学会後、男三人飯
大きな学会が終わった。僕は小さな発表を二つした。
毎年この季節は忙しい。でも学会に出席すると日常の仕事のプレッシャーからちょっとだけ解放される。会場で旧友と顔を合わせ、立ち話をしたりすることもある。すれ違いざまに挨拶をするだけでも、ちょっと懐かしい気持ちになる。
今回もそんなシーンが何度かあった。先輩には具体的な指導もいただいた。
「自分から一歩前に出て質問する」という積極性に関する自分の課題は昨年と変わらずで、進歩のなさに不満が残るけれど、全体としては、まぁ、勉強になったと思う。
その学会に僕が出席する予定の最終日、大先輩から食事のお誘いをいただいた。僕ともう1人の同僚と一緒に、三人で美味しいビストロに行きましょうと。
連れて行っていただいたのは白金台の「ルカンケ」。ガソリンスタンド横の小さな建物の階段を上がって中に入る。入り口は小さく、こじんまりとした感じ。ありふれた言葉で言えば「隠れ家的」。
大先輩とは20年ほど前に半年だけ一緒に働かせていただいた。長身、スリム、ダンディな外観は20年前と変わりない。聞けば30年前のスーツをいまだに着ることができるとのこと。素晴しい体型維持。あっという間に僕たちだけの世界ができ上がる。
三人で席について、まずいただいたのが、とてもよく冷えた、色の濃い、シャンパン。大先輩にお選びいただいた。名前は失念したけれど、果実のはっきりした香りが口の中で広がる。
先輩は美食家。一緒に働いたのは半年だけなのに、その半年間で何度も美味しいものをごちそうになった記憶がある。当時から痩せているのにとてもよくお食べになった。フレンチ大好き。
ジャガイモのペーストを焼き上げたものをつまみながらメニューを見せていただいた。この料理を選ぶのがまた楽しい。アラカルトでお願いすると一皿あたりのポーションは結構多いみたい。一人で、そう何皿も食べられない。
大分迷ったけれどなかなか選べない。こう言うところには、たまにしか来ないものだから、イロイロ食べたくなってしまう。煮込み系の料理にも美味しそうなものが沢山ある。黒板にチョークで書かれた、その日のおすすめ料理も捨て難い。
あれがイイ、これがイイ、と盛り上がりすぎて選べない。お店の人に悩みを相談すると「もしそうなら、シェフお任せのコース料理がおすすめです。」とのこと。メニューも楽しかったけれど、おすすめに従い、次に何が出てくるか楽しむのも良いでしょう。
と、結局おまかせコースをおねがいすることに。
最初に供されたのはサンマ。黒板に書いてあったおすすめの一つ。真ん中で一番エラそうにしているのはテリーヌ。上にキャビアまで乗っかってる。その両側に、露払いと太刀持ちのごとく、タタキとすり身がお皿に載っている。まずタタキから。うん。サンマだね。生タマネギのみじん切りとかが散らしてあってちょっと洋風だけど、サンマはサンマ。脂が乗っていておいしい。そしてテリーヌをちょっといただいた。テリーヌは型のなか全てがサンマ。輪切りにされた切り身が幾何学模様の様に型を埋め尽くしている。口に入れるとちょっと酸味と塩気があって脂の強さがよく抑えられている。大変美味しいじゃないですか。
ここでシャンパンを飲んで一休み。サンマの香りを果物の香りが全く不自然なくぬぐい去る。生っぽい魚と合わせると匂いがきつくなることもあるので嬉しい喜び。
そしてすり身。これは力強い。多分内臓も入っているのだろう。香りが強くてインパクトが強烈だ。しかも同様にシャンパンとの相性がいい。
その後残りのテリーヌ半分ほどをキャビアとともにいただいて、最後に、一緒に添えられていたマスカットと一緒にテリーヌを食べてみる。このマスカットとサンマのテリーヌの相性がまたまた大変よくて嬉しくなった。
「生ものとワインの相性は難しいですよねぇ、、、。これは美味しいですねぇ、、、。」
なんて話をしながら期待感が高まる。話題も盛り上がる。20年以上も前のことなのに、あそこに連れて行っていただいた、ここに連れて行っていただいたなんて昔話に花が咲く。
次の一品はアナゴのフライだった。渦巻き型に丸くまかれてフライになっている。衣にはなんとイカスミが使われていて真っ黒。黒と白の渦巻きが印象的。あっさりとしたアナゴの風味をイカスミのコクが力強く支えている。つけあわせのクスクスがエスニックな香りを立ち上げているが、それが良いアクセントとなっていた。確か、この一品はメニューにはなかった。おまかせにしなければお目にかかることはなかった。おまかせで良かったねぇ、そう思った。
この皿の途中でシャンパンが終わり、白ワインを頼むことに。白ワインは相談の上、コルトン・シャルルマーニュとあいなった。シャルルマーニュ大帝はイカスミのコクを難なく受け止めてくれた。まだまだ余裕がある。
次の一皿はフォアグラのポワレ。これもおすすめ料理のボードに載っていた。それに多分のマデラ酒ソース。トリュフがかかっている。卵の黄身とともに供された。非常に濃厚な豪速球。もうこれ以上はないという美味しさ。口の中に入ったフォアグラの脂とともに、僕のほっぺたまで溶けて落ちてしまいそう。このフォアグラを相手にシャルルマーニュ大帝が力を発揮する。りんごのようなフルーツの香りがフォアグラ、黄身、ソースの香りをさわやかに洗い流す。渾然とした残り香が何とも言えず心地よい。
いやいやここまでで前菜とは。ワインは二本目が終わりつつあり、かなりいい気分。頭の中でタイムスリップはすでに完了している。当時、大先輩に連れて行っていただいて一番印象的だったのはワインバーに行った時だった。大先輩が発表された研究会の打ち上げだった。
目の前にはメインディッシュの一皿目、クロムツのポワレが香りを立ち上げている。皮はカリカリ。ピンと立ち上がったヒレもカリカリと食べてしまった。身はしっとりしながら引き締まって美味。ここにキノコの煮込み。キノコの味が秋らしい。上には数枚のスライスされた松茸が添えられている。正直に言えば、松茸はいてくれなくても十分に美味しかった。もちろんいてくれて邪魔になったわけではないけれど。
シャルルマーニュ大帝にはここまで頑張っていただいた。キノコの香りにも負けなかったのはさすが。
20年前、あのワインバーでも同じ酒を飲んでいたような気がする(絶対違うけれど)。
あの研究会のあと、先輩の言葉はこうだった。
「僕の発表が症例数も一番少なかったしなぁ、、、。」
確かに大先輩の発表に比べ、他の施設からの発表は全て数倍の症例数だった。でも、僕はそれに反論した。
「他の先生の発表は全て多施設共同研究の結果ですから当然じゃないですか。100人近い患者さんを全て1人で診療して、細部までのデータを把握していたのは先生だけです。その発表が他と劣っているとは思いません。」
毎日1人で夜遅くまでデータと格闘されていただけに、数だけで優劣を語ることには納得がいかなかった。今から考えれば青臭さの残るコメントだ。学問として考えれば、数が少なくなれば誤差が大きくなる。当然の事だ。
あの頃の感情がふつふつとわき上がる。メインディッシュは牛タンの赤ワイン煮込みが登場する予定。この熱い気持ちと料理を受け止めてくれるのは、ナポレオンが好んだというジュヴレ・シャンベルタンでしょう。
なんて心の中で勝手に思い、大先輩に図々しくもジュヴレ・シャンベルタンをお願いした。
すると店側から残念な知らせが、、、。品切れ。かわりにニュイ・サン・ジョルジュ (プルミエクリュ、クロ・デ・グランド・ヴィーニュ)をお勧めいただいた。このワイン、最初はちょっと温度が低いかと思ったけれど、それでもグラスいっぱいの華やかな香りが広がっていきなり力強い。おぉ、これはいい。準備万端。
そしてメインデッシュが登場する。巨大で分厚いタンがたっぷりの赤ワインソースをかけられてジャガイモの上に鎮座ましましている。一列に並んだ付け合わせの野菜を従えての堂々たる存在感。口の中にいれると柔らかい肉の線維がさくっと感じられながら崩れていく。ほっぺたに広がる赤ワインソースの濃厚さと牛タンの舌触り、肉の風味がコントラストをなして、再びの豪速球。しかも今回は付け合わせの野菜と一緒にいただくと風味が変わり、変化球も楽しめる。
20年前のあの打ち上げの時の話は大先輩も覚えておられるようだった。印象深かったのは僕だけではなかったらしい。
あの時感じた、何百人もの患者さんをひとまとめにしてエラそうに語ることに対する違和感。あの時感じた「臨床医としては一人一人の患者さんを丁寧に診療することを忘れちゃいけない」という思い。
そして気がついた。今回の自分の発表でも似たような思いを改めて感じていた。自分の発表は腫瘍倍加時間に関するものだった。その大切さに気づかせてくれたのは、ある1人の患者さんの検査データだった。
僕が発表したセッションを席巻していたのは、お金のかかるビッグサイエンスだった。そう言う研究が実を結べば多くの人が救われるだろう。でも、そこからこぼれてしまう、例外的な患者さんは確実に存在する。その例外を切り捨ててしまうのであればそれは医学ではない。少なくとも臨床医学ではない。そう思う。
臨床における自分の立ち位置はあの頃から基本的に変わっていない。多分。それでイイ。多分。
そんなことを思いながら話に花が咲いていた。昔話以外に話す内容は、仕事の話、料理の話、物事に対する姿勢の話、家族の話などなどなど、、、。真面目と言えば真面目だけれど、とても愉しい、快適な時間だった。
気がつくとメインディッシュ一皿で、三人で三本目のワインもほぼ飲み終わっていた。
デザートにソルベとエスプレッソをいただいてクールダウン。
今と昔を行き来して、自分のよって立つところを感謝とともに見直せたような気がした。大切な時間をいただいた。
ごちそうさまでした。ありがとうございました。
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