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2.1969年前後のターミナル・ケア ●「がんの告知」はしないが「死の宣告」をする

 医療の世界では、患者さんや家族に病名や病状の説明をすることを“ムンテラ”ということがある。ドイツ語のムントテラピー(Mundtherapie、Mund=口、Therapie=治療)を短縮したものである。好きになれない言葉であるが、がんの患者さんに良性で治る病気と説明することも“ムンテラ”である。がんの患者さんに偽りの病名を告げることは、すなわち、患者さんを死の不安から救うための治療行為の一つであると認識しているから、医者は患者さんに“うそ”の病名を伝えても良心の呵責を覚えない。それどころか患者さんが素直に納得してくれた時には、“ムンテラ”が成功したと安堵の胸をなで下ろすのであった。

 しかし、患者さんは長く病院に入院していると“ムンテラ”では覆い隠すことのできない現実を知ることになる。その一つに、入院している患者さんが死亡退院する時には、個室を経由するという現実があった。

 病院において、重症の患者さんは集中的な治療をする目的で、個室に収容する。当時も、個室には酸素吸入のための配管や、喉につまった喀痰などを吸引除去するための配管は用意されていた。末期状態にある重症の患者さんも、これらの設備がしばしば必要となるので、個室に収容される。しかし、最も大きな理由は、臨死患者さんを他の患者さんから隔離することにある。病気を治す病院において死は歓迎されることではないのである。しかし、最近では、臨死患者さんと家族とが密に接触できるようにとの配慮のもとに、病室に余裕があれば、早い時期から終末期がん患者さんに個室を利用してもらう病院も少なくない。

 国立がんセンター病院内科病棟のように、終末期がんの患者さんの治療をも分担する病院においては、個室に収容する必要のある患者さんは少なくなく、個室の患者さんは頻繁に入れ替わる。入院期間が長くなると患者さんは、末期重症の患者さんも個室に収容された後に、死亡して退院する事実を知るようになる。病名や、死が避けられない末期状態にあることを知らされていない患者さんであっても、個室に入ることを勧められると、死亡の時期が来たと認識することも少なくないと思われる。このような患者さんは個室行きを躊躇するのでわかる。がんの告知を受けている患者さんにおいては、自由度の高い療養生活ができるので、個室行きはむしろ歓迎されることが多い。

 1971年9月30日にHさんは「ここは個室だな」と一言いって、間もなく息を引き取られた。

 Hさんは肺の小細胞がんの肝臓転移で入院されていたが、「がんの告知」は受けていなかった。制がん剤療法が奏効して肺の原発巣ばかりではなく肝臓の転移巣も小さくなり、全身状態は著しく改善したが、不幸にして制がん剤の副作用と推定される肺線維症による呼吸不全で死亡された。入院期間は8カ月に及んだ。

 当時の国立がんセンター病院消化器内科病棟は50床で、2つの個室があった。この個室は病棟婦長の管理下にあり、婦長は病棟に入院している患者さん全体に目を配り、必要性の高い患者さんから個室に収容していった。入院期間の長かったHさんは、入院中に知り合った何人かの友人をこの個室で喪った。自分の病気の本質を知らないHさんも「個室にだけは入りたくない、あそこは死ぬ部屋だ」と、看護婦にもらしていた。

 Hさんが肺線維症による呼吸困難を訴えて重症になった時に、Hさんの日頃の言動を知っている看護婦は、個室への移動の時期に気を遣った。私も看護婦や家族と相談して、意識障害が明らかとなり判断能力がなくなったと診断された時点で、個室に移すことにした。それまでは2人部屋で過ごした。

 いよいよその時期が来たと判断した私は婦長や家族の意見も聞き、Hさんを個室に移すことにした。個室に移ったHさんは、しばらくしてから目を開けて周囲を見回し、呼吸困難にあえぎながら「ここは個室だな」と一言もらした。これがHさんの最後の言葉となった。私は個室移動の時期に関する判断を誤りHさんに悪いことをしたと反省した。

 この出来事は、忘れ去ることのできない記憶となり、時どき思い起こされていたが、ことの本質を強く認識したのは、何人かの「がんの告知」を体験してから後のことであった。Hさんには「がんの告知」を避けながら、より非人間的な方法で「死の宣告」をしていたのであった。

 先にも述べた通り、一般病棟における個室は病棟婦長の管理下にあった。病棟全体の患者さんの病気や、時々刻々に変化するその病態に目を配っている婦長は、治療をする上で個室管理の必要な患者さんや、死亡時期の近づいた患者さんに個室行きを勧めていた。後者は、病棟婦長にとって心理的な負担の大きな仕事の一つであった。ムンテラの苦労は大変なものであった。

 話は10年ほど後のことになるが、当時の消化器内科病棟婦長の藤本芳子さんに、患者さんに個室行きを勧めた時の反応を調べてもらったことがある。調査の対象とした当時の消化器内科病棟は42床で、個室は5床、調査期間中(7カ月間)39名の患者さんが個室を利用した。病名告知を受けていた患者さんは2名(5%)で、約80%の患者さんは終末期における病状悪化のために個室行きとなった。調査方法は一定の様式に従って作製された調査用紙に、婦長さんが患者さんに個室への移動を勧めた時から死亡するまでの患者さんの反応や言動を記録し、後に集計した(表1)。

 個室への移動を「あそこは死ぬ人の入る部屋だ」と拒否したり(17.9%)、勧めには従順に従ったが、その後家族、あるいは医者や看護婦等に別れの挨拶をした患者さん(12.8%)は合わせて30.7%になった。個室行きを死期の到来と受け取ったと推定される患者さんの割合である。すなわち、少なくとも30%の患者さんには、「がんの告知」を避けながら、間接的にではあるが死期の到来を知らせていたのである。

 それでも多くの場合、いろいろな理由をあげて、「死期の到来」を否定、「奥さんが毎日通うのは大変だから泊まってもらいましょうね」などとムンテをした。そして「早く良くなりましょうね」と患者さんを励ましていた。医者や看護婦の方針は「がんを知らせない」の一点では一貫していたので、ことの重大性には気づかなかったのであろう。「がんの告知」を避けて「死の宣告」をしていたのである。日本の終末期がん患者さんは貧しい医療環境の中で最期を迎えていたのである。もう少し個室がほしいと思った。

*藤本芳子、岡崎伸生:癌患者のターミナルケアに関する研究—重症隔離病棟おける死について、医療、39:546、1985.

表1:終末期がん患者に個室行きを勧めた時の反応

個室行きを勧めた時の反応症例数(%)
   拒否          7( 17.9)
   従順         17( 43.6)
  〔死を予感*〕    〔 5( 12.8)〕
   歓迎          5( 12.8)
   不明(意識障害のため) 9( 23.1)
   その他         1(  2.6)
   合計         39(100.0)
*個室に入ってからの言動より推測

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