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トライ

以前、米国で仕事をしているドクターから、おこさんが所属する少年野球チームの話を聞いたことがあります。

試合でファインプレーが出ると、観客席は盛り上がります。

観客のほとんどは家族。そこで出てくるかけ声は

"Nice play!" 

"Good job!"

といったもので、ここは日米共通していると思います。

一方、エラーが出てしまったときは大分違うということでした。

日本では大体

「ドンマイ! ドンマイ!! 落ち着いていこう!」

みたいな感じになると思いますが、米国で出てくる言葉は

“Nice try!”

「ナイストライ」

なのだそうです。そう声をかけてもらえたら、次に同じシチュエーションが来ても頑張って積極的に向かっていけそうな気がします。

しかも、そうした言葉が、コーチでなく、観客から自然に出てくるところに「文化」を感じます。

結果に対して、振り返りをすることは大切ですが、常に肯定的な側面にも光を当てて前を向くことで、モチベーションを維持し高めていきたいと思います。

チャレンジ

何事かを成そうとするとき、挑戦/チャレンジという言葉が使われます。

その過程ではざまざまな試行錯誤/トライ&エラーがあることでしょう。

でも、エラーが続くと、トライをしようとしなくなる人がいます。

「成果」が得られる保証はありません。

だから、それはそれで、人生においては賢い選択なのかもしれません。

でも、やっぱり、

なんとかそれを糧にして、

その上でトライして、

たとえその結果がやっぱりエラーだっとしても、

求めていた成果が得られなかったとしても、

そこで感じられるものは、チャレンジした人にしかわからないんじゃないか。

彼らはそういう風景を見ているのではないかと思いました。

僕は Olympian にはなれないから、実際のところはわからないけれど。

頑張った人だけに開けてくる風景があると信じて頑張りたい。

そう思います。

同姓同名

大したことではありませんが、メールのやり取りをしていて、同姓同名の方が3人いると、間違えないようにするのが大変です。

2人目まではなんとか区別できてましたが、本日、3人目の同姓同名さんからメールをいただきました。3人目の方は漢字は異なるのですが、ローマ字にすると一緒です。

別の仕事関係の方なので、それぞれのメールは全く関係無い内容です。なのに、文章を書いていると、他の2人が頭の中にチラついてしまいます。そしてこの人に、この内容でメールして大丈夫だろうか、、、と不安になります。

これって、今流行りのAIでアシストされたら、そのようなことはなくなるのでしょうか。PC上で自動的に違う色で表示されるとかすれば、誤認識は少なくなるような気もします。

ただ、そもそも、僕の頭の中でこんがらがってるんだから、やっぱりダメかなぁ、、、

 

十六歳のモーツァルト

十六歳のモーツァルト 天才作曲家・加藤旭が遺したもの [ 小倉 孝保 ]読了。

幼少期から音楽の才能に恵まれ、豊かな才能に恵まれながらも十四歳で脳腫瘍が発症し、十六歳で早逝した天才のドキュメンタリー。

前半は、溢れる才能をいかに育むかに腐心する母親の様子、それに素直に答える息子が描かれる。天才だけど普通の男の子。

それが中盤には壮絶な闘病期となっていく。

そして後半にはわずかな救いの光と共に終焉にむかう。

終始、静かな語り口はかわらない。

病と戦いながらも自分を保ち続ける強さと優しさに心を揺さぶられる気持ちになる。

純粋で善意の物語に心が洗われるように思う。

自分も真摯に生きたいと思った。

 


医療連携について

病院羅針盤 2022年2月1日号 No.204」に、がん研有明病院の平澤俊明先生が「前方連携は顔の見える関係と返書から」という興味深い報告をされているのを読みました。

近年ではそれぞれの医療施設が地域医療に果たす役割を明確にして、医療資源が効率的されるよう、制度整備がすすんでいます。僕の働く病院は「紹介中心型の病院」に分類される(はず)なので、地域の医療施設から「紹介したい病院」として選んでいただく必要があります。

都市部では似たような専門性を持つ病院の選択肢が複数ありますから、その傾向はより強まると思われます。

結論としては

・自分達の専門性を高めていくこと
・目の前の患者さんをしっかりと診療すること
・地域の先生方に礼を尽くすこと

といった、あたりまえのことをしっかりやるのが大切なのだとあらためて思いましt。

ただ、それが具体的なデータとともに語られるとととても説得力を持ちますし、それを「しっかりとやる」だけでなく、患者さんや地域の先生がたに「伝わる」「伝える」ことが大切なのだと思いました。

スピルオーバー ウイルスはなぜ動物から人へ飛び移るのか

主にウイルスによる人獣共通感染症(「ズーノーシス」とふりがながふられています。)について様々なストーリーを追った作品。索引まで入れると500ページを超す大作です。ここで語られる内容が圧倒的な説得力を持つのは、それだけ多くの事実が詳細に、綿密に語られているからと言えるでしょう。
本書の最後の方で、H5N1型の鳥インフルエンザがなぜ問題になっているのかが議論されますが、そこに至るまでの圧倒的ストーリーの積み重ねの上に語られた説得力は横綱に寄りきられているような感じでした。
本書で扱われているのはヘンドラ、エボラ、マラリア、SARS、Q熱、オウム病、ライム病、ヘルペスB、ニパ、マールブルグ、HIV、インフルエンザなど。そして補章として新型コロナウイルスが追加されています。
それぞれの感染症について、一回のスピルオーバー(動物から人間への異種間伝播)に焦点を当てると同時に、俯瞰的な視点からスピルオーバーを起こす感染症としての特徴について、詳細に語られます。
やっぱり、というか一番多くのページが裂かれているのはAIDSの原因ウイルス、HIVについてです。もちろん、仮説もありますが、それでも、こんなところまでわかっているのか、と驚くほどです。HIVの起源となるウイルスの、猿から人へのスピルオーバーは過去に少なくとも12回おこっており、現在世界に蔓延するきっかけとなったスピルオーバーはそのうちのたった一回であったこと、それは、1908年ころのカメルーン南東部の、かなり絞り込まれた一帯で、一頭のチンパンジーから一人の人間に生じたものであったことがわかっているというのです。
もっと驚いてしまうのは、2012年に本書が出版された時点で、現在おこっていることを、相当のところまで予言したかのような文章が散見されることです。例えば、P333には新型コロナウイルス(SARS-CoV2)はいつか出現するであろうとでも言うかのように下記のように書かれています。
SARSコロナウイルスは2002〜03年にかけて中国・広東省と香港で出現した当初から「それ」を備えていた。それ以降どこに、あるいはなぜ潜伏しているのかにかかわらず、SARS-CoVは今も「それ」を備えているはずだ。
ここで言う「それ」とは「人間集団のなかで効率的に伝播する能力」のことです。また、P180にはこんなことが書かれています。
「次なる大惨事(Next Big One)」は多分SARSとは逆で、インフルエンザのように症状が現れる前の感染力が強いパターンだろう。それによってウイルスは、死の大使のように軽やかに都市間や空港間を移動することだろう。
まさに新型コロナウイルスの病態を言い表しています。
一方、オミクロン株について、感染症が収束に向かう時、毒性が低くて感染力の強い株に置き換わっていくのだ、といった論調がマスコミなどで聞かれますが、P268に記載されている以下のような内容については心にとめておくべきかと思います。
毒性は、通常、感染率と感染によって死に至らなかった宿主が回復にかかる時間と関連している。「『成功する』寄生種は、宿主にとって無害になる方向で進化する」、というのは根拠がない通説である。
もちろん、なぜ根拠がない通説と言い切れるかについて、根拠を持った明確な議論によって明らかにされています。
また、1997年に感染症疫学者のドナルド・S・バーグが行なった講演では、新たなパンデミックを最も引き起こしそうなウイルス群候補について語る中で、すでにコロナウイルスについて以下のように警告を発していたことがp462に以下のように記されています。
中でもコロナウイルス科を引き合いに出し、「人間の健康に対する深刻な脅威と見なすべきだ。これらは進化性が高く、動物集団で流行を引き起こす能力が証明されているウイルスだ」と警告している。
そして、P32の以下のような記述を読むと、今後もウイルスによるパンデミックは起こるべくして起こるだろうと思われます。
飢えたウイルス、飢えた細菌の視点から見れば、我々は数十億の人体という巨大な餌場を提供しているのだ。ごく最近まで半分だった我々の人口はこの約四半世紀で二倍に増えた。我々を侵略するために適応できるあらゆる生物にとって、この上ないターゲットだ。
本書の最終章では、過去数世紀にわたる人口増加を考えると、人類そのものが地球にとってのアウトブレイクとも言えると論じます。そして一つの動物種のアウトブレイクの唐突な終わり方の例として、広汎なウイルスによる感染症が挙げられています。
筆者は、現在の人類の繁栄がウイルス感染症によって唐突な終わりを迎えるなどという予言をしているわけではありません。ウイルスのパンデミックに対する具体的な方策が示されているわけでもありません。でも、そのようなリスクがあることを認識する必要がある、ということはこのコロナ禍の経験から身をもって学ぶべきことではなかろうか、と思いました。


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