら、凡人の僕などは、考察だけで1日が終わってしまいそうです。
だからこそ、彼のような優秀な人に考えてもらい、僕はその成果を読ませてもらい、勉強するのがいいのかもしれません。
臨床医学には先人の経験を共有することで自分の経験とすることで進歩する、そういう側面があると思います。
カオスから新たな創造をすることは難しくても、彼のように賢い人から学ぶことは、気持ちさえあればいつになってもできるのだ、そう思いました。
これまでの自分の経歴の中で、尊敬する何人もの先輩に教えを頂いてきました。僕はあるころから、その先輩たちを心の中で師匠と呼ぶようになりました。
いま、週一回、そんな師匠の1人と並んで外来診療をやっています。
師匠と知り合ったのは今から20年以上前。駆け出しで右も左もわからぬくせに生意気だった僕に、時に頭を抱え、時に苦笑いをしながら色々と教えてくださいました。
でも、師匠からは背中から学んだことのほうが多いかなぁ。
出会ったころ、ある研究会で師匠の発表を聞きました。ある疾患の治療法について、いくつかの施設が経験を持ち寄って議論する、というものでした。師匠が発表した患者さんの数は、他の施設と比較してかなり少ないものでした。それだけを見れば見劣りするようにも見えました。でもその後の議論で気づきました。他の施設のデータは「グループ」のデータでした。数は多くてもその患者さんたち全てを把握している人はいませんでした。師匠はただ一人、発表した全ての患者さんのカルテに自分で目を通し、データをまとめていました。
師匠は定年を迎え、退職された後も自分の経験を論文にまとめて投稿されています。色々な意味で生涯現役を貫いているように見えます。
今、並んで診療していると、壁の向こうから師匠の声が漏れ聞こえてきます。体調のすぐれない日も、師匠の声は、患者さんを前にすると、ピンっとハリがでます。その声で患者さんを励まします。
診療後、
「先生、ご自身の体調が優れないのに、患者さんの前に立つとビシッとされて、すごいですね。」
というと、軽く笑いながら事も無げに
「そりゃぁそうだよ」
と笑っておられました。
今でも背中で道を示していただいています。
2014年3月。STAP細胞が話題になっていた頃、「意外に近いところを実験してたなぁ。それが形にできなかったのは自分の力不足だなぁ、、、」と残念な気持ちになっていました。
それがその後、一転して大きなスキャンダルとなったことは周知の通りです。科学における論文の不正なんて、いくらでもあるのになぜ?というほどです。
かなり話題になったので、「捏造の科学者」「あの日」「STAP細胞残された謎 」と、関連書籍を三冊ほど読みました。そしてこのあたりで、この騒動について自分なりの総括をしておこうと思います。
僕は知らなかったのですが、STAP細胞の論文不正の調査報告日と同じ日に、もっと大きな不正事件の調査報告がなされていたそうです。
元東京大学分子細胞生物学研究所教授による不正です。33の論文で110箇所の捏造や改ざんが認定され、不正行為を行ったと認定されたのは計11人、費やされた研究費は15億円に上るということです。(「STAP細胞残された謎」109ページ参照)
STAP細胞の事件では1つの論文で認定されて不正は4箇所です。15億円もの研究費が投じられたとはとても思えません。でも、世間やマスコミから注目を集めたのはSTAPの方でした。
この点一つとっても、注目度の高さは尋常ではありません。これほどまでにマスコミが注目した理由の一つは話の始まりにあるのだと、僕は思います。
STAP細胞の発見は最初、理研からマスコミに向けて情報提供がなされます。キーとなりそうな人には直接のプロパガンダもあったようです。「捏造の科学者」の著者もその一人でした。
情報提供はマスコミが飛びつきやすいように修飾されたものでした。
「若くて可愛い天才リケジョが新しく発見したiPSを超える細胞。そのインパクトはノーベル賞級。」
直接にであれ、間接的にであれ、理研CDB内部でSTAP細胞論文に関わった人の中に、社会的に華々しく取り上げられることへの色気があって、小保方さんとマスコミを利用しようとした、という側面があったのだろうと思います。そしてその撒き餌に集まったマスコミによりお祭りが始まります。
しかし、その後、STAP論文の不正が明らかとなります。華々しく報道してきた分、特に真摯に科学報道に携わる方にとっては義憤に駆られる十分な理由となったと想像します。
「捏造の科学者」はその視点で書かれています。著者は、科学報道に携わるプロとして、義憤に駆られて必死で仕事をしたのでしょう。そして彼女は自身が真実だと信じる報道をし、この事件を総括しようとしました。その事は間違いないと思います。「正義は我にあり。」と言っているように感じられます。客観的であるようで、いささか感情的な正義感とか、危機感みたいなものが感じられます。
読んでいて、「正しいマスコミ」が「犯人」を追求する残酷さみたいなものを感じた本を思い出しました。「薬害C型肝炎女たちの闘い」 を読んだ時のことです。法廷闘争の過程で、自分たちの主張に有利な証言をしてくれた飯野四郎聖マリアンナ医科大学教授(当時)は完全無欠の正義の味方。製薬会社側の証言をした大学教授は悪の権化のような描かれ方でした。どちらも同じ業界の有名人です。一方が正義の味方、他方が悪の秘密結社の総帥みたいなことはありえません。義憤に駆られたマスコミは、単純化された勧善懲悪のストーリーを作り上げ、非情なまでに悪を懲らしめようとするものだと感じました。
STAP細胞問題でも同様の、マスコミの正義感に基づく過剰反応があったことは否めないのだと思います。
一方、「あの日」では渦中の人物が、その人の視点からストーリーを紡ぎます。前半のサクセスストーリーは非常に向上心の強い方であることが感じらました。問題が起こって以降のことについては当事者の視点であるため、客観性がどれだけあるのか疑わしいようにも思います。こちらもやや感情的です。そして、「STAP細胞はあります。」という思いも変わっていないようです。ただ、告発本を出版して、「私だけじゃなくて、もっと偉い人にも責任があるの!」と言ってもなかなか説得力が出づらいと思います。
なぜかといえば、科学はそういう形で進歩してきていないのですから。
科学界には昔からそういった不正が存在していました。「背信の科学者たち [ ウイリアム・J.ブロード ]」にはプトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ドルトン、メンデルなど、名だたる偉人達の著作やデータにもミスコンダクトが存在している事が記されています。彼らの発表したデータにも怪しいものが多々ありました。それでもなおかつ事実として認められています。そこには再現性があるからです。彼らの主張する内容が、時空を超えて様々なところで再現されているのです。
現代では、まず、研究費を獲得するために審査を受けます。さらに論文投稿時の審査を受けます。論文が発表された後には、他の研究室などにおける追試がなされます。そしてその追試によって結果が再現されることにより、最終的に正しい科学的事実と認定され、そこからさらに知見が積み重ねられます。
これらのシステムがあるので、ねつ造されたデータを基にした論文があっても、結果が「ありえないもの」であれば長期的には淘汰され、消えていきます。
逆にデータに多少の問題があっても、ちゃんと再現性が確認できれば後世に残っていくものです。(歴史はそうだと言うだけで、それを理由に不正をしても良いと言うつもりはありません。)STAP細胞論文に名前を載せた人たちは皆、そのくらいの事はわかっていたはずです。ただ、STAP細胞は、今の所、論文著者を含めてまだ再現されていません。
論文不正とその検証の問題に話を戻します。STAP細胞論文では、現代科学における標準的な倫理観に照らし合わせて正当化できない論文不正が存在していました。
しかし、それ以外にも、「STAP細胞残された謎」では様々な矛盾を指摘しています。この本はかなり専門的に、詳細なデータを一つ一つ洗い直して行きます。極めて論理的です。その検討の矛先は全てに平等に向けられます。マスコミ報道にも様々な不備があり、彼女の主張が正しいと思われる部分もしっかりあることがわかります。
調査委員会で公表された細胞の一致に関する検討を例にあげます。
調査委員会では99%以上一致していることを根拠に細胞の一致を結論付けていました。しかし、本書では、細胞が異なっていても99%は一致していること、99.9%以上一致していて初めて細胞が一致していると結論付けられることを、データをもとに示しています。
これらを見ると、小保方氏に責任があるのは明白ですが、彼女一人に責任を押し付けて事の終結を図るのは、トカゲの尻尾切りにように感じられます。けれども、この問題に関して、これ以上犯人探しをしても、多くの人にとって益は少ないとも思います。
科学における不正は上に書いたごとく数多くあって、その多くは結局うやむやに終わっているようです。そして時と再現性が最も有力な自浄作用のように思われるからです。
個人的には自分の経験などから、STAP現象(あるいはそれに似たもの)はあると思っています。でも、STAP細胞があるかどうかはわかりません。もしあるとすれば、いつか誰かがそれをより再現性の高いやり方で証明してくれることでしょう。なければこのまま忘れ去られていくことでしょう。
国立がんセンターで勉強していた時、当時、研究所の所長だった寺田雅昭先生が飲み会の席でこんなことを言っておられました。
「自然の美しさに魅了され、科学を芸術にたとえる人がいる。自然は美しい。芸術的に美しいこともある。でも、科学は芸術とは違う。ピカソの絵はピカソがいなければ描けなかった。でも相対性理論はアインシュタインがいなくても、誰かがいつか必ず発見していたはずである。」
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外来診療などで時々話していることですが、、、、僕が思うに、ダイエットには大きく分けて三つの種類があると思います。
一つはアスリートのダイエットです。これは試合などに、試合などに焦点を当て、ここで最高のパフォーマンスを発揮できるように、食事や体重を含む体調管理をおこない、筋力などを増強するための負荷をかけていくものです。ここではストイックな食事管理と負荷の高い運動と分かちがたく結びついています。トータルの栄養バランスはややプラスに傾いているだろうと想像しています基本的にはパフォーマンス向上が目的なので、筋肉がつくことはあっても、体脂肪や余分な「お肉」がつくことはありません。でも、このダイエットで体重管理を一人でやっていくのは一般的には難しいと思います。
もう一つは一つは美容のためのダイエットです。このダイエットは、短期間に(できれば楽して)一定の体重減少を目指すものです。一年中話題となりますが、「夏に向けて」とか、季節などが動機になることが多いような気がします。多くの場合、とりあえず痩せればいいので、数少ない食品に依存するダイエットや、記録することで意識を高めようとするものなど、イロイロな手段が存在します。最近流行りなのは炭水化物を少なくするものでしょうか。これは腎臓や肝臓に障害のない方には良い方法かもしれません。
また、最近流行りの、ぽっちゃりお腹が引き締まった体に変身するコマーシャルのダイエットは上記二つを上手に組み合わせたもののような気がします。
そして最後が健康のためのダイエットです。こちらは上記二つとは大きく異なると、僕は考えています。なぜかというと、短期間のコントロールではなく、健康寿命を意識した、長期のコントロールを目指したものだからです。2ヶ月で何キロ痩せたとしても、それだけでその人の「命の長さ」が変わるわけではありません。体重を一つの目安として、食習慣、運動習慣を中心とした日常生活習慣を何年も続けて初めて違いが明らかになるという性質のものだと思います。ですから、「今年の夏に向けて」なんていうダイエットは、ここでは意味をなしません。
先日、肝臓病の栄養指導を積極的に行っている某大学のドクターと、管理栄養士の方にご講演いただきました。そちらの病院では、栄養指導を受けた群と受けなかった群で予後曲線を描いたら優位に栄養指導を受けた群での生存率が高くなった、なんていうデータも拝見しました。発表した先生自ら言っておられましたが、この結果をもとに「栄養指導が寿命を延ばしました」と結論付けることはできません。
それは様々なファクターが関与していると思われるからです。栄養指導をうけた患者さんがたは、もともと具合の良い人たちだった可能性もあります。栄養指導をうける患者さんは健康への意識が高く、栄養指導をうける以外のことをたくさんやっている可能性もあります。そのどれかが効果を上げているのであって、栄養指導はあまり関与していないのかもしれません。
でも、栄養指導のメリットも間違いなく存在します。食べ物には、体に良い食べ物と、体を害する食べ物があります。良いと思われる物でも過剰摂取は有害となることもあります。病気をお持ちのかたにとっては、必要な食品は、疾患によって異なることがあります。だから、テレビ、マスコミで流布されている様々な情報は、その患者さん個人には当てはまらないこともよくあります。
結果として、栄養管理をただ、「ちゃんと」やっているつもりでも、第三者、プロの目から評価をしたら不十分であったり、間違いであったり、ということも十分にあり得ます。また、自分一人で考えてやるよりも、プロの栄養士と相談し、語りあいながら栄養管理をおこなうことで、長期にわたる管理をしやすくなるだろうと思います。
ここまで書いて思いました。僕も栄養指導を受けてみようかしらん、、、。
「はじめに言葉ありき」という有名な「言葉」があります。その深い意味を語る資格は僕にはありませんが、最近、言葉にすることの大切さを改めて感じます。
みんなが同じ経験を同時にすることはできません。でも、それを共有できれば効率的に学ぶことができます。チームで仕事をするときには、この「経験の共有」が決定的に重要な要件となることもあります。共有することで集合知が広がり、議論が深まります。
経験を共有するためには、それが情報化される必要があります。情報化には様々な手法があると思います。絵、写真、動画、文書などなど。音楽だってその役割を担うことがでるでしょう。
でも、仕事の現場では通常用いられる手段は言語です。しかも、測定可能な言語化がより有用です。経験や情報を可能な限り測定可能なかたちで言語化することによって過去と現在を比較し、評価することが可能になります。それにより(近い)未来を予測することが可能になるのだと思います。
(音楽で情報共有する職場は想像しにくいですが、そういうカルチャーがあったら楽しいかもしれないと思います。)
日帰りで神戸に行って学会参加してきました。
今回は自分の発表はなかったので気楽といえば気楽です。
始発の電車で向かったのですが、参加費支払いとか、専門医の単位登録とかやっていたら、意外に時間がかかってしまいました。おかげで、朝一番のセッションで今日、2番目に聞きたかった招聘講演を聞き逃してしまいました。
うーむ、残念。あとは一生懸命聞いて帰ろうと、一日中、いろいろな発表を聞いて、勝手なことを夢想していました。
昼食も企業が開催するランチョンセミナーでお勉強。僕が聞いたのは、アベノミクス最初の成果とも言われる新しい検査についての講演です。開発を担当された先生が直にお話くださったので、迫力がありました。内容もわかりやすく、とてもよく理解できました。
国のため、産業界全体のために特許を取るけれど、それを独占はしない。「みなさん、どうぞ、お使いください。」といったあたりに気概を感じました。
かつての留学先の親分の発表も聞きました。
留学先のボスには「残念な知らせ」で書いたことについての詳細を聞きました。今回の来日が今年3回目のアジア訪問だと言ってました。当然全て招待講演。そのほかにもドイツとかがあって、ボスのさらに上司が怒ってしまったとのこと。自分の大学に全然いないじゃないかと。「俺も職がなくなると困る。」と言っていました。
結局、僕がお願いしていた日本の学会への招聘講演のほか、ドイツ、スイス、中国などへの渡航をキャンセルし、スカスカとなった今後の仕事の予定のカレンダーを見せて、納得してもらったのだとか。
いやいや、どんなに偉くなっても、もっと偉い人がいるものだと改めて思ったのでした。
そのボスの発表をはじめ、基本的にはインターナショナルセッションにいたので、最近使わない英語の勉強にもなりました。いや、英語力(特に会話力)、落ちてるかも、、、。来月米国で発表なのにまずいまずい。
留学先の先輩にも久しぶりに会えました。二人のお子さんはお二人とも医学部なのだそうで、お一人はもう卒業されたとのこと。それはそれは、おめでとうございます。
そして、ずっと昔の同僚にも会えました。彼の立派な仕事を聞いて、改めて自分も頑張らねばと思いました。
それにしても彼、仕事してるなぁ、、、。午後に、一緒に発表を聞いていたら、
「ちょっとお先にしつれいします。」
と、彼は席を立ちました。
「あれ?あぁ、帰るんですね。」
と僕。
「いや、これから宮崎に行って別の学会にでるんで、、、。」
と彼。
ええぇ、、確か、?先週はウィーンで発表していたはずなんだけど、、、。
まだまだ頑張りがたりません。
忙しいとか、大変だとか、文句言ってちゃいけないな。と思いました。
今日は、来年度の初期臨床研修医採用面接試験でした。
面接していて改めて思ったことがあります。漫然と評価にあたれば、精神的に成熟していて、意識の高い人が高評価となりやすいと言うことです。もともとの能力が同じなら、この評価は学校の成績と良く相関しそうに思います。実際そう言う傾向があると思います。
でも、それだけで評価するのでは面接試験の意味は少なくなってしまいます。今日はペーパーテストだけでは測定することのできないものを見たいと思って面接官を担当させていただきました。
来年度の仲間を探す仕事です。誠心誠意誠実に、一生懸命に務めを果たしたつもりです。
来年度から、聖マリアンナ医科大学病院だけでなく、横浜市西部病院、川崎市立多摩病院が基幹型臨床研修病院となりました。
これは本年初頭より申請準備をしてきたものです。そして申請期限の6月下旬に両病院とも、申請書類を関東信越厚生局へ提出しました。8月27日に開催された審議会において、両病院の基幹型申請が承認され、翌28日に公示がされました。
大学病院、横浜市西部病院、川崎市立多摩病院の聖マリアンナ医科大学病院群に加え、東名厚木病院とのあいだでのたすき掛けプログラムを組みましたので、平成27年度からの研修はさらに充実したものとなると思っています。
今日面接させていただいた皆さんと一緒に仕事し、勉強できるのを楽しみにしています。
DDS学会という学会に初めて参加してきました。
DDSというのはDrug Delivery Systemの頭文字をとったもので、「必要な薬物を必要な時間に必要な部位で作用させるためのシステム(工夫や技術)」(DDS学会HPより)のことを言います。このため、この学会では、医学、薬学、工学と言ったいろいろな分野の人達が集まって発表しています。「医学系」について言えば、基礎医学系の人達が多く参加しているように思いました。でも臨床系のさらなる貢献が望まれていることも事実のようです。
次年度は僕のオヤブンが会長をやる事になっています。オヤブンが主催し、僕が所属する教室はどっぷり臨床系です。それを意識してか、オヤブンが決めた来年のテーマは「DDSが変えた臨床の風景」となりました。僕はその事務局を担当する事になりました。そのため、今回の学会参加は学会運営などを中心に見学することが主目的です。
まずは宴会の偵察。学会が企画する宴会は「会長招宴」と「懇親会」です。
どちらの宴会も、恐らく僕が司会進行をやることになります。いまからドキドキしてしまいます。
特に会長招宴は僕たちの中で招待されているのはオヤブンのみ。当然ですが、実際の様子を見ることはできません。会場の様子、受付の様子だけ事前に見学させてもらって、僕たちはそのまま寂しく帰宅しました。宴会のメニューや式次第はオヤブンにメモしてもらいました。出し物など、イロイロな工夫がされていました。しゃれたアイデアが織り込まれています。
そして学会中日の懇親会。これは僕も参加できます。これまた会場の様子、メニュー、式次第、参加人数などをチェックしました。
いずれの宴会も、過去の学会で印象深かったものが未だに語り継がれていようです。東京ドームホテルで開催したときのチョコレートフォンデュは大人気だったとか。地方のどこそこではどうだったとか、、、。
来年、僕たちに何か良いアイデアは生まれるのだろうか。うーん。お金がないことだけは間違いありません。今から頭が痛いです。まぁ、悩み続けるしかなさそうです。
この他、学会ではどのようなセッションがあり(これはプログラムを見ればわかりますが)、それぞれのセッションには何人くらいの聴衆が集まっているか。
実際に会場はいくつ必要か。会場の広さはどの位が適当か。
学会運営の多くの部分は企業(いわゆる学会屋さん)にお願いするのだけれど、それ以外に大学からどの位の人員が動員されているか。
優秀演題を選定するための審査はどのように行われているか。
などなどを見て回りました。企業展示、ランチョンセミナーは全て挨拶回りをして名刺交換をしました。来年も多くの企業に参加をお願いしたいと思います。そのためにも、参加いただく各企業にもメリットがあるような工夫もしたいと考えています。
DDS学会は、1000人ちょっとの学会員数です。消化器病学会の30000人なんて言う規模から較べれば小さい学会です。でも、その1000人ちょっとの学会で、来場者数初日だけで800人でした。非会員も多く参加されているとのことだったのですが、学会規模からすると、とても盛況だったと言えると思います。
学会後、プログラム実行委員会が催され、来年のプログラムについて話し合いをしました。プログラム実行委員の先生がたが大変協力的で、イロイロなアイデアを出していただけることに加えて実務能力が高いので大変心強いです。今回の会議で大分形が見えてきました。毎年の伝統を継承しつつ「医学系」「臨床系」の色が出せそうに思います。
今回、初めてこの学会に参加して二つ、印象に残ったことがありました。
1つは、学会の重鎮の先生が会長招宴で言っておられた言葉です。上述のように僕は会長招宴に参加していませんが、特別講演で招聘された先生が、懇親会で紹介してくださいました。
「昔は専門バカというのは褒め言葉だった。しかし今は専門バカはただのバカだ。」
まぁ、確かに。そういう見方もできるでしょう。バカと言われるほど1つのことに没入できるのは立派なものだと思います。でも視野を広げることも同時に大切だな、と思いました。この学会が医学、薬学、工学の幅広い分野の知識の結集を目指していると言うことがよくわかりました。
そしてもう1つ。
若手の奨励賞の発表は張り紙によってなされていました。それを確認していた時、そばに賞に選ばれた大学院生(らしき若者)がいました。
彼はその張り紙に自分の名前があることを確認し、「よっしゃぁ。」とつぶやき、喜びのガッツポーズを小さくつくっていた。その姿がとても純粋に見えて印象的でした。
その想いに答えられるような学会運営をしたいと思ったのでした。
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