この国の医療のかたち
この国の医療のかたち 否定された腎移植 を読みました。
この本は、しばらく前にマスコミを賑わした病気腎移植(レストア腎移植)問題のについての本です。
レストア腎移植を行った万波医師の側も、それを非難する側の日本移植学会も取材して書かれていて、取材者の意見、感情の移入はあるものの、真っ当にジャーナリスティックな本だと思いました。僕の偏見かもしれませんが、そう感じる事はそれほど多くありません。
本書の内容が全て本当ならば、びっくりするような医学的進歩の可能性が示されていると思います。深刻なドナー不足の中、レストア腎移植は一つの選択肢として真剣に考えてよいものだと感じます。これを否定しよう、非難しようとする議論は、本書に書かれている限り矛盾していると言わざるを得ません。
一方で、日本の移植医療は、和田移植に始まって、大変厳しい時代をくぐり抜けてきたという、歴史的特異性を無視する事はできないと思います。世論やマスコミの反応にナーバスになりやすく、前に進むためには万全を期してもまだ不安が残るような日本の移植医療の現状には理解すべき点もあると感じました。
例えば、僕は「目の前の患者さんさえ喜んでいればいいという姿勢には問題がある」という学会側の主張にも、医療の公平性という観点から一理あると感じました。
この観点からすれば、レストア腎移植を誰に行うかの決定は、個人の医師が行うべきではなかったといえるかもしれません。
かつてスクリブナーが人工透析機を実用化した時、透析供給体制は患者さん5人が精一杯だったそうです。彼らは、多くの腎不全患者さんの中から誰が透析医療を受けるのにふさわしいのか、患者さんを選別する必要に直面しました。彼らは、そのための委員会を立ち上げ、公開で議論しました。この委員会は「神の委員会」と呼ばれたそうです。このあたりの事については、李 啓充 「続 アメリカ医療の光と影」に詳しいのでお読みください。
先進的な医療の黎明期には同様のことが起こる可能性があるのだと思います。だからこそ、個人の判断では難しい場面が容易に想定されるのです。
それから、少し気になったのは、学会報告、学会活動が、名誉欲によってのみ行われているかの様に感じられるところが所々あった事です。
僕は貴重な経験であればあるほど多くの人と共有する事が大切だと思います。そうする事によりいろいろな人からの意見が聞けたりして、独りよがりな解釈を避けることができるというメリットがあります。
僕が研修医だった頃、先輩のN先生は「臨床家は症例報告に始まり、症例報告に終わる。」と言って指導してくださいました。
「症例報告に終わる」かどうかはわかりませんが、一例一例を大切に、という事だと思います。
本書によれば、万波先生はそんな「報告」なんて事には頓着せずに、本当に患者さん一人ひとりを大切にして診療する先生なのだと思います。
「報告すること」と「丁寧に診療する事」とどちらが大切かと二者択一を迫れば後者だと思います。本書を読めば、やむにやまれず本当にどうしようもなくて困っている患者さんの為に行われた医療であることがわかります。現実に目の前の患者さんとともに悩み、救い、患者さん達から支持されている万波先生を非難するつもりはありませんが、ただ僕は、それが多くの人に知られずにいる事をもったいないと思います。
学会活動は名誉のためでなく、こういった優れた進歩を多くの人に知らしめ、公平な議論を通じて医学、医療の進歩を促進するためにこそあるものだと思います。
その辺がうまく機能していない事例、または悪しき弊害が存在する事を本書は示しています。
レストア腎移植が早い時期から広く認知されていたら、もっと冷静で建設的な評価がなされていた可能性もあるのではないかと感じました。また同時に、後からでも評価すべきものは公明正大に評価すべきだと、当然の事を改めて思いました。
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この国の医療のかたち 否定された腎移植 著者:村口 敏也 |
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