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やっぱりもっと書かないと。

 最近、ある人から「文章を書けるヒト」という評価をしていただきました。

 これは、僕にとって、お世辞だとわかっていてもとても嬉しい褒め言葉です。人が読んでくれているだけでとってもありがたい。

 なぜなら、以前も書いたかもしれませんが、僕は小学校の高学年まで意味の通る文章を書く事ができない人だったからです。

 そんな話をするたび、よみがえる記憶があります。小学校で作文がある時は、前日に下書きをして、意味が通らないところを親に直してもらい、それを覚えて登校していたのでした。

 本はずいぶん読んでいる方だったような気がするけれど、書けませんでした。作文にコンプレックスがありました。

 高校生の頃、「自分は理系だ。」なんて事を思って「国語力」をあきらめました。

 文章を書く事に対するコンプレックスの裏返しからか、そのあきらめが何となく潔い感じがして、そういい切る事に快感を覚えました。そしたらホントウに国語の点数がのびなくなりました。いまから思えば単なる悪循環です。

 僕のやる気はさらになくなりました。

 それでも、大学受験をなんとか通過し、今後はずっとこのまんまでいいと思っていたのですが、人生甘くはありませんでした。

 社会に出て、理系であっても国語力が重要である事に無理矢理気づかされました。いろいろなところで文章を作成する場面がふえたのです。名文でなくてもいい、でも文章を「さくっと」書けた方が能率がいいのは明らかです。留学先のボスにも言われました。

 「私たちの仕事では文章を書く能力がとても大切だよ。」

 確かに彼は文章を書くのが早くて上手です。

 あんな風になれればいいなぁ、、、。でも言葉が出てこないのです。

 自分の中身がカラッポだ、ということも文章を書けない理由のひとつかもしれません。

 でも、それだけではないと思います。書く事があるのに言葉がでない事もあるんです。

 言葉が出ない、という点では似ています。でもちょっと違います。

 文章として形にするためのコトバを、頭の中の感情が追い越して結論にたどりついてしまう。そして途中をつなぐ言葉は追い越されたまま出てこない。そんな感じです。

 書く事が頭の中でほとばしり出る事と、コトバが出てくる事は必ずしも同義ではない気がします。

 それをいかに同期させるのか。

 その訓練は書き続けないとできないんじゃないか、最近、そんな風に思います。

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