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人類進化700万年の物語

人類進化700万年の物語 私たちだけがなぜ生き残れたのか 』を読みました。いわゆる「古人類学」の一冊。僕が高校生だったころ、猿から人への進化はミッシングリンクと呼ばれ、その中間が見つからないとされていました。JPホーガンの「星を継ぐもの (創元SF文庫) 」はそこに焦点を当てたSFの名作です。

当時、学研社から発売されていた、緑色の表紙だったと記憶している生物学の参考書に、、、だったと思いますが、最古の人類としては、アウストラロピテクスが紹介されていました。そしてその頃、新聞では、猿と人類をつなぐと思われていたラマピテクスは人でなく、オランウータンの祖先であることが判明した、、、なんてのが新聞に出ていました。

時代は下って、僕が水戸で研修医をしていたころ、「アイスマン」が発見されて話題になりました。古人類学ではないけれど、アルプス山中で発見された、数千年前の遭難者(?)です。死亡当時の持ち物、外傷の具合などから、当時僕が読んだ本では、「部族間の争いに巻き込まれ、山を越えて逃亡する最中に死亡したという説」が説明されていましたが、現在でもイロイロな学説があって研究が続けているようです。その本では、他にも、整形外科的疾患を患っていたり、寄生虫を持っていたり、そんなところから、当時の文化、生活習慣などに切り込んでいました。

アメリカ留学中には、ホモ・フローレンシエンシスという人類が発見されてかなり話題になったことがあります。インドネシアの小さな島で生物の進化全体がサイズ縮小の方向に進み、そこに『小人』と称して良いようなサイズの小さな新種の人類が一万数千年前まで生存していた、、、、。イスラエルからの留学生がものすごく興奮して話してました。

何となく、そんな話にロマンを感じ、時々この手の本を読みたくなります。そんな動機で本書を手にとりました。最初に思ったより歯ごたえがあり、時間がかかりましたが、、、。

本書は、副題にあるように、「ヒトにはなぜ、ヒトしかいないのか?」という問いに対するものです。

地球上に進化してきた人類は27種に及ぶけれど、現生人類は一種類しかいないとされています。人類の進化をひも解くと、あるとき出現した極めて珍しい一種が、過去数百万年の間、他の種を生み出すことなく進化を遂げてきた、、、というわけではないことがわかります。過去、地球上には複数種の人類が同時に存在していました。そしてなぜか我々が生き残ったのです。

なぜか。

本書はそれについて語った本です。結論はまだ出ていないのだろうと思います。ここで語られているのは1つの仮説、物語に過ぎないのだろうと思います。少なくとも、僕はこのジャンルの学問を詳しく勉強したわけではないので、この物語がどのくらい「定説」なのかはわかりません。

でも、十分に魅力的でした。

イロイロ面白いと思うところはありましたが、自分が一番オモシロイと思ったところを僕なりに表現すると、「人類はある種のアンチエイジングによって生き残り戦略に成功したと考えられる」ところです。

本書によれば全ての「人」に共通する道の祖先から、「人」は三つの方向に進化しました。古代人類、頑丈型人類、華奢型人類。

人類が人類となるために必要だったことはまず二つです。それは、足の親指の形態変化と飢餓への適応でした。

人類の足の親指つき方は猿と大きく異なります。これが、森林で足で木の枝をつかめなくする一方で、平地での二足歩行を容易にしました。そして同時に飢餓状態に適応するため、知能と社会性を発達させていったのでした。

アフリカにいた古代人類はなぜか絶滅します。

その後生き残った人類とされる「類人猿」には華奢型と頑丈型に分かれます。華奢型はあごが小さく、蛋白質などの食事を好み、大きな脳を持ちます。頑丈型は根茎、ナッツ等が食べられるような頑丈なあごを持ち、脳の大きさはそこそこ。一方で比較的なんでも食べられます。様々な食料供給が潤沢な場合は潤沢な場合はどちらでも生き残れます。

ある程度安定しているときは頑丈型が有利です。しかし、供給が極端に不安定になった時、安定供給を得るためには賢くなる必要がありました。しかし、大きな脳は出産の妨げとなります。様々な選択肢があるなか、華奢型人類は未熟な状態で子孫を出産する道を選んだ。生まれた後に脳がさらに大きくなります。しかし、体は未熟です。未熟な子供が生まれることは生物の自然選択から考えれば危険な道です。子孫を残すために、危険から守るために、育てるために、大きなエネルギーが必要になる。次世代に残せる子孫の数も限られます。

このようなリスクの代償として人類は1つの特殊形質を獲得します。そしてそれにより1つの発明をします。

特殊形質の名は、ネオテニー。

ネオテニーの日本語訳は「幼生成熟」と言います。つまり体に未熟なところを残したまま性的に成熟することを言います。ヒトの頭が大きいところ、体毛が少ないところなどは外見から見て猿の胎児によく似ていると言います。ただ、筆者が強調する人類ネオテニー説は外見の未熟性についてではありません。

この未熟な状態で生まれた人類は、ネオテニーと合わせて、自然界ではあり得ない、極めて長い幼少期を「発明」したことが、人類が生き延びる大きなポイントであったと筆者は主張するのです。これによって、人類は極めて長い間「学び続ける」ことができ、それを効率よく次世代に伝えることができるようになった。

なるほど。大人になっても「学べること」は、幼生成熟の体現であるのだな。そう言えば、学び続けている人には若々しい人が多いように思います。

学び続けることは1つのアンチエイジングにつながりそうな気がしました。

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