毎年この日に思う事
あれから5年が経ちました。5年前の今日、父が逝きました。New Yorkでは1月28日の明け方でした。そのときの話は以前に書いた通りです。(ゆく河の流れは絶えずして1、2、3 )
もう20年近くも前の話ですが、父は、国立がんセンターに勤めていました。父のidentityはそこで確立されたと言ってよいと思います。
彼は、がんの終末期の患者さんをいつもかかえていました。床屋に行っているとき、病院から患者さんの急変を知らせる電話がきて、僕が床屋まで走って父を呼びにいったこともあります。今から30年も前、僕が小学校高学年のころでした。
初めてポケットベルを手にしたとき、これでどこにいても連絡がとれると、僕に自慢げに見せてくれました。
父と一緒に仕事をしたことのある上司は、今でも時々父の思い出話をしてくれます。
例えばこんな話。
『君のお父さんはね、患者さんの具合が悪くなると診察に行く回数が増えるんだよ。何もなくても朝、晩は回診に行ってたけど、その他に昼にも行くようになってね、、、。特に何するわけじゃないんだけどね。』
実際その立場になると、これは大変難しい事です。胆力のいる事です。改めて頭が下がります。そんな話を聞くたびに父の存在が大きく感じられます。
仏教的な考え方ですが、人は関係性の中に生きていると言います。
タマネギの皮みたいに、関係性を一つ一つ剥いでいくと、最後には全部なくなってしまいます。そして関係性そのものものも絶対的な存在ではありません。
その関係性には、現在のものも過去のものもあるのでしょう。
過去との関係性は時間とともに一部が強調され、デフォルメされ、変わりようのないものとなっていきます。その人にとって変わらない、という点で、よりリアルなものとなります。
僕にとっての父との関係性は現在の仕事の中にリアルに存在しているのです。
突然にこの世を去った父は、なくなる数ヶ月前の電話で「あと10年は大丈夫だから」と言って、現在の僕の方向性を支持してくれました。
その言葉を支えに、父が逝った後も、僕は同じ道を歩み続けています。
でも僕は、父との関係性においてのみ存在している訳ではありません。
幾重にもわたる関係性の中、一つだけに固執しようとするのは、わがままというものかもしれません。
ほかの関係性とのバランスを模索しなくてはなりません。常日頃、自問自答しはいるのですが、なまくら刀のような切れ味の我が知性を呪うばかりで、答えが出ません。
同じような事を、毎年この日に特に強く感じます。
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