医系小論文テーマ 7-b 変容するバイオエシックス
今回は、課題7b 「変容するバイオエシックス」です。
課題文では、基礎医学と臨床医学との間には深い溝があり、その間を埋めるのがゲノム科学、遺伝子医学である。今後、医科学の進歩によって生命の本質についての認識が根本的に変わってしまう可能性があると論じられています。
僕は、自分の持っているイメージとちょっと違うかな、と、違和感を感じながら課題文を読みました。
1868年、クロードベルナールにより「実験医学序説」が象徴的に著されて以来、基礎医学的知識をもとに臨床医学は進歩してきたと言って良いと思います。
経験則の集大成的なものをいかに再現可能な「学」とするか、という点の重み付けでは臨床医学は確かに基礎医学と大きく異なる部分があると思います。しかし、その方法論や、進歩の礎となっているものはこの約150年間の間、ずっと基礎医学であったと思います。
例えば、コッホの三原則により細菌学と感染症学が近づきました。フレミングのペニシリンの発見も微生物学的観察から生まれた成果の臨床応用です。そしてその後の抗生物質の発達は、生化学、微生物学、薬理学など、基礎医学の進歩を抜きに考えることはできません。ウイルス感染症も同様ですし、アレルギー膠原病の分野、悪性腫瘍、いずれをとっても基礎医学の知識に裏打ちされて進歩してきたものだと思います。
そのほか、世にまれにしかいない少数の遺伝病について、費用対効果の観点から研究する価値があるのかという問題が提起される可能性についての指摘も見られます。この点についても僕は違和感を感じます。そのような特殊例の研究から一般的法則が導かれ、医学、医療が大きく進歩した例はいくらでもあるからです。
現在の基礎医学の最先端が臨床医学に応用される時、基礎医学はまたずっと先に進んでいるはずですし、そう出なければ進歩はありません。基礎医学の最先端と臨床医学を直接結びつけようとすればそこには常に溝が存在するのです。しかし、基礎医学と臨床医学はこれまでもずっと地続きてあったし、これからもそうあり続けるはずです。
倫理学というのは、常に、想定外の進歩も含めた世の中の進歩に伴って、それをいかに位置づけ、社会における許容限界がどこにあるのかの線引きをする学問だと僕は考えます。そしてその線が引かれる場所は時代、社会によってつねに異なるのだと思います。その点からすれば、バイオエシックスは、生命科学の進歩によってこれまでも変容を続けてきており、今後も変容し続けるものであると考えるのが妥当ではないでしょうか。
近年の問題は、これまでタブーとされてきたような生命の根幹に触れるような内容まで議論することを、生命科学が倫理学に要求するようになったことなのだと思います。
だからこそ、不安に苛まれるのでなく、バイオエシックスについて、しっかりと議論を継続して行かねばならないのだと思います。
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