iPadをめぐる未熟さ
そんなことを言うと怒られてしまうかもしれませんが、、、、あくまで一つの感想として、、、です。
ものすごぉく使っている人の話も聞きます。
知り合いの娘さんですが、一日中肌身離さず持ち歩き、web browsingをしているそうです。そのiPadは知り合いの方が誕生日プレゼントとして家族から買ってもらったのに、彼女にとられてしまったんだとか、、、。
そんな人がいるのを聞いても、やっぱり、全体として「未熟」な感じがしてしまうのです。
ただ、「未熟」なのがiPadそのものなのか、OSなのか、我々なのか、、、と思ったとき、自分でもよくわかりません。
多分全部でしょう。
「未熟」を感じさせる理由は、最近iPadを使っていて、以下のような点を感じるからです。
1)何でもできて、いろいろな使い道があるので、人によって用途が違ってもいい。
2)でも、そのままでは何にもできない、、、。
3)何でもできる、っていうヒトが自慢げに見せてくれるけど、多くの場合、自分にとってそれが必要だとは思えない。
4)簡単だ、と言うヒトもいるけれど、多くのヒト(僕だけじゃないと信じたい)にとっては必ずしも簡単ではない。
これは、市場も製品も未成熟だった時代のパソコンに似ているような気がするんです。
出始めた頃のパソコンと違うのは違いは「時代」でしょう。
かつてのコンピュータ・オタク達は、どんなにその有用性を唱えても、どんなにカッコ良く見せようとしても、世の中が注目してくれることはありませんでした。カッコ良いとは思ってもらえませんでした。
そんな一昔前であれば殆どのヒトが振り向かなかったようなデバイスに、多くのヒトの注目が集まる時代になりました。
それを「使えるようになる」ことが市民権を獲得しました。「使える」ことが、昔に比べてカッコ良くなりました。
だから「使えない」とはちょっと言いづらい。そんな感じじゃないでしょうか。
パソコンだって、みんなそれなりに使っているし、用途は様々だけど、iPadと比較して、商品もユーザーもずっと成熟しているように感じます。
パソコンだって、みんなそれなりに使っているし、用途は様々だけど、iPadと比較して、商品もユーザーもずっと成熟しているように感じます。
僕は僕なりにiPadの居場所を見つけつつあるように思うので、ちょっとホッとしています。
カッコ良くはないけれど、このまま使い続けて、用途を広げ、自分なりに成熟させていきたいと思います。
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