自分で考えるということ3
前回からの続きです。
暗いニュースばかりではありません。40年以上前にリチャード・ファインマンは次の様に語っていました。
「今日なにか生理学の発見があると、新聞が必ず使う決まり文句は、皆さんもご存知でしょう。『発見者によると、この発見はガンの治療の役に立つかもしれない。』ところが、いざ発見されたそのもの自体の価値となるとてんで説明もできないありさまです。」(「科学は不確かだ! 」 R・P・ファインマン著)
今でも似たような報道をよく目にします。半世紀近くもの間、新たな発見に同じような「答え」がお約束のように報道され続けていることになります。そうしてみると、簡単に「答」を求める傾向は昔からあったのかもしれません。
簡単にその場だけの「答」を求めた結果として、記事のfollow upがなされず、忘れ去られていきます。その「答」の正否について検証がなされる事なく、同じような「答」が提供され続けます。この点に於いて僕達の進歩は驚く程遅いようです。
どうして情報と共に「答」が提供されるようになったのでしょう。
僕は情報過多がその一因であると思います。
情報技術革命の結果、僕達は、世界中の様々な情 報を簡単に知ることができるようになりました。そのなかで情報処理能力の重要性が増したことは論を待ちません。
一方で、僕たち個人の情報処理能力には限り があります。個人としてのレベルで見れば、情報提供のされかたにより処理効率が大きく変わりますから、そのような形での情報提供が好まれます。
この要求を 満たす条件に、簡単に要約されている事が挙げられます。それにより情報を処理しやすくなるからです。しかし、いかに要約されていても他の情報とのつながり や解釈に時間がかかると、処理できる情報量は限られます。この過程にも労力と時間が必要だからです。
その結果、好まれる情報提供に、新たな条件が加わりま した。
それは要約の末尾にその情報の解釈、「答」が簡単に示される事です。ニュース番組の解説者の役割です。これにより能力のいかんに関わらず多くの情報 を処理できた気になれます。
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