4.1981年頃からのターミナル・ケア ●がん告知の実践
私は「がん告知のメリット」と、「無告知のデメリット」を強く感じるようになった。そして、がん告知に関して前向きの姿勢になり、入院の時点で、がん告知を意識したオリエンテーションをするようになった。後にも触れるように、日本においてもがん告知の問題や終末期医療に対する関心が急速に高まりつつある時代でもあった。
入院時に患者さんに対しては、
1.病気を正確に診断した上で、治療方針を立てたいと考えている。
2.診断のための検査が終了したら、その結果を患者さんに説明してから治療に入る。
3.疑問点があったら何でも質問してほしい。
と、暗に私に告知の意志のあることを伝えた。
家族に対しては、
1.病気に関係する問題は患者さんを中心に解決したいと考えている。
2.患者さん本人が「がんの告知」を希望すれば応じる用意がある。
3.検査結果が出そろったら患者さんに病名と治療方針の説明をするので、それまでに家族間で告知の問題について話し合い結論を出しておいてほしい。
と要請した。
すなわち、基本的には本人の希望と、家族の同意を告知の条件とした。ターミナル・ケアにおいては家族の協力が不可欠と考えていたからである、しかし、がん無告知のデメリットを経験するようになってからは、本人の希望があっても告知できなかった症例においては、再び質問を受けた時には真実を話すことができるよう、家族を説得した。さらに最近では、気心の知れた患者さんには直接本人に正しい病名を話すことも多くなっている。
表2は1987年に、必要があって進行がんの患者さんに対する病名の告知率の推移をまとめたものである。全例私が主治医として治療にあたり、不幸にして死の転帰をとった方々である。ただし、がんである病名は全例に正しく説明しているが、死が避けられない病態にあることは、必ずしも全例に説明したわけではない。
1981年頃よりがんの告知に前向きの姿勢になった推移をうかがい知ることができる。1987年1月より、1992年10月に茨城県立中央病院に移るまでは、毎年ほぼ70%の告知率であった。1987年は後に述べるように、日本癌学会においてがんの告知についての研究発表をした年であった。表2に示した告知率は既に述べたように進行がんの患者さんに対する告知率であるが、外科手術の可能な比較的早期のがん患者さんに対する告知率はもっと高かったと記憶している。
1980年代の日本におけるがん告知に関する一般的な傾向は、ケースバイケースとしながらも、現実的には早期がんの患者さんに対しても告知をしていない医師が大部分であった。国立がんセンター病院の吉森正喜先生が1986年に国立病院の消化器医長を対象として行ったアンケートによると、「原則として病名は知らせていない」との回答が89%であった。
有名な米国のノバックの報告がでたのは1979年のことであるが、米国では1961年の告知率は12%であったのに対し、1977年には告知率が98%になっていたと記載されている。米国におけるがん告知率の高い理由には、患者さん個人の基本的人権を尊重する思想が基盤にあり、生活習慣の差のみでは説明できないと感じた。
*Novak,H.D.,et al:Changes in physicians’ attitude toward telling the cancer patient. JAMA, 241:897,1979.
表2 進行がん患者に対するがん告知患者数の推移
年代 総死亡患者数 がん告知患者数 告知率
1969〜1980 213 4 2%
1981〜1983 45 8 18%
1984〜1986 40 15 18%
1987〜 10 7 70%
全例著者が主治医として治療した症例(1987年9月30日作成)
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