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医系小論文テーマ4-b 尊厳死 安楽死 慈悲殺

素人的医系小論文演習事始

課題文を読んで書いた文章は課題そのものからはちょっとずれてしまったような気もします。

4-b 尊厳死 安楽死 慈悲殺

 
 課題文の筆者は法学的な立場からこの問題について論じていますが、医療に携わるものとしてはこの議論に違和感を覚えました。
 
 例えば、筆者は、
 
「個人が知的精神的判断能力のある間に終末期の医療処置について自分自身の希望などについて、前もって意思表示をして終末期になって法的に有効となる書面を残しておいても意味がない」
 
と言うことを強調し注意喚起します。僕も同意しました。
 
 それは、多くの患者さんにとって終末期にどのような状態に陥るのか、実感をもって想像することが難しいからです。自分が想像もしていなかったような症状み見舞われながら、過去に表示した意志に縛られて治療方針の選択肢が狭められる事は本末転倒と言えます。
 
 患者さんはいつでも心変わりして良いと思うのです。それは恥ずべきものではありません。その時点、その時点で最も良いと思われる方針を選択すべきであるという点で、前もって意思表示をしておくことそのものには必ずしも大きな意味はないと考えたからです。
 
 しかし筆者の根拠は異なりました。筆者の文章はこう続きます。
 
「なぜなら自発的安楽死の場合には、医師に実施してもらいたいその時点で知的精神的判断力のある患者が、自発的に医師に安楽死をさせて欲しいと口頭で依頼した上で、さらに署名した書面も提出して要請しなければならないからである。」
 
 ルール通りに終末期医療が行われなければ有罪となってしまうので、前もって意思表示しておいても意味がないですよ、と言うことです。あくまで先ずルールありきのロジックです。
 
ほかにも
 
「医師が行うインフォームド・コンセントの説明の際に、医師が安楽死を選択肢の一つとして患者に提示してはならないのである。」
 
と言うことの根拠が「有罪となる可能性がある」からとされています。
 
 論理を組み立てる際の根拠が、医療者が考えるものと全く異質です。
 
 例えば、不治の病に冒され、耐え難い激痛にさいなまれる患者さんを前に、生命短縮の危険があったとしても、症状緩和のための治療行わないなんて事は想像しがたい事です。
 
 課題文ではその治療を実行可能とする為には、過去の判決文から「生命短縮の危険があったとしても苦痛の除去を選択するという患者の自己決定権」の保証が必要だとされます。
 
「そんなことをいっているヒマがあったら俺は治療行為を行う。それで有罪だというならそれでもいい。」という医療者の方が圧倒的に多いと思います。
 
 医療裁判が増えている昨今ですが、倫理的に本当に正しければ、どのような法理であろうと有罪とすることは出来ないはずです。ですから普段からその様なことを考える必要はないと思います。
 
 しかし、このような論理の存在を知っておく事はマイナスではないと思います。なぜなら、医療者が患者さんの為にやっている医療の根拠が、単なる思いこみである可能性は常に否定できないと考えるからです。
 
 特に安楽死問題のような、時代や文化の影響を色濃く受ける問題については、まったく異なる論理から考えても正当性が証明できる行為が求められる事は自覚しておいた方がよいのだと思います。


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