なぜ私はこの仕事を選んだのか
どんな仕事を選ぶのかという問いに答える過程では多くの場合、「偶然のきっかけ」が大きな役割を果たしているようです。狂言の家元の子として生まれたことも、広い意味で「偶然のきっかけ」の一つでしょう。
「偶然」は出会うことにのみ関与しているものではありません。自分の中にひっそりと隠されている幼いころからの体験は「きっかけ」を一つの機会として感じ取るセンスの中核をなします。
そのときは無為に思えたどんな経験も、絶対に人間をつくるうえで役に立ってるはずです。
やりがいのある仕事をしている人たちが歩んだ道を、あとからみてみると、あらゆる経験、社会的要因などにも影響を受けながら一生を決めるかもしれない仕事に向けて、運命のように背中を押されていくのでしょう。
たぶん、そういう仕事って、客観的に見れば偶然のなせる技であったとしても、その人にとっては必然的なもので他の選択肢は考えられないのだと思います。それが、人の役に立つ仕事、困っている人を助けてあげられる仕事であるかどうかというのは、後づけで加えられた理屈であることが多いのではないでしょうか。
逆に言えば、そんな「運命の仕事」と出会ったように思えても、その仕事に憧れていても、それに向かって行動するのが苦であるようなら、それは、実はその人にとって向いていない職業なのかもしれません。
さらに、どういうきっかけでその仕事に就いたとしても、その仕事に就くことはスタートラインに立っただけだ、ということを自覚する必要があるでしょう。その仕事に就いてから、どんなことをやるかということが問題です。ただ、それは心配すべきことではなく、高い意識を持ってさえいれば、各人にとってのテーマは、思いつきではなく、いつもある種の必然性をもって目の前に現れてくるものだと思います。
以上の文章は、「なぜ私はこの仕事を選んだのか (岩波ジュニア新書)」を読んで、印象深かった文章言葉をつなぎ合わせて書いたものです。本書は、前書きも後書きもなく、17人の人々が「なぜ私はこの仕事をえらんだのか」についてただただ語っています。
17人の職種は、映画監督、ジャーナリスト、ミュージシャン、パン職人、ソバ打ち職人、医師、弁護士、学校の先生、漫画家、ゲームデザイナーなど多種多様です。
でも、バラバラにみえるそれらの話には、実は共通性が結構あるように感じられました。それをつなぎ合わせてみたら上記のようになりました。
自分の歩んできた道に「なぜ?」なんていう疑問文を投げかける機会はそうあるものではないと思います。でも、そういう機会がもしあったとして、後付けでもいいからなにか答えられるように僕も歩いて行きたいと思いました。
そのほか、文章に入らなかったけれど、印象深かった言葉にはこんなものがありました。(「」は筆者が引用として本文中で用いていた事を示します。)
「才能なんて、自分があると思っていればあるし、ないと思ったらなくなる。そんなものだよ。」
発展、進歩、進化ッて言葉あまり好きじゃねえんだ。 修行、腕をみがく、極めるって言葉のほうが好きだなぁ。
「意志あるところに道は通じる」
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なぜ私はこの仕事を選んだのか (岩波ジュニア新書)
販売元:岩波書店 |
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