寡黙なる巨人
「寡黙なる巨人 」は高名な免疫学者、多田富雄先生の闘病記です。
もう15年程前の事ですが、一度だけ、多田先生ご夫妻と食事会で同席させていただいたことがあります。僕の両親、その友人ご夫妻と囲んだ食卓でしたが、柔和な笑顔と口調で語られる話題の豊富さが印象的でした。
その多田先生が脳梗塞を患い、「あの日を境にしてすべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的も、喜びも、悲しみも、みんなその前とは違ってしまった。」という文章で始まります。
その代わり様は、本当に突然で、カフカの「変身」を思い起こさせます。
本書はその後の闘病記と様々なエッセイ、さらには医療制度の変化と戦う赤裸々な記録です。
赤裸々、と書いたのは、多田先生ほどの地位も名声も獲得された方が、よくぞここまで、、、と思うくらい自らをさらけ出し、心情を吐露しているからです。
闘病記はきわめて個人的な経験に基づくものですから、それでイイのだ、と思います。
「夜半に目覚めて、よじれて動かない右手右足を動かそうと試み、どうしても動かないと知ってひそかに泣き続けたこともあった。」
と絶望にくれたある日、多田先生は体が再び動き始めたことに気づきます。
その後、「何も出来ず、リハビリにより少しずつ出来ることが増えていく」不随となった半身を「寡黙なる巨人」と名づけ、その巨人と共に歩んでゆく事に心を決めます。
旺盛な精神活動は健在でした。そして、その頃初めて手にしたワープロを不自由な体で使い始めます。
「書けるなら書いてやろう。今いる状態が地獄ならば、私の地獄篇を書こう。それはなぜか私を勇気づけた。」
そしてできる事が増えていくときの文章は、心なしか生命の躍動感が感じられる気がしました。
「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的である」
「何もかもうしなった。それを突き詰めると、何かが見える」
と語ります。
本書を読んで、精神的に創造的である事、それを表現し、人との関係性を構築する事が、「生」の欠くべからざる、大切な一部なのだと思いました。
多田先生は不自由な体となることを突然強いられてしまったからこそ、自己の精神の表現を通じ、「昔より生きていることに実感を持って、確かな手ごたえをもって生きているのだ」と感じたのでしょう。
そして、その実感から紡ぎ出される言葉だからこそ、強い力が宿っているのだと思います。
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寡黙なる巨人 著者:多田 富雄 |
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