スピルオーバー ウイルスはなぜ動物から人へ飛び移るのか
主にウイルスによる人獣共通感染症(「ズーノーシス」とふりがながふられています。)について様々なストーリーを追った作品。索引まで入れると500ページを超す大作です。ここで語られる内容が圧倒的な説得力を持つのは、それだけ多くの事実が詳細に、綿密に語られているからと言えるでしょう。
本書の最後の方で、H5N1型の鳥インフルエンザがなぜ問題になっているのかが議論されますが、そこに至るまでの圧倒的ストーリーの積み重ねの上に語られた説得力は横綱に寄りきられているような感じでした。
本書で扱われているのはヘンドラ、エボラ、マラリア、SARS、Q熱、オウム病、ライム病、ヘルペスB、ニパ、マールブルグ、HIV、インフルエンザなど。そして補章として新型コロナウイルスが追加されています。
それぞれの感染症について、一回のスピルオーバー(動物から人間への異種間伝播)に焦点を当てると同時に、俯瞰的な視点からスピルオーバーを起こす感染症としての特徴について、詳細に語られます。
やっぱり、というか一番多くのページが裂かれているのはAIDSの原因ウイルス、HIVについてです。もちろん、仮説もありますが、それでも、こんなところまでわかっているのか、と驚くほどです。HIVの起源となるウイルスの、猿から人へのスピルオーバーは過去に少なくとも12回おこっており、現在世界に蔓延するきっかけとなったスピルオーバーはそのうちのたった一回であったこと、それは、1908年ころのカメルーン南東部の、かなり絞り込まれた一帯で、一頭のチンパンジーから一人の人間に生じたものであったことがわかっているというのです。
もっと驚いてしまうのは、2012年に本書が出版された時点で、現在おこっていることを、相当のところまで予言したかのような文章が散見されることです。例えば、P333には新型コロナウイルス(SARS-CoV2)はいつか出現するであろうとでも言うかのように下記のように書かれています。
SARSコロナウイルスは2002〜03年にかけて中国・広東省と香港で出現した当初から「それ」を備えていた。それ以降どこに、あるいはなぜ潜伏しているのかにかかわらず、SARS-CoVは今も「それ」を備えているはずだ。
ここで言う「それ」とは「人間集団のなかで効率的に伝播する能力」のことです。また、P180にはこんなことが書かれています。
「次なる大惨事(Next Big One)」は多分SARSとは逆で、インフルエンザのように症状が現れる前の感染力が強いパターンだろう。それによってウイルスは、死の大使のように軽やかに都市間や空港間を移動することだろう。
まさに新型コロナウイルスの病態を言い表しています。
一方、オミクロン株について、感染症が収束に向かう時、毒性が低くて感染力の強い株に置き換わっていくのだ、といった論調がマスコミなどで聞かれますが、P268に記載されている以下のような内容については心にとめておくべきかと思います。
毒性は、通常、感染率と感染によって死に至らなかった宿主が回復にかかる時間と関連している。「『成功する』寄生種は、宿主にとって無害になる方向で進化する」、というのは根拠がない通説である。
もちろん、なぜ根拠がない通説と言い切れるかについて、根拠を持った明確な議論によって明らかにされています。
また、1997年に感染症疫学者のドナルド・S・バーグが行なった講演では、新たなパンデミックを最も引き起こしそうなウイルス群候補について語る中で、すでにコロナウイルスについて以下のように警告を発していたことがp462に以下のように記されています。
中でもコロナウイルス科を引き合いに出し、「人間の健康に対する深刻な脅威と見なすべきだ。これらは進化性が高く、動物集団で流行を引き起こす能力が証明されているウイルスだ」と警告している。
そして、P32の以下のような記述を読むと、今後もウイルスによるパンデミックは起こるべくして起こるだろうと思われます。
飢えたウイルス、飢えた細菌の視点から見れば、我々は数十億の人体という巨大な餌場を提供しているのだ。ごく最近まで半分だった我々の人口はこの約四半世紀で二倍に増えた。我々を侵略するために適応できるあらゆる生物にとって、この上ないターゲットだ。
本書の最終章では、過去数世紀にわたる人口増加を考えると、人類そのものが地球にとってのアウトブレイクとも言えると論じます。そして一つの動物種のアウトブレイクの唐突な終わり方の例として、広汎なウイルスによる感染症が挙げられています。
筆者は、現在の人類の繁栄がウイルス感染症によって唐突な終わりを迎えるなどという予言をしているわけではありません。ウイルスのパンデミックに対する具体的な方策が示されているわけでもありません。でも、そのようなリスクがあることを認識する必要がある、ということはこのコロナ禍の経験から身をもって学ぶべきことではなかろうか、と思いました。
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