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うれしかったのだろうか、、、。

プラハの町を歩いていて、特にローマ時代のものと思われる彫刻や建物にある装飾で気になる点がありました。

人の足場が筋骨隆々とした人によって支えられている、という形をとっている事が多いのです。バルコニーの柱がそのような人間の形に彫刻されていたり、人物彫刻の土台がそのようにデザインされていたりします。彫り込まれた人々はみな必死の形相です。鎖がかけられている事もあります。当時の為政者にとっては力の象徴だったのでしょう。

時代の違い、価値観の違いなのでしょうが、そういう状況になったら僕はうれしいだろうか?とふと考えてみると、答えは否。人に何かを強要し、踏み台にして自分が高みに登ってもうれしくないと思うし、そのような人を見ても僕は羨ましいと感じないと思います。

精神的、経済的には現代も同様の構造があるのではないか、という意見もあるかもしれません。また、ヨーロッパの彫刻ほどあからさまではありませんが、それに近い事が好きな人は現代日本社会にもいるかもしれません。ただ、個人的には「人にあからさまに何かを強要し、それにより満足を得たり、自己の力を誇示する」感性は持ち合わせていないつもりです。

僕は、それとは反対の方向に進みたいと思います。

そんな事を考えていたら、チャップリンの"The Great Dictator" (1940)の演説を思い出しました。

最初の部分だけ拙訳を添えてご紹介します。(間違えていたらご指摘ください。)

I'm sorry, but I don't want to be an Emperor - that's not my business. I don't want to rule or conquer anyone. I should like to help everyone, if possible -- Jew, gentile, black man, white. We all want to help one another; human beings are like that. We want to live by each other's happiness, not by each other's misery. We don't want to hate and despise one another. In this world there's room for everyone and the good earth is rich and can provide for everyone.

申し訳ない。けれど私は皇帝になりたいとは思わないのです。興味がありません。私は征服したり打ち破ったりなんて事をしたくはないのです。可能であれば、ユダヤ人、非ユダヤ人、黒人、白人、全ての人を助けたいと思うのです。私たちは、人である限り助け合いたいと思っているはずです。私たちは互いの幸福により生かされたいと願いますが、他人の悲劇を食い物にしたいとは思わないものです。互いに憎み蔑み合うなんて事は望みません。この世界は皆が仲良く暮らすだけの余地がありますし、大地は肥沃で全ての人に恵みを与えてくれるのです。

ここから後が一段と良くなっていくのですが、、、。興味のある方はこちらをご覧ください。映像とともにテキストが参照できます。

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