情報革命のおかげで、世間に流布している情報はふえたけど、情報の質が高くなったわけではない。そこに革命はまだおこっていないと思う。
震災後、原発事故もおこり、この2ヶ月というもの、マスコミの流す情報に翻弄されている感がある。間違った情報に惑わされないようにしよう、、、。言うのは簡単だけれど、実際は難しい。不安をあおるような情報ほど、感情に訴えるからだ。
情報革命により一般の人々がアクセス可能な情報量は格段に多くなった。でも、情報量の増加と情報の質の向上は別のものだ。一般的に言えば、量が増えると質が低下する事が多い。。
人々は質の高い情報を求めている。かつて、情報の少ない時代は活字になるだけで質が高い情報であるかのようだった。数字で、表で、計算式やグラフで示されると、質が高いように思えてしまう。そして大手のマスコミから報道される情報は質の高いものだと思われてきた。
でも、実は必ずしもそうではなかった。だからみんな情報の中で右往左往している。
質の高い情報を提供しているように見える簡単な方法、それは、とりあえず批判的な態度で揚げ足をとるような批判をすることだ。これは易しい。現状はそんな安易な方向に流れているように思う。視聴率やインパクトを求め、クレイマー的視点に定型化した報道が、冷静な評価を受ける事もなく、ただひたすらに目の前を流れ去っていく、そんな印象をうける。
(今でもそうかもしれないが)かつて、テレビなどで解説をする人たちに、A社、B社、C社の新聞記事に全て目を通し、それをみて記事内容や情報の位置づけを確認している人たちがいた。なぜそんな事が必要だったのか。僕なりに考えてみれば、やはり、各社の情報提供にばらつきがあったからだろう。比較する事により、報道されている内容の確認が出来る。そしてその情報が全く同じであったとして、複数の立ち位置、視点を参考にすることにより自分の意見をまとめることができる。今はその手法を朝の番組などが取り入れたりしている。
『街場のメディア論』で内田樹氏は、情報に触れるという事に関しては大衆よりも圧倒的に優位で圧倒的に多くの情報に触れているはずのメディアには、大衆を導く意識が必要なのではないかと主張していた。
先の各社報道を検証して解説してくれる人たちは、活字メディアと映像メディアの橋渡しをして大衆を導く役割の一旦を担っていたと言う事になるのだろう。
現在はインターネットを通じ同様の事が各自で簡単に行えるようになった。でも皆あまりやらない。多分、めんどくさいから。
めんどくさいだけでなく、情報の質的評価は難しい。それを見定め、進むべき方向性を示すというのはさらに難しい。
だからめんどくさいといってやらない。なぜなら、そこまで情報の質にこだわっていなかったから。平和だったから。情報の質が多少低くても、笑ってすませられたから。
でもこれからはもう少し、情報の質に気を使うべきなのだろうと思う。
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街場のメディア論 (光文社新書)
著者:内田 樹 |
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