素人的ニューヨーク再訪記 その3 行けたところ、できたこと、行けなかったところ、できなかったこと
11月のセントラルパークは紅葉していた。こちらに住む人たちの話では、例年ほど鮮やかではないと言う。でも、やっぱりセントラルパークの風景は特別だ。大きな岩に登ってみたり、子供達が遊んだプレイグラウンドに入ると、記憶がフラッシュバックしてくる。
97丁目のセントラルパークの西側には僕たちの住んでいたVAUX CONDOMINIUMがかつてと同じように立っていた。その15階(13階がないので正確には14階)に僕たちは2年8ヶ月ほど住んでいた。建物の入り口から中をのぞくと、中に立っていたオバサンもかつてと同じだった。僕たちのことはもう覚えていないかも知れないけれど。
娘が生まれる数週間前、ニューヨークを大停電が襲った。丸二日近く、電気が止まってしまった。あの停電の日、ヒゲのドアマンのオジサンが、身重の妻を15階まで懐中電灯で道案内して連れて行ってくれた。彼も、また同じように仕事をしているのだろうか。
近くは再開発が進み、子供の誕生日祝いにヘリウムガスを入れた風船を買いにいった100円ショップみたいなお店はなくなって、新しい建物が建っていた。
セントラルパークの西側をもう少し南に80丁目くらいまで下るとアメリカ自然史博物館がある。僕たちが最も足しげく通ったところの一つだ。
アメリカ自然史博物館には折り紙部門というのがあるらしく、毎年、折り紙がツリーなどでフィーチャーされる。僕たちの部屋の大家さんはそのメンバーだと言っていた。
彼はユダヤ系の人だったけれど、折り紙の本も出していた。一冊もらったので見ながら作ってみようと思ったけど難しくてできなかった。僕は日本人だったよね?再確認したくなった。
アメリカ自然史博物館では数多くの動物の剥製を一年中見ることができる。月の石も展示されている。でも僕たちが一番通ったのは4階の化石のフロアだ。当時と比較してレイアウトは若干変わっていたし、メリルスストリープがナレーションをする進化についてのショートムービーは上映されていなかったけれど、そこにいる恐竜たちは基本的に何の変わりもなかった。ティラノサウルス、アロサウルス、ブロントサウルス、ステゴサウルス、トリケラトプス、プロトケラトプス、イグアノドン、パキケファロサウルス、ヴェロキラプトルなどなどなど。他にも翼竜、魚竜、巨大なほ乳類の化石もたっくさん。いやぁ、懐かしいねぇ、久しぶりだねぇ。子供達より僕が大興奮していた。予想されたことだけど。この博物館で、子供より親が興奮している親子連れはそう珍しくないと思う。
セントラルパークの南端まで降りていくと、その東側、5番街と59丁目の交わるところにアップルストアがある。iPhoneのネット接続を制限していた僕にとって、アップルストアのFree Wifiは有り難かった。
そのまま南に下って53丁目、5番街と6番街の間にはニューヨーク近代美術館(MoMA)。僕らがいた頃、2004年くらいまでは今のビルに建築中でMoMAはクイーンズにあった。そこでやっていたピカソ・マチス展は大人気で時間制のチケットを手に入れるのも大変だった。なんとか購入し、実験のスケジュールをやりくりして平日の昼間に見に行った。二人の天才の互いの影響を見ることができて、とても興味深かった。どんなに「独創的」に見えても、一から十まで「独創的」なんてものは多分ありえないんだね。そんなことを思ったのを覚えている。そう言う企画展だけでなく、常設展示にも教科書に載るような絵がずらりと並ぶ。ゴッホ、ダリ、ピカソ、マチス、モンドリアンなどなど。あぁ、やっぱりイイものはイイねぇ。じっくり鑑賞する余裕がないのが本当に残念だった。
51丁目にはロックフェラーセンターがある。毎年12月になると大きなクリスマスツリーが飾られる冬のマンハッタンの名所だ。この季節は毎年野外スケートリンクがオープンする。映画でも使われたりしている。娘がスケートを習っていることもあり、是非滑ろうとやってきた。理由はわからないけれど、その日は残念ながらクローズしていた。看板は出ていたのに、、、。しかたない。
マンハッタンの野外スケートはここだけではない。後2カ所。一カ所はセントラルパークのウォールマン・リンク。セントラルパークの東側、63丁目あたり。もう一カ所はブライアントパーク。こちらは僕たちがいた頃はやってなかった。多分。僕たちは空港に行く数十分前に時間を作ってウォールマンリンクでちょっとだけスケートを楽しんだ。もうここまで来るとほとんど意地ですね。
僕たちが帰ってからしばらくして、ブライアントパークのスケートリンクで発砲事件のニュースが飛び込んできた。いや、さすがニューヨーク、なんて感心している場合ではない。僕たちがいた時には何もなくて本当に良かった。海外旅行では特に注意が必要だと改めて思った。事件に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。
さらに南下してブロードウェイと42丁目の交差点がタイムズスクエア。子供がいると夜の愉しみはそれなりに制限されるけれど、ミュージカルなら演目を選べば家族で楽しめる。僕たちはオペラ座の怪人、WICKEDを楽しんだ。改めて英語を勉強しなければと強く感じさせられた。(今回の旅行はこればっかりだ。)
そして34丁目まで降りてくると6番街と7番街の間にデパートの老舗、MACY'sがある。時間がなかった僕たちはここの地下に降りてパンを買って食事とした。「老舗」って言ったって、子供達にはだだっ広いデパートでしかない。でも、エスカレーターに乗ったとき、「老舗」を驚きとともに実感していた。ここにはステップも手すりも木でできているエスカレーターがあるのだ。これは一見の価値があるような気がしている。ずっと壊れないでいてほしい。
そしてMACY’sを左手に見ながらグングンと東に向かって歩いていくと右側にそびえ立つのはEmpire State Building。
かつて展望台まで上がったとき、最上階でエレベーターがとまってしまった。ガタンと言ったまま、全然動かない。みんなが顔を見合わせざわついてきたとき、長男がドアの向こう側に光がみえることに気がついた。最終的にはドアの近くにいた僕を含む男性4人ほどでドアをこじ開けた。エレベーターは床から15センチくらい下がったところでとまっていた。それを見て、みんな慌てて降りたのだった。
今回はそのようなトラブルもなく、平日の夜だったこともあり、すんなり登ることができた。ロックフェラーセンターの展望台、TOP OF THE ROCKにも昼間にのぼったけれど、昼間はどこを見ているのかのオリエンテーションがつけやすい。でも、マンハッタンの夜景はまた格別だ。眼下のブロードウェイやタイムズスクエアの明かりからは人々の活力が光となって感じられるように思った。
さらに南にはワールドトレードセンターがある。かつてツインタワーがそびえ立っていたところだ。
スコットから僕の留学受け入れ承認の電子メールが届いたのは2001年9月7日金曜日だった。むちゃくちゃ喜んだ数日後、9月11日の惨劇が起こった。確かよる10時か11時ころ義父から電話が入った。
「ニューヨークが燃えてるぞ。」
その後、1ヶ月ほどはスコットとも連絡が取れなくなってしまった。
僕たちはそれから約3ヶ月後の12月に渡米した。まだ、心の傷が生々しい時だった。
だから、それを体験していない僕たちなんかがグラウンドゼロに近づいていいんだろうか?という気持ちがあった。でも一応New Yorkに住ませてもらってるし、亡くなった人を追悼するつもりで「グラウンドゼロ」を訪れた。曇天の寒い1月の週末だったと思う。
周囲のビルにはまだ黒こげのものもあり、その真ん中に巨大な空間がポカンと広がっていた。
見学のために作られた木製のステージが作られていて、見学者は並んで順番にその空間と対峙していった。みな言葉少なく、やけに静かだったような気がしている。
白木がむき出しのステージには思い思いの落書きがされていた。
I survived. So will the USA! Mark
という落書きが脳裏に焼きついている。マークさんは今でも何処かで頑張っていることだろう。
今はエンパイアステートビルより高い、新しい建物の建設が進んでいる。名前はワン・ワールド・トレード・センターというのだそうだ。
その南のバッテリーパークから僕たちは自由の女神のあるリバティアイランドにわたった。中に入るのには前もって予約しておく必要があるため、僕らは音声ツアーで外から見学をして帰ってきた。
2日ほどの間、僕たちはむさぼるようにニューヨークを堪能した。まだまだ、まだまだやりたいこと、行きたいところがあったけれど、これが精一杯だった。
やり残したこと、行きたかったところを備忘録的に記しておくとこんな感じ。
食べ物
Silver Moon Bakery : (Broadway 104丁目) :周辺のお店よりちょっと高いけど、 ここのパンは美味しい。デニッシュなどは絶品だと思う。もう一度食べたい。
Absolute Bagels : (Broadway 107丁目と108丁目の間) : スコットいちおしのベーグル屋さん。「もし本当にベストのベーグルを食べたいならここに行け」と言われた。是非一度。
Sarabeth’s : 最近日本にも出店している名店。ジャムも美味しい。初めてSarabeth’s`でランチを食べたとき、ハンバーガーを頼んだ。ビルディングみたいに背の高い、縦横比を間違えたような、漫画に出てくるようなハンバーガーが印象的だった。
Cosi : チェーン店。自家製パンがおいしい。
Le pan quotidian : こちらもチェーン店。僕たちがいた頃より随分多くなった。なんとか時間を見つけて店に飛び込み、ルバーブのジャムだけ買ってきた。一度ゆっくり座ってお茶したい。
Cafe laro : ユーガットメールで使われた喫茶店。ベタだけど、何度も行った。子供の誕生会のケーキもここで調達したことがある。予想よりだいぶ小さくて、パーティ直前にもう一個買いに行ったっけ。
Peter Luger steak house : 濃縮した赤み肉の旨味を感じ、アメリカのステーキもおいしいぞ、と思わせてくれた。ただブルックリンにあるのでとても足を伸ばすことはできなかった。
CUBA: (音が出ます): 一緒に働いていた友人のホーへ(Georgeをスペイン語読みするとそうなるらしい。本当かどうか確かめていないけど。)がサイドビジネスとしてやっているお店。研究室の送別会をここで開いていただいた。モヒートが秀逸。
Saigon grill : 当時大人気だったベトナム料理屋さん。安くて美味しくて量が多い。出前もやっていたので結構頻繁に食べていたと思う。今回、再訪する予定だったけれど、残念ながらしばらく前に閉店してしまったらしい。僕にとっては幻の名店。インターネット上のHPはまだ見られるようだ。復活を切に願う。
音楽:
子供と一緒だとなかなか難しいけれど、次に訪れる時にはこのどれか一つくらいには行きたい。
Smoke Jazz & Supper Club : (Broadway 105丁目と106丁目の間)勢いのある若者のセッションが楽しめる。最初に教えてくれたのはFL君だった。
Blue Note : ベタだけど、留学中に一番多く行ったのは結局ここだった。
Jazz at Lincoln Center/Dissy's Club:Wynton Marsalisが監修している。こけら落としのイベントでカサンドラ・ウイルソンを聞きにいって、2時間近く待たされたのがトラウマに近い記憶となって残っている。Jazzクラブというよりはコンサートホールの様な印象。
Carnegie Hall : ニューヨークフィルの本拠地Lincoln Center よりもずっと足しげく通った。僕たちが行った時は、土曜日午前中に翌週のチケットを10ドルで購入できた。ボストン交響楽団、ミュンヘン交響楽団、ロンドン交響楽団、ベルリンフィルなどを堪能できた。ウィーンフィルだけは売り切れだった。また、壁に貼ってあるアーティストたちの写真、サインには歴史を感じる。
それから、ニューヨークジャズフェスティバルでハービーハンコックを聞きに行ったとき、チケットを間違えて購入していたことが判明した。その時、座席のない僕たちに対する、支配人の粋な対応には今でも感謝している。
Lincoln center:お金と時間に余裕があれば、やっぱりメトロポリタンオペラも見たい。
美術;絵画鑑賞には、今回はMoMAしか行けなかった。MoMAも含め、本当は半日くらいかけてゆったり楽しみたい。
Guggenheim美術館 : 建物も秀逸。
Metropolitan美術館 : 巨大。半日でも足りない。中でも、エジプト館の青いカバ、ウイリアム君との面会を是非。ウイリアムは、メトロポリタン美術館のマスコットとなっている。マルファン症候群の原因遺伝子を発見したフランシスコ・ラミレッツ博士から、ミュージアムショップで売っているウイリアムのブックマークをいただいたのが、今の僕の物語の始まりだと思っている。だからその思い入れはとても強いのだ。
その他
Brooklyn bridge : 鋼製ワイヤーを用いた最初の吊り橋。Manhattanから歩いてBrooklynにわたれる。6月頃の天気のいい日にはとっても気持ちいい。そしてイーストリバー越しに眺めるマンハッタンは格別。
友人達との再会
本当に時間がなかったのに平日の昼間にもかかわらず、ちょっとだけでも会っていただいた方々には感謝の言葉もない。もっとゆっくり時間を取ってお会いできる日を楽しみにしております。
いろいろ並べてみて、改めて、思った。こんなにいっぱいできるわけないね。全部、再々訪の理由として、僕の中で、あらためて想いを熟成させていく事になるのだろう。
しかも、ニューヨークの魅力はこれだけじゃない。僕が全然ふれなかったところも、僕たちが全く経験していないところもまだまだたくさんある。今度は仕事がらみではなくもっとゆっくり訪れたいものだ。
あらためて、奥が深いぞニューヨーク。数日だけでは全く足りない。
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