6.患者さんの死から学ぶ 6
画家のSさんは肝細胞がんの疑いで転入院してこられた。高熱を出し、敗血症の合併が疑われていた。Sさんの入院された週の土曜日に、私たちは友人の送別会をかねた一泊の釣り旅行を計画していた。Sさんの状態は必ずしも良くないとは思っていたが、それまで友人が何回か計画してくれた年1回のレクリエーションには、患者さんの急変や米国から転入院してくる患者さんを受け取る手続き上の問題などで参加していなかったので、送別会だからと強行した。それに、私が幹事で目的地の地理には詳しかった。
翌日の早朝宿泊中の保養施設に病院から電話があった。深夜勤務の看護婦からで、Sさんが高熱を出し、付き添いの奥さんが不安がっておられること、当直医が処置してくれたので大丈夫であろうとの報告であった。私はこのままレクリエーションを続けるか、病院に帰るか迷った。結局、釣りの時間を半分にして帰ることにしたが、Sさんのことよりも、自分の立てた計画を優先したのであった。昼食後病院に電話を入れ、Sさんの比較的安定していることを確認して帰途についた。しかし、海岸線沿いの道路は海水浴客のために混雑し、病院に着いた時には午後6時を過ぎていた。午前中の釣りと、快晴の海岸線を車で走ったため、顔や腕は真っ赤に日に焼けてしまった。
病棟に着いた時には、Sさんは死亡されていた。当直医が家族に病状の説明と剖検の依頼をしているところであった。私も加わったが、悪いことをしたとの感じはぬぐい去れなかった。もちろん剖検の希望はかなえられなかった。家族、特に奥さんは主治医に看取られないでSさんが亡くなられたことの無念さを繰り返し主張された。
親の死、配偶者の死、子どもの死、兄弟の死などそれぞれ家族にとっては深刻なはじめての体験である。家族が身内の死を受け入れるためには、十分な医療を受けてきたことの他に、自らも満足のできる看病をした事実が必要なのである。私は、レクリエーションに出かける後ろめたさもあり、病状の説明が不十分となったこと、主治医が不在になることを話していなかったことが、奥さんを混乱させる原因となったと反省した。
さらには臨終に慣れてきた自分に危険を感じた。
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