『偽善の医療』 あっという間に読んでしまいました。筆者は白い巨塔の???
確固たる自分の診療スタイルを確立したベラんメェ医者が、現代医療の浅薄な風潮を立て板に水のごとく喝破する、という趣向の一冊です。
このため、「◯◯だって?えっ?冗談じゃないよ、お前さん。」と言った論調で話が進みます。最初に槍玉に挙げられるのは『患者さま』という呼び方。
僕も『患者さま』と言う呼称はあまり使いませんが、まぁ、本書では、
『そんな言葉づかいを強要されるくらいなら、いつでも医者を辞めてやる。部下にもそんな言葉づかいは絶対にさせない!』
という位の勢いです。ネット上なんかで人気のある文章に共通した歯切れの良さがあります。
優柔不断であいまいな僕には、ここまで潔く話をすることができません。
この勢いや雰囲気は筆者の口語調の言葉づかいによって演出されます。ぶっきらぼうでカミナリ親父的。でもこれは確信犯。筆者が本音を語ろうとするとき、それを印象付ける目的でやっています。
この文章を書かれた方が、普段からそのような言葉づかいをしているのでない事は、文章の端はしからわかります。
筆者は、どちらかと言うと、臨床的には、ちょっとつむじ曲がりな昔風の医者で、ご自身の目指している方向性は、おそらく、あかひげ的な医術と、サイエンティフィックな医学の両立なのではなかろうかと想像します。
実際、読み進めるに従って、最初のベラんメェ調は徐々に冷静な口調に置き換えられていきます。そして、威勢良く始まった、現代医療事情批判は最後に、缶コーヒーをめぐる、ちょっとジンとくる小さな物語で幕を閉じます。
本書の主張は単なる現代医療事情批判ではないと思います。
医療において、『患者さま』と言う呼称や、癌の病名告知の問題に代表されるような、過去に行われていた医療とは異なる価値観が現れ、(時として無理矢理に)スタンダードとなることがあります。
その時、過去の価値観を必死になって造って来た先輩方の深い考えが容易に忘れ去られます。そのような自覚もないままに、ただ表面的な流れに追従し、それで良しとする姿勢を、筆者は批判しているのだと思います。
著者名は、と見ると、「里見清一」となっています。白い巨塔の里見先生って、こんな役柄ではなかったような気がするのですが、、、『里見先生の心の声?』と思って読んでみるとまた違った意味で面白いかもしれません。
作品の解釈にもイロイロあるようです。
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偽善の医療 (新潮新書)
著者:里見 清一 |
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