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悪魔はね、年寄りなんです。だから年寄りにならないと悪魔の言葉はわかりませんよ。 ーファウストー

いや、そんな大した話じゃないんですけど、、、、。

学生のカリキュラムについての会議に出席して思いだしました。

しばらく前に、医師国家試験予備校講師の先生の授業を受けた時のことです。

学生さんたちも沢山出席していました。ちまたでは評判の人気講師だそうです。

まず最初に血液中の尿酸値を下げるの薬を例に出して講義が始まりました。

尿酸の代謝経路をザックリと説明し、病態生理に上手にはめ込みます。すると国家試験の問題をサクッと解けます。

出題者の意図を理解した説明も明快です。

授業はテクニカルに上手だと思いました。声の抑揚、話題の持って行き方、ご自身のキャラクターとその売り込み方を良くご存知です。

何に依拠するのか僕にはわかりませんでしたが、カリスマ性もあるようで、学生は引き込まれている様子です。

ただ、コメントに気になるところがありました。

尿酸の代謝経路を明快に説明したときです。

明快にするため、細かいところは省略されます。その時、正確な文言は忘れましたが、

「君たちは『細かいところ』を学ぶ必要はない」

「ここだけ覚えておけばいい」

「試験に出るのはここだから」

かくのごとくのコメントでした。

これは学生には嬉しいコメントです。たぶん。『ポイント』がわかりやすい。得点に結びつきます。国家試験合格に近づける感じがするのでしょう。

テストで「点を取りにいく」時、枝葉の知識は必要ありません。むしろ邪魔です。

でも、本当にそれで良いのでしょうか、、、。

国家試験合格は目標でなく、通過点であるべきだと思うのです。国家試験合格後、受験勉強のためにはしょられた知識を、彼らはどう扱うのでしょうか、、、。

『良い』とする考え方からは、以下の様な答えが出てくるように思います。

「国家試験合格後」には必要となるかもしれませんね。でも、今は必要ないんです。そんなのまで、ゴチャゴチャ説明していたら分かりにくいでしょ?当面必要ないなら、とばしちゃった方が効率よく勉強できるし、全体像も見えやすし、国家試験の点数も伸びますよ、、、。
ずっと必要ないかもしれないし。なら、必要になったときに勉強すればイイじゃないですか。
医師国家試験を合格して医師免許を取得しても、臨床医として働くためには、その後に臨床研修を受けることが義務づけられています。
研修しながら、必要となった時に、実地の仕事の中で身につければイイじゃないですか。まずは大筋、幹となるポイントを学生さんにつかんでもらいましょうよ。

いいと思うんです。それで。試験ですから。合格しないと、その先ないですから。

ちゃんと準備することは絶対的に必要です。

ただ、それで100%良いか、素晴らしいか、、、というと、僕にはそう思えません。

中学入試、高校入試、大学入試ならそれでイイと思います。そう言う整理されたものだけ勉強すれば。

入学試験ですから。試験範囲も決まっていますから。そして合格した人たちはこれからさらに勉強する予定ですから。

でも、医師を目指す人がそこにゴールをおいていいんですか?たとえ「とりあえず」であったとしても、それだけで良いんですか?

今の制度では、医師国家試験合格後、臨床研修をすませれば、その後は「一人前の医者」として仕事をしていくことができます。学校に行かなくても大丈夫。

専門医試験とかありますけど、じゃぁ、それをとればそれで終わり?。

今の医療と同じ医療を未来永劫ずっと続けていけばイイ、、、というのであれば、それで良いでしょう。

でも、違いますよね。学問は進歩します。医学も進歩します。
僕たちは免許を取った後も勉強を続けなければならないのです。みんな進歩についていかねばなりません。だから専門医には更新制度があります。

その勉強は受験勉強とは異なります。大切な知識、そうでない知識、ポイントとなる知識が最初から整理されて定食のように提供されるわけではありません。

進歩的な知識は玉石混交で、体系化されていないことも多々あります。なかにはガセネタもあるでしょう。それを自分で消化して、自分の中に位置づけて、体系化していかねばなりません。

ソコまでして初めて、目的に応じた「ポイント」を適切に抽出できるのだと思います。

さらに、「患者さんから学ぶ」なんてことが良く言われますが、そういった知識、経験の習得にはさらにまた別の方法論が必要となるかと思います。

加えて、可能であれば主体的に情報発信できるようになってほしい。自分もそうありたいと思っています。

本当は、そんな作業(学び)が大切なんじゃないか、、、そんなことを思っています。

医学部を卒業した後、さまざまな環境で研修を受けることが可能になった今だからこそ、大学にいる間にそんな事を学んでおくべきではないでしょうか。

国家試験対策ではしょられた「細かいところ」を証明するために一生をかけて仕事をしている人達がいる、そんなところが大学でもあると思うのです。

そんな事を教えるべき(一緒に学ぶべき)ではないでしょうか。

たとえ医師国家試験が控えていて、それに合格させなくてはいけないという至上命令があっても。

高い授業料を支払っていただいていても。

いや、高い授業料を払っていただいているからこそ、そんな入学試験と同じレベルの授業をやってはいけないのだと思います。

僕が学生時代に受けた講義の中で、もっとも印象に残った授業は、アフリカにハエを捕りにいった話を延々と、楽しそうにはなされたものでした。

その先生は

「教育とは教えることではなく、刺激することである。」

と言われました。

僕たちを刺激するため、ご自身の一番楽しい話を披露して下さったのだと思います。ごく一部の学生だけかもしれませんが、たしかに刺激されていたように思います。

試験も大切です。落ちちゃったら何も始まりません。キレイゴトだけではやっていけないのでしょう。

でも、キレイゴトを言う人間が1人くらいいてもいいのかなと思ったりしています。

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