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「きしむ政治と科学」「1100日間の葛藤」

1100日間の葛藤 新型コロナ・パンデミック、専門家たちの記録」と 「きしむ政治と科学 コロナ禍、尾身茂氏との対話 」を読みました。

 「1100日の葛藤」は新型コロナウイルス感染症対策分科会長であった尾身茂氏の手記です。
 「きしむ政治と科学」は2021年4月から2023年2月まで、計12回、24時間以上にわたって行われたインタビューをもとにして書かれたものです。
 「1100日の〜」では、今から当時を振り返って、巻末の50ページを超える資料を含め、2020年の年明けから2023年7月末までの経過が根拠とともに記載されています。この間に分科会から提出された、100を超える提言がその時々の状況で、どのような理由からなされたのか、どのような批判があったのか、政府の対応がどうだったのかなどについて(恐らく)理性的に語られています。そしてそこから、専門家の提言と政治家による政策の間にはどのような関係があるべきか、が議論されます。
科学と政治がせめぎ合うとき、専門家の提言に対する政府の対応の仕方には三つのポイントがあると指摘しています。
具体的には以下のようなものです。
1)専門家が述べる医学的・技術的見地からの意見や提案を聞いた上で、政府は社会経済の状況や国民感情、財政事情なども総合的に勘案して最終的な決断を下す。
2)政策決定が科学的助言と相反する場合には、政府はその理由を公式に説明したり、その根拠を正確に提示したりする。
3)未知の感染症の対策についての科学的根拠は常に存在するわけではない。従って専門家は情報や根拠が限られている場合でも一定の見解(エキスパートオピニオン)を提示する。
そして、この三つのポイントを踏まえ、専門家の提言に対して政府がとった対応には次の6つのパターンがあったといいます。
パターンA:専門家が提案し、政府が趣旨を理解した上で採用した。
パターンB:提言が採用されたが、実行が遅れた。
パターンC:提言の趣旨が理解されなかった。
パターンD:専門家が提案したが、政府が採用しなかった。
パターンE:専門家と協議せず政府が独自に打ち出した。
パターンF:専門家は相談されていないのに相談したと政府が言って進めた。
そこには色々な思いがあっただろうと思います。
一方、インタビューをもとにする「きしむ〜」では、デルタ株やオミクロン株の出現といった移りゆくpandemicの状況と、緊急事態宣言、GoToキャンペーン、オリンピックなどの政治・社会情勢との間で苦しい胸の内が語られています。
「私は、これまで、提言を実現させるため、政府と交渉する役割も担ってきました。専門家は机上の空論、まったくの理想論を提案しても意味がないと思っています。それには批判もあるようですが、できもしないことを言っても自己満足でしかありません。だから、政府が頑張ればできるところを提案してきたつもりです。」
2冊の本を読むことで、殺人予告までされながら、歴史の審判にも耐えうる判断、提言、行動をしようとした尾身氏をはじめとする専門家の方々の覚悟を感じることができたような気がします。
そして、改めて「リスクコミュニケーション」の難しさを感じました。結果が良ければ「そこまですることはなかったんじゃないか」と言われ、結果が悪ければ「状況判断が甘かった」と批判されます。様々な立場、考え方があり、時には情報が不足している中で、判断を迫られた時、批判されることを承知で、「ルビコン川を渡る」覚悟で better option を模索されてきたと言うことがよくわかりました。

青春時代

ある友人から年賀状をもらった。
大学時代の友人だ。
彼とは違う部活だったし、一緒に過ごした時間は実はそう長くはない。
今はほぼ、年賀状だけのやりとりになっている。
でも、一緒に過ごしたその「時間」はとても濃厚なものだった。
だから何か絆のようなものを感じている。
彼と最後に会ったのはもう10年近く前になるだろうか。
あの時も、そんな何かを感じた。
今年、年賀状に添えて書かれた一言は、
「青春時代に戻りたいと思います」
だった。
君はあの時代に戻ろうと言うのか。あの時代に、、、。
それは大変だぞぉ。
でも、あの時代への憧憬は、今、僕の中にも確かにある。間違いなく。
あれから30年以上経った今、改めてそう思いたい気持ちもよくわかる気がした。
そうだよな。君もそう思うのか。
よし、今年一年、頑張れそうだ。

自然、文化、そして不平等

自然、文化、そして不平等 -- 国際比較と歴史の視点から [ トマ・ピケティ ]」を読みました。

以前に読んだ同じ著者の「21世紀の資本 [ トマ・ピケティ ]」では、過去の膨大なデータを集めて解析し、将来を冷静に予測する、その質と量に圧倒された記憶があります。

なんてったって「21世紀の資本」は本文607ページ、注釈96ページの大著です。「自然、分化、、、、」は全部で100ページ程度。2022年3月の講演録です。本屋で見かけて「これなら軽く読めるだろう」と思って手に取りました。

結果として、内容は「軽く」はなかったけれど、大変興味深く読むことができました。

「人は平等」

言うのは簡単だけれども、平等であることは実は歴史のなかで決して当たり前のことではなかったことが示されます。

そもそも、「平等って一体どういうこと?」という問いに答えることすら難しいことがわかります。すぐにわかることとして、少なくとも、「平等=同じ」ではありません。だってみんな違うんだから。

本書によれば、現在、スウェーデンは世界で一番平等だと思われている国の一つだそうです。確かにそう言うイメージがあります。そして、スウェーデンには時代を超えた国家の特質として「生まれながらにして平等を好む文化があるという見方があるとのことです。

でもトマピケティが紐解く歴史によれば、長い間、ヨーロッパで最も不平等な国の一つであり、不平等な政治運営にかけても非常に巧みであったそうです。しかしそれが政権交代によって急速に様変わりしたとされます。社会における「不平等」とか「平等」というのは極めて流動的なもののようです。世界はどちらの方向に進んでいるのだろうか、ということが議論されていきます。

世界には、所得格差、資産格差、ジェンダー格差、さまざまな不平等があります。それぞれを検証していくと、全体として見れば、世界は平等に向かって歩みを進めているようです。それがデータから裏付けられるのでちょっと嬉しく思いました。

でも、筆者の主張は世界的な流れが平等に向かっている、と言うだけではないようです。

結論の最後に書かれていることが、まさに本当のメッセージだと改めて思いました。

『問題を他人に丸投げにしてはならない。経済や歴史の知識を共有することによって、より民主的な社会と、権力のよりよい配分をめざす運動の重要な一翼を担うことができるし、またそうしなければならない。』

本文を読むとこの文章が改めて深く納得できるような気がします。骨太の内容でもお気軽に読めて、その意味で講演録はいいね、と思いました。

個人的には、権利の平等を主張するあまりに均一性への同調圧力とならないように注意したいものだと思います。

早くも1週間

COVID19が5類感染症に分類されることになって最初の新年で、さぁ、いよいよ 'Back to normal' だなぁ、と思ったら、地震、事故などの厄災に始まる波乱の幕開けとなりました。
大変な経験をされている方々にはお悔やみを申し上げます。
今は精一杯、自分のできることをして、少しでも未来が良いものになるよう、頑張っていきたいと思います。
一月に入って、はや1週間が経っています。毎年のように、バタバタとしているうちに今年一年が過ぎていってしまうことのないよう、何かを残せる一年にしていきたいと思っています。

謹賀新年

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