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「治療」は「自然史の修飾」だと思う。

先日、患者さんから質問されました。

治療についてどういう考えを持っているのかと。

いろいろな考え方がありましょうが、僕は治療は「自然史の修飾」だと思っています。

一例を挙げて説明します。

「肝硬変」という病気の患者さんについて、僕が学生時代に習ったことと、今一般に言われていることは大きく変わりました。

今、学生さんに

『慢性肝炎』→

と書いて質問すると

『慢性肝炎』→『肝硬変』

と答えます。

『慢性肝炎』→『肝硬変』→

と書くと

『慢性肝炎』→『肝硬変』→『肝(細胞)癌』

と答えます。学生さんがここまでくる確率はほぼ100%です。

今はマスコミ報道の影響もあり、医療関係者ならずとも同様に答える方は多いのではないでしょうか。

実際のところ、大きく間違ってはいないと思います。でも、

『慢性肝炎』→『肝硬変』→

の答えはそれだけではないのです。

そして、学生さんからは他の答えが出てこないことが多々あります。

僕が学生の頃、答えは『肝細胞癌』『消化管出血』『肝不全』の三つが並列に並んでいました。

たった2−30年で病気が変わるわけではありません。同じはずです。今だって肝硬変の患者さんが消化管出血や肝不全につらい思いをされることはあります。

ではなぜ、後ろの二つが出てきにくくなったのでしょう。

僕は、診断とその診断に見合う治療が進歩したからだと考えています。その進歩はまだまだ十分とは言えませんが。

医療の進歩の結果、命を脅かすものとして最もコントロールのしづらい『癌』がクローズアップされる事になってきた。そして、それがマスコミなどで広く喧伝され、そのイメージが強くなった。一般の方々に比して、医学、医療に関連するニュースへの意識が比較的高いと思われる医学生もその影響を受けた。

その結果、癌以外の答えが出てきにくくなっているのではないでしょうか。

医学生から『消化管出血』『肝不全』といった答えが出にくくなった理由は、そういうことだと僕は理解しています。

自然に『慢性肝炎』→『肝硬変』→『肝細胞癌』という流れだけが大きなものとなってきた、という訳ではありません。

常日頃から医療者と患者さんが、『消化管出血』『肝不全』を予防すべく治療を日々行っているからそうなっているのです。

当然、『癌』についてもやっていますが、『消化管出血』『肝不全』では、その効果がより顕著に表れているのだと思います。

この努力を怠れば、状況は今でも『肝細胞癌』『消化管出血』『肝不全』が並列にならんでいるはずなのです。

これが治療を「修飾」と考える実例の一つです。

僕たちは「病気の自然史」を知るべきなのです。何もしないでいるとどうなってしまうのか。多くの場合、過去の知見があるはずです。そして、そこで予想される望ましくない事態を避けるべく診断・治療を行っていかねばなりません。

残念ながらどれも完全におさえることは難しいですし、肝硬変が治るというのも大変難しいことです。

加えて、もしこれらを全て克服できたとしても、不老不死になるわけではありません。

この点で、医学、医療は人の命を救うことを目的とするものではないと思っています。

結果として人の命を救う事があっても、それは一時的な結果であって、一般論として語る場合、「命を救う事」は医療の第一目標ではないと考えます。

僕は『より良い「生」を提供すること』を一般的な目標として掲げたいと思います。救命救急だって、それを目的としてやっているのだと思っています。

内科的な病気に関して考えれば、これから、生活習慣病を代表とする慢性疾患の患者さんが増えていくと思います。この時、疾患に対する考え方、立ち位置が風邪と同じであってはなりません。

「治す」のではなく、「コントロールする」姿勢で病気と向き合わねばならないと思います。これが、僕が医療を「修飾」と考える根拠です。

このブログでも何度か紹介している

『時に癒し、しばしば支え、常になぐさむ』

という言葉に象徴される意味合いは時を超えるものだと思っています。

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