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先週末、人生2度目の歌舞伎観劇でした。スーパー歌舞伎。とても良い体験でした。

先週末、人生2度目の歌舞伎観劇でした。スーパー歌舞伎。とても良い体験でした。

歌舞伎なんて、高校生の時、授業で見に行った記憶がうっすらとある位。

同級生に「じゅんやくん」っていう、歌舞伎好きの人がいて、「なんとか屋!」ってかけ声をかけてましたっけ。「変なヤツ」なんて思ってました。

あの頃は学校のやる事なす事に反発していました。授業態度も悪かったですね。

古文の授業で先生にさされた時、立ち上がって、
「古文は爆発だ!」

と答えたことがありました。先生の質問とはまったく関係なく。

言うまでもなく、当時はやっていた岡本太郎のコマーシャル

「芸術は爆発だ!」

をまねたものでした。

友人には笑ってくれた人もいたと記憶していますが、先生には教科書のカドで頭をぶん殴られました。なんでそんなつまらない事をしたのか、今となっては自分でも理解不能です。アホウ以外の何者でもありません。

歌舞伎も

「古文」+「マニアック」=「理解不能」

と、自分で勝手に答えを出していました。

歌舞伎なんて、古く凝り固まったホコリ臭い過去の遺物にちがいない。そんな勝手なイメージでした。

ですから、高校の歌舞伎観劇で何を観たかなんて、全然覚えていません。

今回は市川中車、市川團子の襲名披露ということで見に行く事になりました。スーパー歌舞伎なら大丈夫ってことで、子どもたちも一緒に。

難しそうだなぁ、、、。3時間以上もかかるみたい。子どもたち、寝ちゃうんじゃなかろうか?なんて思いながら見に行きました。

結果的に、予想は見事に裏切られました。子どもたちも大変楽しんでいました。

凝り固まっていたのは僕でした。

こりゃすごい。ただものではない。古典も観てみたい。

本当に、そう思いました。(少なくともその時は。)

まずは四代目市川猿之助さん、九代目市川中車さんの心のこもったはじめの口上に感動しました。

「襲名」とは過去の業績を受けつぎ、自分の命を吹き込んで、生き生きとした伝統を次の時代へ継承することで、責任を果たす事に他ならない。そんな強い精神性を感じました。

そして中車さんについて、猿之助さんが暖かくも厳しい言葉をかけながら紹介します。

そのなかで、

「前例がなければ、つくればいいんです。」

という、毅然たる言葉がありました。そうだよね。その通りです。

でも、僕などが軽々しく同意できない位の、並大抵でない勇気と決意なのだと思います。それが、表情、言葉、空気から伝わりました。厳しい芸事の世界で、とてつもない事を言っているのだ、そう感じ、思わず背筋が伸びました。

さて、本編のスーパー歌舞伎。

僕の演劇鑑賞経験なんて、ほんとに浅はかです。大学時代にアングラ演劇を観に、劇場通いをちょっとしたことがある程度。前述のとおり、歌舞伎をまともに観た経験はほぼゼロ。知識だって、街角インタビューをされたら、お茶の間の笑い者になる位しか持ち合わせていません。

ヤマトタケル、ストーリーくらい予習しておけば良かったかなぁ、、、なんて後悔しても時既に遅し、、、。

そんな僕でも楽しめました。ここから先は僕の浅はかな解釈です。

(感想を書くのに、これほど言い訳をしないと恥ずかしくて書けません、それ程浅はかだと自覚していると言う事です。ご容赦ください。)

言葉は現代語だし、演出も現代風。そして豪華絢爛。その中に、確かに僕でも歌舞伎らしいと思える節回しや、見得などがちりばめられています。「早変わり」もマジックみたいでした。また、燃えさかる炎を、体を使って表現する演出は、圧巻の迫力でした。

最初から最後まで、体で演じる「生々しさ」に釘付けでした。

加えて、さまざまなメッセージが織り込まれていると感じました。

ヤマトタケルは父と子の物語です。現実と重なります。ちょっとリアルに重なりすぎる感じもしましたが、物語はそれだけではありませんでした。原作者の梅原猛らしいストーリーが息づいています。

新しき文明を率先してとりいれたヤマトの国が、野蛮な辺境の地を征伐してゆきます。

新しきものを取り入れるのが時代の流れです。その良いところは確実に存在します。恐らく、古き良き日本も、それをすべて否定していたわけではありませんでした。

ただ、彼らは、新しさにより、大切なものが見えなくなってしまうことに気づいていました。辺境の野蛮とされていた、熊襲、蝦夷。征伐される側の彼らが否定していたのは、うそ、偽りでした。

政治、文明社会の腐敗の対局として、こころから湧き出る言葉、絆、情の大切さが表現されていました。

そこに、出演者の真剣勝負の気迫が加わります。物語の後半に、

「金、名誉など世俗的なものではなく、もっと大きなものを目指して来たような気がする。それが何かは私にもわからない。」

そんなセリフがありました。

それをどう聞くかは人それぞれでしょう。けれど、あの張りつめた空気のなかには確かに「もっと大きなもの」があったような気がします。

少なくともその片鱗に触れた気がしたから感動したのだと思います。

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