あれから18年
18年前の今日から数日前、米国からe-mailを受け取りました。年内に来れるなら、僕を研究室に受け入れてくれるという連絡でした。
研究室はマンハッタンにありました。いくつかの挫折を味わった後の知らせであっただけに、とても嬉しかったことを覚えています。
その後、同時多発テロ、いわゆる9.11の事件があり、僕を受け入れてくれるという招聘状は結局日本へ届くことはありませんでした。それでも大急ぎで準備を進め、2001年12月、僕たちはニューヨークでの生活を始めました。知り合いもなく飛び込んだニューヨークの生活では様々な苦労がありました。若かったなぁ、と思います。
必死で毎日を生きていく中、事件のことがいつも心に引っかかっていました。だって、あの大事件の直後に僕たちはやってきたのですから。でも事件の記憶があまりに生々しく、普段の会話でその話題に触れることはできませんでした。グラウンドゼロがどうなっているのか、被害を受けていない自分たちが現場を見に行って良いものか、どう関わって良いか全くわかりませんでした。
年が明け、地元のテレビ局でグラウンドゼロを見渡すことができる展望台ができた、という報道がありました。展望台は一般に公開されているようでした。間違いなく歴史に残るこの時を体感しておくことは、自分に人生観になんらかの価値をもたらすように思えました。写真はその時のものです。
展望台近くでは重苦しい空気が流れていたように思います。そこにいるほとんどの時間は目を見開いてその風景に呆然とし、黙祷を捧げることに費やされていました。白木でできた展望台には多くの人たちがメッセージを書き残していました。
I SURVIVED, so will the U.S.A.
というMarkさんの力強いメッセージが僕にはとても印象的でした。
気がついたらあれから18年。つい先日、縁あってマンハッタンを訪れたので、同じ場所に行ってきました。
ワン・ワールド・トレードセンターという高層ビルが建設され、ツインタワーの跡地は「9/11 MEMORIAL」という慰霊碑が作られていました。ビルの形の穴がぽっかりと空いていて中に向かって滝が流れ落ちています。縁には犠牲者の名前が刻まれていました。
改めて、あってはならないはずの大事件であったことを認識させられます。問題解決の手法として、後戻りできない方策をとるべきではないと改めて思います。そんな簡単な言葉で総括してはいけないのかもしれません。でも僕はそう感じています。
そして何に対しても絶対あきらめない強い気持ちを持ちたいと思ったのでした。
« 定番 | トップページ | 羽田→JFKの機内食 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 青春時代(2024.01.20)
- 早くも1週間(2024.01.08)
- 謹賀新年(2024.01.01)
- 気がついたらもう6月(2023.06.01)
- 新年 明けまして おめでとうございます(2023.01.01)
« 定番 | トップページ | 羽田→JFKの機内食 »
コメント