2009年11月 2日 (月)

危うし!小学校英語

危うし!小学校英語 (文春新書) は小学校での英語教育導入に反対意見を述べた本です。

 僕は、英語を第二公用語とする意見には賛成なのですが、現状の小学校での英語の授業のあり方に疑問を感じているので本書を手に取りました。

 本書では小学校の英語教育導入がどのような流れでなされていったのか、一つの視点から解説がされます。

 おおざっぱに言えば、「学校英語は役に立たない」「英会話力に力を注ぐべき」といった議論が、いろいろな利害と、子供に「楽に」英語を習得させたいという安易な親の希望もあいまって、後戻りできない世論の大きな流れとなっていった、という事のようです。確かにそのような議論を聞いたことがあります。

 しかし、自分の少ない経験からすれば、外国語としての英語を学ぶときに最も頼りになったのはいわゆる受験英語であり、学校英語でした。今でもそうです。外国語を学ぼうとするとき、感覚的なものに頼れない中、言葉を理解する最も確実な手段は文法です。

 そのような体系だった語学教育を導入するのであれば、小学校での導入は早すぎるかと思います。また、道具としての英語を教育しようとするのであれば、週3-4時間は最低必要になるのではないかと思います。これはかなりの負担です。

 さらに、「国際語」としての英語を教える事で、異文化に対する意識を開こうとするのであれば、それは英語でなくても出来る事のような気がします。さらに「英語=外国語」というイメージを植え付けてしまうのであれば、デメリットの大きさは無視できません。

 そんな事を考えると小学校教育に英語を導入するメリットはあまり無いように感じられます。

 一方で、私学での小学校英語教育は今に始まった事ではないようです。私立の小学校では英語の導入がなされているところがいくつもあるそうです。

 けれども、中学、高校、大学、その後を通じ、「小学校英語教育」を受けた人と、そうでない人の違いを実感したことはありません。「やっぱりあいつは小学校のときに英語を勉強してたから違うよね。」というセリフを聞いた事が無いのは、僕が小中高と公立の学校だったからでしょうか、、、。

 発音、ヒアリングは確かに難しいし、僕は今でも苦労していますが、英語が母国語と同様に自在に扱えるようになる事はないのだと割り切って、道具としての英語を使い続けることにしています。

 国際学会などでは、中国語なまり、日本語なまり、ドイツ語なまり、フランス語なまり、スペイン語なまり、ヘブライ語なまり、インド語(?)なまりの英語で議論がなされます。みんな多かれ少なかれ、不自由な思いをしながら「道具」を使ってコミュニケーションをとっているのだと思います。

 米国にいた時、母国語のなまりが強すぎて英語だと思ってもらえない人がいました。そこまでなまりが強すぎて通じないのは困りますが、道具として使えるのであれば、発音もそんなに気にしなくていいのではないかと思います。ネイティブイングリッシュと言ったって、オーストラリア、イギリス、米国東海岸、米国西海岸、米国南部と発音は違います。

 話が横にそれましたが、早期に英語と触れる事により英語習得がより楽にできるという「迷信」はいわゆる帰国子女の人達に両言語を流暢に扱える人が多いからだと思います。

 しかし、たとえ帰国子女であっても二つの言語をものにするのに楽な道はないと思うのです。単純計算で倍の努力が必要な訳で、一言語だけを習得すればよい子供に比べれば、二言語を習得しなくてはならない子供の努力の量は、2倍とはいわないまでも、少なくとも数十パーセント余分な努力をしなくてはならない事は間違いないわけです。子供にとってこれは大変なことで、楽な話ではありません。

 彼らだって、空気を吸っているうちに自然と2カ国語が出来るようになったわけではありません。

 一般的にはそういう努力が必要な環境におかれない限り難しいものだと思います。具体的には多くの場合、海外生活という事になるでしょう。そしてその環境を帰国後も維持するのはそう容易い事ではないと思います。

 親心としては、自分の後悔、コンプレックスなどから、子供には少しでも楽に語学を習得させ、自分のような後悔やコンプレックスをもたないようにしたいという事だと思いますが、現実はそう甘くはありません。楽して得られるものは多くないのは当然の事だと思いますが、やり方によっては英語を楽に習得できそうな幻想を作り出してしまった事に問題があるように思いました。

 

危うし!小学校英語 (文春新書) Book 危うし!小学校英語 (文春新書)

著者:鳥飼 玖美子
販売元:文藝春秋
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2009年10月12日 (月)

今日からデジカメ写真がうまくなる

最近のデジカメはよく出来ていて、ただシャッターを押せばきれいな写真が撮れます。でも上手な人とそうでない人がいます。僕はそうでない人。

上手な人の撮った写真を見ると、弘法は筆を選ばず、を実感します。

どこかにコツがあるのだろうとハウツー本みたいなものを呼んでみようと思いました。そこで、「今日からデジカメ写真がうまくなる [ソフトバンク新書] 」という本を読んでみました。

本書は軽くさらりと読むだけで写真がうまくなる本を目的として書かれたそうです。何事においても、詳しい人には当然と思われるような事を、簡潔に、素人にわかりやすく説明するのは意外に難しいものです。読後、その目的はそれなりに達成されているのではないかと思いました。

最初に書いたように、うまい写真と下手な写真があるという事は、写真が「真実」を写しているわけではない事を意味します。「写真がなぜ真実を写さないのか?」とか、「写真は『数うちゃあたる』というところに一つの本質がある」といった話は興味深く読む事が出来ます。

そういった技術論に入る以前の話を読むと、とりあえず気軽にシャッターを押してみるか、という気になります。

本書は技術的な説明をする際、カメラについて全く知らない人でも読めるように配慮してデジカメの基本的な機能と使い方について説明します。

こうやると悪い写真になりますよ、これはここがいまいちなんです。こうやるとほら、良くなったでしょう?というのが易しい言葉で実例とともに説明されていて大変理解しやすいです。

写したいものを大きく写すためには近くに寄るだけでなく、望遠をうまく使う事で写したいものをプロポーションよく、大きく写せる、なんて言うところには目からウロコが落ちたような気がしました。

読んでいると自分も上手な写真が撮れるような気がしてきます。そして下手っぴいでもいいから写真をとりたいというモチベーションが上がってきます。でも僕は凡人なのでいいデジカメが欲しくなりました。なかなか物欲をおさえるのは難しいものです。

その心を見透かすように、最後の章ではデジカメを選ぶときに、どのような視点で選んだら良いのかについて丁寧に説明されています。

やっぱり僕は一眼レフじゃなくてもいいかな、、、。一眼レフを買ってもレンズを用途によって使い分けたりするわけじゃないし、、、。

なんて思いながら、新しいデジカメが一層欲しくなったのでした。

今日からデジカメ写真がうまくなる [ソフトバンク新書] Book 今日からデジカメ写真がうまくなる [ソフトバンク新書]

著者:久門 易
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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2009年10月 7日 (水)

ケータイ時代を生きるきみへ

「ケータイ時代」を生きるきみへ (岩波ジュニア新書) 」をよみました。

中高生が読む事を前提に書かれた本ですが、大人が読んでもなるほどなぁ、と思わせる所が多々あります。ネット社会の落とす暗い影がいかにして世間を驚愕させる犯罪につながっていったのか、といったあたりはかなり入り込んで読んでしまいました。

そしてそれらの内容を中高生が肉体的、精神的にどのような発達段階にあるのかを考えた上で話を進めますので、親としては参考になると思います。ただ、この手の話は一般論と、個人のレベルの議論は同時にする事はできないので、あくまで参考にするというのがいいと思います。

本書は、ケータイ、ネット、ブログ、プロフなどのITの進歩によって得られた、連絡や情報の迅速性、双方向性、情報を得る機能性などの利便性を否定するものではありません。

一方で、返信が遅いと嫌われてしまうという相手へのプレッシャー、自己形成過程にある人間がネットに自分の内面をさらしてしまう事の危険性、バーチャルな世界での無名性によるモラルの崩壊などについてもしっかりと見つめ、冷静に語られます。

匿名性が言動を過激にさせるところでは、ルース・ベネディクトの「菊と刀」で言われるところの「恥の文化」を目の当たりにするような気持ちになりました。「菊と刀」では次のように語られます。

「彼らは自分の行動を他人がどう思うだろうか、ということを恐ろしくきにかけると同時に、他人に自分の不行跡が知られないときには罪の誘惑に負かされる。」

そのような文化的背景をもつ事を意識せず、未成熟なままバーチャルな世界に入っていくのは危険な事だと思いました。

その上で、筆者は、ケータイやネットを一方的に悪と決めつけて排除し取り締まろうとしても解決にならないと語ります。本書の中ではリテラシーという言葉が繰り返し語られます。

バーチャルな世界を自分の中でいかに位置づけ、現実世界を生き抜くためのツールとしていかに有効利用できるかが今後の課題なのだと思います。

バーチャルな世界にも、健全な領域、不健全な領域、危険な領域があるけれど、バーチャルだからこそ、その境界がわかりにくいのだと思います。

自分も気をつけなくてはいけないと思いながら読んでいました。

「ケータイ時代」を生きるきみへ (岩波ジュニア新書) Book 「ケータイ時代」を生きるきみへ (岩波ジュニア新書)

著者:尾木 直樹
販売元:岩波書店
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2009年9月28日 (月)

ガンジーの危険な平和憲法案

ガンジーの危険な平和憲法案 #集英社新書 505A# 」を読みました。

 ガンジーは非暴力、非服従という他に類を見ない方法で英国によるインドの植民地支配に立ち向かい、独立を勝ち取る事に成功しました。以来、ガンジーはインド建国の祖とされています。

 ガンジーにとって、非暴力は、冷静に比較考量した結果、有用だから手段として選択した、暴力が有用な場合にはそちらを選択する、というたぐいのものではありませんでした。
 
 ガンジーの非暴力の哲学は国家観にまで及んでいました。しかし、独立を勝ち取ったインドは現在、軍隊、核をもち、国家による暴力を肯定する「普通の国」の一つです。
 
 不思議な事には、ガンジーの国家観に基づく憲法草案が存在したにもかかわらず、それは殆ど無視されてきたのだそうです。
 
 非暴力の原理によって独立を勝ち取ったインドが、どのような論理によって「普通の国」となる道を選んだのか、そしてガンジーの残した憲法草案がどのようなもので、何故無視されてきたのかが本書のテーマです。
 
 戦争放棄を謳った平和憲法がその文字通りに戦力(暴力)を全て放棄するなら、国は危険にさらされるかも知れません。「国を維持するには戦力が必要である」という考えを抜きに出来ない人にはあり得ない話でしょう。けれど、ガンジーはそれを実現可能な事だと考えていました。これが本書の題「危険な」の意味するところです。
 
 本書の中で、ガンジーの憲法草案と同様の平和主義を謳ったものとして日本国憲法が引き合いに出されます。この比較も大変興味深い。この点からすれば、日本国憲法も「危険な平和憲法」と言う事になります。
 
 現在、国際社会において、圧倒的な戦力(暴力)により平和を確実に実現出来るという神話が崩れつつあるように見えます。
 
 このような時代において、非常な胆力を必要とするものではありますが、非暴力哲学は示唆に富むものであると思いました。
 
 

2009年9月23日 (水)

今日の芸術2

つづきです。

本書「今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫) 」では著者の熱い思いが確信に満ちた言葉で語られます。

「『いい』と思ったとき、そう思った分量だけわかったわけです。あなたはなにもそれ以外にわからない分など心配することはありません。」

と断言してしまいます。数十年後に「わかったつもり」という新書が出るのを見越しての様な発言です。(ちなみに「わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 #光文社新書# 」も読んで良かったと感じた本の一冊です。小学校低学年の国語の教科書の文章を読んで「分かったつもり」になっていた事を思い知らされます。)

また、

「エッセンスは薄めて飲むと飲みやすくなる」

「同じものでも見る側の心のあり様によって印象がかわる」

なんていうのも核心をついた言葉だと思います。

そんな言葉の向こうに見えてくるのは、一部の特権階級の人々に独占されていた芸術を全ての人に広げねばならないという思いです。

いや、私なんて、、、なんて思う必要はないのだと言います。

ここでは芸術、例えば絵について語られています。みんな描けるんだ。みんなが自己表現していいんだ。するべきなんだ。と、僕たちに熱く語りかけます。

インターネットの発達により、個人の情報発信はかつてに較べ容易になり、ブログをはじめとする様々な方法で多くの人が情報発信をするようになりました。

それが時代の流れなのかもしれません。岡本太郎氏は、鋭い嗅覚でそれを感じ、「そうなるのだ」「そうなるべきなのだ」と語っていたのだな、と思いました。

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫) Book 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫)

著者:岡本 太郎
販売元:光文社
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2009年9月20日 (日)

今日の芸術1

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫) 」を読みました。

僕が知っていた岡本太郎氏は恥ずかしながら、大阪万博の太陽の塔と「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」「芸術は爆発だ」といったテレビコマーシャル位でした。

興味を持ったのは、2ー3年前、笠間に行ったとき、笠間日動美術館でたまたま開催していた「北大路魯山人と岡本太郎展 」を見て、それぞれの作品にそれぞれ異なるベクトルのエネルギーを感じたことがきっかけでした。

その後、辰野和男氏の「文章のみがき方」という本で、岡本氏の

「むしろ下手の方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。平気でどんどん作って、生活を豊かにひらいていく。そうすべきなのである。意外にも美しく、うれしいものが出来る。」

という言葉に強い印象を抱いたのが2回目でした。

本屋でこの本を見たとき、まずは思わず一番最後を見てしまいました。いつ書かれたのだろうと。

「今日の」と言っても、初版の序は1954年に書かれていますから、半世紀以上前の事です。再版されてから10年もたっています。しかしその再版が21刷を数えます。

スゴい。これは読まねば。と、買ってしまいました。

現代美術がどのような思いの中から生まれて来たのかが、平易な言葉で語られます。(少なくとも僕にとっては)ともすれば難解で内向きのイメージがつきまといがちな現代美術が、本来は大変外向きの、大衆向きの、全ての人のための芸術運動であった事がよくわかります。

読みようによっては屈折してるともとられかねない、まさに爆発的なエネルギーが充満しています。「芸術はここちよくあってはならない」「芸術は『きれい』であってはならない」という一見アンチテーゼともとれる信念がいかに自然のものであるかが語られます。

読みながら、なぜか、その昔、父から聞いた話を思い出していました。

国立がんセンターにつとめていた父は、岡本太郎氏の健康診断の診察、結果説明をしたことがあったそうです。

「どこも悪い所はないですね。」との父の言葉に、「いや、あるよ。」と答えた岡本太郎氏は、ニヤリと笑って「ここだ。」と自分の頭を指さしたそうです。

父は「あ、そこは直りませんから。」と返事したそうですが、そんな短い会話のやりとりにも強いエネルギーを感じだと言っていました。

本書の中で、半世紀たってもそのエネルギーは衰えることなく爆発し続けていると思いました。

今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫) Book 今日の芸術―時代を創造するものは誰か (光文社文庫)

著者:岡本 太郎
販売元:光文社
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2009年9月14日 (月)

原稿用紙10枚を書く力

原稿用紙10枚を書く力 」を読みました。

非常に読みやすいです。話がテンポよく、歯切れよく展開します。本書は最初から最後までスピード感が衰える事はなく、筆者の聡明さと「原稿用紙100枚を書く力」を感じさせます。それがまた本書の内容に説得力を持たせています。

書く力をつけるために説明される内容は具体的でわかりやすく、納得しやすいものです。

まず書く力をつける事の必要性について説きます。それも原稿用紙10枚を書ききる力の必要性です。

本書の中で筆者は、文章を書く事が考える事につながると主張します。これは全くその通りだと思います。原稿用紙10枚の文章を書くためには自分の意見を自己の中で明確にし、緻密に再現する作業が必要になります。この作業により自分の中で当然だと思っていた論理構築に意外な穴がある事が見つかったりします。この作業が思考力を鍛えます。

以上を納得した上で書くための準備に入ります。まず「読め」と。文章力をつける上での読書の効用は開高健を始め多くの人が言っている事です。本書の特徴は、具体性にあります。「書くために読む」ための方法論が具体的に説明されます。

そして長い文章を書くために必要な構成力についても自著を例に挙げたりしながら歯切れよく解説して行きます。

この本が文章読本としてユニークだと思うのは、まず、質より量を求めている事です。とりあえずたくさん書いてそれから構成し直して形を整えて行く、というスタイルはワープロ時代になって初めて可能になったスタイルではないかと思いますが、これにより特殊な才能がなくても多くの文章を生み出す事が出来るようになったのだと思います。

まず読む事。そして書く事。それを通じて構成力をつけて行く事。それを続ける事によって思考を鍛える事が出来るならありがたいです。

しかし、「下手の考え休むに似たり」という言葉もありますので、「下手の作文休むに似たり」とならないよう精進したいものです。

原稿用紙10枚を書く力 Book 原稿用紙10枚を書く力

著者:斎藤 孝
販売元:大和書房
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2009年9月 7日 (月)

科学の落し穴

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない 」を読みました。

疑似科学についての本かと思ったらそうではありませんでした。

宇宙物理学者を本業とする筆者の池内了氏が2004年から約4年間にわたって複数の雑誌に掲載されたエッセイをまとめたものです。これで3冊目になるそうで、それぞれのエッセイは品よくまとまっています。この点で、たくさん書いている人ならではの文章だと思いました。

基本的には科学、技術に関するものが多くをしめます。

地球温暖化と豪雪の関係など、現象だけから見ればパラドックスだが、因果関係を丹念に追っていけば当たり前の事がおこっていると納得できるような、複雑系に関する説明も科学者ならではの感があります。一方で、複雑系であるからこその予知、予想の難しさについてもわかりやすく説明されています。

地震予知についての歴史をふまえた文章などは本当に味があるなぁ、と感じました。

また、それらに関連し、科学教育、技術教育や技術とのつきあい方についてなど、科学の周辺についても議論されます。

筆者は、単純な楽観論を展開するのではなく、その前にまず過去を学び、そして体験を通して冷静に現状認識しようという姿勢を明確にし、その上で将来を見据えます。

この中で、寺田寅彦のエッセイからの引用が出てきます。

「あらゆる文明の利器は人間の便利を目的として作られたものらしい」
「しかし便利と幸福は必ずしも同義ではない。私は将来いつかは文明の利器が便利よりはむしろ人類の精神的幸福を第一の目的として発明され改良される時機が到着することを望み且つ信ずる」

寺田寅彦の先見性はスゴいの一言ですが、現代はまさにその「時機」が到来しつつあるように思います。現状で、ファミコンとか、携帯ゲーム機、携帯電話などは、便利以外のものを目的として開発されています。

携帯電話なんて、本書でも述べられている通り、「発明は必要の母」と言っても良いでしょう。

また、「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉も、関東大震災について語った寺田寅彦の言葉だそうで、寺田寅彦のエッセイも読んでみたくなりました。

 

科学の落し穴―ウソではないがホントでもない Book 科学の落し穴―ウソではないがホントでもない

著者:池内 了
販売元:晶文社
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2009年8月23日 (日)

ニュース番組

最近夜のニュース番組を見ていて、感じる変化があります。正しいかどうかわかりませんが。

その変化とは、テレビ(マスコミ)が積極的に世論をつくるようになってきているのではないかと言う事です。

別な見方をすると、視聴者がものを考えなくなってきていると言う事かもしれません。

かつて、僕が子供の頃、個人的価値判断をニュースに織り込む事は不適切なのだ、と国語の授業で教えられた記憶があります。

その後、ニュースステーションで久米宏アナウンサーが(言葉は正確ではありませんが)こんな事を言っていました。

「ニュースステーションの視聴率は低くていいと思っていた。(具体的数字を挙げていたように思いますが覚えていません。)その位の影響力なら多少偏っていても自分の意見を言ってもいいだろうと考えていた。けれども視聴率が高くなって思っている事を言いづらくなってきた。」

ニュースステーションが高視聴率をとる事が出来たのは、視聴者がテレビの内容を受け売りするだけで、ニュースに対して意見らしい事を一応言えるようになる簡便さを初めて提示したからだと思います。

このような流れの中で、ニュースキャスターはオピニオンリーダーとなりうる地位を獲得しました。

ニュースキャスター (集英社新書) 」という本の中で、筑紫哲也氏は「私はオピニオンリーダーではない」と言っていますが、周囲はそう思っていなかった事は間違いありません。

さらに最近では、一人のニュースキャスターだけではなく、複数の著名人が並んでそれぞれに意見を言う事で、ますます受け売りしやすい情報を流すようになりました。

こういった流れから、テレビの世論への影響力が増し、画一的な世論が形成されやすくなってきていると思います。

 
ニュースキャスター (集英社新書) Book ニュースキャスター (集英社新書)

著者:筑紫 哲也
販売元:集英社
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2009年8月19日 (水)

ニュースキャスター

ニュースキャスター (集英社新書) 」を読みました。

本屋で見つけて買って読もうと思った理由は、ニュース番組が以前と違ってきているなぁと最近思う様になったからです。

この本は代表的なニュースキャスターの一人、筑紫哲也氏が、ニュース23発足のいきさつからその後の舞台裏を語った本です。

番組発足のいきさつや、キャスターとしての久米氏とご自身の違いの分析なども十分興味深いのですが、クリントン大統領を招いての市民集会が、TBSの番組で行われる事となったいきさつと、本番にいたる舞台裏の描写は臨場感にあふれます。

さらには、朱鎔基首相の市民対話がその後に実現したのは、中国政府がその番組に注目していたからだ、なんていう話にまたびっくりしました。中国の外交筋が日本の民放番組に注目していたなんて。

日本においては、小渕首相を招いての番組は前例がない事を理由に実現しなかったといいますが、まことに残念な話です。

また、9.11の時の舞台裏もリアルです。

そんな話をひとしきりしながら、筆者は、「生存視聴率論」を唱えます。それは、「番組が存続できるだけの視聴率が確保できればよい、視聴率をとるためにあざとい番組作りはしない」というものです。

筑紫氏は視聴率を否定はしていません。しかし、視聴率偏重の番組作りには警鐘をならします。

報道する側が伝えたい内容は視聴者の要求と一致するとは限らないのでしょう。軽薄短小の時代、丹念なストーリーより単純で極端な話の方がインパクトがあって好まれると思います。そして一、視聴率が一つの評価基準として大きな位置を占めているなどという事があると、理念とか理想とかばかり言ってはいられないのだと思います。

それでも、世論形成に果たす報道番組の役割は大変大きいことは間違いありません。

バランスのとれた報道番組の制作を望みたいと思います。

 
ニュースキャスター (集英社新書) Book ニュースキャスター (集英社新書)

著者:筑紫 哲也
販売元:集英社
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2009年8月16日 (日)

差別と日本人

かつて、「駐留米軍用地特別措置法」改正案が通過した後、ニュースステーションで久米宏アナウンサーによって次の発言が紹介されました。

「この法律が、沖縄県民を軍靴で踏みにじるような、そんな結果にならないように、古い苦しい時代を生きてきた人間として、国会の審議が大政翼賛会のような形にならないように、若い皆さんにお願いをして、私の報告を終わります。」

発言の主は涙をこらえていました。今は引退をされた野中広務氏でした。国会の場で、涙するほど心をこめた発言をする政治家を、僕はその時初めて目にしました。

差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100) 」という本は、その野中広務氏と辛淑玉氏の対談という形をとりながら、二人の強烈な体験をベースに、辛氏による野中氏へのインタビューの様相も呈しつつ話題が展開します。そこに解説が付されるので、理解の助けになり、読みやすい本となっています。

でも生易しくはありません。まえがきから、「差別はいわば暗黙の快楽なのだ。」という言葉がでてきます。これには参りました。

その通りです。それは禁断の快楽です。そして差別している側も意識的、無意識的にそのことに気づいています。だから「暗黙の」という言葉が付き添います。

以後、語られていく内容には、読み、理解するだけで強烈につらい事が多く含まれています。

対談は、個人的な過去について語られ始めます。そして、国政に話が及び、差別が生むもの、差別との闘うために必要だったこと、政治が差別に対してなしてきた事、政治家と差別などに話題が及びます。最後には、個人的な、でも少し暖かみのある話で終わりを迎えます。終わり方がとても本書らしいと思いました。

この本に書かれているような事実について、それぞれの立場で色々な意見があろうかと思います。一冊のみですべてを知った気持ちにはなれませんでした。

でも、ちょっと垣間みることができたような気がします。そして、本書のような発信をして下さる人が存在する事は、意味が大きいと思いました。そのためにはらった犠牲の大きさには想像するだけで言葉もありません。

差別の当事者にいつでもなり得る事、気づかずになっているかもしれない事を、普段、意識せずにいる僕のような人間にとって、このような本は価値が高いと思いました。

(余談ですが、日本で初めて教科書の無償化を実施したのが野中氏であった事を本書で初めて知りました。当然の事と思っている事も割合最近の事だったりするのですね。)

 
差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100) Book 差別と日本人 (角川oneテーマ21 A 100)

著者:辛 淑玉,野中 広務
販売元:角川グループパブリッシング
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2009年8月 3日 (月)

司馬遼太郎対談集 日本人を考える

日本人を考える―司馬遼太郎対談集 (文春文庫 し 1-36) を読みました。

初版が1978年出版ですから、丁度30年前に出版されました。

現在の対談にも興味深いですが、それをタイムカプセルに入れて時代が変わってから読み返してみるとさらに興味深い事が見えてくる様に思います。

同じ頃に出版された本で面白かったものに「やわらかな心をもつ—ぼくたちふたりの運・鈍・根」がありました。

さて、本書ですが、歴史文学の大家による12人の知識人との対談だけに、いろいろなコメントが知識に裏付けられていると感じます。

内容は相手により、歴史、文化、科学、政治、外交など多岐に渡ります。将来を予言していたような内容もあります。

「これからの日本は、国際環境さえ許すなら、一割の人間が会社に帰属して働き、あとの九割はどこにも帰属しないでギターをひいていればいい、といったようなことになるんじゃないですか。」

と言った言葉は、後のフリーターの出現を予告しています。また、

「実は人畜無害の遊戯にしかすぎないという形、それが理想の政治ですな。」

と言った言葉が実際その通りであった時代もありました。しかし、それが政治に対する無関心を引き起こしました。現在ではそれを通り越して、無関心のままではやっていけない事が認識されつつある時代になったと言って良いでしょう。

また、テレビの影響力については、

「瞬間湯わかし器が、各家庭に行きわたったようなもんやな。。そのお湯でコーヒーを入れる。するとみんなカルキの匂いがする。そういうようなもんやな。」

と語られています。今はこの傾向がもっと進んで、各家庭で缶コーヒーを飲んでいるような時代になってしまったと思います。

僕が特に興味深いと思ったのは、2点です。

一つは、日本の無階級状態が非常に特殊であるという意識です。

対談中、格差のない社会自体が、人類史上例を見ないものだ、というコメントが何度も出てきます。そして、ある程度等級や階級をつくらないと秩序維持ができない面もまた繰り返し指摘されます。

格差の少ない社会が、いつのまにか日本人の間で空気のように当然の事になっていたような気がします。実は大変な異常事態なのに。格差の小さい社会をいかにして維持するか、という問いへの答えが出ないまま、現代に至っているような気がします。格差の拡大を阻止する事の難しさ、大変さを市民、政治が意識して、その為の努力を日々続ける事が必要なのだと思いました。

もう一点は、

「日本にはときどき絶対主義へのますヒステリー現象が起こる」

というコメントです。この事には、人ごとでない危機感を覚えます。最近のテレビの影響力、世論の風潮を見ていると、そういう方向に流れやすくなっているような気がします。

温故知新を感じさせる対談集だと思います。

日本人を考える―司馬遼太郎対談集 (文春文庫 し 1-36) Book 日本人を考える―司馬遼太郎対談集 (文春文庫 し 1-36)

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
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2009年7月27日 (月)

無思想の発見

無思想の発見 (ちくま新書) を興味深く読みました。

 言われてみればなるほどという、面白い事がたくさん書いてあります。

 ひねくれたオッサンだなぁ、とも思います。

『「全くちがうとわかった」というのは「わからない」と同じことではないか』

 

なんて言っちゃったりするんですから。そんな話が延々と続きます。

 議論そのものは刺激的です。時には攻撃的ですらあります。皆が異口同音に首を縦に振りそうな命題を提示し、それを否定することによって続けられるからです。

 本書では、思想、宗教、哲学といった日本人の多くが「持っていない」「信じていない」と考えているようなことに対し、言葉を使って社会生活を送っている以上、そんなことはないのだと論を展開します。そして無思想でいることこそが、日本人特有の思想なのだと論を展開します。

 宗教についても、日本人は意外に信心深いと語ります。そういえば、こんなにいろいろな宗教の祭り事を律儀に祝う国民性ってあまりないでしょうね。本書では、宗教はあるけれど、本人が宗教だと思っていないだけのことであると論破します。なるほどね。

 もっとも合点がいったのは「ひとりでにそうなる」「仕方がないという風土」という箇所です。かつて、米国留学中に経験した長女出産や、子供の予防接種の時に感じた日米の医療における姿勢の違いに似たような感想を持ったからでした。(その時の記事はこちら

 最終的には仏教的雰囲気に話が落ち着いていきますが、無宗教的に終わっていくのが本書らしいところです。

 現代のつむじ曲がりの語り部が、豊富な知識を背景に日本人の思考体系を十把一絡げに一般化して、口語体のような文語体で歯切れよく、しかし延々と語り続る、そんな本でした。

 

 

無思想の発見 (ちくま新書) Book 無思想の発見 (ちくま新書)

著者:養老 孟司
販売元:筑摩書房
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2009年7月13日 (月)

働くひとのためのキャリアデザイン

 キャリアデザインという言葉を最近よく耳にするようになりました。この言葉を知らなかったわけではないのですが、医師の初期臨床研修、後期臨床研修などの議論で頻繁に出てくる言葉です。
 
 最近、若い医師を勧誘したり、その人達の研修の場について議論するところに出席するようになってきましたから、おそらく僕の職場、立場がこの言葉に出会う頻度を増やしているのでしょう。
 
 これまで、キャリアデザインという言葉に対して、「自分の未来予想図 を想像する」なんていうぐらいの認識しかありませんでした。考えてみれば、それを研究対象としている人はいかにもいそうな話です。経営学という分野の中に、リーダーシップ、ネットワーキング、モチベーション、キャリアといった人間に深く関わるトピックがあるのですね。「働くひとのためのキャリア・デザイン (PHP新書) 」という本を見て、あぁ、やっぱりそういう人がいるんだなぁ、と思いました。
 
 仕事を続けていく過程の中で、その過去をたどれば必ずキャリアという形で軌跡が残ります。それは必ずしも思ったようにはならないけれど、ある程度はコントロール可能なようです。そして、考え方、身のふりかたによってキャリアが大きく影響を受ける節目が人生の中でいくつかあるので、その時々でどのように考えるのが理にかなっていると思われるかを解説したのが本書だと思います。
 
 ひねくれた僕などは、「キャリアデザインを勉強した人は全員偉くなれるのですか?」などと質問してしまいそうです。でも、本書をよんでみて、これは偉くなるための本ではないな、と思いました。基本的にはポジティブな姿勢で人生を歩み続けるための指南書だと感じました。
 
 キャリアに影響を与える節目は、若いとき、中堅の時、シニアの時とそれぞれにあり、それぞれの時期において発達課題をもうけることによって問題を明らかにして進むべき道を色々な人の研究をもとに解き明かします。
 
 慎重に選ばれた多くの研究やその用い方がコンパクトに紹介されているので、参考になる内容が多々ありました。
 
 一般には、このような本は読みたいと思う人と、そうでない人に二分されるかも知れません。
 
 でも、自己の向上を目指すのであれば、誰であっても参考にしてよいものだと思います。

2009年7月 8日 (水)

ポンペ

 「ポンペ」(筑摩書房)を読みました。実家の本棚にあったものを持ってきたのですが、1985年出版で現在は絶版のようです。

 オランダの古文書にまで直接あたり、多くの資料を参考にして、ポンペ・ファン・メールデルフォールトの一生を丹念におった本です。

 ポンペは幕末1857年に来日したオランダ人医師で、日本の近代西洋医学伝来の功労者です。

 彼以前にもオランダ人医師は出島に駐在していて、日本人医師や医学生に医学教育を実施していました。しかし、ポンペは基礎科学にはじまり、基礎医学、医学を体系的に教育した点で、前任者の医学教育とは決定的に異なっていました。

 本書で明らかにされるポンペが日本で行った医学教育は驚くに値すると思います。

 開講にあたり、ポンペは自然科学の性質と状態、その文明に及ぼすところの影響などを概説し、それを内科や外科に応用すべきことを説いたそうです。まさにクロード・ベルナールの「実験医学序説」に時期も内容も全く重なるものです。この点で西洋医学が日本に伝えられたタイミングはすばらしかったのではないかと感じます。

 講義は物理、化学、解剖、病理にはじまって臨床医学にまで及びます。それぞれかなり本格的で、たとえば解剖学は一般解剖学、骨解剖学、靱帯学、静脈学、動脈学、神経学、脈管学、内臓学などに分かれています。そして当時の日本には習慣のなかった解剖実習(死体解剖)を行います。これを現実のものとするため、長崎奉行、江戸幕府をねばり強い協議を重ねます。こんなことを、言語の違う国で一人の人間が、医師としての臨床業務をこなしながらやっていたなんて、びっくりです。

 また、学生は物理学の修得に並々ならぬ熱意を示しつつ、数学の知識が乏しかったことが大きな障害となったことも記されています。「日本には和算があり、数学のレベルも高かった」なんて言う話を聞いたことがありますが、それは一部の人の話で、一般に広まったものではなかったようです。

 そして彼は、なぜか鉱物学、採鉱学の課外授業まで依頼されてやっています。

 それにしても、そんなことまで一人で教授するなんて。

 この西洋医学伝習所は長崎大学医学部の前身なんだそうで、ポンペはここで松本良順、司馬凌海、長与専斎、なんていう、ぼくでも聞いた事のあるような俊才を育てました。なんと、榎本武揚もいたそうです。

 長崎大学の学生さん達はその歴史を誇りに思ってよいと思いました。そういう気持ちを持つ事が若者の成長を助けるものだと思います。

 さらにこの間に、日本をコレラの大流行がおそいます。抗生物質も点滴もなかった時代ですから、コレラの致死率は大変高いものだったようです。ポンペは当時の文献を集め、治療法を検討し、できる限りを尽くして診療にあたったようです。

 この経験を通し、ポンペの進言を取り入れた西洋流の病院(養生所)が建設されることとなりました。

 帰国後は赤十字関係の仕事をしたり、ハーグ市の市議会議員になったり、榎本武揚の外交顧問となって日露の外交につくしたりしたそうです。その後はなんとカキの養殖業者となっていたというびっくりの経歴が明らかとなります。まさしく波瀾万丈です。

 長崎には2度ほどしか行ったことがないのですが、僕は街の雰囲気と料理にとても良いイメージがあります。それに加えて本書でポンペのまじめな人柄を感じ、「高校時代に知っていたら長崎大学に行きたいと思っただろうなー」とか想いながら読んでいました。

2009年7月 3日 (金)

危ないダイエット

危ないダイエット (ディスカヴァー携書) 」を読みました。

副題は「一億総ダイエットブームにひそむ危険な罠」で、いかにもダイエットに関心のある人、ダイエットに失敗した人の心を揺さぶる題と副題です。

運動、薬物、特定の食品に頼りすぎる事の危険性を説きます。なんと言ってもタイトルのつけ方がうまい。目のつけどころが良いと言っても良いかもしれません。

 「朝バナナダイエットはヘルシーか?」

 「レコーディングダイエットの落とし穴」

 「低インスリンダイエットでかえって不健康に?」

 なんていう小見出しは読書欲をそそります。第5章の

 「ダイエットの敵はリバウンドにあり」

 なんていう標語もとてもいいですね。「敵は本能寺にあり」みたいな感じでやる気がわきます。

 本書では「ダイエットリテラシー」の向上を説きます。リテラシーとは、もともと、文章などを読み書きする能力の事で、転じて物事を自由に使いこなす能力、という意味で使われます。「ダイエットリテラシー」とは、色々なダイエットに関する情報を上手に使いこなして自分のダイエットに応用するという事になるのでしょうか。

 ダイエットの分野における情報活用術、と言っても良いと思います。

 理論的裏付けはともあれ、本書の主旨は「極端はやめましょう。何事もホドホドに。」という事だと理解しました。

 やっぱり楽しくダイエットできないと長続きしませんからね。僕のダイエット法は下記のごとくでしょうか。

1)軽い空腹感を時々感じ、「ダイエットやってるぞぉ」と、充実した気になる。
2)それよりなるべく少ない頻度で満腹感も感じ、幸福感を味わう。
3)自転車通勤を主として適度に運動をする。
4)定期的に体重を測定する。増えたときは言い訳をして一週間後に希望をつなぐ。

というのが僕の今のスタンスです。

今週はちょっと2)の幸福感を味わう頻度が多すぎたみたいです。400グラム増の67.5キロでした。来週は減っているように頑張ろうと思います。

危ないダイエット (ディスカヴァー携書)Book危ないダイエット (ディスカヴァー携書)

著者:阿部 純子
販売元:ディスカヴァー・トゥエンティワン
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年7月 1日 (水)

”言葉力”で人を動かす

ジョブズ VS. 松下幸之助 ”言葉力”で人を動かす #アスキー新書# 」を読みました。
 
 60歳近く年齢の離れた二人の著名な起業者の特質をエピソードを交えつつ比較した本です。すごすぎて立派すぎて、でも歴史の偉人伝として読むにはちょっと身近すぎて、読みながら斜に構えてしまった部分もありますが、興味深かったです。
 
 あとがきには時代、国の違いがあるにもかかわらず、おどろくほど似ているところがこの2人にはある、と書かれています。
 
 共通点らしきものは確かに色々書かれていましたが、最も共通していたのは、やっぱり題の通りで、「言葉の持つ力」だと思いました。
 
 かつて故橋本龍太郎元首相が、リーダーとはと聞かれて、
「理想を語れること、そしてそれによって人を巻き込むことが出来ること」
という事を言っておられたと記憶しています。(正確ではないかも知れません)
 
 この点で二人はすごいですね。
 
 人の心を動かした言葉に加え、逆境に負けないエネルギーが満載です。
 
 ただ、自分を含め皆がリーダーとなれるわけでもありませんし、その必要もないと思います。ですから、僕は彼らのまねをしようとも思いません。まねしてもどうせ同じに行くわけありませんから。
 
 でも、何か理想に向かって進むことができれば、それは誰にとっても良いことなわけで、その理想が他人に提示されたっていいのだと思います。そういうリーダーの存在を感じられる人は幸運です。
 
 リーダーでない人たちに必要な事は、その「理想」を自分の理想とすることについての妥当性を見極める事だと思います。
 
 そんなことを思っていたら、スティーブ・ジョブス氏が肝移植手術を受け、復帰したと言うニュースを見ました。原因疾患、病状など詳しいことはわかりませんが、大手術から立った2ヶ月です。素晴らしいことです。
 
 「『今日が最後の日だったら』と思いながらと毎日を過ごしていけばいつかそれが本当となる日が来る。」と語り、自らが膵臓がんと診断され、死と向き合った時の事を語ったスタンフォード大学での伝説的なスピーチからまだ5年も経っていませんが、再び 'To the edge and back' を成し遂げました。
 
 ジョブス氏が再びスピーチができるほど元気になって、僕たちに新たなメッセージを発してくれる事を願います。

2009年6月21日 (日)

ハイブリッド

 「ハイブリッド #文春新書# 」を読みました。とても興味深く読みました。

 トヨタハイブリッドシステムを略してTHSと呼ぶのだそうです。

 今僕はTHSを搭載した車に乗っているのですが、楽しく運転しています。その愉しさは車を制御する楽しさというよりもちょっとエコな楽しさです。燃費と現在自分の車を動かしているシステムが画面に表示されるのですが、これがエコ心をくすぐります。走行中に表示される現在やトータルの燃料消費率が改善したり、電池に充電がはじまると嬉しくなるのです。

 そして運転していてびっくりしたのは、エンジンとモーターのどちらから駆動するかの制御が運転状況や電池の充電状況によって非常にきめ細かいことです。常にエンジンが動き出したりストップしたりしています。このプログラムはどうみても大変複雑なものだろうと思います。もちろん高速走行していても作動します。恐らくはその絶妙なコンビネーションのおかげでしょう。渋滞している高速道路でリッター14キロ以上走ったと思われたときはびっくりしました。

 もう一つ、THSでの軽い驚きは、エンジンが動き始めるときの振動が少ないことです。以前の知識ではエンジンが駆動を始めるときが一番ガソリンを消費するのだと聞いていました。確かにちょっと古いクルマではエンジンをかけるとき、「ブルルンッ!」と強い振動があって、マフラーから黒い煙が上がって、、、なんていうイメージがあります。でもTHSの場合、エンジンが作動し始めるときの振動が非常に少ないのです。おそらくエンジン始動の部分で、それまでに充電した電気エネルギーをふんだんに使っているのではないかと想像します。

 そんなTHSを搭載したプリウス開発の物語です。

 初代プリウスが発売されたとき、他社がパーツをバラバラに分解して調べたそうです。しかし、どこをどうやって動かせば燃費が向上するのか、効率が上がるのか、そもそもなぜこれでちゃんと動くのかすらわからなかったとのことです。

 そんな破天荒な車がどうやって量産されることになったのか。

 その発想は車がどんどん贅沢になり高性能のくるまが次々と発表されていた1990年頃に遡れるのだそうです。

 当時の自動車雑誌には「今の時代、クルマが大きく豪華になるのは避けられない。でも個人的にはもっと別の道、軽くて小さいクルマがよく売れるような状況を見てみたい。」「今のようなことをしていたら、私たちは次の世紀には資源を使い果たしてしまうだろう」という、本書の登場人物、久保地チーフエンジニアの言葉を紹介されているそうです。

 その上で記事は「歴史は彼が正しいことを証明するだろうか?」と今から考えればなんとも陳腐な言葉で締めくくられているとのことです。記事を書いた記者が必ずしも彼に同意していなかったのは明らかでしょう。

 1997年にプリウスが発表されたころのハイブリッドシステムへの関心、評価も今と異なり随分と低いものでした。

 報道でも「量産化や技術革新が進んでもなお割高で、これが市場で主流になるとはトヨタも考えていない」「燃費がいい車を買おうという消費者のムードが盛り上がらないと、作り手としては限界がある」などと言ったコメントが報道されていたそうです。

 どちらの発言も現在を見通していなかった事は明らかです。消費者のムードが盛り上がるどころか、誰もが考えもしない時から商品開発をし、ムーブメントを作ってきたところがTHSのすばらしいところです。

 でも道はそう平坦ではありません。トヨタ内部の道ですら大変なものだったようです。

 2年後の量産が決まった時、試作車は数センチ動いて二度と動かなくなってしまい、その原因すらわからない状況だったそうです。

 プリウス発売後ですら2代目プリウスの開発を続けるかどうかが真剣に議論されていたのは今から考えれば驚きですが、当時、企業としては当然だったのでしょう。

 その様な壁を乗り越えることが出来たのは、常に消費者の気持ちを理解できる人が中核にいたからだと思います。

 燃費が倍になるのなら、ガソリンタンクを半分にすれば室内が広くなるし、車重も軽くなるとエンジニアは考えました。ところが、トップから絶対ダメだとNOを突きつけられます。「リッター何キロ」という燃費の数字よりも、「ガソリンスタンドに行くインターバルが伸びる」ことによって燃費を実感できるという消費者感覚を忘れずにいたからです。

 最初に述べたような運転の楽しさも同様の感覚から発するものだと思います。そのようなサービス精神があったからこそ、消費者はTHSを支持し、会社はそれを育てることが出来たのだと思います。

 本書を読んでいると、いつも目標はとんでもないところに設定されます。現実的な意見の倍くらいの所に目標をおいて突き進みます。

 目標達成の為に、あえて素人をチームの責任者に据えることもあったようです。

 一方では「ソロバン勘定すれば確かにそうですが、トータルで見てマイナスではないのだからいいじゃないですか。他の車とすぐに一緒にはなりませんよ」というような感じでラフに通してしまう部分も感じられます。

 そして「最終的にトップがリスクを追うならその選択肢はありだ。」という決断力に力強さを感じました。

 僕のような者が言うのもおこがましいですが、こういった企業文化を育んできたことこそがトヨタの財産なのだろうと感じました。
 
 
 
ハイブリッド (文春新書) Book ハイブリッド (文春新書)

著者:木野 龍逸
販売元:文藝春秋
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2009年6月15日 (月)

読ませるブログ

 インターネットはテレビやラジオといった音声、映像によるマスコミュニケーションにおされ、衰退気味であった文字分化に新たな一ページを開いたと思います。
 絵文字や色々な表現も含め、言葉によらないコミュニケーションのツールとして、以前には考えられなかったような進歩を遂げています。
 そのうちの一つがブログであることは万人の認めるところでしょう。これにより、プロでなくても文章を作成し、公開できる様になりました。
 子供の頃、文章を書くのが何よりも苦手で、日記も3日と続かなかった僕が、500以上にも上るブログ記事を書き続け、ネット上に公開するなんて想像も出来ませんでした。
 でも、ブログを書いただけではなかなか満足できないのが現実です。自分のブログの閲覧履歴などを見たりして、少ないと残念に感じますし、多いと単純に喜びを感じます。自分の存在を認められたかのように感じられるからだと思います。
 ですから、「読んでもらえるブログ」が書けるようになる事は、ブログを継続している限り、目標の一つになりえます。
 今回読んだ本は、もっと強い表題です。「読ませるブログ #ベスト新書# 」。「読ませる」ためになにが必要か、そのテクニックについて解説しています。基本的には細かいテクニックをいろいろと解説したHow to本に近い印象です。
 その全てを同時に実践することは難しいでしょうが、「読ませる」文章を書くための引き出しをたくさん持つことの大切さを感じました。
 その中でも、「通常の文章では「最初の五行が重要」と言われるが、ブログの場合はもっとシビアだ。一行で決まることもあるだろう。」なんていうあたりは「そうだなぁ」と共感しました。
読ませるブログ (ベスト新書) Book 読ませるブログ (ベスト新書)

著者:樋口 裕一
販売元:ベストセラーズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年6月 3日 (水)

イスラムの怒り

 この本に出会ったのは偶然ですが、読んだのは偶然ではありません。本屋を歩いていて、題名と著者名を見てひらめくものがあったのです。
 
「、、、、これってあの内藤先生??」
 
 僕が中学校の時に通っていた塾で数学の授業をしていたのが東京大学の学生でイスラム文化の研究をしている内藤先生という方でした。
 
 内藤先生の授業以外の話が面白くて(失礼!)、当時、「モゴール族探検記」とか、「知的生産の技術」なんて本を読んだりしたのを覚えています。
 
 インシアッラー(神の思し召しのままに)なんて言葉を教えていただいたのも内藤先生でした。実はこのクラスでは僕はとんでもない落ちこぼれで、先生には大変なご迷惑をおかけしてしまいました。いまさらながらに申し訳ありませんでした。
 
 この本はイスラム文化の人々が何に怒りを感じ、我々の文化とどのような価値観が異なっているかを豊富な事例とともに分かりやすく解説した本です。
 
 自己の経験と豊富な知識から導き出される言葉が明快で、理論明晰、主張がはっきりしているのが特徴です。具体的な事例が多く、それが本書にリアリティを与えていると思います。大変興味を持って読みました。そして、やっぱりあの内藤先生の書かれた本に間違いないと思いました。
 
話は2006年のサッカー、ワールドカップ大会の決勝戦で、フランス代表チームのジダンが、イタリア代表チームのマテラッツィに頭突きを喰らわせて退場となった事件から始まります。
 
そこにあったイスラム的倫理観とはどのようなものかを解説することで、我々の文化との違いについて理解する物語の扉が開かれます。話はテロとの戦いで相手を見誤ったアメリカの誤算、西欧的価値観とのムスリム的価値観の比較、そして我々と異なる価値観を持つムスリムが何に怒るのか、について語られていきます。
 
オバマ大統領がムスリムからの支持を失った時、厳しく断罪される可能性や、成功してもおごらず、失敗しても落ち込みすぎない、ムスリム的な現実的合理性がいかに成立するのか、などについての話も大変説得力があります。
 
いかにして一夫多妻が認められうるのか、という話も興味深く読みました。
 
ホンネとタテマエを使い分けるのではなく、現実をしっかりと見つめ、ただのタテマエとなりやすい行動規範を可能な限りホンネに近づけて、より忠実にそれを守ろうとするところがイスラム的な考え方の特徴のように思いました。
 
異文化の人と接する時、価値観の違う人と接する時、意見の異なる人と接する時、何を考えるべきかのヒントがここにあると思います。

2009年5月25日 (月)

あぁ、監督

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21) を読みました。

ぼやきで有名な野村監督の本です。

この方は叱って育てるタイプの教育法を多くとる方なのだろうと思いました。

そして叱る事によって自らが誤解されたり嫌われたりする事は想定していないのだろうと思います。ですから、自分が人から嫌われることに対して恐怖感が少ないのではないかと想像しました。

これは野球という結果が見えやすい勝負の世界でトップを生き抜いてきた力のある人だからできる事かもしれません。その結果として、人を批判するにも心理的障壁は高くないのではないかと思います。

僕なら「叱って育てる」つもりだとしても、自分に年賀状が来ない事を挙げて感謝の心が足りないと述べたり、「人間教育には失敗したようだ」とは書いたりはしないでしょう。

また、不自然に感じられたのは、いろいろなところでいろいろな人の批評や批判をしていますが、あるページでは「プロ野球OB」として名前を隠して人の批判しているところです。相手を見て喧嘩を売っているような感じでちょっとずるいと思いました。

と、まぁいろいろ共感できないところはありつつも、さすがは野村監督、言葉は豊かで、思慮深く、なるほどと思わせるところがたくさんあります。

最も印象に残ったのは「弱者が強者に立ち向かうには、真っ向から勝負しても跳ね返されるだけだ。弱者には弱者の戦い方があるのである」という言葉です。

強者であれば何をやっても勝てるわけではない事も、繰り返し述べられています。

適切な状況判断のもと、適切な戦術をとることの重要性と、戦いに際して力を十分に引き出すための準備と方法の大切さを納得させられます。

これがまた、言うは易し、行うは難し、なのですよね。

あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21) Book あぁ、監督    ――名将、奇将、珍将 (角川oneテーマ21)

著者:野村 克也
販売元:角川グループパブリッシング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年5月17日 (日)

福翁自伝

 大変面白く読みました。江戸末期から明治初期の時代の雰囲気を身近に感じながら、その時代を体験した福沢諭吉が「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と語った心意気をリアルに実感できます。(ちなみに、無知蒙昧をさらすようですが、『学問のすゝめ』はまだ読んでません。)

 マイルス・デイビスの自伝もそうでしたが、自伝を著すのに自らを卑下する人はまずいないでしょう。いきおい、内容の多くは自慢話になります。それが面白いのです。

 例えば、経済論の翻訳を幕府から頼まれ、competitionに対して「競争」という訳語をつくってあてたのは福翁だったそうですが、この訳語を初めて見た幕府の役人が「争」という字が穏やかではないと、この言葉を黒く塗りつぶして提出せざるを得なかった、なんていう、落語の「目黒のさんま」のような実話が登場します。

 福翁の学んだ大阪の適塾の話では、時々皆で繰り出したりした時の事をおもしろおかしく語っていますが、それ以外は寝る間も惜しんで勉学に没頭していた事がわかります。ここでの勉学が後の礎を築いた事は間違いなく、若い時に一事を極めんと没頭する事の意義の大きさを感じます。

 一方で、大酒飲みでタバコをすわず、むしろタバコをすう人間をけなしていた福翁が、酒を止めようと断酒した際に、酒の代わりに煙草をすい始め、結局断酒は続かず、どちらも止められなくなってしまった、なんていう、人間らしい話も出てきます。

 そんな調子で、次から次へとエピソードが語り継がれていき、読んでいても「面白い話が豊富にあって語らずにはいられない」という話し好きな好々爺の漫談を聞いているような雰囲気が感じられ、その飾らぬ文体と相まって、楽しみながら読むことができました。

 この自伝のひょうひょうとした雰囲気を決定づけている特徴は、他人との比較というものが殆ど出てこない事だと思います。あくまで自分はこう思う、というスタンスで書かれているので、他人の批判にあってもネガティブなトーンが少なく感じられるのだと思います。

 文体は現代語風に直されていますが、古文のような雰囲気を残しているように感じます。一文一文は大変長くありながら意味が通るもので、途中はこう、次はこう、とつらつらと語り次ぎながら一向に句点の出現する気配がないという、この文体は言ってみれば古文調ということになりましょうが、当時の文体としては普通だったのかもしれません。しかし古文の風合いを残しながら古文体と画期的に異なるのは口語が積極的に取り入れられている事で、この点からすれば現代文と言って差し支えのないものと思われます。

 現代文としてみれば、このような文章は一般的に言って相当に読みにくいとされます。この理由は句点によって文章が終わりになるまでのあいだ、読者はどちらに向かうともわからないまま、筆者の語り口についていかねばならないので、大変苦労するのだと思います。

 普段僕は一文一文を短くする様心がけているつもりですが、この感想文は長めに書いてみました。でも、一文を長くしたでけでは福翁のような味は出せません。やはりパスティーシュというのは難しいものです。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) Book 新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

著者:富田 正文,福沢 諭吉
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年5月11日 (月)

仏教ではこう考える

仏教ではこう考える (学研新書) 」を読みました。

日常生活の中、お坊さんの話を聞く機会は、僕にはあまりありません。お坊さんと接する事があるのは葬式とその後の法事の時くらいでしょうか。法事もあまり熱心でないので、チャンスはきわめて少ないと思われます。

さらに悪い事に、祖父や祖母の葬式の時、お坊さんの振る舞いに親しみが持てませんでした。

少し例を挙げますと、まず、葬儀に来ていただいたお坊さんへのお茶の出し方などを注意をされました。正しい作法を教えてくださっていたのだと思います。けれど、遺族への配慮は感じられず、事務的でつらくなりました。

まぁ、その時に注意していただいた内容を正確に思い出せなかったり、後日、「お布施」のことを「お礼」と言い間違えてしまったりするような不信心な僕ですから、それを見抜かれての事だったのかもしれません。

その後、お経をあげている時、度胸を一瞬中断し、焼香の列が長いからと、遺族の最前列に座っていた僕に、焼香の列を増やすよう指示されました。

これも弔問客を気遣っての事だったのかもしれませんが、不信心な僕にはそう感じられませんでした。

母は父が亡くなった時、別のお寺にお願いすることにしたのでした。

この時の体験は、僕の日々の仕事の中では「他山の石」として生きています。

不幸を背負ったり、体験している人や、そのご家族と接する事を生業とするのであれば、その状況に慣れっこになってはいけないのだと思っています。自らを削る必要はないと思いますが、心の痛みを理解した態度で接する努力は怠らないようにしたいものです。

コミュニケーションにおいては、受け手の感情が非常に大切だと思うからです。

でも逆に、このような宗教体験しかないからこそ、少しでも仏教に親近感を持てるような話を読めたらいいな、と思ってこのような本にも時々手がのびるようになりました。

よろず質問箱にお坊さんが答える第1部と、日々の問題に考察を加える第2部に分かれます。優しい語り口で、仏教的な考え方を示してくれるので、大変親しみが持て、楽に読めました。

肩肘張らずに宗教的な見方、考え方を体験するのに良いと思いました。


仏教ではこう考える (学研新書) Book 仏教ではこう考える (学研新書)

著者:釈 徹宗
販売元:学習研究社
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2009年5月 7日 (木)

オーケストラ、それは我なり

オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練 を読みました。

巨匠と呼ばれた指揮者 朝比奈隆の人生を、本人へのインタビュー、手紙、多くの人の証言を取材して書き上げたものです。朝比奈隆は昨年2008年に生誕100年を迎えました。この100年のうちの93年間を生き抜くあいだ、時代にもまれつつ音楽と真摯に向かい合った生き様が印象的です。

けれども彼は純粋培養された音楽家ではありませんでした。

「私は音楽学校卒業ではないでしょう。音楽会の中では孤立しているように感じることもありました。でも、音楽家に必要なのは音楽だけでない。指揮者になるにはいろいろなことが必要になってきます。日本の音楽家は音楽家としかつきあわないからだめなのです。」

と自ら語っています。

明治の偉人を父に持ちながら、養子に出され、育ての親が他界するまで自分の肉親を知らずに育ち、真の母親が誰であったのか今でも謎が残る、、、今では考えにくいような幼少期からの環境に育ちながら、東京高等学校、京都大学とエリートコースを歩む中、いかにして音楽に引き寄せられていったのかが描かれます。それは必然であったようにも感じられます。

そんな朝比奈隆の人生が、筆者の観点から、出生の秘密を含む「四つの試練」にわけられて語られます。四つの試練に如何なる姿勢でのぞんだのかをみていると、決して逃げていません。それぞれ大変な試練ですが、それに立ち向かう事により過去が様々な形で将来の糧となっていて、決して無駄にされていないと感じました。

最終的には、オーケストラの内紛にあたっても

『オッサンについては死ぬまで面倒をみよう、と。』

団員にそう言わしめるまでになりました。これはすごい事だと思います。いかにしてそうなり得たのか、読んでみると納得です。

ここで描かれる指揮者とオーケストラの関係はこれ以上ないほど緊密なものです。指揮者がオーケストラに対して『よきにはからえ』というサインを送り、オーケストラがそれを受けて全体の意思統一のもとに演奏を奏でるなんて、そんな信頼関係は通常あり得ない事だと思います。それが実現した演奏を聴いてみたいものだと思いました。

僕は実際のところ、朝比奈隆指揮の演奏は聴いたことがありません。巻頭に描かれている最期の演奏会の様子や、

「N響にしても、新日フィルにしても、オッサンが振れば音が変わって重厚になる。あの風貌、あの顔を見ればそうなるんですよ。指揮ってそんなものではないですか。」

などという記述を読んで、2000年にオペラシティで聴いたギュンター・ヴァント指揮のブルックナーを思い出しました。

指揮者のゆったりとした動作の中に高い精神性が感じられ、それを敬愛してやまないオーケストラ全体が一つにまとまっていく様が目に見えるような演奏でした。

学生時代、卒業式などで「取り替えのきかない人材となりなさい」と言われたことがありました。ひねくれた僕は「総理大臣だって取り替えがききそうなこの日本でそんな人いないよ。」と思っていました。

けれども、本書はそんな浅はかな考えを改めさせる評伝でした。

オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練 Book オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練

著者:中丸 美繪
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年4月29日 (水)

この国の医療のかたち

この国の医療のかたち 否定された腎移植  を読みました。

この本は、しばらく前にマスコミを賑わした病気腎移植(レストア腎移植)問題のについての本です。

レストア腎移植を行った万波医師の側も、それを非難する側の日本移植学会も取材して書かれていて、取材者の意見、感情の移入はあるものの、真っ当にジャーナリスティックな本だと思いました。僕の偏見かもしれませんが、そう感じる事はそれほど多くありません。

本書の内容が全て本当ならば、びっくりするような医学的進歩の可能性が示されていると思います。深刻なドナー不足の中、レストア腎移植は一つの選択肢として真剣に考えてよいものだと感じます。これを否定しよう、非難しようとする議論は、本書に書かれている限り矛盾していると言わざるを得ません。

一方で、日本の移植医療は、和田移植に始まって、大変厳しい時代をくぐり抜けてきたという、歴史的特異性を無視する事はできないと思います。世論やマスコミの反応にナーバスになりやすく、前に進むためには万全を期してもまだ不安が残るような日本の移植医療の現状には理解すべき点もあると感じました。

例えば、僕は「目の前の患者さんさえ喜んでいればいいという姿勢には問題がある」という学会側の主張にも、医療の公平性という観点から一理あると感じました。

この観点からすれば、レストア腎移植を誰に行うかの決定は、個人の医師が行うべきではなかったといえるかもしれません。

かつてスクリブナーが人工透析機を実用化した時、透析供給体制は患者さん5人が精一杯だったそうです。彼らは、多くの腎不全患者さんの中から誰が透析医療を受けるのにふさわしいのか、患者さんを選別する必要に直面しました。彼らは、そのための委員会を立ち上げ、公開で議論しました。この委員会は「神の委員会」と呼ばれたそうです。このあたりの事については、李 啓充 「続 アメリカ医療の光と影」に詳しいのでお読みください。

先進的な医療の黎明期には同様のことが起こる可能性があるのだと思います。だからこそ、個人の判断では難しい場面が容易に想定されるのです。

それから、少し気になったのは、学会報告、学会活動が、名誉欲によってのみ行われているかの様に感じられるところが所々あった事です。

僕は貴重な経験であればあるほど多くの人と共有する事が大切だと思います。そうする事によりいろいろな人からの意見が聞けたりして、独りよがりな解釈を避けることができるというメリットがあります。

僕が研修医だった頃、先輩のN先生は「臨床家は症例報告に始まり、症例報告に終わる。」と言って指導してくださいました。

「症例報告に終わる」かどうかはわかりませんが、一例一例を大切に、という事だと思います。

本書によれば、万波先生はそんな「報告」なんて事には頓着せずに、本当に患者さん一人ひとりを大切にして診療する先生なのだと思います。

「報告すること」と「丁寧に診療する事」とどちらが大切かと二者択一を迫れば後者だと思います。本書を読めば、やむにやまれず本当にどうしようもなくて困っている患者さんの為に行われた医療であることがわかります。現実に目の前の患者さんとともに悩み、救い、患者さん達から支持されている万波先生を非難するつもりはありませんが、ただ僕は、それが多くの人に知られずにいる事をもったいないと思います。

学会活動は名誉のためでなく、こういった優れた進歩を多くの人に知らしめ、公平な議論を通じて医学、医療の進歩を促進するためにこそあるものだと思います。

その辺がうまく機能していない、または悪しき弊害が存在する事を本書は示しています。

レストア腎移植が早い時期から広く認知されていたら、もっと冷静で建設的な評価がなされていた可能性もあるのではないかと感じました。また同時に、後からでも評価すべきものは公明正大に評価すべきだと、当然の事を改めて思いました。

この国の医療のかたち 否定された腎移植 Book この国の医療のかたち 否定された腎移植

著者:村口 敏也
販売元:創風社出版
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2009年4月20日 (月)

東京フレンチ興亡史

東京フレンチ興亡史  ――日本の西洋料理を支えた料理人たち (角川oneテーマ21) を読みました。

いつだったか、フランス料理に関し、次のような定義を聞きました。

「フランス料理とは、人間の胃袋の中にいかに多くの食べ物を詰め込むことができるか、その技術である。」

以来、僕はフランス料理を大好きになりました。

フランス料理は日本人にとって意外になじみの深い料理です。洋風の結婚披露宴など、正餐とされる食事で供されるのは基本的にフランス料理です。世界各国の正式な晩餐会でもフランス料理が採用されているのだそうです。

日本でも、洞爺湖サミットのときに和食が晩餐会に採用されていたような気がしますが、正餐のメニューは基本的にフランス料理のようです。イギリス王室でも正餐にフランス料理を採用していたため、日本の皇室でも、1800年代の明治初期からフランス料理が採用されていたとの事です。

世界3大料理はフランス料理、中華料理、トルコ料理だなんて言いますが、国際勢力図からいくと、フランス料理が最大なのは間違いないでしょう。

本書によると、フランスには過去に、美食と外交を結びつけ、外交を有利に展開した歴史があるといいます。

19世紀初頭にナポレオン戦争後にひらかれたウィーン会議で、当時ヨーロッパ随一と言われた名シェフ、アントナン・カレームの供するフランス料理と外相カレーランにより、敗戦国フランスは大きな力を保持したのだそうです。

この事がどのくらい影響したかはわかりませんが、ともかく、日本は早くからフランス料理の輸入につとめていたようです。そんなフランス料理の歴史を東京を舞台にひもときます。

数多くの西洋料理店がすでに江戸時代のうちに開店していたというのはちょっとした驚きです。最初の頃は西洋もどき料理だったようで、本書の主旨から外れますが、どんなメニューだったのかちょっと知りたいような気もします。

そして明治、大正、昭和の戦前、戦後、平成と、日本の西洋料理、フランス料理を支えてきた名店、名料理人の歴史が語られます。

街場のレストランやホテルのレストランで、アラカルトの導入、サービスや料理人の感性の重要性の認識、また、大規模な宴会に対応するための、バイキング形式や冷凍技術の導入といった、今では普通に思えるような事が、具体的にいつ頃、どのような形でよってもたらされたのかなんて言うのも大変興味深く読みました。

後半は現役で活躍している人達の歴史もたくさん出てきますのでさらに興味をそそります。

今は当然と思っているような事も、背後の歴史をひもとくと、意外に短期間に変化していたりする事を感じました。中にはある程度長い寿命を保っているものもあって、それを伝統と呼ぶのでしょう。

美味しい料理を楽しむ時、時代の変化と伝統の両方を感じられたら、より一層楽しむ事が出来るように思います。

東京フレンチ興亡史  ――日本の西洋料理を支えた料理人たち (角川oneテーマ21) Book 東京フレンチ興亡史  ――日本の西洋料理を支えた料理人たち (角川oneテーマ21)

著者:宇田川 悟
販売元:角川グループパブリッシング
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2009年4月14日 (火)

大人の自転車ライフ2

前回の続きです。

本書(大人の自転車ライフ (知恵の森文庫) )で、自転車族が守るべき交通ルールとしていの一番に挙げられ共感したのは『左側通行の遵守』です。

これは本当にそうです。危険です。

朝、自転車出勤をする時など、僕は駅からはなれる方向に走って行くので、多くの自転車の流れと逆です。左側(多くの場合、左側車道)を走っているの に、まるで僕が逆走しているみたいなってしまう瞬間があります。特に、歩道も車道も狭いバス通りでは、逆走する自転車とすれ違う時なんてホントに危ない。 さらに自動車が路駐してたりして。

車道だけでなく、歩道でも実は自転車の逆走は危ないものです。僕は右側の歩道を走っていて、横から出てきた車にはねられました。

自動車を運転している人は、右から来る自動車(自転車)には注意を払いますが、左側から車両が出てくることは想定していないのです。そちらに注意を払う習慣も(殆ど)ありません。

『「自転車は左」を守るだけでも、車道も歩道も走りやすくなると思うなあ。おまけに歩行者にとっても「どちらから自転車が来る」というのが最初からわかってるから、とっても安全に貢献すると思う。』

これはホントです。自転車は可能な限り左側を走りましょう。

大人の自転車ライフ (知恵の森文庫)

2009年4月12日 (日)

大人の自転車ライフ1

大人の自転車ライフ (知恵の森文庫) を読みました。

ママチャリの話から、自転車のタイプ別の解説、自転車ライフのためのTIPS、そして自転車社会を目指した提言まで幅広く、独特の語り口で語られます。読後感は題の通り、「大人の」本だなぁ、という感じです。

特に、提言的な部分で大人だと感じました。

テレビの仕事をされているだけあって、世の中でよくなされている「提言」がなぜ広まらないのか、伝わらないのか、という事についての分析が鋭いと思います。

自転車問題を解決するための施策について語る行政側の人間の多くが自転車に乗らない為、自転車族のための施策となりにくい。

車ほど金を生まない、票を生まない、結果として政治的に立場が弱い。

中途半端に車両として定義され、自動車からは蔑視され、歩行者は手厚く保護された結果として居場所がない。

そんなことが語られます。考えようによっては絶望的で、本田勝一の「殺される側の論理」を思い出しました。「大体○○なんである。」「困った話なのだ」という、その語り口がオプティミスティックな感じがしてあまり悲惨にならないのが良いところです。

そんな本の終盤に、「自転車に乗る実力者」へのインタビューがあります。

誰あろう、自民党の谷垣禎一財務大臣(当時)です。すごく詳しくて、筋金入りで、へぇぇって思いながら読みました。谷垣さんにはぜひ頑張っていただいて、自転車の走りやすい交通事情を実現していただいて、環境に優しい日本にしていただきたいと思いました。

大人の自転車ライフ (知恵の森文庫) Book 大人の自転車ライフ (知恵の森文庫)

著者:疋田 智
販売元:光文社
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2009年4月 3日 (金)

大人のための文章教室

大人のための文章教室 (講談社現代新書) を読みました。

この本の良いところは作者の清水義範氏が自身の文体を自在に変える技術を持っている事だと思います。そんな筆者が良い文章を書くときのスパイスのようなポイントを指摘してくれます。

筆者はパスティーシュ作家と呼ばれたのだそうです。パスティーシュというのは、文章の模倣によてユーモアや、皮肉の味付けをした文芸だそうです。谷崎潤一郎の持つ独特のリズムについて、司馬遼太郎の文体をまねた文章の書き方なんて言う下りは大変興味深く読みました。

本書では「まねる」事が強調されているように思います。坊ちゃんを読んで、その文体に似てしまった小学生の作文なんかも例として挙げられています。

開口健の文章論10か条その一、まず読め。に通じるものがあると思いました。

また、読むだけではなく、そこからエッセンスを抽出する意識を持つとより良く「まねられる」ようになるのだと感じました。

もちろん本書では「まねる」事だけを主張している訳ではありません。

全12講からなる文章教室は前半の6講は文体を中心とした技術論。7講は悪文のをあげた上で、8~11講は目的別に手紙、実用文、紀行文、随筆の書き方が述べられます。そして最後の12講は上達するためのノウハウが例示されます。

個人的には紀行文の書き方の裏技表技がとても納得できて参考になりました。実際に行っていなくても小説家の手にかかるとこんな風にしてもっともらしい紀行文の実例が出来上がってしまうんだなぁ、と大変参考になりました。ただ、筆者の主張は紀行文なんて簡単ですよ、なんて事ではありません。単なる旅の記録ではなく、紀行文を書くからには、読む人を意識しましょう。読む人にとってはこのくらいの事が書いてあると興味をもちやすくありがたいものですよ、という事を架空の文章で示しているのです。

本書に一貫した主張は下記のごとくです。

気取らずにわかりやすい文章、人に読んでもらえる文章を書くのだという意識を持ちましょう。そのためにはいろいろな技術があります。他人の文章は参考になるし、読む人の視点を持って自分の文章を見つめてみましょう。

全く同意せざるを得ないのですが、実際に我が身の問題となると、なかなか難しいですね。自信がありません。

大人のための文章教室 (講談社現代新書) Book 大人のための文章教室 (講談社現代新書)

著者:清水 義範
販売元:講談社
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2009年3月29日 (日)

自分の中に毒を持て

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫) を読みました。

エネルギーにみちあふれた本です。読みながら本を書いた人は誰かに似ていると思いました。

印象から言うと山本寛斎氏の本「熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書) 」によく似ています。

徹頭徹尾ポジティブな山本氏の印象に比べ、岡本太郎氏の滑舌には、本書の題のとおり、トゲがあります。「芸術は爆発だ」とばかりに、至る所で爆発し続けながら本書は進んでいきます。あっちでドカーン、こっちでドカーン。

副題でも明らかなように、「爆発」にはパターンがあります。基本的には僕の頭に残っているほぼ全てで「世の中の人はこう思う人が多いようだ。だがぼくは違うと思う。」という論調で進んでいきます。ですから、読み方によっては、あぁ、この人はなんとあまのじゃくなんだろうと感じるでしょう。

一方で、あまのじゃくもここまで徹底していれば気持ちいいと感じます。絶対にあきらめないエネルギーには感服するものがあります。言葉に力があります。

本書の中には、第二次大戦前のパリの様子が出てきます。で、当時の芸術家、知識人たちが、国粋主義、全体主義、スターリン主義などに危機感を募らせ集会を開いた様などが語られます。当時の危機感とエネルギーがムンムンとつたわってきます。我々の社会がそのような方向に向かった時、この様な行動をとれる人達がいるのなら、日本も捨てたものではないのだろうと思います。いるのでしょうか、、、。

話はちょっと飛びますが、先日見てきた、ピカソ・クレー展には、ちょうど岡本太郎氏がパリにいた頃の色々な作家の絵も展示されていました。彼と親交のあったマックス・エルンストもありました。この頃の絵画なども、こういった時代背景をもっと良く知っていたら理解が深まったのだろうなぁ、と思いました。

話を戻しますと、彼は本書を通じ、「エネルギー」こそが全ての人間活動の源であると言っているように思います。異端児であること、異端児であり続けることによってこの人は内部にエネルギーをため、それを爆発させ、生業としてきたのだろうと感じました。

「システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活を続けているというのなら、本質的に生きているとはいえない。ならば人類滅亡論をいうことも意味がないじゃないか。一人ひとりが強烈な生きがいにみちあふれ、輝いて生きない限り。」

「一人ひとり、になう運命が栄光に輝くことも、また惨めであることも、ともに巨大なドラマとして終わるのだ。人類全体の運命もそれと同じようにいつかは消える。
それでよいのだ。無目的にふくらみ、輝いて、最後に爆発する。
平然と人類がこの世からさるとしたら、それがぼくには栄光だと思える。」

そんな文章を立て続けに叩きつけられながら読んでいて、他にも似ている人が頭に思い浮かびました。

赤塚不二夫氏です。

これでいいのだ。

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自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫) Book 自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか (青春文庫)

著者:岡本 太郎
販売元:青春出版社
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熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書) Book 熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書)

著者:山本 寛斎
販売元:PHP研究所
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2009年3月 9日 (月)

円環を描いて

から勧められ、「円環を描いてータンジョン・シリンデへの旅ー」を読みました。

この本は、亡き母の遺した一冊のノートや過去の写真をもとに、自らの出生の地を探し当てる物語です。
 
著者の米田氏は、第二次対戦前の昭和二年に 「馬来(マレー)半島ジョホール王国コタテンギタンジョンスラ巴盤河(パパン河)護謨園ゴム園」で誕生し、物心つく前に家族とともに帰国しました。
 
物語は「序 旅への誘い」に始まり、「(一)旅立ち」から「(六)翔ぶー円環を描いてー」の本文、そして「《あとがき》に替えて」と進みます。全体で三部構成となっており、中核をしめる「旅」を中心に据え、「旅の前」、「旅の後」も描かれています。
 
「序 旅への誘い」で紹介される著者のご母堂が遺されたノートは大変興味深いものです。当時のマレー半島でトラやヒョウが出たり、河にワニがいる話、ゴム園造成の苦労話、豊かな河の恵み、フルーツの話、イギリス風の生活を送っていた話など、当時の人々の生活がうかがい知れるものとなっています。
 
外国が今よりも遠く、日本の国力も現在ほどではなく、情報も少なかった、そんな当時の海外赴任生活は、今よりもずっと苦労が多かったのではないかと思います。けれども、この手記には不思議と暗いところが全くなく、明るい基調で統一されている事です。文が人を表している典型であるようなきがしました。
 
この序章により、本文への期待が高まります。
 
旅の途中での色々な出会った人々もこの物語への興味を示し、関わっていきます。著者の思い入れの深さが人々の気持ちを惹きつけたのだと思います。
 
そしてホテルの社長の力を借りて、昔の写真と同じ風景の場所を探し当てていく様子は、謎解きのようにも感じられ、読みながら興奮を共有することが出来ます。
 
そしてこの自らの生誕の地への旅を終えた後にマレーシアでおこった様々な出来事や、その後にマレーシアを訪れたりした時の事などが描かれます。
 
マレーシアで生を受け、日本で育った筆者が、再びマレーシアとのつながりを感じるというところに円環の完結を感じます。
 
海外生活を通し、同じような想いを持つ人は今も多く、これからもっと増えていくような気がします。こういったことを常日頃から自然に感る人が増え、自分の考えること、感じることをコミュニケートできる人が増えることが国際化につながるのだと思います。
 
僕もニューヨークでの留学時代を一方向のもので終わらせることなく、円環を描くような形でつなげていきたいと感じました。

2009年3月 2日 (月)

あえて英語公用語論

最近英語から遠ざかっているという自覚もあり、あえて英語公用語論 (文春新書) を読みました。

英語を公用語とする事についての議論がわき上がったのはずいぶん前の話です。

本書によれば、この議論は、故小渕恵三首相の委嘱による諮問機関「二一世紀日本の構想」懇談会の報告書で問題提起されたとの事です。

本書ではこの懇談会のメンバーの一人として英語公用語論に賛成した著者が、公正な議論の一助とするために書いたものです。

英語公用語論といっても、日本語を捨てて英語に乗り換えるなどという乱暴なものではありません。英語を第二公用語として、日本国民全体の英語リテラシー向上を目指す事は出来ないかという事です。そしてこれは今後の日本が国際社会でより良く生き残っていくための戦略として考える価値があるのではないか、という主張です。

実際、日本において英語は第二公用語とは言わないまでも、中国語、韓国語も見かけますが、英語が最もメジャーな外国語なのは間違いのない事だと思います。

小学校に英語の授業が導入されたり、今後は高校の授業も英語でなされるようになるそうですから、やっぱり目指している方向は事実上の第二公用語なのではないかと感じます。

本書では感情論となる事を避け、世界各国がどのように国際語としての英語とつきあっているのかが紹介されます。二つの言語とつきあうためにこれほどまでにいろいろな立場、考え方、やり方があるのかと驚きました。

実際に公用語とするかどうかは別として、英語の読み書き会話能力をあげる事を通して、情報収集能力を高めることが出来るようになります。外国語を学ぶ事は、異なる文化、見方を理解する事につながります。これによって、自国の文化を学ぶときに価値判断の対立軸が出来ます。自分を客観的に眺めることができるから他の価値観の存在に理解を示せるのだと思います。

英語習得を通してコミュニケーション能力を高めていく事が望ましいと改めて思いました。

思うだけであんまり努力してないんですけど。

あえて英語公用語論 (文春新書) Book あえて英語公用語論 (文春新書)

著者:船橋 洋一
販売元:文藝春秋
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2009年2月24日 (火)

スティーブ・ジョブス神の交渉力

スティーブ・ジョブズ神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! (リュウ・ブックスアステ新書 48)  を読みました。

アップルCEOのスティーブ・ジョブス氏にまつわるエピソードを連ねつつ、筆者のコメントを追補するような形で進んでいきます。本の内容は軽くさっと読めるものです。

彼ほどの才能があったとしても、本書に書いてあるような彼の行動をすることは僕にはできないでしょう。勝てば官軍の論理で非道な方法論を礼賛するよりも、勝ち負けよりも美学を貫く道に、僕は魅力を感じます。

そのなかでも参考になることがいくつかありました。まず、プレゼンテーションの大切さと、言葉の重要性です。

彼のプレゼンテーションはホントウに天才的に素晴しいと思います。それがどのような場面でいかに有効に機能してきたかがよくわかります。

そして言葉の重要性。プレゼンテーションも基本的には言葉によってなされるものです。力のある言葉をともなったプレゼンテーションは人を惹きつけます。そしてその言葉によって、人は動かされることがあるのだと改めて感じました。

スティーブ・ジョブズ神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! (リュウ・ブックスアステ新書 48) Book スティーブ・ジョブズ神の交渉力―この「やり口」には逆らえない! (リュウ・ブックスアステ新書 48)

著者:竹内 一正
販売元:経済界
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2009年2月17日 (火)

自助論

 
一言で言うと、「昔のビジネス本」という感じです。多くの優れた人物の例を引きながら、「天は自ら助くる者を助く」という有名なテーゼを描き出します。
 
訳者解説によればこの本の原著は1858年ですから、150年前に書かれた本です。明治4年には「西国立志編」として翻訳、出版されたそうです。そう言えば、高校時代に日本史に出てきた事があるような気がします。
 
当時のベストセラーだったのでしょう。 今はビジネス本があふれていますが、当時はこんな本なかったのでしょうね。 江戸時代に育った人たちが、明治という新しい時代を迎え、どのような思いで本書を読んだのだろうか、と思いながら読みました。
 
出てくる例は豊富です。
 
ワット、ベーコン、ファラデー、ニュートン、ジェンナー、リビングストンなど歴史上の大人物の例が数多く出てきます。ミケランジェロやザビエルまで出てくるのにはびっくりしました。150年前、イギリスでは著名だったかもしれませんが、僕などは全く知らない人の例もたくさん出てきます。時代を感じさせるのは、ナポレオン、ウェリントン、グラントなど軍人の例がたくさん出てくるところです。ワシントン米国初代大統領も軍人として登場します。
 
今はビジネス本がたくさんありますが、これほど豊富な例を集めた本はそうないのでは、と思います。
 
一方、読んでいて、これだけビジネス本があふれる現代において、似たような内容を、どこかで聞いた事があると感じるのは仕方のない事だと思います。でも、時系列にそって考えれば、こっちがオリジナルに近いんですよね。
 
また、「不言実行」を最高のものと評価するなど、むしろ「日本らしさ」だと思われているような事が高く評価されている事は注目してよいと思います。本書で言われていることには、「日本人的に」共感できる部分がたくさんありました。
 
150年前、栄華を極めていたイギリスの人達が高く評価した価値観は、地域、時代を問わず、十分通用するものだと感じました。
 
直接関係はないのですが、この本を読んでいて、ずーっと昔、高校の先輩KOさんの披露宴を思い出しました。奥様の御友人が祝辞で
 
「今日はありがたい言葉をたくさん教えていただいて、頭が良くなったような気がしました。」
 
と言われたのです。
 
この披露宴で祝辞を述べた方々が、次から次へと「聖書から『○○』という言葉を贈ります」と祝辞を述べた事を受けてのコメントでした。
 
当時、先輩は東京神学大学の学生でした。今は韓国で牧師さんをしています。
 

2009年2月10日 (火)

銀むつクライシス

銀むつクライシス―「カネを生む魚」の乱獲と壊れゆく海 を読みました。面白かったです。それだけでなく色々考えさせる本で、おすすめです。
 
マゼランアイナメという魚が南米の深海でひっそりと暮らしていました。
 
その魚は南米では網にかかっても食用にはならないと考えられていました。風味が少なく脂っこい白身の肉は見向きもされていませんでした。
 
その魚にアメリカの水産物卸業者が目をつけます。米国市場になじみやすいように「チリ・シーバス」と改名され、売り込まれました。最初は苦戦したものの、値段の安さと味にクセがないなど事から徐々に市場を広げ、ついには高級レストランで使用されるまでの人気魚に成長します。
 
そして資本主義の刃がマゼランアイナメに襲いかかります。
 
現代の漁法は魚を根絶やしにするほどの漁獲を可能にしました。そして、絶滅が危惧されるほどになっても、値段のつりあがったマゼランアイナメは密猟者の標的となりつづけます。 
 
本書はオーストラリアと南アフリカの間にあるハード島近海でオーストラリアの巡視船がマゼランアイナメの密漁船を発見したところから始まります。そして20日間にわたる息をのむ追跡劇が始まります。
 
本書では、追跡する巡視船の乗組員のみならず、密猟者の側からも協力を得て、その時その時の双方のおかれた状況、心境が描写されています。このため、ノンフクションですが、まるでドラマのように物語が進行します。本文中に挿入された多くの写真も全て本当に追跡中に撮影されたもので、臨場感を高めます。
 
日本でも銀むつ、メロなどの名前で食卓に上る魚に、いつ、何が起こったのか?マゼランアイナメが絶滅に瀕した今、次なる標的は?
 
人間のあくなき胃袋が自然を破壊していく様をリアルに描き出します。勧善懲悪的に一方的な視点で描く事をしないあたりに、質の高いジャーナリズムを感じました。

そして、当たり前のことですが、CO2以外の自然保護も大切だと改めて思いました。

銀むつクライシス―「カネを生む魚」の乱獲と壊れゆく海 Book 銀むつクライシス―「カネを生む魚」の乱獲と壊れゆく海

著者:G.ブルース・ネクト
販売元:早川書房
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2009年2月 2日 (月)

論理思考の鍛え方

 
「ペーパーテストで評価される能力は小学校の入学試験などの初等教育レベルから、司法試験などの専門教育レベルに至るまで基本的に同じものである」という仮説に基づき、それを実証しようと試みた本です。
 
ここで筆者はその能力を次のように分類します。
 
まず基礎となる能力に次の二つをおきます。
 
同一性を発見する能力
柔軟な発想をする能力
 
そしてこの二つを土台として、試験問題は、以下の7つの能力のどれか一つまたは複数の組み合わせを試すものだというのです。
 
推理能力
比較能力
集合能力
抽象能力
整理・要約能力
直感的着眼能力
因子順列能力
 
原則的に、これにより論理的思考能力が試され、試験によっては、コミュニケーション能力なども加えた総合能力が試される、というのが筆者の主張です。
 
小学校、中学校、東京大学の入学試験問題、企業の採用テスト、ロースクール適性試験問題、医学部入試問題などの実例をあげ、この主張を検証していきます。
 
「鍛え方」について書いているわけではありません。しかし、筆者は、本書を通し、受験勉強しているときからそれぞれの問題を上記のような視点から分析することで論理的思考能力が鍛えられると言いたいのでしょう。
 
実際の試験には筆者の主張では説明しきれないような問題もあると思います。単に知識の有無を尋ねるような問題もたくさんあるでしょう。実例や検証方法がどのくらい妥当なものなのかも僕にはよくわかりません。 学術書、学術論文ではありませんから、ここに書かれていることの真偽は、受験教育のプロの先生方の検証に譲りたいと思います。
 
この本を読んでいて、僕が面白いと思った事は別にありました。
 
「ペーパーテストで客観的に評価できるもの」は限られている、というな妥当な仮説だと思います。そして「試験によって成長の度合いや専門性の高さによって、試そうとする能力の重みづけや難易度に違いが出てくる」という筆者の主張も考えてみれば当然の帰結だと思います。
 
僕は、このような視点から受験勉強について書かれた本は読んだことがありませんでした。そこが面白いと思います。
 
筆者が本書の仮説を想起したのは、ご自身の娘さんが小学校受験をするため、対策本を手にとったときだったそうです。同様のシチュエーションは無数の親が経験しているはずです。
 
「誰もが気づかなかった所に立脚した視点を設定できる能力」はペーパーテストで計測できるものではありません。試験問題として出されたその瞬間から、そのどこかに「問題」と「解答への糸口」が隠されている事がわかっているわけですから。
 
実社会で有利に生き抜くための能力はペーパーテストのみで測定し得ないのだと、改めて思いました。
 
そして、そんなことを、ペーパーテストの本を読んでいて感じてしまったので、余計に興味深い感想として心に残りました。

論理思考の鍛え方 現代新書1729 Book 論理思考の鍛え方 現代新書1729

著者:小林 公夫
販売元:講談社
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2009年1月25日 (日)

小論文の書き方

小論文の書き方 (文春新書)  を読みました。硬派な本です。
 
読書は、文章力をつけるための必要条件の一つだと思います。書く力を養うための読書によって学ぶべきことは、知識です。この知識には2種類あります。一つはいわゆる材料としての「知識」。もう一つは論理の運び方です。後者の知識は技術に近いものです。これを言葉にしたのが通常のハウツー本です。本書はそのどちらをめざしたものでもありません。
 
「技術解説」に近い「書き方」について書いているのは全398ページのうち第一部の7ページから25ページまでの19ページに過ぎません。内容は大変興味深いのですが、そのほとんどが具体的な事例の説明です。文章を書くために一般化できるエッセンスのような文章を抽出すると、あまりに抽象的で「すぐにそのまま応用できそうだ!」という感じではありませんでした。例えば下記のような文言です。
 
「キーワードに反応せよ」
「言葉を選び静かに語れ」
「偽善的な自己に気づけ」
「自分を見失いそうになったときに自然にかかるブレーキのようなものは大切にしておきたい」
 
そして、第二部以降、本書のほとんどは作者の猪瀬氏が数年間に渡って書き続けたコラムが並んでいます。
そんなわけで、実は、買って読み始めたときには、「なんだ、自分が書いてきた文章を廃物利用して一冊にしただけじゃん。」と思いました。
 
でも、読んでいるうちに、第一部で抽象的に示された視点やロジックの組み立て方の実例が示されているのだと感じるようになりました。
 
文章のみがき方 (岩波新書) 」では、読むことによって書き手のセンスが磨かれることが強調されていました。本書には読むことによって技術を磨こうとする意図があるのだと思います。そこで、技術という観点から、これまでご自身が書かれてきたものをザクッと分類し、並べてあります。言葉にしてコマゴマ説明せず、「オレの背中を見て学べ」「オレはこうやっている」みたいな感じです。
 
本書の第一部の「名人たちの方法」に開高健による「極意」が引用されています。その補追を含めた十か条は、僕には少々高尚すぎるのですが、一番インパクトがあったのは最初の、「一、読め。」でした。「読むこと」によって「書く力」をimproveしろ、と言うことだと思います。それが本書で僕なりに少し実感できたような気がします。
 

2009年1月12日 (月)

薬害C型肝炎

薬害C型肝炎 女たちの闘い―国が屈服した日 (小学館文庫) を読みました。

年明け早々、重い話題です。

 ここに実名で出てくるそれぞれの方々の思いは想像することしかできませんが、それでは到底追いつかない位大変な思いをされたことだと思います。まさに「闘い」であり、そこでは被害者の傷ついた心までもが「武器」として用いられます。 結果として、裁判の勝者も敗者も、皆傷ついたように思われます。

 本書を読んで、裁判は望むべき最善の解決方法ではないと改めて思いました。

 本書はその「闘い」の勝者による記録です。敗者の言葉は出てきません。裁判で勝ち負けがはっきりしていますので、事の善悪について言及する余地はありません。ですが、ジャーナリズムが戦争に参加してしまっているような一面的な印象はぬぐえませんでした。

 その中で、本書に出てくる産科医 鈴木昇先生と、聖マリアンナ医科大学名誉教授 飯野四郎先生は偉いと思いました。

 鈴木先生は、次のような点で、偉かったなぁ、と思います。

 1)ご自身の経験からC型肝炎が発見される以前に、非A非B型肝炎がフィブリノゲンによって感染することを想定したこと。

 2)それについて行動を起こし、国や企業に警告を行ったこと。

 3)そしてなによりも、フィブリノゲン製剤を保存したこと。

 3)により、フィブリノゲン製剤に本当にC型肝炎ウイルスが混入していた事が実証されたわけです。あとから言うのは簡単ですが、C型肝炎ウイルスが発見されておらず、フィブリノゲンによって肝炎が発症すると公表されてもいない中で、1)~3)のような行動をとれる人は、そういないと思います。

 非常に論理的、科学的な思考過程と行動力と信念がそこにあります。

 高名な飯野先生が偉いのは僕などがいうまでもありません。本書を読んで僕が特に偉いと思ったのは、ご自身の信念に基づいて法廷に立ったことです。

 そして、飯野先生の薫陶を受けた人たちと一緒に働けるのは大変嬉しいことだと思いました。

 飯野先生は昨年9月にご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

 最後に。135ページで「聖マリアンヌ医大」になっているのはちょっと残念でした。「聖マリアンナ医大」です。正しく報道してくださいね。

薬害C型肝炎 女たちの闘い―国が屈服した日 (小学館文庫) Book 薬害C型肝炎 女たちの闘い―国が屈服した日 (小学館文庫)

著者:岩澤 倫彦,フジテレビ調査報道班
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2009年1月 5日 (月)

数字で見るニッポンの医療

 
読売新聞に掲載された「医療の値段」というコラムをもとに、日本の医療の現状をわかり易く解説しようという意図で編纂されたものです。
 
ですから話題のほとんどに「?」がつけられています。その問いに対して答えを提示するという形で話が進められます。そして、それぞれの小さなコラムが九つの章に分類されています。
 
話題として、やっぱりお金の話がたくさん出てきます。先立つものがなければ、医療も成り立ちません。そして、患者さんの人数の話、病気の診断や治療の内容、薬剤についての話が目立ちます。
 
「たばこによる損失、年間7兆3786億円」とか、「タミフル 世界の7割を日本で使用」のように「やっぱりね。」というものもありますが、「年々小さく生まれる赤ちゃん 女児は平均3Kg切る」なんていうのは普段調べようなんて思ったりすることのない内容で、「ふぅぅん」なんて思いながら読みました。
 
ただ、読み進んでいるうちに気がついた事があります。
 
出てくるデータについて、出典がほとんど示されていないのです。「学術論文じゃないから」と言ってしまえばそれまでですが、学術的なところまで踏み込んだ内容もあります。そして意見を述べたりや提言をしているところもあります。で、あれば根拠となる資料にあたりたいと思ったとき、それを調べられるようにしておくべきだと思います。学術論文でなくても、そうしている本はいくらでもあります。権威のある人の意見を持ってきて「◎◎医師はこう述べている」みたいなことで根拠にするのはちょっと安易な気がします。
 
さらにそれぞれのコラムの著者が示されていません。著者は「読売新聞医療情報部」になっています。これでは責任の所在がはっきりしません。
 
そんなわけで、読み進むうちに、だんだん斜に構えている自分に気がつきました。
 
とはいえ、最初に述べたとおり、提示されている視点や内容には興味深いものが多くあります。普段とは異なる視点から医療を眺めたとき、どう見えるのか、参考とするにはよいと思います。
 

2008年12月29日 (月)

今年の10冊

今年一年間、週に一回の割合で読書感想を書いてきました。書いていない本もありますが、それは僕の中で消化しきれなかったものです。出来るだけ広いジャンルの内容を消化し自分の栄養にできるキャパシティをもてるようになりたいものです。

そんな中、今年読んだ(自分なりに消化できた)本で印象に残った本を10冊挙げてみました。

医療崩壊
最近は医療に関する報道がない日の方が少ないのではないかと思われるほどです。今年が始まった頃はまだそれほどではなかったように思います。そして医療者側に批判的な報道も多かったと思います。今は医療崩壊という視点からの報道一辺倒です。本書は、医療崩壊の現状について、鋭い現状分析とsolidなlogicで語ったものです。バランスを保つ事にも心を砕いていると思います。かなり歯ごたえがありますが、良書と言って良いと思います。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か Book 医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

著者:小松 秀樹
販売元:朝日新聞社
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リピーター医師
裁判では相手方となる職種の方が書かれた本。反発を覚える点も多少ありますが、納得できるところもあります。患者さん(またはそのご家族)が医療に何を求 めているのかを知るのには良いと思います。リピーター医師と呼ばれてしまうような医師は無自覚に似たような事故を繰り返しているそうです。自省することの 大切さと難しさを感じます。

リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか? (光文社新書) Book リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか? (光文社新書)

著者:貞友 義典
販売元:光文社
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最強 ハーバード流交渉術—仕事が100倍うまくいくNoの言い方
原題は"The Power of a Positive No"。交渉術についての本です。人と接する仕事をしているため、様々な場面で参考になる事例がたくさんあり、勉強になりました。クレーマーの様な患者さんなどと話をする時に役立っています。そのような方を相手にして、自分が相手の考えを理解したり、自分の考えを相手に理解してもらう為に必要な視点の持ち方、解決策の探し方についての内容は、今でも「読んで良かった」と感じることが多いです。

最強 ハーバード流交渉術―仕事が100倍うまくいくNoの言い方 Book 最強 ハーバード流交渉術―仕事が100倍うまくいくNoの言い方

著者:ウィリアム ユーリー
販売元:徳間書店
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打たれ強くなるための読書術
本書の筆者による『知的に打たれ弱い症候群』の診断基準は何かと言うと下記の5項目となります。
1)すぐに解答を欲しがる。
2)どこかに正解がひとつあると信じている。
3)解答に至る道をひとつ見つけたらそれで満足してしまう。
4)問題を解くのは得意でも、問題を発見するのが不得手である。
5)自分の考えを論理的に述べる言語能力が不足している。
現代において、症候群に罹患している人はとても多いと思います。それを克服して知的に打たれ強くなりたいと思いますが、難しいものですねぇ。

打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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わかったつもり
同じ文章を読んでも分析的に読解したのと、読み流したのではまったく異なります。その文章の理解の程度に差が生じるからです。文章によっては誤解してしまうようなものもあります。本書を読むとそのような誤解は読み手の態度によってかなり防げる事がわかります。正しく理解していても、その深さには程度があります。筆者は「わかったつもり」になる事が理解を深める妨げとなるのだと説きます。そして理解度を自らの力でより深めるにはどうしたらよいのか、について考えます。

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) Book わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)

著者:西林 克彦
販売元:光文社
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文章のみがき方
とてもよい言葉、よい文章が沢山つまっています。時を改めて再読すると新たな印象を持って読める本だと思います。
僕は岡本太郎の
「むしろ下手の方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。平気でどんどん作って、生活を豊かにひらいていく。そうすべきなのである。意外にも美しく、うれしいものが出来る。」
という言葉はやっぱり好きだなぁ。

文章のみがき方 (岩波新書) Book 文章のみがき方 (岩波新書)

著者:辰濃 和男
販売元:岩波書店
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悩む力
色々なところで話題となり、今でも書店で平積みになっていますね。静かな語り口と論理性がねばり強い知性を際だたせませます。本書で提示される8つの問題に対して、筆者のいかに悩んできたのか。知っていること、答えを出すことが知性ではないのだと実感しました。

悩む力 (集英社新書 444C) Book 悩む力 (集英社新書 444C)

著者:姜尚中
販売元:集英社
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察知力
言わずと知れたサッカー日本代表、中村俊介選手の本。僕の理解では、「未来志向の高い意識」こそが限られた能力を有効活用する道である、と言う事が書かれている本だと思います。言葉のみでは抽象的で何のことやらわかりませんが、サッカーを実体験からくる言葉には力があります。

察知力 察知力

販売元:楽天ブックス
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感動をつくれますか?
仕事として創作活動に従事するためにもっとも必要とされるのは?誰からも求められないようなものを自己の信念に基づいて製作し続ける孤高の芸術家もいると思います。この本の筆者はそのようなタイプのクリエイターではありません。映像製作者からも、観客からも求められるものを作製しつつ、自己実現も同時に図ろうとする音楽家です。そのような作品をプロとして高いレベルで創作し続けるために必要とされるものは才能だけではない事がよくわかりました。

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21) Book 感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

著者:久石 譲
販売元:角川書店
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魯山人味道
最初に書かれたのが戦前ですから現代に照らし合わせると適切でない表現もみられます。味覚についても価値観が異なっている所があるようにも感じます。たとえば美食の観点から色々な人や食べ物、食べ方が語られている中、「粉わさび」が普通に何気なく登場したりします。でも、そんなところも含めて魯山人という人の食への真摯な想いが感じられます。トゥールダルジャンで鴨を食べたときの話は「美味しんぼ」でも使われたりして有名なだけに、こんな状況だったのかと印象的でした。

魯山人味道 (中公文庫) Book 魯山人味道 (中公文庫)

著者:北大路 魯山人
販売元:中央公論社
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2008年12月16日 (火)

感動をつくれますか? 2

前回の続きです。

多くの努力を続け、筆者は良い作品を継続的に創作してきました。良い作品については、宮崎駿監督の言葉を引いて、鑑賞前に一階から入った人が、観賞後 には二階から出てくるような感じになると言っています。即ち、良い作品は観客のイマジネーションを刺激し、新たな視点をもたらすという事になります。

「良い作品」を創作するのが簡単なことではないのは本書を読めばよくわかります。そのなかで、厳しい言葉も多くあります。しかしそれが厳しいだけで終わっていない所が良い所だと思います。たとえば次のようなくだりです。

『 過去のものを否定して新しい道を模索することは、当事者にとってはとても革新的なことのようなつもりでも、長い歴史の中でみるとたいした目新しさでないことも多い。 中略
だが、そのちっぽけな存在がちょっとずつの変化をもたらし、それがいくつも重ねられていくことで、物事が動き、流れに変化がもたらされる。』

『 力の劣る人間が一人いるとレベルは下がる。だが、それを凌駕する力もまた、人間の集団にはある。』

常に希望を持ちつつ、進歩を求めるのが基本的な姿勢となっているように思います。ですから、ネガティブな態度に対しては大変手厳しいコメントが並びます。

『 新しいことに挑戦しようとするとき、経験則で水を差す人がいる。その人にとって、経験がプラスになっていない。むしろ進歩を妨げている。』

『苦労を偉いことだと持ち上げる人は、大抵、苦労自慢をする。中略 そんな話は人にとって面白くもないし、為にもならない。』

『普通の苦労は人間の幅を広げることにはならない。幅を広げたかったら、知性を磨くことと本当の修羅場をくぐり抜けることである。』

未来志向で自ら限界をもうけないことが前提なのだと思います。必然的に、まず一歩踏み出すことを是とします。

『頭で考えただけのものはダメなのだ。頭の中でどんなに明快に分析できても、最後の核心にはタッチできない。』

『理論が肥大すると、実質は痩せる。』

まずは実践し、そこから学んでいく現場主義みたいなものが底流に流れているよう思います。実践するのは易しいことではありません。これまでの経験からの実感なのでしょうが、本書の中の多くの言葉が、未来のご自身にも向けられているように感じられました。

お薦めできる本だと思います。

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21) Book 感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

著者:久石 譲
販売元:角川書店
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2008年12月14日 (日)

感動をつくれますか?  1

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21) 」を読みました。

筆者は日本を代表する映画音楽作曲家 久石譲氏です。論理性をもって創造する能力と人柄が相互作用して、とても良い言葉が沢山書かれている本だと思いました。

筆者によれば、「優れたプロとは、継続して自分の表現をして行ける人」であり、「一流とはハイレベルの力を毎回発揮できる事」という定義になります。

似たようなことを歌手の松山千春さんが何かのインタビューで語っていた事があります。曰く、「二流は期待どおりの結果をたまにしか残せない人。一流は期待 どおりの結果を常に残せる人。超一流は期待を超える結果を残せる人。」なるほどなるほど、と聞いていたら「松山さんはどうなんですか?」と突然インタビュ アーから質問されました。彼はちょっと驚いたような表情を見せましたが、「そりゃオレの歌を聴いて判断してくれよ。」と答えた彼の表情はかっこ良かったで す。

閑話休題。本の話に戻ります。

クリエイターとして、そんな一流の仕事を続けていくためには、感性を鍛えねばなりません。筆者によれば、その土台になっているのは知識や経験の蓄積で、こ の総量を増やしていくことが大切だそうです。そして、質より量の姿勢でとにかくたくさんのものを自分の中に取り込むことを主張します。この点では昨今の効 率重視のビジネス本が多い中で、大変共感できました。

そうする事によってセレンディピティが磨かれるのだと思います。こういった感じ取る力を養う為にも一見無駄なような知識や経験も蓄えて、幅を広げることが大切だと思います。そして、セレンディピティの必要性は月田承一郎先生の本(小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ )に書かれていたのと同様だと感じました。

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21) Book 感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

著者:久石 譲
販売元:角川書店
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小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ Book 小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ

著者:月田 承一郎
販売元:羊土社
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2008年12月 8日 (月)

ベースボールと野球道

「ベースボールと野球道」(講談社現代新書)を読みました。

本書は日米のスポーツジャーナリストの共著によるものです。米国人ジャーナリスト、ロバート・ホワイティング氏は"You Gotta Have Wa "で米国に日本の野球を紹介した方です。日本人ジャーナリストの玉木正之氏はそれを邦訳「和をもって日本となす」された他、多彩な活動をされている方 です。

そのような二人が米国のBaseballと日本の野球の違いを挙げ、比較する本です。その相違点は400にも上ります。なかなか面白い企画だと思います。ただ、本書は今から17年前に出版されたものですから、今とはちょっと違う価値観のもとに書かれていると思います。

僕が大学を卒業した頃に、日本のプロ野球と大リーグを比較して「野球と言うスポーツの本質を考えた時、メジャーが正しいのではないかと思うのである」みたいな文章を読んで反感を覚えたのを思い出しました。恐らく当時はそんな先入観念があったのではないかと思います。

それは次のような本書の後書きにも表れています。

「この本をまとめあげて感じる事は、アメリカのベースボールには、いかにも(良くも悪くも)アメリカ人的であると思わせられる項目がたくさんあるのに対して、日本の野球には、いかにも日本人的と胸を張れる項目がきわめて少ない事である。」

日本人は何事につけ「道」にするのがスキですから、そう言う点でベースボールとは違う所は多々あると思います。また、高校野球の存在も日本の野球を特徴づ けるものだと思います。こういった事に起因して真面目さ、几帳面さ、真剣さ等が、時に論理を伴わない所がこのコメントにつながったのでしょう。

けれども本書が世に出てから、野球の歴史は大きく変わりました。北京オリンピックでは残念な結果でしたが、WBCで優勝してしまい、野茂がメジャーへの扉 を開き、イチローがメジャーの記録を更新し、多くの日本人プレーヤーがメジャーで活躍しています。国内でも選手会がストライキを実行にうつしました。今、 同じ企画をしたら、同じ相違点も少し違った解釈なるのではなかろうか、と思いながら読みました。

サッカーの各国代表は、それぞれの国の文化を背景に、特徴的な試合運びをします。同様に、野球もそれぞれの国で異なる戦術を得意とするようになって、競い合うようになればふたたび五輪の正式種目となる事もできるのではないかと思います。

You Gotta Have Wa (Vintage Departures) Book You Gotta Have Wa (Vintage Departures)

著者:Robert Whiting
販売元:Vintage Books
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2008年12月 1日 (月)

羽生善治 夢と、自信と。

羽生善治 夢と、自信と。 」を読みました。

非常に興味深く思いました。

何が興味深いかというと、羽生善治氏その人の書かれた「決断力」という本との比較においてです。「羽生善治 夢と、自信と。」の著者は将棋記者です。将棋 を見るプロです。その視点はあくまで羽生氏を中心に据えつつも、全体を俯瞰しているように見えます。一方で、当然ながら羽生氏は自分の事を自分の視点で書 いています。

「上座問題」についての記述があります。四冠王の羽生氏が中原永世十段、谷川浩司王将との対局ですべて上座に座った事について批判がわき起こった事件です。

少し長くなりますが、引用します。

まずは、「羽生善治 夢と、自信と。」より

『また羽生は1回戦から7回戦までのA級順位戦でリーグ順位上位者である先輩棋士との対戦でも、タイトルホルダーとして上座での対局を続けてきたの だった。羽生はその原則に従っただけとも言える。1回戦から7回戦まで自分がとった行動を8回戦の対中原戦、9回戦の対谷川戦に限ってゆがめることのほう が、むしろ羽生にとっては信念に反することだったのではないだろうか。』

と、筆者の椎名龍一氏は様々な状況から羽生氏の心中を解釈しています。羽生氏は実際にどう考えていたのでしょうか。

羽生氏の「決断力」より

『それはこの年のA級戦順位八、九回戦プレーオフで起こったことだった。1994年、当時、四冠を保持していた私は 八回戦の中原永世十段、九回戦、プレーオフの谷川浩司王将との対局ですべて上座に座ったのだ。棋士の間には順位戦は特別と考える人もたくさんいる。

将棋は 「礼に始まり、礼に終わる」という伝統の文化を持っている。後輩は、先輩と同席する場合、まず若輩者が下座に座り、先輩を待つのが礼儀である。このとき私 がそうしたのには苦い経験があったからだ。

十九歳のときに私は六段、席次六十位ぐらいのときに初タイトル「竜王」を獲得した。会社に例えれば課長がいきな り重役になるような昇進だ。その後の対局では先輩を立てて下座に座るべきか、タイトル保持者として上座に座るべきか毎局のように悩んだ。わざと時間ぎりぎ りに行って相手の人に先に座ってもらったこともあった。居心地の悪さを感じながら見事に一年で失冠、ほっとした。

それからは自分がどんなに若かろうと未熟 であろうとタイトルを持っている限りはその棋戦については代表であるのだから、それに沿った行動をしなければならない、その結果として反感を買っても仕方 が無いことだと思っていた。』

椎名氏の解釈がほぼ正しかったことがわかります。そして、その信念は、十九歳で竜王位を獲得した時の経験からきていたのです。

「羽生善治 夢と、自信と。」では当事者のひとり谷川浩司氏の文章を引用しています。

『羽生棋聖が上座に座った。周囲では『これはおかしい』を話題になっていたようだが、私自身は驚きもしなかった。』

『こういうことができるのが羽生さんの強さだろう。私が羽生さんの立場だったら、同じことはできない。結果的に上座に座るにしても、迷いがあると思う。そうでなければ対局の開始直前に入って、空いている席に座ろうとするだろう。世代の違いを感じる。』

実は羽生氏は、谷川氏が想像した通りの迷いを感じ、克服した後だったのですね。

その他にも、「羽生が七冠をはっきりと意識し始めたのは、名人を取り、五冠王に返り咲いたときだったかもしれない。」といった記載も正しいようです。

そんな細かい観察に基づき、棋士羽生のすごさについて議論も面白いです。何がすごいのかわからないとろがすごいのだ、というのです。これは本当にすごいこ とだと思います。究極の誰もまねのできないすごさです。

つかみどころがないという曖昧としたものよりも、どんな相手にも合わせられる、引き出しが多い、臨機応変、万能、そんな言葉が 頭をよぎります。

その羽生氏のすごさは才能だけでなく、不断の努力によって培われたものであることが、本書を読むとよくわかります。

これも羽生氏が「決断力」で自身の言葉で語るとこうなります。

才能とは、継続できる情熱である

そういえば、昔からいわれている言葉がある事に気がつきました。

継続は力なり。

羽生善治 夢と、自信と。 Book 羽生善治 夢と、自信と。

著者:椎名 龍一
販売元:学習研究社
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決断力 (角川oneテーマ21) Book 決断力 (角川oneテーマ21)

著者:羽生 善治
販売元:角川書店
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2008年11月24日 (月)

真っ向勝負のスローカーブ

真っ向勝負のスローカーブ (新潮新書) を読みました。なんと言っても終わりの文章がカッコイイ。
 86kmのカーブと135㎞のストレートしか投げられない僕のような人間でも、並み居るプロの強打者・好打者と真っ向勝負ができたのだ。
 あなたにそれができない、とだれが決められるだろうか。
この文章にたどり着いたとき、素直に納得して前を向ける気がしました。
 
筆者の星野投手がオリックスから阪神に移籍するときに、ボールが遅いのに技術で勝利をあげる芸術的な投球術を持つ投手として紹介されていたのを覚えています。そのときに彼のボールがいかに遅いか、彼の腕がいかに細いかとか、そんな事が話題になっていました。
 
そんな技巧派の星野投手の通算成績は、巻末の歴代通算記録によると通算勝利数34位、奪三振数16位、通算投球回数36位と素晴しい成績です。技巧派の頂点を極めた選手といってよいのでしょう。
 
その技巧派投手が実感を込めて語られる「すごい球列伝」は説得力があります。
 
「すごいストレート」「すごいスライダー」「すごいカーブ」「すごいシュート」「すごいフォークボール」それぞれ誰がどう投げてどうすごかったのかは読んでのお楽しみ。
 
その中で、剛速球投手として名前が出ないわけがない江川投手について下記のように語っているところがあります。
目先を変えるカーブとの2種類だけで最後まで投げぬいたのもスゴイ。そして、「ピッチングは逆算。決めダマをどうするか、から組み立てを考える」という持論も、剛速球あればこそで、僕から見れば羨ましい限りだ。なにしろ、僕の場合、途中で打たれたり凡打してくれたりすることのほうが多く、考えていたのはいつも「次の1球をどうするか」でしかなかった。
剛速球という「切り札」を持つことの優位性を語っています。他の「すごい◎◎」でも同様です。その人たちを羨んでいるようにも見えますが、ねたんでいるわけではありません。
 
「次の1球をどうするか」を考えることこそ、本書で語っている筆者の切り札だったのだと思います。そしてその「次の1球」を確実に効果のあるものとするためにどのような工夫をしたのかが語られます。
そこには実生活に応用可能なこともたくさんあるように思いました。
「‘自分の基準‘が大切なのだ。それが投球におけるすべてのアレンジの基本となる。」
 
「何か一つ、基本線を持って観察していると、たとえ推測が間違っていても、新たな発見がある事が多いものだ。」
 
「「気」が入っている球はド真ん中でも打たれない」
 
「練習では反省せよ、試合では反省するな!」
そんな実用的なことばかりでなく、野球の本としても大変楽しめます。
 
例えば、「無冠の帝王」清原選手がなぜ怖いバッターだったのか、彼が4番を打っていた当時の西武ライオンズの野球のどこがいやらしかったのか、なんてところはとても納得できました。
 
また、「日本シリーズ会心の1球は、二死満塁からのボール球」「とてつもなく長く感じた落合博満のバット」「伝説の4連発・ブライアントのバットは縮んで見えた!」といったあたりは野球漫画さながらの実話に引き込まれました。
 

2008年11月18日 (火)

本は10冊同時に読め!

本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである! (知的生きかた文庫 な 36-1) を読みました。

僕も2-3冊は同時に読んでいます。大体重い本と、軽い本。重い本はずっと読み続けていると沈んできてしまうので、軽めの本に逃げながら、重い本を読んでいます。

そんな訳で、最初は「おっ、共感できそう」と思って手に取りました。

でもぱらぱらっと開いてみた瞬間、「共感できそう」は「反感を持ちそう」にかわりました。

なにしろ最初の文章がいきなり

「あなたは自分が「庶民的」だと意識しているだろうか」で始まります。

筆者のことは知りませんが、IT企業の寵児なのでしょうか、すごい人らしいです。文面からも個性の強さが前面に出ています。自信もあるし、それを裏付ける実績も能力もお持ちの方なのだと思います。

でも、こんなものの言い方には納得しかねます。

『今はスピードの時代である。ビジネスの世界も刻一刻と情勢が変化しており、月に2、3冊しか読めないようでは時代の波に追いつけない。めまぐるしい変化から置いてきぼりをくらっているうちに、気がつけば低所得階級の仲間入り、という事態になりかねないだろう。』

別に低所得者階級だってイイじゃない。忠実な働きアリだってイイじゃない。まぁ、そう言う反応は織り込み済みで、筆者からは「庶民でいたい人間に強要するつもりはない」というお答えが返ってくるのは明白です。

ただ、ウサギもカメも色々な個性の人がいて社会が成り立つので、カメがウサギになろうとしても勝てないし、カメにはカメの良さがあると思います。ウサギの良さばかり強調したり、それに影響されて皆がウサギになろうとして社会は成り立ちません。

本書では様々なところで「普通でないこと」の効用を説きますが、全員がこの本に書いてある通りにしていればそれが「普通」になってしまいます。しかもその普通という内容を「庶民」とか「低所得階級」などという強い表現で語られます。

僕としてはほぼ自然に反感を持ちながら読みました。細かい所では揚げ足を取りたいと思う所も沢山あります。でもグイグイ引っ張られて読んでしまったんですね、あっという間に。

そして、冷静になって内容について考えると非常に理にかなっていることが多々あります。

集中力

幅広い知識

時間の有効利用

個性的であること

これらの重要性が独特の語り口で語られます。本の個性(魅力)には、筆者の個性(魅力)が強く反映されるものだと感じました。

この中で「個性的であること」の重要性は「非属の才能 (光文社新書 328) 」で語られているのと同様の内容だと思います。

本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである! (知的生きかた文庫 な 36-1) Book 本は10冊同時に読め!―生き方に差がつく「超並列」読書術 本を読まない人はサルである! (知的生きかた文庫 な 36-1)

著者:成毛 眞
販売元:三笠書房
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非属の才能 (光文社新書 328) Book 非属の才能 (光文社新書 328)

著者:山田 玲司
販売元:光文社
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2008年11月13日 (木)

iPS細胞

iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書 431) を読みました。iPS細胞そのもの、と言うより再生医学研究についての入門書と言ってよい本だと思います。

内容は丁寧で緻密です。難しい言葉はできるだけ使わないようにしているのがわかります。たとえば、iPS細胞を作成するのに必要な4つの因子もあえて名前を出さず、「山中ファクター」として述べています。そういう点で必要のない専門用語は避けられています。

その一方で「再生」という同じ言葉がさす現象は、生物種によって多彩であることなどが丁寧に論じられます。 こういったあたりは、言葉の定義があいまいなまま表面的な知識をなでただけのガイド本とは異なります。

一方で、全9章のうち、6章まで行かないとiPS細胞が登場しません。正確に言えば図などにはきっちり織り込まれているのですが、話題の中心がiPS細胞そのものになるのは6勝からです。題に「iPS細胞」とあるのに、、、と感じることもあると思います。
 
けれども、そこが筆者の真面目さなのだと感じました。iPS細胞の背景にある様々なことの理解なくしてiPS細胞のインパクト、意味合いなどを理解することはできないと思うからです。

背景をしっかり描こうとしているところに加え、巻末に索引がついているところにも、筆者の真面目さがうかがえます。

再生医学研究はどのようなものかを概観し、興味を持つのにはとてもよいと思いました。そして、終章を読むと、この本を書いた人は、ロマンチストなのだなと感じます。バイオの視点を通して世界観を構築しようとしているのがよくわかります。

ただ、4章に出てくる肝臓が慢性炎症で肝硬変になるところだけはちょっと気になりました。肝臓が硬くなる過程で線維化という事が起こりますが、感じが全部「繊維化」になってしまっています。これによってこの本の価値が下がるものではまったくありませんが、肝臓屋さんとしては見過ごせません。

本書の著者は現役の大学院生だそうです。その所属する研究室はiPS細胞を樹立した研究室ではありませんが、大変有名な先生が主催されるトップレベルの研究室です。とても能力のある方が、一流の研究室で教育を受けているのだと言うことを感じ、僭越ながら、頼もしく思えるような本でした。

iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書 431) Book iPS細胞 世紀の発見が医療を変える (平凡社新書 431)

著者:八代 嘉美
販売元:平凡社
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2008年10月28日 (火)

プロフェッショナル原論

 
医者や弁護士はプロフェッショナルの元祖ともいえる職業として例がよくあがります。自らの職業に誓いを立てたヒポクラテスはプロフェッショナルの祖と考えられているのだそうです。
 
だとすると、本書に出ているように、「professional」という言葉は「profess」という「宣誓」を意味する言葉から来ていると言うことも 納得がいきます。ヒポクラテスの誓いのように、職業につくにあたって、神に誓いを立てなければならない、そういう厳しい自律性を要求することが、プロフェッショナルという職業の本質にある事がわかります。
 
従って、現代社会において、医者、弁護士は国家資格がありますが、プロフェッショナルな職業というのは、資格によって定義されるものではありません。
 
筆者の職業は経営コンサルタントです。筆者によれば、経営コンサルタントは国家資格が無いからこそ、プロフェッショナルはいかににあるべきかを真剣に考えてきた職業だと言います。
 
本書は、プロフェッショナルとは何か、どうあるべきか、について考え提言する本です。
 
筆者はプロフェッショナルの実質として二つの要素を挙げます。それは、知識や技術の面での職能の高さと、特有の行動規範や倫理意識です。
 
特に後者の意識の乱れがライブドア事件をはじめとするような、プロフェッショナルが深く関与した大事件の背景にあると筆者は考えます。
 
プロフェッショナルが持つべきであって、近年乱れが生じている精神的な側面は以下の5つに要約されます。
 
1 クライアント インタレスト ファースト(顧客利益第一)
    全てはクライアントのために
 
2 アウトプットオリエンテッド(成果志向)
    結果が全て
 
3 クオリティ コンシャス(品質追求)
    本気で最高を目指す
 
4 ヴァリュー ベース(価値主義)
    コストは問わない
 
5 センス オブ オーナーシップ(全権意識)
    全て決め、全てやり、全て負う
 
そして、近年の経済至上主義によって、「成果志向」が一人歩きし、「顧客第一主義」「品質追求」「価値主義」と言った価値観が置き去りにされ、高い職能を持つがゆえの「全権意識」にゆがみが生じても、それをチェックする第3者が通常存在しない、、、この現実が浮き彫りにされます。
 
その現実と対峙して、筆者はプロフェッショナルとしての原点回帰を提唱します。そしてその行動規範を高く保つことにより、社会が求めるプロフェッショナルの居場所が確保されることになるのでしょう。
 
若い人たちのキャリアディベロップメントに関する議論のなかに、このような精神性を持ち込むことは、とても大切なことだと感じました。
 

2008年10月20日 (月)

がんはなぜ生じるか

 
「がんはなぜ生じるか。」
 
なんて大きな題でしょう。答えなんてあるのでしょうか。本当の意味で「答え」を知っている人はいないのと思います。それがわかっていれば、現在までに、もっと有効ながんの治療法が開発されていたことでしょう。
 
さらに、その答えは一つではないかもしれません。実際、内容を見てみると、化学物質から放射線、微生物にいたるまで、さまざまな物事が発がんに関わる事がわかります。
 
このような現状で、「がんはなぜ生じるか」という問いを投げかけられたとき、専門家であっても答えは人によって違ってくると思います。その違いは、その人の専門分野、経験、あるいは世界観、生命観によって、生じてくるのではないかと思います。
 
本書はフリーラジカルの発癌への関与を提唱した筆者が、その世界観に基づいて発がんの原因にかかわるものを整理分類し、それらがいかに研究されてきたのか、歴史的な視点を交えて語ったものです。
 
文章は硬いですが、一般の読者を想定していて、専門知識がなくてもわかるように書かれています。
 
この一冊で全てを網羅するとは思いませんが、いわゆる発がん物質を中心とした発癌に関わる知識をコンパクトに整理するには良いと思います。
 

2008年10月15日 (水)

人生は勉強より世渡り力だ

人生は勉強より「世渡り力」だ! (青春新書INTELLIGENCE 204) 」を読みました。

著者紹介には次のように出ていました。

「技術的に難しくて誰にもできない仕事」「安すぎて人が敬遠する仕事」をモットーとし、針穴の直径が0.08ミリという世界一細い「痛くない注射針」の量 産化や、携帯電話の小型化に貢献したリチウムイオン電池ケースにより、「世界一の職人」「金型の魔術師」としてしられる。

筆者の岡野雅行氏の岡野工業には小泉元総理大臣や、奥田元経団連会長なども訪れたとの事で、日本の工業を支える職人さんの象徴的存在のようです。

その筆者が説くのは、岡野流人生論。

一番大切なのは、机にむかってする勉強ではない。人生を学んで「学力」 ではなく「世渡り力」をつけなさい。と訴えます。

では具体的に世渡り力とは何をさすのか。その実例が本書には沢山出てきます。

正直に言って、こすっからいと感じる知恵もあります。当然ながらそれだけではありません。度胸、度量を感じさせる話が沢山出てきます。

そのなかで僕が強い印象を持ったのは、岡野氏が友達のオヤジさんに言われた言葉でした。

「おまえね、ゲンコツを握っているようじゃダメなんだよ。手は広げなくちゃいけないよ。」

こんな事を言えるオヤジさんもすごいと思いますが、同時に、そんな言葉を言ってもらえるところ、そんな言葉を受け止められるところに「世渡り力の」真骨頂があるように思いました。

人生は勉強より「世渡り力」だ! (青春新書INTELLIGENCE 204) Book 人生は勉強より「世渡り力」だ! (青春新書INTELLIGENCE 204)

著者:岡野 雅行
販売元:青春出版社
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2008年9月29日 (月)

わかったつもり

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) 」を、なかなか興味深く読みました。「本を読む本」における分析読書の第二段階、第三段階をやさしい実例をもとに解説している本と言って良いと思います。 

最初の問題提起が本書の目的を端的に表しています。


『後から考えて不十分だというわかり方を「わかったつもり」とこれから呼ぶことにします。この「わかったつもり」の状態は、ひとつの「わかっ た」状態ですから、「わからない部分が見つからない」という意味で安定しているのです。わからない場合には、すぐ探索にかかるのでしょうが、「わからない 部分が見つからない」のでその先を探索しようとしない場合がほとんどです。
「わかる」から「よりわかる」に到る過程における「読む」という行為の主たる障害は「わかったつもり」です。「わかったつもり」がそこから先の探索活動を阻害するのです。 』

「わかったつもり」の人が「わかっていない」事を理解するためにどうしたらよいのか、と言う事を懇切丁寧に教えてくれます。

何しろ小学校二年生の教科書を読まされて、自分がその文章をホントウは「わかっていない」と気付かされるのですからたまりません。

小学校六年生の教科書に至っては、わかっていないどころか間違って読んでたりすると言う、その現実に向き合わねばなりません。

本書を読んでいると、全てを「わかる」ことは無いのかもしれないと思います。一方、だからこそ、理解を深める事は永遠に可能なのだとも思います。


視点を深めることによって、同じ文章を読んでもまったく違ったものが見えて来ます。でも本書で言うように中途半端な理解で「わかったつもり」になっていると、 「わからない部分が見つからない」のでその先を探索しようとしないことになります。


「わからない」時は問題意識が刺激されるので、むしろいいとさえ言える。というのは目からウロコでした。その通りだと思います。ソクラテスの現代国語版「無知の知」みたいです。


ある程度「わかった」上で、自ら理解を深めるためにどうしたらよいのか。そんな時の一つの方法を示してくれています。

最後に受験勉強を題材にもってきているあたりが商売的にウマいかも、、、。同じようなストラテジーで点数がとれるようになれそうな気がします。確かに。

でも、実はこの本を読んでもそう簡単に得点の向上は望めないと思います。残念ながら。

小学生の教科書の読みを深める事と、大学受験レベルの文章の読みを深める事には自ずと違いがあります。技術的に同様であったとしても、解釈に必要とされる背景知識、論理的思考能力を本書一冊のみで養う事は不可能だからです。そして本書で著者が指摘しているように、読書においては、整合性のある複数の解釈が可能です。複雑で高度な内容であれば、その整合性を丹念にチェックするだけ でも高い思考技術が必要だと思います。 

試験中にそんな大変な事をやってたら、頭から煙が出そうです。

かつて、受験における英文和訳は、『英文の意味を日本語で書く』事が求められているのではないのだ、と教わりました。その先生によれば、『文法構造に基づいて内容を正確に理解できている事を、英語を日本語に置き換える事によって示す』事が求められているのだそうです。だからこそ客観的な評価が可能になるのだと。それを聞いて大変納得したのを覚えています。

僕は国語が苦手でしたので、あまり大きな事は言えませんが、本書を読んで、国語にも同じような事が当てはまるのかもしれ ないと思いました。出題意図を理解しそれに沿った解答をする。これが正解にいたる早道ではないかと思いました。

今から考えてみると、僕はそんな事を考えもせず、独りよがりの解答をしていたように思います。得点が伸びるはずありませんね。大学受験を終えて四半世紀もたってから気付かされるとは。

とほほ。   

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書) Book わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 (光文社新書)

著者:西林 克彦
販売元:光文社
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本を読む本 (講談社学術文庫) Book 本を読む本 (講談社学術文庫)

著者:モーティマー・J. アドラー,C.V. ドーレン
販売元:講談社
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2008年9月22日 (月)

ワインをめぐる小さな冒険

ワインをめぐる小さな冒険 (新潮新書 239) を読みました。とても愉しみながら読みました。


ワインを語るのは大変です。日本酒にたとえれば、米の品種、田んぼの位置と土質と、その年の天候、それに作り手と、それぞれについてケンケンガクガクあるわけです。一見同じ名前のワインでも作り手によって味が違うっていうんだからもう大変です。素人がおいそれと踏み込む事のできない、青木ヶ原の樹海のような世界がひろがります。


でもそんな事を知り尽くしていなければ語っちゃいけない、なんて事はないでしょう。素人なりに美味しいものの悦びを感じますし、自分なりに表現しようとすることに制限はないはずです。


ただ、料理や酒を語るのに、「うまい」、「おいしい」、だけで表現しようと思っても伝わりません。「やばい」なんてのを付けてみても、程度をあらわすだけで、質の違いを表現する事はできません。語彙、表現力が大切だと思います。その点で言えば、上手な文章を読むのは勉強になります。


最近「美味しんぼ」みたいなのは流行らないのかも知れませんが、やっぱり言葉で表現しておくと、記憶がより鮮明に残る事は間違いないのだと思います。


この本を読んでいて20年近く前の二つの記憶がレストランとともに思い出されました。


一つは 「ロゼに栄光の日をふたたび」。


もともとロゼワインは好きです。あまり高級ではありませんが、気軽に飲むのになかなかよろしい。その昔は、まずい赤や白を飲むくらいならロゼが良いと思っていました。まずい赤、白、の代用くらいにしか思っていなかったロゼの美味しさを教えてもらったのは、飯倉のプロヴァンス・ミレイユというフレンチレストランでした。きりっと冷えたプロヴァンス・ロゼは今の季節にぴったりです。


その店では毎年初夏にプロヴァンス・ロゼの飲み放題フェアをやっていましたっけ。もう20年も前の話です。記憶が確かなら、樽から豪快についでもらっていたような気がします。そしてそのミレイユのブイヤベース、豊富な魚介類が潮の香りとともに立ちこめる、それはそれは美味しいものでした。それに小さなパンを浮かべ、少量のチーズとともに食します。今こうしていても味が思い出されて唾液が出て来るほどです。


今もあるのかな、とネットで見てみたら、西日暮里に移転してしまったのですね。いつかまた再訪したいです。


本書ではロゼと和食を合わせる話が出てきます。著者はトンカツとの組み合わせがお勧め。食欲をそそる美文がつづられます。ロゼ、その他にも焼き鳥やちょっと癖のある野菜の天ぷらなどにもとても合いそうです。


もう一つの章は  「武門の誉れシャトーヌフ・デュ・パプ」。


20歳になったばかりの頃、飲みつぶれた僕を一晩介抱してくれた悪友二人が僕に謝礼を要求してきました。確かに当時は90キロ近くありましたから、僕を運ぶだけでも相当大変だったと思います。それでも、彼らが勝手に設定した時給で朝までの時間分を要求してくるのですから酷い話です。言うに及んで「友達だからすこし安くしてやる」とくるのですから、堅気の人間とは思えません。結局、金銭の授受はせず、男3人でフランス料理を食べに行く事になりました。今考えても変な男たちです。

訪れたのは当時六本木に開店して間もなかったTera'sでした。アヤシい男衆3人組を、なぜか快くもてなしてくださいました。プロとして当然の事、と言ってしまえばそれまでですが、おかげでそれ以降、僕たちは度々お世話になる様になりました。フレンチレストランなのになぜか夜中2時まで営業していて、夜遅くに時々うかがっては色々な味を教えて頂きました。そのTera'sの寺島シェフが、学生の僕たちでも飲めるコストパフォーマンスに優れた赤ワインとして、勧めてくれたのがこのシャトー・ヌフ・デュ・パプでした。なんにも知らない僕たちは◎◎の一つ覚えのようにこのワインばかり飲んでいたように思います。Tera'sも今はたまプラーザに移転しています。こちらは今でも時々お世話になっています。


本書を読んでいる間、そんな思い出が頭の中を去来していました。気がつくと自分は、口の中を唾液で一杯にしながら他人のワイン談義を読んでいます。


やっぱりこういうものは、現物で愉しまなければ!


アンリ・ジャイエ「ワインは人の心を通じ合わせてくれるのだから、一人で飲んだりしちゃあいけないよ。テーブルに水しかなければ、政治の話でもすればいいだろう」

ワインをめぐる小さな冒険 (新潮新書 239) Book ワインをめぐる小さな冒険 (新潮新書 239)

著者:柴田 光滋
販売元:新潮社
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2008年9月10日 (水)

ハンバーガーの教訓

最近感想文が多いですが、、、一応読書の秋ってことで。

ハンバーガーの教訓』 を読みました。

ハンバーガーは僕にとって、アメリカ流どんぶり飯のイメージです。ハンバーガーやサンドイッチは、持ち歩き可能、という点ではおにぎり的な要素もありま す。いずれにせよ、その魅力はおかずと主食が一緒になっていて、気軽に食べられて、口の中いっぱいにほおばる喜びを感じられるところにあると思います。

こ の本は、そんなハンバーガーの功罪を、栄養的側面から科学的に、美食的側面から心理学的に紐解いた本ではないか、、、、そんなことを期待して手に取ったの ですが、ちがいました。結局は筆者の人となりに興味を持って購入して読みはじめました。

著者はマクドナルドの会長兼社長兼CEOの原田永幸氏です。本書はハンバーガーそのものについて論じた本ではなく、マクドナルドを通じてビジネスを論じた本でした。

筆者はかつてアップルコンピュータの日本法人社長だった人です。アップルと言えばCEOのSteve Jobsが有名ですが、その頃から僕でも原田氏を知っていたのですから、この人も有名なのだと思います。

僕が原田氏を知ったのは、かつて、シャーロックと いう検索機能がMac OSに追加されて発売となった時の事です。原田氏は、シャーロック・ホームズの格好をして表れたのでした。この時、そのいでたちのみならず、人物から発せ られる雰囲気に強い印象を受けました。その後、業績の回復したアップルコンピュータからマクドナルドのCEOに就任し、大分話題になったことを覚えていま す。

原田氏がマクドナルドの社長兼CEOとなった時、マクドナルドは7年連続で売上高が対前年比マイナスとなっていたそうで す。かつて危機に瀕していてそれを回復させたアップルコンピュータ社での経営手腕を買われての華麗な転身、という所なのでしょうが、どうもご本人にとって はそのような意識はなかったようです。

「危機に面している時にやるべきことはかわらない」と。

本書によれば、再生を遂げたマクドナルドの戦略は「紙一枚」で表現可能なシンプルなものだと書かれています。「企画書は1行 (光文社新書) 」に通じるものだと思います。理念と目標をはっきりとさせ、ぶれないようにする事、だそうですが、言うは易し行うは難し、ましてや人をついてこさせると なると本当に難しいと思います。

多くの本は、前半3分の1くらいで言いたいことの殆どが出尽くして後半失速するのですが、この本は後半に盛り上がりがありました。

後半はキャリアについての話が中心で、「自分で考えるキャリアアップ」について様々な提言がなされます。

「現代の社会は要領のいい人間を機械的に作り上げる方向にばかり作用しているようにも見えてしまう。」

「本を読むということは、あくまで考えるきっかけ作りであり、そこで感じたことから自分の思考を刺激して行くようにしなければならない」

「人は失敗から多くを学ぶものだし、失敗を糧に出来る人ほど高い可能性を持っているものである。」

言葉だけ抜き出してくると、当たり前のように思えますが、ご自身の色々な経験に基づいて語られる為、言葉に力があります。

今やファーストフードチェーンのなかで一人勝ちに近いイメージのマクドナルドですが、それを引っ張っているのが原田氏である理由がわかる気がしました。

ちなみに、アメリカのマクドナルドより、日本のマクドナルドの方が美味しい気がします。パリのマクドナルドは日本のマクドナルドより美味しいと聞いた事がありますが、食べた事がないのでわかりません。

ロシアのマクドナルドにはマックピロシキとかあるんでしょうか、、、。

ハンバーガーの教訓―消費者の欲求を考える意味 (角川oneテーマ21 C 142) Book ハンバーガーの教訓―消費者の欲求を考える意味 (角川oneテーマ21 C 142)

著者:原田 泳幸
販売元:角川書店
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企画書は1行 (光文社新書) Book 企画書は1行 (光文社新書)

著者:野地 秩嘉
販売元:光文社
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2008年9月 6日 (土)

痩せりゃいい、ってもんじゃない!

痩せりゃいい、ってもんじゃない! 」 を読みました。


副題に「脂肪の科学」とついていて、「打たれ強くなるための読書術 」に出ていた「副題は内容を端的に表す」という法則どおりだなぁ、と思いました。内容も文章も軽いので、割合気楽にさっと読めます。医学的なことも柔らかく書いてあるので、特別な医学知識がなくても読みやすい本だと思います。

本書ではアディポサイトカインと言う名前の脂肪細胞から分泌される一種のホルモンについて語られています。ダイエットに関し、アディポサイトカインに言及した一般向けの本はあまり見ないので、ちょっと目新しい気がして読んでみました。


著者の一人柴田玲氏は医師で、専門はアディポサイトカインの一つ、アディポネクチンとの事です。


もう一人は経済アナリストの森永卓郎氏。この本は、メタボな一般人としての森永氏と、名古屋大学で研究をしている柴田氏の対談とその解説からなっています。柴田氏だけでは無味乾燥になりそうな内容を森永氏の脂身が、本書をおいしく味付けしている、そんな本です。
 
自分は太り過ぎのように感じる、けどやせられない。友人に痩せた人(岡田斗司夫氏)がいるけど、同じ様にダイエットしようと思っても、やせられない。もうちょっとダイエットしたほうがイイとは思う。でも、やせりゃいい、ってもんじゃないんじゃないか。やせてしまうと自分の良さもなくなってしまうんじゃないか。

と考えを巡らす森永卓郎氏が、答を求めて柴田氏にその思いを語ります。同時に普段の食生活なども同時に語って柴田氏に相談を持ちかけます。
 
森永氏、柴田氏が本の中でも言っている様に、一応相談しているのですが、本当はやせたくないんじゃないか、、、そう思ってしまうようなコメントのオンパレードです。そのコメントはさすがのもので、メタボな人の大半が拍手すると思います。僕自身、不覚にも深く共感してしう部分がありました。


一方、柴田氏の主張は表題の通りです。要するに過度なダイエットは良くないということです。そして、そこにはちゃんと裏付けがありますよと根拠を示します。でも太り過ぎも良くない事は間違いなく、本書で勧めているのも適度なダイエットです。とてもオーソドックスな結論です。


「痩せりゃいい、ってもんじゃない!」 ていう言葉が表題として成立するためには、「太りすぎはよくない!」ってことがコンセンサスとして必要なはずです。でも、森永氏に拍手を送りながら読むと、「小太りがいい!」「このくらいなら、瘠せすぎよりは、、、」「自分は小太りだから大丈夫!!」と納得してしまいそうな気がします。森永氏も自分を「小太り」であると納得させているような気がします。感情的には同意しますが、、、。


僕は今年に入ってBMI22−23を維持していますが、横腹のお肉(英俗名:love handles, spare tire)はかなり気になります。自分の感覚では余分な贅肉があるので、現時点で小太りに近い感じです。ダイエットをしてやせ始めてから初めてlove handlesが気になるようになりました。ダイエットするまではそんなに気にならなかったのですが。そしてダイエットを始める前の自分への感覚を言葉で表せば、「小太り」という言葉になります。痩せられない人の多くは自分を「小太り」と考えている人たちのような気がします。


今日の僕は67Kg。 BMIは22.4.。

2008年9月 1日 (月)

熱き心

熱き心 寛斎の熱血語10ヵ条 (PHP新書 516)  を読みました。

自らの「熱き心」を表現する言葉を「熱血語」と称し、その熱き心を熱き言葉で語り続ける、そんな本です。本書は疲れた人のための本ではありません。元気なときに読みましょう。疲れたときに読むと、引いちゃって終わってしまうかもしれません。逆に元気なときなら、エネルギーを感じてあっという間に読み終わるでしょう。


本書は、個性的な服に身を包む山本寛斎氏らしく、形にとらわれない、面白い構成をしています。
 
まず、ど派手な表紙を開くと、最初に大きな文字の箇条書きが目に飛び込んできます。目次だと思ったら目次ではありませんでした。それは山本寛斎の熱血十か条でした。


 1:外見こそが最も重要な自己表現だ!
 2:才能を見つけるのは自分自身である
 3:夢を叶えるコツは、狂ったように欲しがること
 4:未来に前例などない。迷ったら新しいほうを選ぼう!
 5:人生には浮き沈みがある。だから退屈しない
 6:必ず道はある。最後まであきらめない人に未来は開かれる
 7:好きなことに没頭しよう!そうすれば辛いことも苦にならない
 8:戦いの前に、「勝つべき理由」を明確にせよ!
 9:人生の目的はお金を拝むことではない
10:見たことない「美」をとことん追求しよう


以上の十か条が「はじめに」の前に提示されます。そして前書きがあって目次となります。この目次を見ると、最初の十か条が、五章にわたり、二か条ずつにわけられて語られます。各章には題が付けられ、その題は熱血語で語られる二か条の内容に応じた物です。


1、2か条は「自己表現の秘訣」3、4か条は「夢と情熱の出発点」、5、6か条は「失敗や挫折という糧」、7、8か条は「成功をつかむ行動学」9、10か条は「感動こそが財産」というふうにくくられます。


このようにしてみると、最初に提示された十か条がある程度の流れを持って配置されたものであった事がわかります。で、十か条のそれぞれについて語る最初のページに、大きな文字で熱血語が書かれています。この熱血語は短いフレーズのようなものなので、メッセージは明確でわかりやすいものになります。それぞれのメッセージは単純で、他のものとの交雑は少なく、自身の体験を交えながら語られますから、最後まで失速をせずに読み切る事が出来ます。
 
筆者は、「人間とは理屈抜きに、「表現したい」動物なのではないだろうか。」と言います。人の注目を集め続ける人の言葉ですから「そりゃあなたはそうでしょうよ」ということもできると思います。全員が「表現したい」と思っているかどうか、僕にはわかりません。「表現しなくてはいけない」とも思いません。
 
けれども、社会的動物として、周囲に自分の存在を認識してほしいという気持ちは持っていると思います。だからこそ無視されることが辛いのです。その気持ちの現れとしての「表現」は誰にでも常に存在していると思います。この点でこの言葉には真実が含まれています。僕はその「表現」に気付けないことが多いので反省しきりです。
 
その表現に関し、次のようなコメントもあります。
『「観客の反応はどうでしたか?」しかし、私にはそういう考え方の回路はない。ショーが成功したか失敗だったのか、その答は自分にしかない。』
表現というものの性格上、観客がどう思おうと関係ない、などということは本当はありえないはずです。また、他人が評価してくれない表現をつづけることがかりにあったとしても、それは、趣味の世界であって、職業にはなりえません。
 
趣味であろうと、職業であろうと、周囲の人の反応は自己を客観視する時にとても重要な視点を与えてくれるものと僕は思います。おもねるとか、人の目を気にすると言うことではなくて、自分の考えを確かめる為にはそういった情報が有用だと思っています。
 
山本氏は自分が満足するようなものができたとき、他人が評価しないわけがない、という才能と確信があるからだと思います。いいなぁ。
 
彼のパワーいっぱいの熱血語の中で、印象深かったのは、  『人間の価値は失敗したかどうかで決まるのではない。その失敗から起き上がれるかどうかで決まるのだ。』という言葉です。
 
友人のNVさんの働いているBeau Soleilという学校のHPに出ている言葉、

The real failure is not in slipping, but in failing to pick oneself up.
本当の失敗は過ちを犯す事ではなく、そこで自ら立ち直れなくなる事にあるのです。

という言葉を思い出しました。
 

2008年8月25日 (月)

察知力



最近、いわゆる有名な人が書いた新書本をよく見かけるようになりました。この本はそのなかでも内容が濃いものだと思います。中村選手は、高校2年生の時からサッカーノートをつけているそうです。そして本当に沢山書いてきたのだと思います。本書の内容は、サッカーノートの豊富な記事の中から抜き出され、構成されて書かれているのでしょう。だから内容に厚みがあって、最後まで息切れせずに読むことができます。

始めに出版ありき、ではこうは行かないと思います。


そのなかで中村選手が強調するのは、未来を見据えた高い意識を持つことです。それが様々なレベルで未来を察知することにつながり、その準備を怠らないことで次の展開が開けます。


現在のプレーに関しては、小さな違いが決定的な違いに結びつく事を強調し、その準備の必要性を説きます。


「身体の向きを少し変えるだけで、プレーは変わってくる。視野が広がり、次のプレーの選択肢も増える。」のだそうで、その体の向きのわずかな違いを認識できる意識の高さかがポイントになるのだと思います。 これはサッカーだけでなく日常生活の中での心の持ち方にも同様の事が言えると思いました。
 
仕事や人間関係において、心の持ち方や、視点を少し変えただけでぱっと前が開けてくる事があります。でもそれができる為には、高い意識を持つ事が必要なのでしょう。


近未来に関しては、将来自分が必要とされる存在であり続けるための努力をいかにすべきかについて考察します。彼の出した答えは「経験を通し、引き出しを増やすこと」です。そしてその引き出しを多く持つことが、様々な状況に柔軟に適切に対処できるための準備となります。


彼は「体験を重ねさえすれば、引き出しは増やせるはずだが、体験は引き出しを増やすきっかけでしかない。 」と述べ、ここでも意識の高さの必要性が強調されます。


そして自分がうまくいかないときにどうするべきか。中村選手はその状況を後に活かすためにも、可能であれば逃げずに立ち向かう事を進めます。


本当に中村選手の1日24時間は本当に全てサッカーに捧げられているのだと感じました。そしてそれだからこそ、本書で語られている「高い意識」が実生活へ応用可能な考え方であることが納得できるのだと思います。


人間そんな「高い意識」ばかり追求していたら疲れてしまいます。疲弊しきらない彼の根本にあるのは、「なんでも、プラスへ持っていく努力をすれば、結構うまくいく。」というオプティミズムだと感じました。
 

2008年8月18日 (月)

日本野球25人 私のベストゲーム

 
この本は「スポーツグラフィック ナンバー」の2005年5月5日号の特集「創刊25周年特別編集 1980~2005 日本野球の25人 ベストゲームを語る。」に加筆したもので、それが文庫本となって発売されたものです。


「ナンバー」という雑誌は僕の好きな雑誌の一つです。定期購読はしていませんが、飛行機や新幹線などで移動するとき、よく購入して読みます。端から端まで止まらずに読み通してしまうこともしばしばです。本書も最初から最後まで一気に止まらずに読んでしまいました。

以下、名前が沢山出てきますが、敬称略で書かせていただきます。

桑田は池田高校対PL学園の試合を挙げました。当時、池田高校は、夏の甲子園優勝し三年生が卒業した後、チームを再編成して春の甲子園も連覇し、同じチーム編成で夏の甲子園に乗り込んできました。前人未踏の甲子園三連覇も夢ではありませんでした。その池田高校を相手に一年生のKKコンビがねじ伏せてしまった試合です。


その他、イチロー、松坂、清原が高校時代の試合を挙げました。若かりし頃の経験が将来にまで影響を及ぼす思いを植え付けることも多いのだと思います。きっと名選手と言われる多くの人が、若いうちに学びの多い豊かな経験をしているのだろうと思います。


一方で、日本シリーズを挙げる人もいました。


原は、3連敗した後、近鉄の選手から「ジャイアンツはパリーグの最下位より弱い」と言われ、その後4連勝し優勝した1989年の日本シリーズを挙げました。


古田はイチローと対戦し、彼を押さえ込んだ1995年の日本シリーズを挙げました。


短期決戦ならではのドラマや名勝負がそこにあります。


シーズン中の試合でも語り継がれている試合が挙げられています。


阿波野は、奇蹟の逆転優勝がつゆと消えた1988年の最終戦、10月19日に行われたロッテvs近鉄のダブルヘッダーを挙げました。


ブライアントは、その一年後、リーグ優勝が再び最終戦のダブルヘッダーまでもつれ込み、近鉄が初優勝した1989年10月12日の近鉄vs西武戦を挙げました。


優勝がかかった試合ばかりではありません。


阪神最強の助っ人、バースはバース、掛布、岡田による、バックスクリーンへの3連続ホームランがでた1985年4月17日の阪神vs巨人戦を挙げました。


その試合が、なぜそれほどまでに想いのつまった試合となったのか、その試合の裏にある「隠し味」を明らかにしつつ、リアルによみがえらせてくれる良質なノンフィクションだと思います。

2008年7月27日 (日)

勝つための論文の書き方

勝つための論文の書き方 (文春新書)  を読みました。


何に勝つためなのか最後までよく分かりませんでしたが、題だけ見ると受験生とか買いたくなりそうです。実際は、試験だけでなく、日常の様々な場面において論文を作成する技術が有用だし、そのような物の見方を身につけると知的に楽しくなりますよ、そういう本だと思います。


本の設定は、仏文科の教授で大学生に卒業論文の書き方を指導している筆者がその経験に基づき、日常生活にも役立つ論文の書き方をレクチャーするというものです。


全体は四章で構成され、いわゆる「書き方」は最後の四章でふれられるにすぎません。第一章では論文的なものの見方の有用性と知的愉しみについて述べられます。第二章では問題のたてかたについて費やされます。これはとても大切な事ですが、なおかつ受験勉強に重きが置かれるような学習をしている限りトレーニングされる事はほとんどないものだと思います。

受験勉強でトレーニングされるのは問題解決能力の一部にすぎず、問題設定能力がトレーニングされる事はまずないと思います。

第三章では設定した問題に答えるための資料集めについて説明がなされます。他の色々な本でも指摘されている事ですが、一次資料と二次資料の区別は大切です。 一次資料による場合は解釈に際しての論理性が、二次資料による場合には根拠の多角化が必要になります。


第四章に至ってようやく「書き方」が説明されます。この点では「論文の書き方」という表題に偽りあり、とも見えます。けれども一方で、本書の構成は書き始める間での準備の大切さを示しているのだと思います。


書き方で強調されている事は、まず、「つかみ」が大切であるという事です。序論で 読者と「?」を共有できれば話に引き込む事は容易になります。本書で論文の例としてあげられているものは、下ネタに近いものから世界史に至るまで大変幅広く、思わず興味をひかれるものが多々あります。


続いての問題は、その後の本論で読者をいかに引きつけるかです。話についてきてもらうよう、読者をもてなさなくてはいけません。そのおもてなしの技術についての説明の後、結論にいたります。「?」に対し、効果的に「!」を提示できれば大変収まりが良くなります。


ここで語られる技法は、プレゼンテーションにも応用できると筆者は言います。これは僕もその通りだと思います。不特定多数の人たちを相手に主張をし、納得させるために必要な技法には文章であれプレゼンテーションであれ共通する部分が多々あるのだと思います。

2008年7月21日 (月)

本を読む本

本を読む本 (講談社学術文庫) 」を読みました。

イヤ読みにくい、実に読みにくい本でした。

読みにくい理由には翻訳だから、ということもあるかも知れませんが、多分それだけではないと思います。本書の中で、読書をスキーにたとえる話が出てきますが、スキーをせずに文章だけでスキーのやり方を説明しているような感じなのです。

加えて、

「第五規則だけでなく、次の章に述べる他の規則にも、この二つの手順が必要である。」

なんて言う表現が次から次へと出てきます。ボーっと流し読みをしていると、「第五の規則」「他の規則」「この二つの手順」が一体何を指しているのか、訳が分からなくなります。行ったり来たりしながら読まないといけません。

一方、この本は「効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法 」の著者、勝間氏ご推薦だそうです。「効率が〜」の構成を見てみると、この本とよく似ているのがわかります。「打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) 」の種本ともなっています。他でも色々と推薦されているようなので、影響力の大きい本であるといえるでしょう。

巻末を見ると初版は1997年となっていますが、筆者から日本の読者にあてた前書きを見ると、この本の最初の日本語訳は1978年に出版されているようです。 そして原書が初めて米国で刊行されたのは1940年と言うことですから、半世紀以上前と言うことになります。

以上から、読書論に関する古典的名著の一つと言って良いのだと思います。

読書を文字通り「書を読む事」と定義するのであれば、文字さえ読めれば読書ができる事になります。しかしそれでは知的成長は望めません。僕たちが小学生の頃、読書を推奨されたのは、単に文字が読めるようになる事のみが目的ではなかったはずです。

言葉によって初めて高度な思考が可能になります。けれども、無から言葉を紡ぎ出す事は不可能に近いと思います。情報を得る事が必要です。その情報は、実体験を言葉に変換して情報として発信するか、他者の言葉を通して得るかのいずれかになります。

この情報を獲得する手段として読書が重要な位置を占める事は過去も未来も変わりないと思います。読書が手段であればそこには技術も存在するわけで、その技術論を説いたのが本書、と言う事になります。

この点で、読書を技能として習得する目的で多くの人にとって、読む価値がある本だと思います。

スキー同様、読んだからと言ってその技能が習得できるわけではありません。また、同じ様な事を書いた本も多々あるかもしれませんが、一次情報を古典から得ておく事は、知識を多角化して位置づける事に役立つと思います。

書いてある事は至極まっとうです。本書では読書のレベルに名前を付けて論じます。それをスキーの技術になぞらえると下記のような感じになるでしょうか。

 直滑降   = 初級読書
 ボーゲン  = 点検読書
 パラレル  = 分析読書
 ウェーデルン= シントピカル読書

本書では目標は最後のシントピカル読書ができる様になる事とされます。これは学術論文を書くときの頭の使い方に似ているように思います。それを全部いっぺ んにやれ、と言われると大変なように感じます。また、スキーと同様、これらの技術全てができないと読書が楽しめないわけでもありません。が、これらを技術 として色々な分野で活用することが出来れば、知的に生産的になれますよ、という事だと思いました。

以下は本書の覚え書きです。本書中にまとめられている部分もありますし、文学作品についてのところははしょってあるなど、僕のまとめが不十分なところもあると思いますので、あくまで参考までに。


☆ 読書は学ぶための手段であるが、学びにも「教わる事」と「自ら発見する事」の二種類がある。積極的読書により、「自ら発見する事」による学びが可能となる。その為には技術が必要である。

☆読書のレベルには4つがある。
 1)初級読書
 2)点検読書
 3)分析読書
 4)シントピカル読書
 1)~4)は段階的に習得していくもので、4)のレベルの読書をするためには1)~3)も同時に実行されている。

☆初級読書
 本を始めから終わりまで読んで理解できるようになる事。

☆点検読書
 拾い読みや下読みなどによって本の全体像を短時間に把握する。
 この時点で積極的に本を理解するために必要な四つの質問
  1)全体として何に関する本か
  2)何がどのように詳しく述べられているか
  3)その本は全体として真実か、あるいはどの部分が真実か
  4)それにはどんな意義があるのか。

☆分析読書
 ◇分析読書の第一段階 本の構造をつかむ
   第一規則 今読んでいるのがどんな種類の本かを知る。本を分類する。
   第二規則 その本全体の統一を二,三行か、せいぜい数行の文にあらわしてみる。
   第三規則 その本の主要な部分を述べ、それらの部分がどのように順序よく統一性をもって配列されて全体を構成しているかを示す。
   第四規則 著者の問題としている点は何であるかを知る。
  ◇分析読書の第二段階 本の内容を解釈する
   第五規則 重要な単語を見つけ出し、それを手がかりにして著者と折り合いをつける。
   第六規則 最も重要な文に注目してそこに含まれる命題を見つける。
   第七規則 一連の文から基本的な論証を見つけ、これを組み立てる。
   第八規則 著者の解決が何であるかを検討する。
  ◇分析読書の第三段階 本を正しく批評する
   ・批評
    批評の第一規則 確実に理解をした上で、賛成、反対、判断保留、の態度を明らかにする。
    批評の第二規則 単に攻撃的な反論はしない。理性的、論理的に。
    批評の第三規則 いかなる判断にも、必ずその根拠を示し、知識と単なる個人的意見の区別を明らかにする。
   ・批判
    批判が下記のいずれに基づくものであるかを明確にする。
    筆者の1)知識不足2 )知識の誤り 3)論理的矛盾 4)不十分な分析や説明

☆シントピカル読書
 同一主題について複数の本を読み考察を深める。
  第一段階 関連箇所を見つける。
  第二段階 読者自身がキーワードを定義し、他の著作をその定義に従って自らの言葉で表現する。
  第三段階 質問を明確にする。その質問に対し、それぞれの著作をもとにした場合、どのような答えが導き出されるのか。
  第四段階 論点を明確にする。導き出された答えが異なる場合、その相違は何に基づき生まれるのかを明確にし整理する。
  第五段階 整理された論点につき考察を加える。一般的な論点を扱ってから特殊な論点に移る。各論点がどのように関連しているかを明確に示す。

本を読む本 (講談社学術文庫) Book 本を読む本 (講談社学術文庫)

著者:モーティマー・J. アドラー,C.V. ドーレン
販売元:講談社
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効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法 Book 効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法

著者:勝間 和代
販売元:ダイヤモンド社
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打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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2008年7月14日 (月)

リピーター医師

リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか? (光文社新書) を読みました。

医者として働く者にとってはある意味でキビシい本です。

医療者にとってみると、あちら側の人が書いた本です。「懲りない医者」をリピーター医師と定義し、その恐ろしさと有害性を説きます。人の命を預かるものとして、襟を正さなくてはならない内容が含まれています。

こちら側の人間としてあちら側の人の論理も知っていていいと思います。

医療とはいかなるものであるのか、という本質的な部分で定義が違っているところがあると思いました。本書で述べられている一点一点について僕の感じた違和感を挙げていっても全体像は見えにくいと思います。

「違いの全体像」を概説したものとして、以前に紹介した、「Why are doctors so unhappy? 」が改めて思い起こされました。これは、2001年 British Medical Jouranlに掲載されたRichard Smithによる論説です。

http://nobu1020.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_2177.html

前提が異なっている事を理解しないまま議論をしても交わる事はありません。そして誤解や対立の構図の中で医療者の努力は、患者さんでなく、自らを守るためのものになりかねません。

けれども、異なるバイブルをもつ人と話をする可能性があるのなら、相手のバイブルの中身を知ることは決して無駄なことでは ないと思います。本書ではミスを繰り返す医師をリピーター医師と初めに定義します。反省や勉強なしに同じような事件を繰り返し同じような事件を起こす医師 をリピーター医師と呼ぶ、ということです。

僕が知っている若い人たちは本当に医療に対する純粋な気持ちをもって頑張っています。しかし、本書に出てくる多くが実体験に基づいているため記述には説得力があります。

現実に、リピーターと呼ばれてしまう様な、そう言う医者もいるのでしょう。そしてその人たちは、自分が「リピーター」の定義に当てはまる事を自覚していないのかもしれません。繰り返してしまう事の背景にはそう言う事があるのだと思います。自分も自覚できていないだけかもしれない、そう思って自らの診療を振り返る事も大切だと感じました。

 

そんな事を思いつつ、やはり患者さんと医療者の間に、ある程度共通の価値観が構築され、医療者が努力する事が患者さんの求めるものにつながるようになって欲しいと思いました。

リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか? (光文社新書) Book リピーター医師 なぜミスを繰り返すのか? (光文社新書)

著者:貞友 義典
販売元:光文社
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医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か Book 医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

著者:小松 秀樹
販売元:朝日新聞社
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2008年7月 7日 (月)

効率が10倍アップする 新・知的生産術ー自分をグーグル化する方法ー

効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法 」を読みました。
最初のカラー写真ページでさっそうと自転車に乗ろうとする筆者の勝間さんが、いきなりすごい事になってます。もう何と言うか、様々なパワーアップギアを身にまとってロボコップみたいです。

目次を見てみるとこれが全部出来たら本当にロボコップだぜ、と思いたくなります。だって、「本質を見極める技術」が6つ、「情報インプットの技術」が6つ、「アウトプット力を高める技術」が6つ、「知的生産を支える生活習慣の技術」が5つ、「人脈作りの技術」が5つ、合計22もの「技術」が紹介されているんです。そのほかに読書投資法7ヶ条なんてのもあります。

読んでみると「この人ニューヨーカーみたいだな。ワーカホリックかも。走り続けていないと息ができなくなっちゃうんじゃないか知らん?」というくらい無駄をきりおとして次から次へと歯切れよくやるべき事を明快に提示してゆきます。僕の中での読後感は「悩む力 (集英社新書 444C) 」の対極に位置します。根っから明るい情報技術論、そんな感じです。この読後感は多分確信犯的に意図されたものだと思います。

以前に読んだ「打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) 」や「文章の書き方 (岩波新書) 」などと共通している所がありました。それは、一次情報を大切にする、という事です。この点には非常に同意できます。

本書で提示されている方法論は、目的意識を常に持ち、無駄を極力減らす、というものです。そこには「私はこうやってこれだけ成果を上げました」という説得力があります。提示されている方法論などは、全て筆者の経験に基づく一次情報だからです。そして、情報源となる本やWeb siteを紹介してある点には好感を持ちます。

ただ、どんなに説得力があっても22もの技術を読むだけで一度にできるようになる訳ではありません。読み進みつつ「できねーよ」と感じる読者に、最終章で「今日の5つの新しい行動から明日を変える!」と具体的な行動をアドバイスしてくれます。筆者がやってきた事だけに「ちょっと出来るかも」と思わせて終わりを迎えます。巻末には巻頭で紹介しきれなかった必殺ギアに加え、筆者お勧めの本、オーディオブックなどが紹介されています。

技術論に終始しているようにも見えますが、最終章でこんな記述もあります。

「とにかく、見返りを求めずに、ひたすら情報を生産し、流通させてみて下さい。それはまるでグーグルが検索を提供するだけで、いろいろな情報も広告も人も集まってくるのと同じようなイメージです。」

これが副題にある「自分をグーグル化する」という事の真意です。

結局、「自分に中身がなければ人は集まらない」「質の良い情報を見極め、有効に利用する自分なりのスタイルを確立が必要である」という事を指摘しているという点で、実はかなり地道で真っ当なメッセージを発信している本と言えると思います。

効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法 Book 効率が10倍アップする新・知的生産術―自分をグーグル化する方法

著者:勝間 和代
販売元:ダイヤモンド社
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悩む力 (集英社新書 444C) Book 悩む力 (集英社新書 444C)

著者:姜尚中
販売元:集英社
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打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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文章の書き方 (岩波新書) Book 文章の書き方 (岩波新書)

著者:辰濃 和男
販売元:岩波書店
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2008年6月30日 (月)

ペダリスト宣言!

ぺダリスト宣言!―40歳からの自転車快楽主義 (生活人新書 240) 」を読みました。

まず最初に副題に惹かれました。「40歳からの自転車快楽主義」。僕も40歳の時から通勤(の一部)に自転車を使っています。

手に取って開いてみると、目次に「ドロップハンドルへの憧れ」という表題が目に入りました。

本書によると、筆者が10代の頃は学校の規則でドロップハンドルの自転車が禁止されていたのだそうです。僕が子供の頃、ドロップハンドルは禁止されてはいませんでしたが、話はちょっとずれますが、確かにあの頃は色々なものが学校で禁止されていたように思います。

ロックミュージックを校内放送で流す事が禁止されていました。「オフコースはロックじゃない!」なんて事を女の子達が涙ながらに主張してたりしてたのを思い出しました。

話を自転車に戻します。僕が子供の頃はまず、スポーツタイプのギア付きの自転車にあこがれました。当時のギアはフレームについていたような気がします。そしてその次にドロップハンドルの自転車に憧れたものでした。

そんな訳で昔と今の自分がつながって、購入せずにはおれませんでした。読後感はやさしく、爽快なもので、雨の日も自転車に乗ろうかな、とちょっと思いました。(多分やりませんが。)

内容からはまたずれますが、「小説家は文章がうまいなぁ。」とも思いました。

何が「うまい」のか考えてみると、文体、スタイル確立している事なのだと思います。文章が長過ぎず、言葉も平易で理解しやすく、その上リズムが良いのです。自分に直接語りかけてくれるような感じで、大変親しみが持てます。

そんな語り口で、道具としての自転車へのさりげないこだわり、自転車に乗る事の快楽、自転車が軽車両である事を強調した上で、安全に快適に自転車に乗る為の提言、「ペダリスト」が増す事の社会へのプラスの影響が肩肘張らずに語られます。

そんななか、経済学者のエルンスト・フリードリヒ・シューマッハーの豊かさの尺度についての言葉

「消費は人間が幸福を得る一手段に過ぎず、理想は最小限の消費で、最大限の幸福をえることであるはずだ」

という言葉が心に残りました。

ぺダリスト宣言!―40歳からの自転車快楽主義 (生活人新書 240) Book ぺダリスト宣言!―40歳からの自転車快楽主義 (生活人新書 240)

著者:斎藤 純
販売元:日本放送出版協会
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2008年6月23日 (月)

文章の書き方

文章の書き方 (岩波新書) 」を読みました。以前「文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095) 」という本を読んで、この本を知り、読もうと思っていた本です。作者は「天声人語」を書かれていた方ですから、文章が上手な事この上ありません。静かでありながら、芯が通った強さが感じられ、「天声人語」って、確かにこんな語り口だったような気がする、、、なんて思いながら読んでいました。

本書は大きく三つに分けられています。素材をいかに見つけてくるか。そしてそれを文章にする時に注意すべき基本的な事項。そして表現上の工夫について。これらについて細かく丹念に記されています。

僕自身は、この丹念にというのがなかなか難しいと感じています。

例えば、文章の素材にスタート地点を見いだし、言いたいことがゴールとして文章を書きはじめます。スタートから文章を一つ一つつなげてゴールまでたどり着く訳ですが、一つ一つの文章には階段を上るようにギャップがあります。このギャップが大きすぎると読者がついてこれません。

でも書き手にとっては語るまでのことも無いように感じます。とくに実体験にもとづくものであればなおさらです。筆者にとっては当然の事項だったりする訳です。すると、大きなギャップができてしまうような、途中の説明を省いた文章を連ねてしまいます。これでわかりにくい、誤解しやすい文章が出来上がりです。

様々な読み手が異なる視点でその文章を読んだとき、読み手は書き手と異なる事を次に期待するかも知れません。何故、前の文が次の文につながるのか、いちいち頭をひねりながら読むことになります。「A文」「B文」を続けて理解することが出来ず、それぞれの文の内容を考察し直したり、文と文の間にあるギャップがどのような論理構造によってつながるのかをいちいち考察せねばならなくなります。

それを避けるためには、読者の手をとって段差の少ない階段を一歩一歩ゆっくりと 一緒に上る慎重さが必要になります。 それが「丹念に」という事ではないかと思います。

本書で語られている三つのテーマは、それぞれに難しいものだと思いますが、筆者は それをさらに五つの主題にわけて解説します。

というわけで合計十五に分かれていますが、筆者の言いたい事は一つです。それは、「実体験に基づく心から溢れ出る文章こそ、人の心に届く文章である」という事だと思います。

打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) 」の分類に従えば、本書で推奨するのは実体験に基づく文章ですから、「一次文」という事になると思います。「文章の生命は現場です」という言葉にそれが集約されていると思います。
この現場主義の観点から選択された珠玉の一次文が数多く紹介され、十五の観点から解説されるという訳です。  それぞれがある程度独立しているので、十五の主題を五月雨式にポツポツと読んでも読む事も出来ると思います。

その一次文のなかでも、福沢諭吉の文章が印象に残りました。筆者も褒めています。べた褒めです。実際、紹介されている文章は確かに秀逸です。とても100年以上前に書かれた文章とは思えない所が随所に出てきます。特に今読んでも平易でわかりやすいので大変おどろきました。
文章の書き方 (岩波新書) Book 文章の書き方 (岩波新書)

著者:辰濃 和男
販売元:岩波書店
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打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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2008年6月 8日 (日)

悩む力

悩む力 (集英社新書 444C)  を読みました。 

受験勉強で教えられてきた「問題」には常に正しい答が存在します。そしてそれの答にいかに早く正確にたどり着くかが評価の対象となります。

でも、「答を出す事」は常に正しい事なのでしょうか?「正しい答」は常に存在するのでしょうか? 

様々な価値観が存在する社会においては、「一つの答を出す事」=「他を切り捨てる事」になるかもしれません。   

この本で筆者は八つのテーマについて悩んでみせてくれます。

それらの悩みは自己を見つめる事に根ざしているという点で共通しているように思えます。  「悩む」というのは、様々な立場や考え方がある事を理解し、なおかつ、自分を含めた人の考えや価値観がうつろうものである事を自覚した上で、いかに現実と折り合うかを模索する作業だと感じました。

それぞれの悩みに対する答に至る鍵として、マックス・ウェーバーと夏目漱石の著作が引用されます。タテ糸として悩みのテーマが存在し、ヨコ糸として彼らの著作を用いて、著者は本書を編み上げて行きます。 

本書に出てくる引用を見ていると、筆者のウェーバーや漱石を読みこなす技術はとても高いものだと思います。それだけの情報処理技術と、悩み抜く知性があるから言える言葉が沢山詰まっています。   

本書のなかで 筆者は「無垢なまでにものごとの意味を問うこと」を「青春」と定義しています。それが正しいとするならば、現代は青春時代を経ずに老成している人たちが増えているように感じます。

ビジネス書などで「リテラシー」なんて言葉が流行るように、「情報を扱う技術に長けている事」=「高い知性を持つ事」であるかのように語られています。でもそこにオリジナルな知性が芽生える要素は少ないと思います。知性は情報をしわけすることの先に存在すると思うからです。

筆者も、答つきの情報が大量に反乱している現代の知性について、『「知ってるつもり」なだけの知性と言ったら厳しすぎるでしょうか』と語っています。可能ならば、筆者が目指すように、青春的に老成したいものです。

この本を読んで、真剣に悩み続ける力を持つ事によって、粘り強い知性を育む事が可能になるのだと感じました。 

でも同時に、僕は、より良く悩む為には、その前の情報処理のレベルも向上させねばならない事を実感しました。

悩む力 (集英社新書 444C) Book 悩む力 (集英社新書 444C)

著者:姜尚中
販売元:集英社
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2008年5月29日 (木)

読書術

前回の続きで、打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) についてです。

知的に打たれ強くなる為の読書をするために、ハズレ本を選ばない為に何を目安にするか。本書では、そんな事にも一章を費やします。「本への感度を上げる」と言えばカッコいいですが、内容は「タイトル で選ぶ」「帯を読む」「前書きと後書きを読む」など、言ってみれば「当たり前」の内容です。でも当たり前だからこそ共感できるとも言えます。そしてそれを意 識することが大切なのだと思います。

本を選ぶ時に表紙とタイトルから入っていくヒトはやっぱり多いと思います。題名を見ただけでいかに当たり外れを見分けるか、は意外に大きな問題です。本屋 さんで本棚を眺めていると、題名にはみんな苦慮しているようで、ホントウにいろいろなものがありますが、やたらと長いものから、大変短いものまでいろいろ です。筆者が発見した本の題名は短いほどカタイものが多い、というのはある程度その通りかもしれません。ガチガチの学術書で長い題名のものはまず無い気が します。本の内容を知りたければ、副題に注目すべし、というのもナルホド、と思わせるアドバイスです。

一 方、本の内容を一次本と二次本に分類し、その違いを意識する、と言うことも書かれています。これなどはとても大切だと思いました。一次本、二次本というの は、一次資料、二次資料という言葉からつくった筆者の造語です。資料そのものが情報のソース場合、資料を一次資料、一次資料から得た情報をまとめたものを 二次資料と言うのだそうです。例えて言うなら古文書を一次資料とすれば、その古文書を解読し翻訳した資料は二次資料という事になります。

本では筆者の経験 を書いた、またはオリジナル性の高い書物を一次本とし、その一次本を参考にかきあげたものを二次本とするというのです。そしてその違いを意識しなさい、という 事です。確かに二次本では一次資料に対し、筆者の解釈を加わっていますから、そこを意識することが必要だと思います。二次本で間違った解釈が示されればそ れをそのまま引き継いでしまう可能性もあります。さらに、二次本にはオリジナル資料の全てが含まれる訳でもなく、削られた内容は、二次本のみからは知る由 もないのです。こういったデメリットは意識すべきでしょう。

 
しかし、現代において、全てオリジナルの情報源にあたる事は現実的に不可能です。複数の一次情報からオリジナルの結論を導きだすのは多大な時間と労力を要します。
 
さらに、一次資料、一次本から同じ様に情報を得たとしても、背景知識、思考力などの違いによって、それを素材とした洞察 の深さには大きな違いが出てきてしまうと思います。一次資料に当たる事と、優れた考察をする事は別個の事と言えます。やはり僕たちにとっては、一次本との 違いを意識しながら二次本を上手に利用する事が大切なのだと思います。
 
その昔、高校時代にある先生が授業で「小林秀雄を読んでも小林秀雄を超える事はできない。小林秀雄が読んだ本を読むこと によって初めて同列に並ぶ事が出来るのだ」という事を言っておられました。その先生は、「本の著作のためにはその背景として膨大な情報が必要で、その背景 情報が存在する知りなさい。その本だけ読んで「わかった」気になってはいけないよ。」と言いたかったのだと思います。
そういった本の違いを意識しつつ、本書では、イロイロな本の読み方を提示します。速読、熟読、斜め読み、拾い読み、はては「積ん読」まで登場します。そ の上で読書を、書いてある事を字義どおり理解する段階、より深く読む段階 、そして他と比較して本を位置づける段階、最後に以上をふまえてその本の価値を評価する段階にわけます。これが出来て始めて本の内容が活用できると言うわ けです。

読書にも技術が必要なのだと改めて感じました。

『知的に打たれ弱い症候群』から脱却する為には大変な努力が必要のようです。この本を読んで、知的に打たれ強くないまでも、知的好奇心だけは旺盛に保ちつつ、読書を続け、自分なりのスタイルを持ちたいものだと思いました。

打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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2008年5月27日 (火)

打たれ強くなるための

打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) を読みました。「人生を豊かにするため本を読め」「私はこんな本を読んで人生を豊かにしてきた」なんていう読書論を語られるとう んざりです。本書は「そんな読書論なんてウンザリだ」という所から始まります。そんなわけで、この本で語られる筆者の感覚には庶民的な感じがあり、共感が 持てました。

「最近の若者は、、、」なんて事を言うジジイにはなりたくないと思っていましたが、齢を重ねてくると自分と「若者」の間には明確な違いがある事を感じずにはいられないときがあります。
やっぱり若い人はエネルギーがありますし、柔軟です。さすがにまだ「ワシが若かった頃は、、、」なんて事をいうほど老い てはいないつもりですし、最近の若者と、昔の若者を比べるほど長い間「若者ウォッチング」をしてもいません。でも、いつの時代でもその時代の若者と以前の 若者で、良い悪いは別にして違う点があって当然だと思います。
本書の著者は大学教授として学生たちと接する中で「最近の大学生は、、、」と思うところがあるようです。しかもあんまりポジティブな内容ではありません。
最近の大学生は名付けて『知的に打たれ弱い症候群』に罹患していると言うのです。筆者によれば、『知的に打たれ弱い症候群』の診断基準は何かと言うと下記の5項目となります。
1)すぐに解答を欲しがる。
2)どこかに正解がひとつあると信じている。
3)解答に至る道をひとつ見つけたらそれで満足してしまう。
4)問題を解くのは得意でも、問題を発見するのが不得手である。
5)自分の考えを論理的に述べる言語能力が不足している。
大学生ならずとも、1)〜5)を克服するのは大変な事のように思います。この『症候群』は広く世の中一般に浸透しているのではないでしょうか。
短絡的な論理ですぐに答えが導かれる様なわかりやすい解説、、、、。マスコミに携わる人たち自身もこの『症候群』に罹患しているのかもしれません。それによって世論が形成される日本国民全体もそうとうヤバい事になっているような気がします。

本書はこの『知的に打たれ弱い症候群』とならないよう、知的に打たれ強くなる手段として読書の効用を説きます。言ってみ れば「大人読み」の方法論の解説です。その点で読書を勧める根拠に「精神修養」を挙げたり「人生を豊かにする」事を目的とした「読書ノススメ」とは異なり ます。そしてその目線は上から見下ろすようなものではないので、共感できるのだと思います。

打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705) Book 打たれ強くなるための読書術 (ちくま新書 705)

著者:東郷 雄二
販売元:筑摩書房
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2008年5月25日 (日)

PositiveなNo

最強ハーバード流交渉術―仕事が100倍うまくいくNoの言い方 を読みました。「ハーバード」というブランドで売ろうとする「あざとさ」があるように感じられて、買うのを戸惑ったのですが、原題をみて読もうと思いました。

個人的には原題の方がスキです。原題は下記です。
The Power of a Positive No. - How to Say No and Still Get to Yes.
こちらの方がストレートに内容を表していて好感が持てます。

  改めて意識させられる事は、No とはYes の裏返しであるという事です。本来、 表裏一体のハズなのに、Noと言ったとたん、YesとNoが遊離してしまい、それが問題解決への道を閉ざしてしまいます。

  この点でNoには二種類あると言えます。それはPositiveなNoとNegativeなNo。後者ではNoと言うことそのものが目的となっている。前者は最終的にYesを引き出すためのNoです。

  本書で言うのは、PositiveなNoを発信するためにも、自分の欲するYesとは何なのか、何に対してNoと言うべきなのかを明確にすることが大切だという事です。

そして最終的にYesにたどり着く為の方策が様々な実例とともに語られます。そういった方法論が存在する事を知っているのとそうでないのとでは、交渉に際しての粘り強さ、という点で違ってくるような気がします。でも、本書の内容をまとめようと改めて読み直し、まとめる事をやめてしまいました。

『言うは易し、行うは難し』と改めて感じたからです。

本書の内容は、交渉のエキスパートである著者が、多くの実体験、実例をもとに語るから説得力があります。でもそれを僕が要約した所で、その文章はどう見ても皮相的なものにしかならないのです。本書を読んでも、著者のようなエキスパートになれるわけではありません。

どんなに良書でも、読んですぐに応用できる位なら、著者のような「交渉のエキスパート」なんて存在しないわけで、本書に書かれているような事を日頃からの鍛錬する事が大切なのだと思います。

それにより得られるものは、いわゆる交渉に限らず、日常生活の多くの場面で有効に活用できる「ワザ」であるように感じました。

けれども、本書を読んでいて共感できなかった事が一つだけあります。

著者は離婚歴があるというのですが、離婚後も互いに連絡をとっているだけでなく、その離婚した奥さんも、著者もそれぞれ再婚し、現在では家族ぐるみで親密な付き合いをしている、というのです。

著者は「PosiiveなNoの成果だ」といいます。でも僕は「単に結婚するべきでなかった二人が結婚してしまった」事に原因があるのではないかと思います。だとすれば、ここでのNoは自分たちの過去の判断に対してのもので、「交渉」とは別の話だと思えてなりません。

恐らく僕の思い至らない事があるのでしょう。この二人の人間関係を想像するのは、修行が足りない僕には難しすぎるようです。

最強ハーバード流交渉術

2008年4月29日 (火)

普通の人

高校時代に大変個性的な友人がいました。彼とは今でも親しくさせてもらっていますが、初対面で話したときから大変にインパクトのある人です。

人見知りしないというか、物怖じしないというか、初対面の人で警戒していることがわかっていても、あえて遠慮なく普通に話ができる人です。でもって相当に 話し好きです。当時の彼は、街で見知らぬ女性に話しかけるのを趣味にしていたようでした。世の中ではナンパとも言います。ただ、彼は男とも語るのが好きで した。今考えれば、何人かで集まってよく語り合っていました。夜中話していた事もあります。何を話していたのか覚えていませんが。

先日、「非属の才能 (光文社新書 328) 」を読んでいてその中のひとつの会話を思い出しました。

当時の僕たちは、「俺はスゴい。オレだから。」みたいな、根拠のない自信を持っていた様に思います。若気の至りとでも言いましょうか。彼もそうでした。い や、人一倍そうだったかもしれません。そんな自信過剰人間に「君は変わってるね」とのたまった人がいたそうです。当然のごとく、彼は「俺は普通だ。」と 言ってききませんでした。そして「俺はこんなに常識的で、自分の言動はそれぞれ かくかくしかじかの根拠に基づいている。この根拠は大変理にかなっていて 非の打ち所がない。それに基づいて行動している俺の言動を変わっているという人間達の方が変なのであって、俺が変わっている訳ではないのだ。」とのたまっ たのです。

こんな事を言う輩が「普通」であろうはずがないのですが、議論をすると皆彼の詭弁にやられてしまっていたようです。僕も普段の議論では彼に勝てない事が多 かったのですが、これについては彼に同調することは出来ませんでした。いつの間にか「彼は変わっている派」を僕が代表する形になり、議論になりました。

僕は彼との議論で、外堀から埋めて行くことにしました。

僕が最初に発した質問は、「普通こんな議論する?」でした。

「君が普通であるかどうかはとりあえずおいておいたとして、君が万人が認める普通の人ならば、こんな議論にならないのではないか?まずは万人が認める普通の人がどういう人か定義しよう。その上で、君がその定義と比較してどのくらい普通かを考えようじゃないか。」

そ こで二人で「世界で一番普通の人」を定義する事になりました。これが意外にムズカシイ。結論としては「最も普通の人」、というのは恐らく「何の特徴もない 人」だろうと言う事になりました。たしかに存在はしているのだが、空気の様でどんなくくり方をしても常に「その他大勢」の中に包含される、そんな人だろう 言う事になりました。

結論がそこに落ち着けばもう、本丸を落としたのも同然です。「俺はスゴい」と思っている彼が、そんな人であろうはずがないからです。

彼も「自分が変わっている」事を認めざるを得ない状況となり、白旗をあげました。

この議論を思い出して改めて思うのは、みんなどこかに「非属の才能」をもっていると言うことです。そしてその非属性が肯定的にとらえられる事、否定的にとらえられる事、認識さえされない事があり、それは本人を含め、見る人間の価値観やセンスによっているのだと思います。自らの特性を理解する為に、時には他人を鏡として自らを見直す事も有用かもしれません。

非属の才能 (光文社新書 328) Book 非属の才能 (光文社新書 328)

著者:山田 玲司
販売元:光文社
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2008年4月27日 (日)

非属の才能

非属の才能 (光文社新書 328) 」を読みました。とても勢いのある本です。ある意味で攻撃的ですらあると思います。主旨は「みんな違うんだ。無理に同じになる必要はない。自分の特性を見つけ、のばして行こうじゃないか。」と言う事だと思います。

『「みんなと同じ」が求められるこの国で「みんなと違う」自分らしい人生を送る方法はあるのか?』
『この国ではよく考えずに意味のない努力をさせがちだ。そしてその根拠は「みんながしているから」である。』

という調子で、この人、すごいパワーをもっているなぁ、と思わせるほど力任せに語られます。

提供されるものは殆ど実例なので、なかなか説得力があります。多 くは有名で、才能があるとされている人たちです。そしてその様な人たちは確かに既存の集団の枠からはみ出して存在しています。しかし、本書が語るのは、そ の「才能」というのは最初から花開いている事が多いわけではないのだ、自ら「非属の扉をこじ開けた人たちなのだ」と言うことです。

本書の面白いのは「和を持って属さず」と、協調の大切さも説いているところでしょうか。その辺に筆者のバランス感覚を感じさせます。同調を強要されるのは 不快です。でも、「違う」からと言って協調する社会性がないのも困ったものだといえるでしょう。バランスを保つ事は、社会的動物である人間である以上、 「非属」であっても必要な事です。

筆者は失敗を恐れずに一歩前へ踏み出す事を協力に推奨します。皆が 天才な訳はないですが、何でもやってみる事、くよくよしないこと、踏み出した事を気に しない事は、確かに大切だと思います。本書の中に出てくる「失敗学」という学問によれば、新しい事をやって、たまたまうまくいく確率というのは1000回 のうち3回くらいなものなのだそうです。それでくよくよしていたら、新しい事なんか出来ませんよね。

僕は、以前ニューヨークのセントラルパークで、仕事をリタイヤされた様な白髪の男性が、若い男の子に野球のバッティングをコーチしてもらっているのを見た 事があります。そのシーンはとてもインパクトがあって、脳裏に焼き付いています。何歳になっても新しい事を始められる、そう言う気持ちを忘れないでいたい ものです。

そして、本書で紹介されているエピソードで、一輪車を買ってもらった孫におばあちゃんがかけたと言う言葉、「いっぱい転んで来な」というのはとても深い意味を含んでいるような気がします。

非属の才能 (光文社新書 328) Book 非属の才能 (光文社新書 328)

著者:山田 玲司
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年4月20日 (日)

理科系のための英文作法

理科系のための英文作法―文章をなめらかにつなぐ四つの法則 (中公新書)  を読みました。

以前読んだことのある論文の書き方には、「筆者の意図を読者に正確に理解させるのは不可能である」と言うことが書いてありました。では筆者にできることは何なのか。その本によれば、「読者が筆者の意図を誤解する危険性を可能な限り低くすること」と言うことがその答えにとして述べられていました。

この本は、英語を母国語としないヒトが、英語でそれを達成するための方法について考察した本です。

英文法ではなく、英文作法となっているところがミソです。いわゆる英語の本と言うより、英語論文を書く時のお作法の本と言って良いと思います。論文では、文章をロジカルにつないで一つの結論へ読者を導いていきます。このとき、いかに読者に誤解を与えず、わかりやすく内容を説明していくか。そこに心を砕いた本です。

確かに、細かい説明なしに論理的なジャンプを繰り返すような文章では読者はついて行くのが大変です。論理的ギャップができるだけ無いように、最小限にするためにはどうすれば各英文がスムーズにつながるのか。本書はそこに焦点を当てています。

これはある意味では英語、日本語の問題ではありません。言語による論理構築の問題です。論理を最優先とする論文では、曖昧な内容となることを嫌います。ですから誤解の生じないよう、細心の注意が必要となります。

内容的にはさっと読めて、それなりに用例も多く、「論文を書くのは、これからで、何となくストーリーはできているのだけどまだ全然書いてない。」と言う人には良いかも知れません。

それから、本書にはコラムと称される囲み記事がいくつかあります。
その一つ「切りの良いところでやめてはいけない」はちょっと参考になりました。

長い文章を書いているときは、必ずどこかで作業を中断することが必要になります。そのときに、切りの良いところまで文章を書いて中断するのではなく、もう少し書いてから中断するのが良いというアドバイスです。そうすると、次に書き始めるときのエネルギーが少なくてすむと言うのです。

これはその通りだと思い、実践させていただいています。

2008年4月10日 (木)

アメリカ人「アホ・マヌケ」論 2

アメリカ人「アホ・マヌケ」論 感想文の続きです。

本書に、「サッカーで燃えない理由」という項があります。「理由」は本書をご覧ください。「まぁわかるし、ホントウかもしれないけど、そればかりでもないでしょ。」と苦笑をしながら読んでいて思い出しました。

2002 年、サッカーのワールドカップが日韓で開催されたときの事です。ベスト4進出をかけたブラジル対イングランドの試合を、僕はマンハッタンでイギリス人が集 まるバーで観戦しました。

その時、イギリスからvisiting professorとして来ていたMA教授、留学生のHRさんと応援に行ったのでした。店内はもうイングランド一色。思いっきりアジア人の僕に向かって、 でっかい兄ちゃんが ビール片手に'England?' なんて怖い顔して聞いてきます。ちょっとビビりながら 'Of course, England!' と返事をすると、雄叫びをあげてハイタッチ。試合中は大変な盛り上がりでしたが、ブラジルに負けて、全員があっという間に白い灰のようになって明け方のマ ンハッタンに消えていきました。

2003年8月、ニューヨークの大停電の時、「それどころじゃない」と言ってセントラルパークでサッカーにいそしむ人たちもいました。その多く はヒスパニック系の人たちでした。でも、僕があちらでちょっとだけ教える事になった高校生はヨーロッパ系の子でしたが、学校でサッカー部に入っていて、Jリーグの事なんかも 結構良く知っていました。

そう言うわけで、少なくとも日本にいた時のイメージよりニューヨークでサッカーを目にする機会が多くて意外でした。しかし確かに全体で見ると盛り上がりに欠ける事はまちがいありません。

一方で野球だって、アテネオリンピックの野球について語る人は誰もいませんでした。アメリカは予選で敗退してましたからね。「サッカーで燃えない理由」の一つは「アメリカが一番じゃないから」じゃないかなぁ、と思ったりします。

一番が好きなアメリカの人たちが信ずる事に関して、本書では次の様な記述もあります。

「アメリカがいう自由、アメリカが説く民主主義を悪いと思っているのではない。僕がこわいと思うのは、「善きことをしている」と思うことへの、恐ろしいほどの確信だ。」

「アメリカには、こうした「正しい戦争」という観念がある。」

実例は本書に譲りますが、まぎれもない事実だと思います。また、マスコミ報道などでさまざまな視点から日本に紹介される「自信たっぷりのアメリカ」と本質的に同一のものだと思いますが、本当に、ホントウに信じている人がいるのです。

一方で、本書で語られている「アメリカ」で、ポジティブに見習いたいと僕が思うのは、次の様なところです。

「小さな差異を大事にする。人と同じことよりは、むしろ違うことの方を尊ぶ。一人一人の個性を大事にする。同じ考えの人間なんていないという前提に立つ。」

アメリカでは、これがボトムラインとして存在していると思う事が多々ありました。それと比べると日本では、平等の権利を持つために、同じになる事を強要されているような気がするときがあります。こういうところは、アメリカを見習いたいと思います。

「君の意見には反対だ。しかし、気味の意見を発表する権利は、死ぬまで擁護しよう。」

こんなすばらしい事を本気で言えるアメリカ人に対し『アホだ、マヌケだ』とはとても言えません。と、やっぱり本書の注文通りの結論にたどり着いたのでした。

「朝日新聞社の」なんて大上段に構えず、個人的な "Welcome to New York的経験" を中心にした軽い読み物として楽しむのがよいかと思います。

朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論 (講談社 +α新書) Book 朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論 (講談社 +α新書)

著者:近藤 康太郎
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年4月 8日 (火)

アメリカ人「アホ・マヌケ」論 1

朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論 (講談社 +α新書) を読みました。第1刷が2004年7月20日ですからちょっと古いところもありますが、とても共感しながら読みました。 

 正 直に言って最初はちょっと買うのをためらいました。明らかに目立つ為の題です。そしてもちろん、そうでないところに持っていくための表題です。

『アメリカ 人は実際のところ、こんな、コンナ、こぉんな人たちなのです。それをあなたは「アホ・マヌケ」といえますか?』というオチに持っていくのだろうな、と想像がつい てしまいます。しかも納得できなかったりして。今までこういうパターンで何度だまされてきた事か。 
 
 でも、第一章の最初を見て思わず、ハズレでもいいから読もうかな、と買ってしまいました。

最初はこんな質問で始まります。

「あなたがニューヨーカーになったなと感じたときを教えてください」

確かにニューヨークの人たちはそんな事をよくしゃべっていました。そして Culture Shock に Freeze している人たちに向かって笑いながら "Welcome to New York!" と言うのです。日本人ならずとも多くの人が "Welcome to New York体験" を持っていて、「私の"Welcome to New York"は、、、」なんてよく話してましたっけ。そんな懐かしい質問をみて読み始めました。

その結果、「そうなんだよなぁ」と個人的に共感したり、過去の経験を思い出したりするところが僕には結構沢山ありました。

米国に住んでいる(住んでいた)日本人が飲み会などであつまるとそんな話題で盛り上がります。「こんな経験をした」「あんな経験をした」「日本じゃ絶対そんなことないよね」とか酔いながら盛り上がります。それと似たような感じです。

2008年4月 3日 (木)

文章のみがき方

文章の書き方 (岩波新書) 文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095) を読みました。筆者の辰野和男氏は元「天声人語」の筆者だそうで、「文章の書き方 (岩波新書) 」というロングセラーをかかれた方だそうです。

僕が小学生、中学生くらいの時には、朝日新聞の「天声人語」は文章のお手本のように言われていました。大人たちは皆、異口同音に「国語力をつけたいと思ったら天声人語を読め」と言っていたような気がします。

質の高い文章を毎日書き続ける事の大変さは、ブログを書くようになって身にしみるようになりました。 ホント、人の文章を読むたび、みんなスゴいなぁ、と思います。

このため、最近、文章論に関する本は僕の目を引きます。ましてや、僕は前述の通り、天声人語はすべからく名文であると刷り込まれています。その筆者が書いた「文章のみがき方」という本が目にとまったのですから当然手にとって読んでみよう、と思いました。

結果は期待を裏切らないものでした。

辰野氏がこれまで出会った良い文章を紹介しながら、文章論を展開します。それは全部で38章に及びます。それぞれ独立しているので、別々に読むこともできます。そして紹介されている文章はまことにすばらしい。

僕は岡本太郎の次の言葉が特に印象に残りました。。。

ものを作るとき器用である必要はない。
「むしろ下手の方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。平気でどんどん作って、生活を豊かにひらいていく。そうすべきなのである。意外にも美しく、うれしいものが出来る。」

よい言葉だと思いませんか?そんな言葉がたくさん詰まっています。

恐らく時間をおいて別の機会に本書を読み直せば、もっと別の文章が心に響くことでしょう。

良い文章を書く人は、自分の言葉にしっかりとした思い入れがあって、心のこもった文章をかくのだな、と思いました。

文章の書き方 (岩波新書) 」も読んでみたいと思います。

文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095) 文章のみがき方 (岩波新書 新赤版 1095)

著者:辰濃 和男
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年3月26日 (水)

貧困大国

ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112) を読みました。

「ルポ」というのは「ルポルタージュ」の略で、ジャーナリストが現地へ赴き、取材した内容を報告する、いわゆる現地報告です。

 本 書では911を経験しジャーナリストに転身したという筆者によって、病めるアメリカが描かれます。日本では想像もつかないほどの格差が存在するアメリカに おいて、切り捨てられる側の弱者に焦点を当てた「ルポルタージュ」となっています。そこには本当にブラックホールの様な、行き着く先に光があるとは到底思 えない現実が延々と語られ続けます。

 視点や扱う内容は全く違うし、ルポでもないのですが、本田勝一 「殺される側の論理」を思い出しました。恐らく本書が僕に感じさせるものが似ているからだと思います。それは、米国には自らもしくは自国のなす事を絶対善 と信じるポピュレーションが存在しているという事です。そしてその反対側の人たちが、米国国内にも存在しているのだ、というのが本書であるような気がしま す。

 まず第1章で取り上げられるのは肥満の問題。米国では貧しい人たちほど肥満者の率が高くなると いう事実と貧困こそが肥満の現況であるという皮肉な事実が描かれます。

 第2章では民営化と自由化により切り捨てられる弱者が、ハリケーン・カトリーナの被 災地となったニューオーリンズを舞台に紹介されます。

 そして第3章は医療問題。市場経済が医療分野に何をもたらしたのか。それは一度の病気で人生が台無し になってしまうほどの高額な医療費でした。

 第4章はその貧困から逃れるための出口に用意されたほぼ唯一の救済への道についてです。その道は軍隊への道につ ながる道でした。

 つづく第5章では、実はアメリカ軍や、軍を支える民間人には世界各国の貧困層からリクルートされてきた人たちが多く存在している事が報告されます。その人材供給は米国の民間会社によってなされているのでした。

 戦 争でさえも他のビジネスと同様の人材派遣事業と同様に扱われてしまうという現実があります。本書ではとんでもない格差に虐げられ、苦しい生活の中、選択肢 が狭められ、イラクへ行く事になる人々の状況が描かれていきます。そしてふと振り返れば、我が国日本でも格差が広がりつつある事に気づきます。ですから第 5章の終わりの部分に出てくる次の文章は重く響きます。

 
『九条が変えられるのを待たずとも、社会から切り捨てられた日本人たちは黙って戦場へと向かうだろう』

 
 ただ、米国には「正しい戦争」が存在すると信じている人がいます。それを押し進める人たちがいます。この事に関し僕は日本とアメリカの現状が同じだとは思いません。日本国憲法は戦争を放棄しています。「正しい戦争の存在」を信じない人に日本を導いて欲しいと思います。


ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112) Book ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112)

著者:堤 未果
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年3月17日 (月)

医療の限界

医療の限界 (新潮新書 218) を読みました。「医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か 」の続編にあたるもので2007年6月発行で、2007年10月には第7刷となっていますから、いかに注目されているものなのかがわかります。

正直な第一印象は、名著『医療崩壊』をもうちょっと柔らかくわかりやすく繰り返しているような印象を受けました。主張の大筋が変わるわけではありません。『医療崩壊』では攻撃的な知性がレンガごとく堅固に論理を積み上げる、そのインパクトは大変なものがありました.少なくとも僕にとっては。でも、多くの人に意見を広めると言う観点からは、この様な新書として発売された事の意味は大きいのだと思います。

ただ、主題とはちょっとずれるのですが、この本にはちょっと僕が同意できないところがあります。それは、第6章「公共財と通常財」で語られるアメリカ論です。少なくとも僕が3年半アメリカで生活してきて感じた実感とは全く違うものでした。ここで語られているような「アメリカ」が存在している事は事実として間違いはないかもしれません。けれども僕の印象で本書のその部分の感想を述べさせていただければ、「アメリカはそんなに薄っぺらじゃないと思うよ」となります。


日本では信じられないほどのアメリカの貧弱な福祉、モラルの低い人たちの存在など、確かに本書で語られる現実も存在するのは事実だと思います。実際に僕もマンハッタンで100ドル程恐喝された事があります。

しかし一方で同時に、町中で困っている人へ、おおらかに助けの手をさしのべる人はたくさんいます。以前にこのブログでも紹介したような意味での good manner を実践している人たちの割合などは、日本と比較になりません。チャリティも多くの人々の生活に根付いていると思います。僕が経験した、ニューヨークの大停電の時には皆で助け合っていました。我が家も妻が妊娠中だったため、大変助かりました。停電と阪神大震災と並べて語る事は出来ませんが、災害時の助け合いは日本の専売特許ではないと思います。


アメリカが様々な矛盾を内包しているのはよく言われる事です。しかし、その矛盾を矛盾として飲み込んでなおかつ一つでまとまっているだけの懐の深さと大きさには、他国にないスゴさがあると、僕は思います。あくまで主観的な感想ですが、本書のアメリカ論にはステレオタイプ的な印象を受けました。


けれども、それによりこの本の価値が下がるとは思いません。医療、医学、生命などについて、国民の一人一人、医療者、司法は、マスコミは、、、、それぞれの立場から真剣に考えなくてはならないことを実感します。それぞれの立場に立つ人間がいかに自分に都合の良い考え方で論理を展開しているのか。ただ単に批判するのみならず、しっかりとこうあるべきと言う提言もなされているところが本書の価値を高めていると思います。

医療における教育、評価、人事についての提言もとても説得力があります。

医療と医学の区別は付けがたい部分があり、交わりの大きい領域があると思いますが、 本書は「医療」についての本であって「医学」についての本ではないと思います。であすから大学での若い医師教育に対してはとても批判的です。ただ著者の公平なところは一般の研修指定病院の問題点も挙げ、あるべき姿を提言しているところです。

筆者は
「医師が、個人の能力を伸ばすための条件は、1) たくさんの患者を診られる、 2) 勉強する時間がとれる、 3) 議論できる仲間がいる、 4) 他との交流ができる、事です。」
「医師の育成には病院間、大学間、あるいは一般病院と大学間の協力がどうしても必要です。」
と言っています。


これらが大変説得力あるロジックで語られます。

振り返って、自分が所属しているところについて思いをはせてみました。様々な雑用、ストレスが増え、病院内のベッドはいつも足りず、「医療崩壊」寸前を思わせる状況もないではありません。でも、そういう中で、みんながんばって仕事をしているし、議論をする土壌はあるし、がんばって若い人を他の施設に勉強に送り出しているし、まぁまぁの線を行っているんじゃないかなぁ、、、と思います。

自分にできることは、環境整備に努め、雰囲気が悪くならないよう盛り上げて、若い医師が入って来たくなるような環境を作って行くことかなぁ、、、と思います。

医療の限界 (新潮新書 218)

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

2008年3月15日 (土)

魯山人味道 3 トゥール・ダルジャンで鴨を食する話

魯山人味道 (中公文庫)の続きです。

本書の中では魯山人がパリで、漫画『美味しんぼ』に出てくる海原雄山とそっくりな事を実際にやったエピソードが紹介されています。魯山人を尊敬する海原雄山がそのまねをした、、、というところでしょうか。『美味しんぼ』の中では、鴨料理で有名なパリの一流レストランが東京に出店した際のパーティの席での事になっています。海原雄山はそのレストランの鴨料理を持参したわさびと醤油で食べます。そして、その店のソースよりも美味しいと言ってフランス料理に対して暴言をはいたのでした。(その後の話は省略します。)

僕も、この「鴨料理で有名なレストランでわさび醤油で鴨を食する」という事を魯山人がやっていた事は知っていました。しかしそのエピソードがこの本に出ているとは思っていませんでした。読んで見ると、海原雄山とはシチュエーションやストーリーの前後関係がちょっと違いました。これは当然と言えば当然ですが、、、。

このエピソードでモデルとなったレストランは「トゥール・ダルジャン」。パリの名店で、東京のホテル・ニューオータニに出店しています。同店で鴨を食べると、食べた鴨の番号札を渡してもらえます。ちなみに日本の一番は明治天皇が召し上がった鴨なのだそうです。(これは昭和天皇の間違いでした。浅知短才お詫びして訂正致します。msnさんご指摘ありがとうございました。)

魯山人の頃には「トゥール・ダルジャン」は東京に出店などしていませんから彼がやったのは当然、パリの本店でした。

同席者は画家の荻須高徳、小説家の大岡昇平という豪華な顔ぶれ。サービスに不満を持った魯山人は大芝居を打って、鴨にわさび醤油をつけるという食べ方を披露しました。一行はレストラン中の注目を集め、その後VIP待遇を受けたとの事でした。(詳細は本書をご覧下さい。)

この話で個人的に最も驚いたのは魯山人がその鴨を食したときの「わさび醤油」です。『美味しんぼ』で海原雄山は当然、生わさびをおろしですってわさび醤油を作っていたと記憶しています。実際に魯山人がパリで用いたのは、粉わさびを卓上酢で練ったものと薄口醤油(醤油はずいぶんと由緒ありそうなものでしたが)を鴨肉につけたのでした。まぁ、日本からパリまで本わさびを持ち歩くわけにもいきますまいが、粉わさびをけなす文章はありません。マズいとは思っていなかったのではないかと想像します。

あれほど美食にこだわる文章を残している魯山人が事もあろうに「粉わさび」を持ち歩いていたとは、、、。しかも、かの「トゥール・ダルジャン」の鴨肉を食べるのに「酢でといた粉わさび+醤油」のわさび醤油だったとは、、、。

恐らく当時、粉わさびは、気軽にわさびの味が楽しめるものとして、重宝がられこそすれ、決してマズいものという意識があったわけではないのでしょう。でも海原雄山が粉わさびを持ち歩いていたのでは格好がつきません。

美味い、不味いも時代によって、ずいぶんと変わる事があるようです。

オテル・ドゥ・ミクニの三国清三シェフが著書『僕の美味求新』で数の子は音が美味しい、と書いてあったと思います。本書によれば、魯山人もその音を楽しんでいたようです。今自分が楽しんでいるものを、有名人や昔の人も同じ様に楽しんでいたのかと思うと、ちょっとした仮想体験ができるような気がして小市民の僕なんかは嬉しくなります。

粉わさびも魯山人のトゥール・ダルジャン本店でのエピソードを思い出しながら食べると、粉わさびも美味しく楽しめるかもしれません。



2008年3月13日 (木)

魯山人味道 2

昨日の続きです。
そんなストイックな美食オタクの魯山人が書いた本(魯山人味道 (中公文庫) )ですが、なるほど、と思う記述もたくさんありました。

 
魯山人曰く、
「美味も美食も意のない者には縁がないもの」

「ふつうの家庭では、なにかの時だけ、儀式的なことに無闇と飾りたてしながら、平常はぞんざいにものごとを扱っている弊風があるのを、私はどうも面白く思わない。美的生活をなそうとするには、特別な時だけでは駄目である。いつでも、どんなものにも、美を生み出す心掛けを忘れてはならない。」

何事においても、「意識する」ということが大切だと。これを読んでから、普段の食器もちょっと良いものを使うようにしてみました。「美意識」と言うほど高級なものではありませんが、何となく気分が良くなります。
 
魯山人曰く、
「自分の実力が相手より上であれば、相手の実力が手に取るように分って、おのずと余裕が生まれてくる。絵で言うなら、自分の鑑賞力が高ければ、いかなる名画といえども、自分だけの価値を見いだすことができる。しかし絵が自分の鑑賞力より数等上であれば、その美の全部を味わうことはできない。、、、中略、、、かくの如く、鑑賞力なり味覚なりは、分る者には分るし、分らぬ者にはどうしても分らない。」

キビシイ言葉だと思います。でも、確かに今まで見えていなかったものが見えてきたりする時、知的悦びをかき立てられる時が確かにあるように思います。自分が理解できる世界を広げるためには精進するしかないのでしょうね。
 
魯山人曰く、
「食事の時間がきたから食事をするという人がある。食事の時間だから食べるのではなく、腹が空ったから食べるのでなければ、美味しくはない。」

これなんか僕の腹時計ダイエットそのままです。食べ物を美味しく食べられて、ダイエットができる。すばらしい。
 
魯山人曰く、
「家庭の料理、実質料理、そこにはなんらの思惑がはさまれていない。ありのままの料理。それは素人の料理であるけれども、一家の和楽、団欒がそれにかかわっているのだとすれば、精一杯の、まごころの料理になるのである。味噌汁であろうと、漬けものであろうと、何もかもが美味い。」

この本の中で、料理には心がこもっていなくてはいけない、ということが繰り返し語られます。最近の食の安全に関わる報道を見ると、ホントウにそのとおりです。食品会社も心のこもった商品を作って欲しい。そんな事を思うたびに、僕はいつも二つの言葉を思い出します。

一つ目はその昔、深夜放送かなにかで聞いた言葉です。
「おにぎりは、手でにぎるから美味しいんですよ。」
たしか、太宰治の言葉だということでした。

もう一つは、韓国にある言葉だそうです。ニューヨークにいた頃韓国人の学生さんから教えてもらったので、正確な言葉は知らないのですが、
「食べ物は作る人の指先から真心が伝わって美味しくなるのです。」
というものです。

僕は後者の言葉が特に好きです。家庭の味、母の味をじんわりと思い出させてくれる言葉です。レストランなどで美味しい食べ物をいただくときも、いつもこの言葉が頭をよぎっています。何かの記念で食べにいくなら、料理人の思いが立ち上るような、思い出に残る皿に出会いたいものです。

魯山人の域には達しませんが、自分なりの「凡人味道」を追求したいと感じました。

魯山人味道 (中公文庫)

2008年3月11日 (火)

魯山人味道 1

魯山人味道 (中公文庫) を読みました。  魯山人は「美味しんぼ」に出てくる海原雄山のモデルとなった人だとされているようですが、この本には「美味しんぼ」のネタはここにあったのか、と思うような話が沢山出てきます。
戦前から戦後にかけて、貧しい時代もあったでしょうに、こんなに美食にこだわった人がいたのは不思議な気もします。そんな時代に、こんな「美食の修行僧」のような人と食事をして美味しいのだろうか?と思ってしまいました。

何事でも深く楽しむためにはある程度の知識は必要だと思います。しかし、当然ながらそれにこだわりすぎると同席者が窮屈になる事があると思います。僕は食事のおいしさは、一人で食べるよりも、多くの人と一緒に食べ、楽しい会話とともに豊かな時を過ごす事でさらに昇華されるものと思います。 魯山人、海原雄山なんかと食事をしたら、美味しいものも、自由な雰囲気の中で美味しい時間に昇華されることは少ないんじゃないかなぁ。

文庫版のためのあとがきには「窯を焼く薪代にもこと欠くのに、客を好んで、酒を飲ませ、美味いものを食べさせたがり、老来、ますます世間と逆行して、見るもの聞くものおもしろくなく、悲憤慷慨し、時には罵倒する。」とあります。

こんな記述もあります。 

「実を言うと食物に精通すると言うこと、なかなか考え物である。現に私は自分の家以外の食物は楽しく美味しく食えない現実にあって苦しんでいる。人にご馳走してもらう楽しみなど、もとよりあろうはずもなく、楽しみであるべき旅行も不愉快になることが多い。」

限られた芸術的感性を持った人のみが魯山人との宴席を楽しむ事ができたのではないかと思いました。以前、笠間日動美術館で、魯山人と岡本太郎の展覧会をやっていました。魯山人の書のお師匠さんが岡本太郎のおじいさんなんでだそうで、岡本太郎なんかは仲が良かったみたいですね。この二人の宴席での会話など、実に愉しそうなものでした。
魯山人味道 (中公文庫)

2008年3月 1日 (土)

いつまでもデブと思うなよ

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227) 」を読みました。一年で50キロのダイエットを成功させた、その記録と方法論が述べられています。

個人のダイエット成功記録としても、自分と共感する所が多く、興味深く思いながら読了しました。

共感した、というか、同じだなぁ、と思った記述は例えば下記のようなものがあります。いずれも過去のエントリで同じような内容を書いています。

「最長一週間以内でツジツマを合わせられたら充分。そう考えると、目の前が明るくなる。」

もともと僕のダイエットは毎週体重を測るというもの。一週間でツジツマを合わせる事から始まってます。これがまた丁度いい感じなんです。今は体重を維持している状況ですので、ツジツマあわせは多少の凸凹があっても良いことにしています。今週は67.4キロでした。ちょっと凸な感じなので、次週はちょっと凹になるようにしたいと思っています。

「カロリー制限の食事を開始してから二ヶ月半を過ぎた頃、七五日目あたりに体質は大きく変化する。 中略 まず強烈な飢餓感が襲ってくる。 中略 精神的にも不安定になる。気力が衰え、気分も落ち込み気味になる。」

二ヶ月半、というのは人によって、ダイエットのスタイルによって違うのではないかと思います。僕の場合、ダイエットを初めて、五ヶ月目の頃、ホントウに辛かった時期がありました。あのときは「ヤバイかも」と本当に思いましが。そのため僕は「危険を冒すべきではない」という記事を書いています。僕は仕事と年齢のせいだと思っていたのですが、もしかしたらダイエットをしている人がみな通る道だったのかもしれません。

「なだらかに直線的に減り続ける訳ではない。減る前にいちど少し増えてからグッと減る場合が多い。」

僕の場合も細かく見ると、ある程度階段状に体重減少がおこっています。体重が減りにくい時期を、僕は「ダイエットの踊り場」と称していましたが、やっぱり体重はみんな同じような形で減っていくもののようです。

そんな所から、恐らくはダイエットによって体重減少を実現する人が共通して実感する内容が多々含まれていると思います。そしてそれが作者特有の分析と適度に感情的な文体によって語られるので、ダイエットへの心をくすぐります。

最近ダイエットに興味のある人たちの間では話題の本のようで、テレビなどでも取り上げられているようですね。

本書で提唱されている「レコーディングダイエット」を実践している人たちも沢山いるようです。まぁ、お金もかからないし、とりあえず始めやすいダイエット法であることは間違いありません。

本に出ている事を全て実行できたら確かにやせるでしょうね。でも、その通りに実行するのは筆者が本の中で訴えているほど簡単ではないのではないかと思います。残念ながら。

以前、「ダイエット成功の秘訣」というエントリで「ダイエットオタクの状態になる事がダイエット成功の秘訣かもしれません」と書きましたが、この本の作者は自称「オタキング」、まさに「ダイエット  オタク」そのものです。目的があってダイエットをするのではなく、ダイエットそのものが趣味となっているのですね。ダイエットを趣味化する効用については「ダイエットと趣味」で書きました。

そんな人だから「レコーディングダイエット」なんぞというものを考えだす事ができたのだと思います。

そして、本書の方法を筆者が完遂できたのは、自分でいろいろ考えながら、試行錯誤しながら、自分なりの方法を編み出したからだと思うのです。

オタクですからいろいろな事を考え、いろいろ試します。そんでもってクドクドと語ります。実際に体重が減ってきて、思いどおりに事が運んでいればもう、ストップはききません。ダイエット オタク  スパイラルに入っていって、どんどん深みにはまります。

当人は結果もついてきますから、体重の減少は喜びから快感に変わり、最後には殆どエクスタシーに達します。この本でもすごいことになってます。ダイエット成功が最後には月面着陸に例えられ、 本書は終わりをむかえます。

この本を読んで、やはりダイエット成功のために一番必要な事は、本人が精神的にのめりこむ事にあるのではないかと思いました。

いつまでもデブと思うなよ (新潮新書 227)

2008年2月 7日 (木)

コメント力

質問力 ちくま文庫(さ-28-1) (ちくま文庫) に引き続き、 コメント力―「できる人」はここがちがう (ちくま文庫 さ 28-3) も読んじゃいました。

この2冊の共通点は、質問力も、コメント力も、コミュニケーションを円滑にするための技術としてとらえられているという事です。

しゃれたコメントからは、その人のセンスが感じられ、大変良い印象をうけます。以前にご紹介したノーベル賞学者マリス博士と皇后陛下のエピソードなんかその典型だろうと思います。

気の利いたコメントをする事により場が和み、雰囲気が明るくなり会話が弾みます。そしてそのようなコメントはどういうものなのでしょう。そしてその様なコメントが浮かぶ様にするためにはどのように機転を利かせれば良いのでしょうか。

第1章で優れたコメントが定義されます。筆者が「質問力」で定義した様な「優れた質問 」の定義より「優れたコメント」の方が定義づけが難しいようです。コメントが優れたものであるかどうかは、シチュエーションによって大きく異なるからだと思います。

そう言った難しさがあるにせよ、自分と相手の立ち位置を明確にするような表現は優れたコメントになりやすいようです。つまり、優れたコメントには相対的な位置関係を明確なものとして表現する力があります。そしてその位置関係を把握する為には、一歩下がった全体を俯瞰する様な視点が必要になります。

本書の第2章は、問題形式になっていて、自分でコメントを考える形になっています。問題形式、と言ってもかた苦しいものではなく、さくっと読めてしまいます。

3章では具体的に優れたコメントを例に検討して行きます。直接的内容を含む場合、具体的かつ本質的なコメントが優れているのだと思いますが、わざと本質からずらしたコメントが優れているとされる場合もあるので 、常にゆとりのあるスタンスで会話の流れを把握する事が大切なのだと思います。

コメント力―「できる人」はここがちがう (ちくま文庫 さ 28-3) Book コメント力―「できる人」はここがちがう (ちくま文庫 さ 28-3)

著者:齋藤 孝
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年2月 3日 (日)

質問力

質問力 ちくま文庫(さ-28-1) (ちくま文庫)を読みました。

以前に良い質問をするのは難しい、という話を書きました。常々そう思っているので、段取り力に続き同じ著者の似た様な題名なのですが、思わず買って読んでしまいました。

以前の僕のエントリでは、質問を学会や講演会などでの質問に限定して考えていました。本書における「質問」は一つのコミュニケーションの技法として「質問」をとらえています。会話が成立するためには、言葉のキャッチボールが必要なわけで、そのキャッチボールを開始し、継続するためにはどこかで質問を発する事になります。
そしてその質問によって会話の流れて行く方向が決まって来ると言う訳です。

本書の特徴は、明快さです。良い質問とは、自分が聞きたい内容であり、かつ、相手が話したい内容についての質問である、過去と現在の文脈にそった質問である、そして具体的かつ本質をついた質問が望ましい、 とわかりやすく明確に定義します。

この位明確だと、頭の働かせ方が楽になります。それにより、余計な雑念なく、話の流れに集中できるようになる事が最大のポイントでしょう。まず話の流れにのらない事には質問が生まれません。

そしてその様な質問を編み出す技術として、本書では「沿う技」と「ずらす技」という2つの技法を紹介し、解説します。

コミュニケーションの技法としての「質問力」というものがあるとして、本書に書かれている様な技術を「意識」しながら自分が話をするのは難しいと思います。けれども、そう言った技法を意識しながら対話やインタビューなどを呼んだり聞いたりする事は可能です。

そういった会話の中で用いられている技法を意識する事により、質問力を高める事ができるようになると思います。

質問力 ちくま文庫(さ-28-1) (ちくま文庫) Book 質問力 ちくま文庫(さ-28-1) (ちくま文庫)

著者:斎藤 孝
販売元:筑摩書房
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2008年1月30日 (水)

医療崩壊

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か  を読みました。 非常に深い思索に富んだ好著だと思います

筆者の主張を、煉瓦を一つ一つ積み上げるような緻密な論理をもって構築していきます。僕の理解では本書の主張を短くまとめると次のようになります。

現在日本は医療崩壊の危機にある。しかし、医療者側のみにその原因があるわけではない。世論次第で責任の重さが変わってしまうような、世論を背景にしたマスコミ報道や、「真相究明」という言葉で表現される訴訟による犯人探しの対象となる事に、医療者は疲弊しきっている事が大きな原因である。医療者の士気が下がっている。医療者がその場から立ち去りつつある。この点では、マスコミにも国民にも責任がある。この状況は自分たちが病気になったときに受ける医療を萎縮させるものである。医療を社会的善と規定し、公平性を保った公共の財として医療者の労働意欲を刺激するような施策をとらねばならない。

例えば、医師が訴訟で訴えられたときの業務上過失致死傷適応の可否については、下記のような議論があります。

P55
業務上過失致死傷で医療従事社を有罪にするとすれば、通常の医療と罪の境界があいまいになる。医療は常に前進しようとしている。常に反省し、もっと良い方法はなかったか議論する。医療行為の選択肢や変数は極めて多く、後からみるとこうしておけばよかったかもしれないと判断されるようなことは常にある。悪意を持ってみれば、業務上過失致死傷罪に問われかねないようなことは医療現場では常にある。患者が合併症で死亡したとき、反省の記録を残すとそれが証拠となり、-----業務上過失致死傷が成立する。

また、「医療はサービス業である」という意見に対しては、下記のようなThe Lancet誌の論説を引用し、議論を展開します。

P146
正しい市場とは、競争原理が機能し、情報へのアクセスが平等でふんだんにあるという前提で、消費者が自らの意志で参加するゲームである。ところが医学ではこのような前提は成立したことがない。医療はゲームではない。社会的善である。医療は競争をすべきものではない。医療は何より公平でなければならない。医療の情報を誰もが平等に得て、しかも、それを正しく読み取れるなどということは、かつてなかったし、未来永劫あり得ない。患者は消費者ではない。患者は純粋にただ単に患者なのである。

豊富な引用と緻密で冷静な論理展開により、感情的、一面的な議論に陥ることなく筆者の主張を展開します。

誤解のないように申し添えると、筆者は医療者に責任がないという主張をしているわけではありません。医者の責任も認めた上で、公正で建設的な議論を心がけて書かれていると思います。

医学と医療についての考え方、特に研究に関する部分において、筆者の主張に100%諸手をあげて賛成するわけではありませんが、主張には説得力があります。それは、臨床の現場の真実と問題点を確実に切り取っているからだと思います。

現状に不平不満をもつ医療者は多くいても、それをこれだけ説得力のある形で主張できる人は、あまりいません。多くはその場の感情的な議論に終始してしまいます。その点で、医療問題に関する自分の立ち位置をしっかりと見つめ直すのにはうってつけで、多くの方にお勧めできる本だと思います。文体や文章はかなり歯ごたえがあってしっかり読もうと思うと結構大変だとは思いますが、それだけの価値のある本です。

僕自身、人から推薦されて借りて読んだのですが、自分でも購入しようと思います。

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か Book 医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

著者:小松 秀樹
販売元:朝日新聞社
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2008年1月21日 (月)

誰が日本の医療を殺すのか

誰が日本の医療を殺すのか―「医療崩壊」の知られざる