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素人的ニューヨーク再訪記 その2

通常このブログでは友人名はイニシャル、ニックネームなどで書いているけれど、この日の登場人物であるBigMan二人は実名で書かせていただいた。話は主として仕事のことだから。ちょっとした宣伝的意味合いも含めて。

FL君との再会から一夜明けて、NYC訪問の最大の口実が待ち受けていた。それはScott L. Friedman教授の表敬訪問だ。アポイントは前もってとっておいた。

僕は2001年12月から2005年8月までマンハッタンにあるマウントサイナイ医科大学のFriedman研究室に留学した。

留学して初めて挨拶に訪れたとき、直立不動の僕を見て教授は僕に語りかけた。

「きみの国の習慣は知っている。でもここは米国だ。ここではもっとリラックスしていい。今日から、きみの仕事はサイエンスだけではない。米国の文化、英語を学ぶこともきみの仕事だ。だから私のことをスコットと呼んでくれ。きみのことはなんて呼んだらいい?」

以来、僕はスコットからノブと呼ばれている。ニューヨークの有名和食レストランと同じ名前だ。

スコットは肝臓病の領域では大物の一人だ。慢性の肝臓病を長く患うと、肝臓が硬くなる。これを線維化と言う。1980年代くらいまでは、線維化の「線維」をつくるのは肝臓を「肝臓」として機能させている「肝細胞」だと思われていた。でも実はその間にいる星細胞という、肝細胞とは別の細胞が「線維」をつくるということがわかった。

この星細胞が線維をつくるということは、今では常識なのだけれど、スコットをはじめとする人たちの研究によって、過去の常識は今の常識に書き換えられた。そんな研究をやってきた人だ。スコットはこれまで数多くの賞を受賞し、2009年には米国肝臓学会の会長をつとめた。

でも、大変気さくな人柄で誰とでも偉ぶることなく話をする。研究室のミーティングで彼が言っていた。

「家族の中で兄貴はクレバーガイ。オレはグッドガイと呼ばれてたんだ。」

クレバーガイのお兄さんはロックフェラー大学の教授をしている。レプチンという肥満の原因遺伝子を発見し、毎年ノーベル賞候補に挙げられている。まったく、とんでもない兄弟だ。

そのスコットに
「招待講演をお願いしてきてほしい。」
と今の僕のボス、伊東教授から言われた。これが今回渡米の最大のミッションだ。

2年後の日本DDS学会の学術集会で会長を伊東教授がやることとなった。その関係でスコットに白羽の矢がたった。

ちなみに肝臓で線維をつくる星細胞は、伊東細胞という名も持っている。Friedman教授と伊東教授は浅からぬ縁で結ばれているらしい。その間を取り持つのが僕ならばそれは何とも光栄な役割を与えていただいたものだと思う。

そんなわけで、こころなしか、この日は朝から緊張気味。まぁ、箸を正しく使えて、普段のランチでも寿司を食べるくらい日本好きな人だし、無下に断るってことはないと思うけど、何しろ忙しい人だ。12月31日の夜まで働いている。スケジュールが空いていないかも知れない。

日本からは秘密兵器を持ってきた。これが奏効してくれることを祈って研究室に向かった。

建物の前まで来た。さて、どうやって中に入ろうか。こちらはセキュリティチェックが厳しいので、中には簡単に入れてもらえない。警備員にアポイントメントがあることを伝え、確認してもらわねばならない。昨晩改めて感じたが、今の僕の英語は我ながらひどいもんだ。もともとひどいだけでなく、耳も発音もさびつきまくっている。つくづく、言葉ってのは道具なんだなぁ、と思う。

それにしてもめんどくさいなぁ。

そんなことを思っていると、入り口で、 MBさんとばったりであった。当時一緒に働いた女医さんだ。彼女と一緒なら簡単に建物に入れる。すんなり11階の研究室へ。幸先いいぞ。

スコットの部屋の場所は以前と変わりないと聞いている。入り口で秘書さんに確認した。スコットはミーティング中だという。 この秘書さんは初対面だ。顔立ちからするとラテン系か、、、。

「もしかしてEさん?僕ノブって言うんだけど、、、。」

実は今でもフリードマン研究室の研究ミーティングの演題を毎週知らせてもらっている。そのメールの差し出し主がEさんだった。

「わぉ、私あなたの名前知ってる!初めまして!!」

急にフレンドリーな感じになって、ただ待つのも居心地が良くなった。

そこへ席を外していたLさんが戻ってきた。僕がいた頃から働いていたアフリカ系の秘書さん。すごく大きい。横方向に。彼女がとても懐かしげにビッグハグをしてくれた。

互いの子供達の成長を語り、つい最近のことのように思うけど、子供がそれだけ大きくなるんだもんね、随分時間が経ったんだね。なんて話をしていると、今度はそこに実験助手のMさんが通りかかった。

アフリカ系と中国系のハーフの彼女も僕がいた頃から働いている。彼女は働き始めた当時、英語が苦手だった。会話のスピードが僕と同レベルだったのでお互いよく話したものだった。満面の笑みで握手してくれた。英会話は圧倒的な差がついてしまったけれど、笑顔は以前のままだった。

Mさんはコーヒーを入れてくれた。なんかどんどん居心地が良くなっていく。

そんな感じで待っていると、いよいよドアがあいて、スコットが出てきた。

よく来たね。まずは研究室に行こう。

と、研究室を案内してくれた。机と実験台が並んでいる。基本的に当時と変わらない。一番大きく変わったのは壁に貼り付けられたパネルの数。スコットはメンバーが研究室を去る時、記念に名前入りのパネルを額に入れて贈呈してくれる。そして、その人が使っていたデスクの横の壁に同じパネルを貼っていく。僕がいた頃は各デスクに1〜2枚程度だった。今では片手で収まらないほどだ。

「お前のパネルもちゃんとここにあるぞ。今でもメンバーなんだ。」

そんなこと言われるとなんか感動しちゃうなぁ。出来の悪い僕なのに。

そして、研究室のメンバーに紹介してくれた。日本を含め、スペイン、オーストラリアなど、世界中から留学生がきている。殆どの人たちは一緒に働いたことはないけれど、学会などで顔をあわせて紹介してもらった人もいる。

スコットは僕を「ニューヨークベーグルと恋に堕ちた男」として紹介してくれた。確かにその通りではある。僕は毎日ベーグルばかり食べていた。一年のうち300日くらいはベーグルを食べていただろう。

以前の紹介文句は「キングコング松井のさよなら満塁ホームランを見逃した男」だった。研究室みんなでヤンキースタジアムに行った試合で、松井秀喜選手がサヨナラホームランを打った。その試合、子供連れだった僕たちは9回表に帰ってしまったのだった。それにしてもスコットはキングコングとゴジラの産地がわかっていないらしい。おたくの国にとっての舶来はゴジラでしょう?

一通り懐かしい研究室見て回り、スコットの部屋に戻って話し始めた。

とりあえずは近況報告。まずは仕事の話。そして現在、僕たちの聖マリアンナの研究室からスコットの研究室に現在留学中の仲間の仕事の話。大変頑張って仕事をしているらしい。スコットは満足してくれていた。紹介した僕としても嬉しかった。

そして家族の話。僕たちはスコット主催のパーティなどに家族連れで参加した。だから妻も息子も娘のこともスコットはよく知っている。1年ちょっと前にスコットが娘さん、息子さん、そのガールフレンドと4人で東京に来た時も、僕たち4人と食事をした。

そんなわけで、長男が今年の春に中学校に合格した話もした。

いよいよここで秘密兵器の出番だ。

実は今年の春、長男の合格祝いで九州旅行をした。その時、太宰府天満宮にお参りをしたのだけれど、そこでスコットの名前入りの塗り箸を作ってもらったのだ。それをお土産に持ってきた。学問の神さまを祭った神社のお土産だ。彼にはぴったりだと思っている。

スコットは大変喜んでくれた。部屋を出て秘書さん達に見せてまわるはしゃぎよう。そして丁寧に自室の棚に飾ってくれた。

しかし残念ながら、その時、太宰府天満宮とか、菅原道真とか、学問の神さまとかいったことはどうでも良くなっていたような気がする。 予習していったつもりなのだけれど、僕のたどたどしい説明なんかより「手作りの名前入り塗り箸」という事実の方が圧倒的にインパクトがあった。

もっと英語を勉強しないとなぁ、、、。

ここでようやく本題に入る。実は今のボス、伊東教授が2年後の日本DDS学会会長を務めるにあたり、特別講演をスコットにお願いしたいと言っている。了解していただけるだろうか。

「オーケイ。実は来年2回、日本に呼ばれているんだけれど、2年後7月のスケジュールを空けるからEさんにメールで知らせといてくれ。」

ありがたや、ありがたや。本題の話は1分で終わってしまった。その後、前出の同僚と仕事のディスカッションをした。彼の仕事も着実に前に進んでいた。興味深い結果もあり先が楽しみだ。

僕も、少しずつでもイイから、しっかりと前に進まないと行けない。そう思いつつ、肩の荷が軽くなったことを実感してFriedman研究室を後にしたのだった。

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