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コードホワイト その後

コードホワイトの記事に登場した患者さんは、今ではおとなしく通院しています。

風変わりな方なので、他の方と変わった行動パターンをされますが、それもいつの間にか病院スタッフの間で認識され、その人ならではの対応が普通になってしまっています。

彼は、以前に受診をした時大暴れをして、警察を呼ぶほどの騒ぎを起こしたのに、今では「ここの病院、職員募集してないの?」なんて事を質問してたりして、不思議な存在感を醸し出しながら独特の人間関係を構築して通院しています。

検査、処方なども、色々と主張はされますが、こちらの話も聞いていただけるようになりました。ご自身が検査を希望したにも関わらず、検査の必要なしと僕たちが判断したときも、説明をすれば「検査しろ」「薬を出せ」と大騒ぎするようなことはなくなりました。

ただ、先日は「必要がないと思います」と僕が説明した検査を、他の病院に行って受け、「説明してくれ」と僕の所に写真を持ってきた時には呆れてしまいましたが、、、。

予想されたとおり、検査所見に明らかな問題はありませんでした。

ご本人的には、自覚症状があって、いろいろ考えておられる訳で、悪意がある訳ではないのです。こちらも可能な範囲で原因究明と症状コントロールをはかろう、と言う点で、基本的な立場に相違はないのですね。

患者さんは病気を「患って」います。通常、病気を望んでいる患者さんはいません。望んでいないのに病気にまとわりつかれています。

それに加えて病院でトラブルをおこしてかかえこもうと言う人はそんなに多くありません。

トラブルになりそうなとき、医療者側の疾患理解と対応が、患者さんの要望とズレていることが多々あります。勿論、サービスの質の低さが問題であることも多々ありますが。

いずれにせよ、僕の少ない経験では、殆どの場合、患者さんの要望を良く聞いて、現状を丁寧に話せば、落としどころはどこかに見つけられるのだと思います。

ここが僕は医療の「医療らしい」所だと思っています。

近年では動脈硬化などという一種の加齢現象と考えられるものも「不都合な避けるべき状況」と考えられています。

老化も臓器の機能低下の観点から広い意味での「病気」ととらえられているのです。

即ち、人は生きている限り、疾患と無縁でいることはできないのです。

患者、医療者の双方は、加齢や死まで織り込みながら、疾患という不都合に立ち向かわねばなりません。この時、両者の基本的立場に悪意は存在しえないはずなのです。

コードホワイトが必要になってきたご時世であることは理解しているつもりです。でも、医療において、相手の悪意を前提に対策する事が前面にでてくることにはあまり賛成できません。

善意の医療を実現するためには、医療者側、患者側双方の協力が必要なのだと思います。

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