薬だけではないのだ
O先生はリウマチを専門とする内科の教授ですが、趣味で腹話術をされています。
教授の話によると、腕前はセミプロ級で、これ以上の資格を取得すると、アマチュアではいられなくなってしまい、ギャラが発生してしまうとの事。ホンモノです。でも、これ以上は資格を取得するつもりはないとおっしゃっていました。
理由は、ギャラが発生してしまうと、教授が毎年やっているボランティアができなくなってしまうから、ということでした。
そのボランティアというのは、小児科の病棟に行って腹話術を披露する事だそうです。
教授の腹話術に子供たちが見せてくれる純真な笑いは、腹話術のみならず、いろいろな意味でモチベーションを高めてくれるそうで、今年も企画を継続したいとお考えのようです。
先日、そんな小児病棟での腹話術の披露にまつわるエピソードを伺いました。
ある年、O教授がいつもと同じように小児科病棟で腹話術を披露したあと、小児病棟の師長さんが話に来たそうです。
「今日は本当にどうもありがとうございました。
一番前の真ん中に最初から最後までずっと笑っていた男の子いましたでしょ?あの子は小児リウマチなんですが、入院してから痛みがひどくて毎日泣き叫んでいて、今日も朝から先生の公演を見られるかどうかわからないくらい痛みが強かったんですよ。
それがあんなに喜んで。あんな笑顔を見たのは私達も初めてです。
あの子にとっても今日はとってもいい日だったと思います。今日は本当にどうもありがとうございました。」
確かに、一番前で顔のまん丸い男の子が最初から最後まで大喜びで大きな口をあけて笑っていた男の子がいたそうです。
その男の子はリウマチの治療のために使用されているステロイドのため、いわゆるムーンフェースを呈していましたが、それでも病状のコントロールは思わしくなかったようです。
けれども、O教授の腹話術を見ている間に見せてくれた笑顔は、少なくともだけはその苦しみから解放されていたのではないか、そう思わせるほどのものだったそうです。
その笑顔を思い出し、O教授は「自分はリウマチ内科医として、その子に治療薬を処方することは出来る。でも、その薬が彼にどれほどの事をしてあげられたのだろうか。」と考えてしまったそうです。一方で、同時に、ボランティアとして腹話術を披露する事で自分にできる事の可能性を広げられたように感じたとのことでした。
医療は薬だけではないのだなぁ、と改めて思いました。
外来業務をやっていると、時々自分に会いに来てくれているのではないか、と感じる患者さんがおられます。(多くは僕の錯覚かもしれません。ただ、お世辞でもそう言ってくださる方もいらっしゃるので、ありがたい事だと思っています。)
医療に携わるものとして、医学的(医療保険的)に適切な検査、治療を行う事は当然ですが、O教授の話を聞いて、言葉のやりとりやコミュニケーションのなかで、プラスアルファが期待できるような内科医になれたらいいなぁ、と感じました。また、そういう患者さんの割合を増やせれば、それは医師としての自分の成長につながるのだろうと思っています。
ただ、その為には腹話術を習えばいい、というわけではありません。当然ながら。自分としてどのような方策があるのかは未だ模索中で、そこが残念なところです。
こういう事については、あきらめの悪いところが自分の取り柄だと思っていますので、模索し続けたいと思います。
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