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何がアメリカ的?3

 そしてなによりも「アメリカらしさ」のすごいところは、サラダボールのそれぞれの構成要素が、本当にバラバラなのではなくて、まとまりを持っている事だと思います。普段はバラバラなように見えても、ひとたび何かが起これば、多く人が「わかりやすさ」と「合理性」のもと、力をあっという間に結集します。恐らく9.11の直後もそうだったのかもしれませんが、僕たちがそれを身近に体験したのは2003年8月の大停電でした。ニューヨークを含む東海岸の広い範囲が一日以上にわたり停電し、多くの機能が麻痺しました。僕たちの建物では色々な国から来た研究者がお互いに声をかけて必要な非常用電源を共用しました。町では信号機が機能しないなか、普通のおじさんたちが交差点に出て手信号で交通整理をしていました。道にあふれた多くの人は、同方向に帰る車をみつけて相乗りさせてもらって帰宅したそうです。普段は別々であっても、ひとつの「サラダボール」の中にいるという共通意識がドレッシングのように機能してみんなを一つにまとめあげ、被害を少なくする事に貢献したと思います。

 日本でも個性の時代と言われるようになって、他人と違う事が必ずしも悪い事ではないと言われるようになってきましたが、日本の場合、個性がある、他人と違う、ということが共同意識の低下と相関しているように思います。なぜか、個性があるとバラバラになってまとまりが無くなっていってしまうのですね。時々スポーツなどでは、個性派がチームの為に力を合わせて偉業を成し遂げる事がありますし、「七人の侍」や「真田十勇士」みたいな話もあるので、日本でも個性が際立つ事と集団がバラバラになる事は別な気がするのです。けれども最近の傾向としては、個性が際立つ事と集団に帰属する事が同時に成立しにくい印象があります。先の9.11や大停電とは逆に、日本で「災害に強い町づくり」についてテレビなどで見ると、必ずと言って良い程、近所の人たちとの日頃からの付き合いが大切だ、という話が出てきます。「知らない人が住んでいる」=「災害時に弱い」というロジックが成立するのは、「知らない人」たちに共同体意識があまりない、緊急時にもお互いが協力しない、という事が予測されるからだと思います。一方で「共同体」に帰属するのが欧米社会に比較して日本の場合は文化的に難しいのかもしれません。中根千恵さんのタテ社会の人間関係―単一社会の理論などで20年以上前から言われている事ですが。

 ともかく、米国において、互いの違いを尊重しながら、何かあればわかりやすい合理主義に則って協力する、という言葉にしてしまえば本当に普通の事が、あれだけの多様性の中で共通意識を持って実現している事は驚くべき事のように思いますが、実はこれこそが、アメリカ自身を含めた国際社会に必要とされる事なのかなぁ、と感じます。

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