4.1981年頃からのターミナル・ケア ●進行がん患者に対する「がん告知」の評価3
2)家族の評価
イギリスのロンドンの郊外ジデナムにシシリー・ソンダース先生がセント・クリフトファー・ホスピスを設立したのは1967年のことであった。日本においても1970年前後からターミナル・ケアに対する関心が高まり、死の臨床研究会が設立されたのは、1977年のことであった。1978年に出版された柏木哲夫先生の『死にゆく人々のケア、末期患者へのチームアプローチ』(医学書院)は、当時ターミナル・ケアのあり方について模索している医師や看護婦の良い指針となった。
国立がんセンター病院でも、水口公信先生の指導でモルフィンを用いた疼痛対策(ブロンプトン・カクテル)が始められたり、柿川房子婦長を中心に終末期がん患者の事例検討会が始められたのもこの頃であった。看護研究の質も向上した。国立がんセンター病院でターミナル・ケアを実践しようと、理想に胸を膨らませた新卒の看護婦が就職してくるようになったのもこの頃である。
臨床の医学会でも「がん告知」の問題が、しばしば主要な課題として取り上げられた。しかし、進行がん患者に対する病名告知に関しては、自分ならば知りたくないと主張される先生も多く、ケースバイケースといわれながらも、現実的には告知されることはむしろ稀であった。
私もがん告知に積極的になりつつある自分に多少の不安を持っていた。語調の強い同僚の反対意見に押されて口を閉じることもあった。したがって、進行がん患者に対するがん告知に関しては第三者の評価を受けたいと感じていた。
1980年頃のことと記憶しているが、国立がんセンター病院の特別室のみの病棟に勤務していた山田靖子婦長と山本ミサエ(現丸口ミサエ)さんから家族に対するアンケートの集計表を見せられた。ここでいうがん告知例には、民間の傷害保険の申告書の病名をたまたま見て知ってしまった患者さんや、知っていたのではないかと家族が推定していた患者さんも含まれているが、この病棟でのがん告知率の高いことに驚くとともに、アンケートの結果は少なくとも、がん告知を否定する根拠は何もないこと示していると理解して安心した。
表4に示すように、がん告知を受けた患者さんを看取った家族の85%は、患者さんの精神状態に変化がみられなかった(45%)か安定した状態(40%)で死を迎えたと観察していたのに対し、がん告知を受けていなかった患者さんの家族の59%は患者さんが死が近づくとともに不安興奮状態に陥っていたと観察していた。直接にがん告知の是非を問うた調査ではないが、このアンケートの結果はがん告知を受けた患者さんの方が安定した精神状態で終末期を過ごしていたことを示している。つまり、がん告知に対する家族の評価は、がん告知を肯定するものであったと理解することができる。
山本ミサエ、他:癌終末期医療の問題点—死亡患者家族へのアンケート調査より、看護学雑誌、47:415、1983.
表4 がん告知と終末期の精神状態
—遺族に対するアンケートより—
告知 症例数 終末期の精神状態
あり 20 変化なし 9(45%)
安定 8(40%)
積極的闘病 2(10%)
無回答 1( 5%)
なし 22 不安興奮 13(59%)
安定 7(32%)
無回答 2( 9%)
対象:1976.1から1981.4までに死亡退院した患者の遺族
回答率50%(53/106)
表中の42名の他11名から回答があったが告知の有無に関する記載がなかった。
(山本、他:看護学雑誌、47:415、1983)
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