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機械みたいな朝、部品みたいな僕

前回、自転車通勤をしない日の話を書きました。

後から思ったのですが、なんて正確なんでしょう。

僕の電車・バス通勤における朝の行動を時間を追って書くとこのようになります。

7時    家を出ます。(ここが一番不正確)

7時13分 電車に乗ります。

7時16分 乗り換えます

7時19分 電車をおります。

改札口を出て一目散に走り出します。(以前はバスが停留所から発射するのを改札口近くの階段から確認し、それから走り出しました。この確認する時間が長いと信号を一つ逃してしまい、目的のバスに乗れなくなってしまいます。)

駅を出て右方向に走ります。突き当たりを左折。バス通りにぶつかると、信号があります。これがうまくいけば大抵青信号。バス停は右折方向なので、通りの反対側にわたります。進行方向の信号が青になるまで、しばし呼吸を整えます。

この時、バスは一つ手前の信号で停車しています。

進行方向が青になったら目的のバス停までダッシュ。

これで一台前のバスに乗ることができます。

最初の青信号に間に合わなければ、まず、このバスに乗ることはできません。

このバスに乗るとだいたい7時38分頃医大下のバス停につきます。 すると7時45分には、机に座って仕事前に一息つくことができます。

すごいですね。電車、信号、バスが数十秒の範囲で正確に運行されているのです。それに合わせるように僕も走っちゃったりして。

日本の電車が時間厳守なのは有名ですが、バスも(少なくとも始発からの出発時間は)正確なのですね。加えて、信号も毎日殆ど同じ時間でにかわるんですね。ほぼ24時間周期。

僕もその整然たる秩序に加わるのが快感だったりして。

恐らく、毎朝この時間、首都圏近郊は同じような正確さで、電車、バスが動きだし、信号が点滅し、ヒトが流れ、同じような正確さでビジネスが始まるのでしょう。

まるで都市全体が、24時間周期の時計仕掛けで動く、精巧な機械のようです。

朝の出勤時はそれを実感します。

逆に機械の部品を擬人化してみれば、機械の構成要素一つ一つが独自の意志を持つことはありません。

己の有り様について疑問を持たず、ただひたすらに己の役割を果たすことが「良い部品」としての要件です。

ヒトは部品ではないのですが、社会を機械に例え、ヒトを歯車に例える比喩はよく使われます。

一つの「構成要素」で「役割」を持つという観点からは共通するものがあるのでしょう。

異論もありましょうが、世の中はそれによって秩序が保たれる、そう言う側面は確実に存在します。部品がその役割を超えて働くわけにはいきません。

そして、部品が部品として、役割を果たす快感もまた、確実に存在します。

ただ、やっぱり、僕は、部品でありながら、自分の仕事に自分らしさの爪痕をどこかに刻み込んでいきたいと、日々思うのです。

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