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最初と最後の文字だけ合っていれば途中の順番はめちゃくちゃでも、大体ちゃんと読める。

むかしちょっと聞いたことがあるのをふと思い出しました。

「さいしょと さいごの もじだけ あっていれば、とちゅうの じゅんばんは めちゃくちゃでも だいたい ちゃんとよめる。」

だから、以下の文章もそれなりに読むことができます。

「さいしょと さいごの もじだけ あってれいば、とちゅうの じゅんばんは めちゃくちゃでも だいたい ちゃんとめよる。」

実は途中、二文字だけ順番が逆になっています。

かなり無理矢理だけれど、頑張って先入観を持って読めば以下も大体同じ文章に見えます。

「さいしょと さいごの もだじけ あってれいば、とちゅうの じんゅばんは めちくゃちゃでも だいたい ちんゃとめよる。」

これは多分表音文字ならではのことだろうと思います。文脈の中で次に出てくる単語を想像し、次に出て来る音(文字)を予想しているからでしょう。さらに斜め読みするときはもう一つ先くらいまで文字が視野に入っています。だから似たような文字が並んでいると、結構fuzzyに解釈してしまいます。ちょっとくらい順番が違っていても、それを乗り越えて先に進む事ができます。さらに先入観を持ってしまうと自分で勝手に「正しく」並べ替えてしまいます。気づかないことさえあります。

これは日本だけの事ではありません。

子供服メーカー「ミキハウス」の洋服は子供が小さい頃よく着せていました。ニューヨークにいた頃、日本で購入した「ミキハウス」を着ていると、デザインが目立つのか、町中で「かわいいね」と、よく声をかけられました。ただ、僕の記憶する限り、米国に滞在していた4年間近くの間、『Miki House』をちゃんと読んでもらったことがありません。

声をかけてくるヒトはみんな『Mickey Mouse』と読むのです。最初の『Mi』と最後の『ouse』、それと真中へんの『k』は確かに同じです。太字で丸く書かれた『H』は何となく『M』に似ているかもしれません。でも、違うでしょ。まったく。当時は自分の国の言葉くらい、ちゃんと読めよと思っていました。

僕たちの無意識的な情報処理はこの位いい加減なのだと思います。イイ点もあります。いちいち細かい所まで突き詰めなくても意思疎通ができます。通常はその方がずっと便利。


実は文字だけでなく、英会話でも、似たようなところがあると感じます。もうなくなってしまったけれど、ニューヨークにあった

『World Trade Center』

僕が渡米したのは、あの9.11からまだ3ヶ月ほどだったので、まだ記憶が生々しく、時々話題に出てきました。渡米したての僕には

ぁとれせんなっ』

と聞こえたものです。実際、早口でリズムをつけて似せると、そう発音して十分通じます。


『What time is it now?』



『掘った芋いじるな!』

と聞こえるというのはよく聞く話です。

どうも、彼らは、アクセントを伴ういくつかの音が予想どおり並ぶことで内容を頭の中で構築しているように感じます。日本語には子音のみの音なんてないけれど、英語には子音のみの音があります。恐らく、細かな子音はきっちり聞こえなくても意味を理解できるのでしょう。そりゃそうです。遠くから大声で叫んだりする時に、子音のみの音が聞こえなきゃ通じないんじゃ困ります。逆にそう言う音に全部母音がくっついて、リズム感なく

『ワールド・トレード・センター』

と言われると、聞きづらいのかもしれません。なにしろ、相手は

『ワー』

が始まった瞬間、

『とれせんなっ』

っていう音が続いて、ひとかたまりで意味を理解しているように感じます。なので別の音が出てくると混乱してしまうみたいです。別の音が出てきて通じなかった経験としてはフロリダのディズニーワールドがある場所、

『Orlando』

の発音もそうでした。これまた留学中、英会話の先生に

『「オーランド」に行くんだ。』

と言ったら全然通じません。

『オランダか?』

とか言われて。彼らは

『おぅらんどぅ』

という音を期待しているので、最初に

おーらんど」

と言われても、最初が違うんで全然通じなかったみたい。筆談でようやく通じました。

実は会話の文章もそう。なかなか通じないけれど、単なる発音だけの問題ではないと感じることがあります。たぶん、同様の理由があるのではないかと思います。

彼らの情報処理は、一つの単語が出てきたときに、彼らの頭の中では次に出てくる音が何通りか存在していて、その音のつながりによって内容の行く先が定まって行くイメージ。

文法的に正しいとしても、外国人の頭の中で構築された文章が、普段使われている文章と同じである可能性は極めて低いと想像されます。僕たちは彼らの予想するのと全く異なる音を発するので、彼らとしては、音を全て拾って単語を理解し、文法的なつながりを構築しなくてはいけないので、会話としては大変なエネルギーを必要とするようです。発音も悪いし。時々、

「自分たちはそう言う言い方はしないけど、お前の言うことは理解できる。」

とか気を使ってくれる人もいます。 多分理解するのが大変だったのでしょう。


僕たちは日々、文字や言葉によって様々な情報を交換していますが、その時には「予測」という作業が同時に行われているようです。定型的なものほど予測が的中するので簡単に情報のやりとりができます。

日常会話で頻繁に使うフレーズがいくつか頭に入っていると、会話が楽になります。それらのフレーズを用いる時、内容をいちいち解釈したり吟味したりはしていません。その情報のやりとりは何方かと言えば反射神経に近いものでしょう。

そこでは情報そのものも、細かい所まで一つ一つ検討するなんて必要はありません。多少検討が必要だとしても、ファジーな「こんな感じ」という解釈で物事は先に進みます。

また予測には「先入観」も大きく影響します。『Mi』で始まる2語で『ouse』で終わる言葉は『Mickey Mouse』のはずなのでしょう。普通の米国人にとっては他はほぼあり得ない。だから注意深く見ていくと、

「『Mickey Mouse』だとおもっていたら、本当は『Miki House』だったんですよ。」

ということが見えてくることがあります。「○○学」というのはそういう営みのように思います。

当たり前だと思っているところに、疑問符を立て、問題設定をして一つ一つ確認し、認識を新たにしていく。そういう作業を繰り返すことで学問っていうのは進歩していくものなのではないか、なんて思ったりするのです。でも、これって、僕程度の脳みそだと結構な時間が必要です。それなりに楽しいのですが、忙しくなると苦しくなったりできなくなったりします。

今日から9月になりました。一年も3分の2をすぎて、残り4ヶ月です。早いものだと思いますが、秋は学会シーズンで毎年忙しく、これからの2ー3ヶ月はもっと速く過ぎてしまいそうです。改めて考えてみると、ここ数年、10月ころになると忙しすぎることを愚痴る記事を書いているような気がします。

今年は学会以外の仕事も昨年に比べて圧倒的に増えていますが、今から備えをしっかりして、ネガティブな気持ちに落ち込むことなく乗り切りたいと思います。

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