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あきらめの悪い僕

べつに何を、と言うことはないけれど、最近、徒然なるままに思うこと。

「あきらめる」とは何ぞや。

辞書によると、「あきらめ」は『断念』とか『思い切り』という言葉に置き換えられるらしい。

もともとは仏教語からきた言葉で、『明らめる』=『明らかにする』ということだそうだ。

漢字では「明らめる」ではなく、「諦める」と書く。

仏教で『諦(たい)』は真理を意味するらしい。『諦』を明らかにするのが、「諦める」と言うこと。

つまり、「諦める」とは、物事をはっきりと見極め、真実を明らかにし、断念することだということになる。

不可能であることが明らかになれば、断念せざるを得ない。

そりゃそうだ。

けれども、『真理』=『不可能』なのだろうか。

悟りを開いた仏様にはそう思われたのだろう。

生臭い僕は、まだ青臭い希望を持っている。『真理』のなかに『可能性』を見たいと。

そのために明らかにしたいと思う。

何を?

恥ずかしながら、実は、それがわからない。

目の前の仕事、さまざまな物事に希望や興味を持ち、没入し、もがいていれば何かがみえてくるのではないか。そう思ってもがいてきた。いまだにもがいている。結構苦しかったりもする。

物事をはっきり見極められない、明らかにできていない、だから「諦められない」のかもしれない。まだ光は見えない。トンネルは当分続きそうだ。

ただ、僕はこれをあまり悲観的にとらえていない。「明らか」になれば、「光」が「可能性」がみえてくると思っているから。

「可能性」

それがどういうものだかわからないけど、本当に見えると思えたらどんなに嬉しいことだろう。

一方で、もがき続けたその結果として「不可能性」が明らかとなり「諦める」ことになるかもしれない。

それでも悲観的な気持ちになることはない。なぜなら、それならそれで受け入れることができると思うから。

あまりヒトの事を言うのは好きではないけれど、最近は「はっきり見極められない」=「無理」と判断し、すぐに諦めてしまう事例が多い気がする。

政治のニュースを見ていても、政治家の議論はスローガン比べをしているだけの様にみえる。話題になりそうなスローガン、勝てそうなスローガンのもとに人々があわてて集まっていく。

意見の違う人たちが頭を寄せあって、粘り強い努力の結果、より多くの人々にとって最善となる知恵を絞り出すといった方向性は全くみえてこない。

風を読み、いかに素早くなびいて時流に乗るか。そんなことにエネルギーが費やされている。いつまでたっても議論が深まることはない。

明らかに実現可能なもの、良い結果が得られるとわかっているものしか頑張らない。悪い結果には後だしジャンケンで責任転嫁。

そんな姿勢だから、思ったとおりの結果にならなかった時、後悔し、諦められないのではないだろうか。

その後悔がまた軽薄な議論に拍車をかける。

諦められるためには、真理を求めるための真摯な努力が必要なのだ。

なんてね。

そんな事を考えて、わけもわからず毎日もがいている自分を正当化する。そんな僕がここにいる。

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