シイタケ
世界の3大珍味と言えば、キャビア、フォアグラ、トリュフですが、僕は、タマゴ、キモ、キノコという食材が美味しいのだと理解しています。
その中で、キノコは季節感にあふれる美味しい食べ物だと思います。僕はマツタケもシメジもナメタケも大好きです。エリンギ、トリュフ、マッシュルームなんていう洋風のキノコ達も美味しく楽しめます。
でも、シイタケだけは小さい頃からの僕の天敵でした。あの、独特のニオイを感じるともう、勘弁してぇ、、、という感じになってしまうのです。
子供の頃、無理に食べようとして嘔吐しそうになってしまったことがありました。
アスパラガス、グリンピースなど、小さい頃に好きではなかった食べ物達の殆どを、成長と共に楽しめるようになっていったのに、シイタケだけは、なぜか特別でした。
シイタケだけは地球上から絶滅しても、心の痛みなど、何も感じないだろう、そう思える位嫌いでした。
シイタケ嫌いの人がいると、もう、その人とそれだけで手を握りあい、同士になった気がしたものです。僕は犬が苦手なように、シイタケも大の苦手なのだ、そう思っていました。20代後半まで、ずっとそうでした。
ところが、茨城の山奥で、あのシイタケを食べたときから少しずつ変わり始めたのです。
その「店」の名は確か「鶏鳴庵」といいました。今でもあるのかな、、、。
「店」と言っても、看板などありません。あぜ道をずうぅっと入っていった先にある一軒家で、離れに炉端が二つあるだけです。必然的に予約が必須で、客は一晩に二組しか入れません。そんな酒好きのご主人が趣味でやっているようなところでした。
その「店」では、炉端で川で捕れた鮎、自宅の庭で育てた鶏などを焼き、裏の畑でとれた野菜の漬け物などを供しつつ、客に合わせて酒を選んで勧めてくれました。
そのご主人が、「今日、こんなに良いシイタケが手に入ったんです。」とか言って嬉しそうに山盛りのシイタケを持ってきて、目の前で網にのせて焼き始めました。
「まじかよ、、、」僕は卒倒寸前です。
でも、そんな状況で、気弱な僕は「シイタケを食べられない」と言うことなど出来ません。腹を決め、ただ目をつむって飲み込むつもりで一個だけ口に放り込みました。
そしたら、、、なんとジューシィで美味しいキノコであることか、、、、。
シイタケのあのニオイも確かにするのですが、それすら、味に彩りを添える、軽いアクセントと感じられるくらいでした。
「こんな事があって良いのか、、、、。シイタケは僕の天敵だったはずなのに、、、、。僕はシイタケの軍門に下るのか、、、。でもキノコだしな、、、、。」
以後、生シイタケなら味と調理法によっては食べられるようになりました。美味しいと感じることすらあります。と言うわけで、最近ちょっと宗旨替えをしつつあります。シイタケ嫌いな人が食べられるようになるには、新鮮で美味しい生シイタケの網焼きがイイんじゃないかと思います。
今の僕はシイタケが絶滅しても、相変わらず困りはしませんが、以前と違い、絶滅するシイタケに同情し、心を痛めることだろうと思います。
同士の皆さん、ごめんなさい。
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