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はじめに

 ターミナル・ケアはどうあるべきか、議論は常に理想論に傾きがちですが、私自身は今なお理想論を貫けないで終わる症例の少なくない現実が気になります。

 「がんの告知」の是非の議論も、理詰めで肯定論を展開する人と、人情論にこだわりケースバイケースを主張する人とに分かれます。私は常に肯定論を主張しておりますが、人情論に終わる症例の少なくない現実に後ろめたさを感じております。とくに進行がんの患者さんに対しては、診断が確定した段階では病名や病態、選択可能な治療法等を正確に説明するように努めるのですが、ターミナル・ケアの段階になりますと、時には家族の主張に押されて、患者さん本人との人間関係の流れから、肯定論の実践は尻つぼまりとなるのです。

 私は、ターミナル・ケアとは医療の中で最も受け身となる要素を持つ領域だと思っております。ひねくれた見方ですが、積極的なサポートを展開している事例報告をすばらしいと思う反面、このような環境下で患者さんは自分の人生を守ることができるのであろうかと不安を感じることもあるのです。

 ターミナル・ケアとは何なのでしょうか。多忙を理由に今年度から病棟での主治医から徐々に手を引くことにしましたが、これを契機にターミナル・ケアに関する自分の経験から一般論を引き出せないものかと筆をとってみました。しかし、過去の経験を文章にしていながら、なおその経験を理想論に近づける作業をしている自分に気づき、ここでも後ろめたさを感じました。ターミナル・ケアの魅力はわかったような気がいたします。王道は見えませんが、皆さまのご批判をいただければ幸いです。

1996年1月15日著者 岡﨑伸生

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