2009年4月 4日 (土)

イチロー選手とWBCと胃潰瘍

イチロー選手が胃潰瘍で故障者リスト入りしてしまったとの事。

ストレスによる胃潰瘍ではないかと想像します。ネズミを檻にいれ、首の高さまで水につけると、溺死への恐怖感から数時間で胃潰瘍ができるそうです。

WBCで不調だった時の彼のストレスは、まさに生命の危機に匹敵する大変なものだったのでしょう。「胃に穴があく」とはまさにこの事です。

イチロー選手のストレスがこれほど大きくなった原因は彼自身の不調だけではないと思います。

これまでの野球人生の中で、さまざまな不調を何度も経験し、彼はそれを克服してきているはずです。ストレスを大きくしたのは、WBC、チームへの彼の思い入れの深さではないかと思います。

強い思い入れがあるからこそ、自分にも期待するでしょう。周囲の期待にも応えたいと思うでしょう。その両方に応えられない時、思い入れが強ければ強いほど、逃れられない強烈なストレスが襲ってくるのだと思います。

4年に1度、短期決戦、日本代表、周囲の期待等、さまざまなファクターが増幅され、一つ間違えば戦犯扱いしそうな報道は、胃潰瘍ができるほどのストレスを抱える本人にとっては非常に不快なものに違いありません。

でも、今回のWBC中、記者の「国民が期待していますが」との言葉に、「知ってるよ、わかってる。知ってるから。」という返事をしていた時の彼の表情にトゲトゲしさはありませんでした。

そんな大人の対応をとれる彼だからこそ、不調にあっても他の代表メンバーから浮く事なく戦い抜けたのだと思います。

そして最後の最後に結果を出してしまったあたりはやはり常人ではありません。

彼の早期復帰と活躍を願います。

(個人的にはイチロー選手を使い続けた原監督の胃袋も心配です。)

2008年12月 8日 (月)

ベースボールと野球道

「ベースボールと野球道」(講談社現代新書)を読みました。

本書は日米のスポーツジャーナリストの共著によるものです。米国人ジャーナリスト、ロバート・ホワイティング氏は"You Gotta Have Wa "で米国に日本の野球を紹介した方です。日本人ジャーナリストの玉木正之氏はそれを邦訳「和をもって日本となす」された他、多彩な活動をされている方 です。

そのような二人が米国のBaseballと日本の野球の違いを挙げ、比較する本です。その相違点は400にも上ります。なかなか面白い企画だと思います。ただ、本書は今から17年前に出版されたものですから、今とはちょっと違う価値観のもとに書かれていると思います。

僕が大学を卒業した頃に、日本のプロ野球と大リーグを比較して「野球と言うスポーツの本質を考えた時、メジャーが正しいのではないかと思うのである」みたいな文章を読んで反感を覚えたのを思い出しました。恐らく当時はそんな先入観念があったのではないかと思います。

それは次のような本書の後書きにも表れています。

「この本をまとめあげて感じる事は、アメリカのベースボールには、いかにも(良くも悪くも)アメリカ人的であると思わせられる項目がたくさんあるのに対して、日本の野球には、いかにも日本人的と胸を張れる項目がきわめて少ない事である。」

日本人は何事につけ「道」にするのがスキですから、そう言う点でベースボールとは違う所は多々あると思います。また、高校野球の存在も日本の野球を特徴づ けるものだと思います。こういった事に起因して真面目さ、几帳面さ、真剣さ等が、時に論理を伴わない所がこのコメントにつながったのでしょう。

けれども本書が世に出てから、野球の歴史は大きく変わりました。北京オリンピックでは残念な結果でしたが、WBCで優勝してしまい、野茂がメジャーへの扉 を開き、イチローがメジャーの記録を更新し、多くの日本人プレーヤーがメジャーで活躍しています。国内でも選手会がストライキを実行にうつしました。今、 同じ企画をしたら、同じ相違点も少し違った解釈なるのではなかろうか、と思いながら読みました。

サッカーの各国代表は、それぞれの国の文化を背景に、特徴的な試合運びをします。同様に、野球もそれぞれの国で異なる戦術を得意とするようになって、競い合うようになればふたたび五輪の正式種目となる事もできるのではないかと思います。

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著者:Robert Whiting
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2008年11月24日 (月)

真っ向勝負のスローカーブ

真っ向勝負のスローカーブ (新潮新書) を読みました。なんと言っても終わりの文章がカッコイイ。
 86kmのカーブと135㎞のストレートしか投げられない僕のような人間でも、並み居るプロの強打者・好打者と真っ向勝負ができたのだ。
 あなたにそれができない、とだれが決められるだろうか。
この文章にたどり着いたとき、素直に納得して前を向ける気がしました。
 
筆者の星野投手がオリックスから阪神に移籍するときに、ボールが遅いのに技術で勝利をあげる芸術的な投球術を持つ投手として紹介されていたのを覚えています。そのときに彼のボールがいかに遅いか、彼の腕がいかに細いかとか、そんな事が話題になっていました。
 
そんな技巧派の星野投手の通算成績は、巻末の歴代通算記録によると通算勝利数34位、奪三振数16位、通算投球回数36位と素晴しい成績です。技巧派の頂点を極めた選手といってよいのでしょう。
 
その技巧派投手が実感を込めて語られる「すごい球列伝」は説得力があります。
 
「すごいストレート」「すごいスライダー」「すごいカーブ」「すごいシュート」「すごいフォークボール」それぞれ誰がどう投げてどうすごかったのかは読んでのお楽しみ。
 
その中で、剛速球投手として名前が出ないわけがない江川投手について下記のように語っているところがあります。
目先を変えるカーブとの2種類だけで最後まで投げぬいたのもスゴイ。そして、「ピッチングは逆算。決めダマをどうするか、から組み立てを考える」という持論も、剛速球あればこそで、僕から見れば羨ましい限りだ。なにしろ、僕の場合、途中で打たれたり凡打してくれたりすることのほうが多く、考えていたのはいつも「次の1球をどうするか」でしかなかった。
剛速球という「切り札」を持つことの優位性を語っています。他の「すごい◎◎」でも同様です。その人たちを羨んでいるようにも見えますが、ねたんでいるわけではありません。
 
「次の1球をどうするか」を考えることこそ、本書で語っている筆者の切り札だったのだと思います。そしてその「次の1球」を確実に効果のあるものとするためにどのような工夫をしたのかが語られます。
そこには実生活に応用可能なこともたくさんあるように思いました。
「‘自分の基準‘が大切なのだ。それが投球におけるすべてのアレンジの基本となる。」
 
「何か一つ、基本線を持って観察していると、たとえ推測が間違っていても、新たな発見がある事が多いものだ。」
 
「「気」が入っている球はド真ん中でも打たれない」
 
「練習では反省せよ、試合では反省するな!」
そんな実用的なことばかりでなく、野球の本としても大変楽しめます。
 
例えば、「無冠の帝王」清原選手がなぜ怖いバッターだったのか、彼が4番を打っていた当時の西武ライオンズの野球のどこがいやらしかったのか、なんてところはとても納得できました。
 
また、「日本シリーズ会心の1球は、二死満塁からのボール球」「とてつもなく長く感じた落合博満のバット」「伝説の4連発・ブライアントのバットは縮んで見えた!」といったあたりは野球漫画さながらの実話に引き込まれました。
 

2008年10月12日 (日)

原監督のインタビュー、意外な類似点

原監督のセリーグ優勝インタビュー、彼の人の良さと純粋な喜びが感じられるものだったと思います。でも、ちょっと気になったので動画を検索して最初の所だけ書き出してみました。

以下、アナウンサーの言葉は省略してあります。

「ありがとうございます。」

「まぁ、あの、今年のゲームを象徴するようなね、ホントに粘り強く選手が戦ってくれまして、今日もホントにギリギリの場面でね、ファーストにヘッドスライディングを二つね、やった形で、やっぱりその、気持ちという点で非常にに強かったと思いますね。」

「もう、まぁ、もちろん選手もね、非常に苦しい年を、まぁ、ちょっと4年程ね。私も悔しかったし、ファンの人もね、非常に悔しかったと思うんで、そういう意味で今日はその悔しさというものをしっかりぶつけて戦ってくれたと、そういう点ではもう、最高です。 」

シナリオのないインタビューですから、後からこうやって書き出せば突っ込みどころはいくらでもあります。でも、そんな事ではなく、言葉から醸し出されてくる雰囲気が独特なのです。ジャイアンツならではと言うか、、、。

文体が長嶋さんに似ていると思うのです。

擬音語、擬態語は入りませんが、技術論ではなく、精神論に近い内容が満載な所も似ている気がします。お笑い芸人のするような、表面的なモノマネではなく、本質的な部分で共通するものがあるように感じました。

考えてみれば、それぞれミスター、若大将という称号を得、ともに監督解任を乗り越えて再任、優勝するという経歴も似ています。

そう思って聞くと、意識はしていないのでしょうが、僕には原監督の声色まで長嶋さんに似ているように思えます。

長嶋監督の正統な後継者は原監督なのだ、と僕の中で勝手に納得したインタビューでした。

2008年8月18日 (月)

日本野球25人 私のベストゲーム

 
この本は「スポーツグラフィック ナンバー」の2005年5月5日号の特集「創刊25周年特別編集 1980~2005 日本野球の25人 ベストゲームを語る。」に加筆したもので、それが文庫本となって発売されたものです。


「ナンバー」という雑誌は僕の好きな雑誌の一つです。定期購読はしていませんが、飛行機や新幹線などで移動するとき、よく購入して読みます。端から端まで止まらずに読み通してしまうこともしばしばです。本書も最初から最後まで一気に止まらずに読んでしまいました。

以下、名前が沢山出てきますが、敬称略で書かせていただきます。

桑田は池田高校対PL学園の試合を挙げました。当時、池田高校は、夏の甲子園優勝し三年生が卒業した後、チームを再編成して春の甲子園も連覇し、同じチーム編成で夏の甲子園に乗り込んできました。前人未踏の甲子園三連覇も夢ではありませんでした。その池田高校を相手に一年生のKKコンビがねじ伏せてしまった試合です。


その他、イチロー、松坂、清原が高校時代の試合を挙げました。若かりし頃の経験が将来にまで影響を及ぼす思いを植え付けることも多いのだと思います。きっと名選手と言われる多くの人が、若いうちに学びの多い豊かな経験をしているのだろうと思います。


一方で、日本シリーズを挙げる人もいました。


原は、3連敗した後、近鉄の選手から「ジャイアンツはパリーグの最下位より弱い」と言われ、その後4連勝し優勝した1989年の日本シリーズを挙げました。


古田はイチローと対戦し、彼を押さえ込んだ1995年の日本シリーズを挙げました。


短期決戦ならではのドラマや名勝負がそこにあります。


シーズン中の試合でも語り継がれている試合が挙げられています。


阿波野は、奇蹟の逆転優勝がつゆと消えた1988年の最終戦、10月19日に行われたロッテvs近鉄のダブルヘッダーを挙げました。


ブライアントは、その一年後、リーグ優勝が再び最終戦のダブルヘッダーまでもつれ込み、近鉄が初優勝した1989年10月12日の近鉄vs西武戦を挙げました。


優勝がかかった試合ばかりではありません。


阪神最強の助っ人、バースはバース、掛布、岡田による、バックスクリーンへの3連続ホームランがでた1985年4月17日の阪神vs巨人戦を挙げました。


その試合が、なぜそれほどまでに想いのつまった試合となったのか、その試合の裏にある「隠し味」を明らかにしつつ、リアルによみがえらせてくれる良質なノンフィクションだと思います。

2008年2月26日 (火)

残念、今年も

FIS スノーボードワールドカップin 郡上に行ってきました。と、いっても最終日のパラレルジャイアントスラローム PGS しか見ていないので、「見た」とはお世辞にも言えないのですが、、、。

PGSは青と赤のコースを二人の選手が競争しながらスピードを競って滑り降りる競技です。スキーとはまた違った見応えがあります。接戦になると、二人のスノーボーダーがまるでダンスをしているかのような華麗さがあります。

我が期待のクリス・クルーグ選手は今年もまた予選第一走で転倒、コースアウトしてしまい、昨年に続き予選落ちと言う、残念な結果となりました。

レース後、彼は、今日はとても「イイ感じで乗れていたのに、、、。残念だ。数日続いた晴天で硬くなった雪を昨日ふった柔らかい新雪が被っていて難しかったよ。It's not my day.」と言っていました。彼が転倒した箇所は他にも転倒した選手が多くいて、難しかったのは事実のようでした。

優勝したのは、ジェシー・ジェイ・アンダーソン選手。クルーグ選手と同様に長いキャリアを持つトップ選手です。

次のレースまで短い休みがあるようですから、リフレッシュして、次のレースからまた頑張って欲しいと思います。

Chrisnobu

2008年2月20日 (水)

スノーボードワールドカップin 郡上

今週の金曜日22日から24日まで、岐阜県郡上師の高鷲スノーパークで、FISスノーボード・ワールドカップが開催されます。

競技日程は22日 SBX スノーボードクロス、23日 HP ハーフパイプ、24日 PGS パラレルジャイアントスラローム、となっています。我がクリス・クルーグ選手は24日のPGSに出場する予定です。昨年、富良野でのワールドカップでは予 選落ちでした。2月17日韓国でのワールドカップに出場し43位でしたから、今頃は雪辱に燃えている事でしょう。いや、そんな昔の事なんて覚えていないか も。いずれにしろ、気合いでパンパンになっている事だけは間違いないと思います。

その前の北米カップのジャイアント・スラロームでは2位に入っていて、調子は悪くないと思うので、今年は上位入賞、できれば表彰台をと、期待しています。 彼はワールドカップでは最近勝利から見放されていますが、持ち前の陽気さと前向きな強い気持ちで上位に食い込んで欲しいと思います。

webで検索してみると、今回のワールドカップで授与されるメダルは県産品のヒノキで出来ているらしいです。日本の文化を何も知らないクリス君、もらったらびっくりするだろうなぁ。

なにしろ、昨年、彼の自伝が日本語で発売された時、「横書きが縦書きになってる!ページが逆にならんでる!!」とびっくりしていたくらいですから。(長野オリンピック以来、彼はもう何回も日本に来ているはずなのに、、、。)

2007年11月12日 (月)

ヤンキースとレッドソックスと息子

この2チームのライバル物語は、日本でも良く知られる所です。

僕たちはニューヨークに住んでいましたから、当然ヤンキースをずっと応援してきました。

2004年にレッドソックスが「バンビーノの呪い」に終止符を打ってワールドシリーズで優勝した時も、同じ出張でボストンへ行きましたが、レッドソックスグッズは何も買いませんでした。

我が家は今でも基本的にはヤンキースを応援しています。

でも、今回のボストン出張では、松坂投手や岡島投手がいる事、ワールドシリーズで優勝した事などから、レッドソックスグッズを沢山買って帰ってきました。

「今年だけの記念品!」みたいなのが沢山あって、その商品戦略に単にはまってしまっただけなのですが。

「帰国後2年たっているし、日本人メジャーリーガーもいるし、まぁ、いいだろう。これだけ沢山買って行けば、僕は野球が大好きな息子のヒーローに慣れるに違いない。イヒヒヒ、、、。」

お土産を見て、僕の下心を見透かすかのような、息子の一言。

「僕たちヤンキースファンなのにいいのかな、、、。」

確かにどんな事があろうと、ジャイアンツファンが阪神の優勝記念グッズを買いあさるような事はありませんからね、、、。

結局、お土産のなかで最も喜んで使ってもらっているのは、僕自身、見つけた時には店員から罵倒される事を覚悟の上で買わずにいられなかった、ヤンキースのバスタオルなのでした。

トホホ。

彼は今もそれにくるまって寝息を立てています。

2007年10月27日 (土)

世界一の親父

以前に書いてしまった手前、その続きをちょっと。

昨日の亀田興毅選手の会見は立派だったと思いました。シナリオを書いた人がいたかもしれませんが、それでも立派だったと思いました。

特に、非難の集まる中、自分の父親を「俺たちにとっては世界一の親父やから。」と言い切った彼の強い気持ちは、ハゲタカのような報道陣を圧倒する力を持っていたと思います。

僕も自分の父親についてはそう言う事ができます。故人だからかもしれませんが。でもその事を幸運に思います。

自分もそう言ってもらえる様に頑張らないと。

2007年10月21日 (日)

亀田家に今必要とされているもの

報道はあまりに偏っていて、僕の理解に間違いがあるかもしれませんし、 あまり気持ちの良い話ではないので、ブログでも書きたくないと思っていたのですが、ちょっとだけ。

マスコミ報道は、それで視聴率がとれなくなるまでは止められないのかも知れないと思います。 マスコミはそれまで彼らをタタき続けるかもしれません。残念ながら、よくある話です。

そんな中、今、彼らに必要とされているのは、彼らの気持ちを理解し、優しい言葉をかけ、本当の意味で力になってあげられる良き理解者ではないかと思います。その様な人がいて欲しいです。

そんなのは甘っちょろい、と言われそうですが。

でも、僕に誤解がなければ、彼らは、

「世間から排除されるのは弱いからだ。」

「力が全てだ。」

「勝てば、周りの奴らの態度が変わる。」

「強ければ、みんな媚びてよってくる。」

と、そんな事を信じてやりたい放題やってきた訳ですよ ね。少なくとも亀田さんのお父さんの言動はそのようなものだったのだと思います。

彼らが負けた事により、TBSを含む世の中全てが手のひらを返した様に亀田バッシングをして、マスコミの暴力によって彼らを叩きのめし、土下座させ たところで、何が変わるのでしょうか。そんな事をさせれば、単に亀田氏が正しかった事を証明しているだけにすぎないのではないでしょうか。

亀田氏は心の中で思うかもしれません。「ホラ見ろ。世間なんてそんなもんだ。今回は負けた俺たちが悪かった。だが今に見ていろ。」

子供達も同様に思って信じてしまうかもしれません。

今、彼らが真に必要としているのは、今こそ彼らの力になって 「負けたって、弱くたって一人じゃないんだよ。」と言って力となってくれる、彼らの目を開かせてくれる、真の友のような気がします。

2007年7月23日 (月)

野球の応援 日本編

日本に帰ってきた僕たちは、また野球を見に行きたいと思うようになりました。ところが、以前に書いた通り、帰国した年の2005年は阪神が絶好調。長男 は、僕たちの気持ちをよそに、阪神ファンになってしまうところでした。日本シリーズでロッテが買ってくれたおかげで、セリーグは巨人、パリーグはロッテを 応援する、ということで家族の和を保つ事が出来ました。

と言うわけで、長男をなんとか僕と同じ巨人ファンにする事に成功したので、巨人戦を子供と一緒に何回か野球を見に行きました。

野球観戦のスタイルは、米国と日本ではだいぶ違います。ニューヨークでは、まず、レフト側、ライト側に分かれて応援合戦、みたいなものは殆どありませ ん。(ヤンキースタジアムでは球場の殆どがヤンキースファン)また、ラッパや私設応援団などもなく、どこに座っても、それぞれが思い思いのスタイルで野球 観戦している感じです。

特に外野席に座ったとき等は、日米の違いを実感させられましたね。ヤクルト巨人戦で、外野席に座ったときの事です。当然、レフト側に座りましたから、なんの違和感もなく思う存分ジャイアンツを応援できるはずでした、、、。

試合が始まってみると、、、。「皆さん、応援、よろしくお願いしまーす。」と私設応援団の方が僕たちの前の通路にやってきてお辞儀します。その後、ジャイアンツが攻撃するときは、立ち上がって声援を送るのは、ほぼ強制されている感じでした。これにはちょっと面食らいました。試合が始まってしばらくは、「オジサンは、もうちょっと落ち着いて見たいよー、、、」と心の中で叫んでいました。

ところが、、、。慣れてくるとこれがまた以外に楽しいのですね。彼ら、応援団の統制のとれている事といったら!!子供は運動会の応援合戦のように、ものすごぉく興奮して応援し、とっても楽しんでいました。

 球場の応援がよっぽど楽しかったのでしょう。今では、自宅でもテレビで巨人戦 を観戦するときには、球場で購入した観戦グッズを取り出してきて、テレビの前に並べ、スピーカーから漏れ聞こえて観客席からの応援に合わせて、「ヨシノ ブ!」、「ヨシトモ!!」、「オッガッサッワラァ!!!」とやっています。

やはり、習慣、文化の違いがあると言う事で、野球一つとっても多様な楽しみ方があると言う事ですね。楽しければイイんじゃないですかね。

2007年7月21日 (土)

ヤンキースタジアムでの野球観戦4

 それぞれが勝手に応援するといっても、みんなが試合の流れを見ているので、ヤンキースがチャンスの時は盛り上がるし、タイムリーヒットが出ればみんな立ち上がって大喜びです。3歳ほどで野球のルールを理解していなかった長男も、野球場の雰囲気はとても好きで、見ているうちに少しずつルールを理解していきました。

 

 それから、みんなで応援することもちょっとはあります。でもそれは一応ヤンキースタジアム主導です。ヤンキースが攻勢のときなどに、オーロラビジョンにメッセージが表れるのです。

 それは手拍子を促すものだったり、「Make noise!」というメッセージだったりします。この「Make noise!」は相手ピッチャーの集中力をそらすためなのだと思いますが、最初はどううるさくしたら良いのか戸惑いました。でも、そのうち何となく、いい加減な声などを上げたりすることに抵抗がなくなります。これが結構快感だったりします。

 また、攻守交代の時間帯に繰り広げられるえエンターテイメントもお決まりなのですが、楽しいものです。それには次のようなものがあります。

 Young Man
のパフォーマンス :5回終了時に、グラウンドキーパーのおじさん達が、「ヤングマン」の音楽にのって整備をします。と中のYMCAのところでは、トンボを地面において「ワーイ エム シーエー」とポーズをとります。子供達もみんなで一緒に「YMCA」。

 観客のダンスパフォーマンス:日本でも似た様なのがありますね。6回くらいだったと思いますが、攻守交代の時間帯に、バイオリンで奏でられるカントリー&ウエスタンが放送されます。その音楽にのって激しくダンスをすると、オーロラビジョンに映し出されます。観客達は、自分が映っているのに気がつくと、一様に「ワオ!俺たちが映ってるぞォ!!!」とばかりにさらに激しく踊り始めます。

 ここで映し出されるのは、多くの場合、ヤンキースのマークになっているYankees hatをかぶっている肥った男性です。でもこれが、毎回別人なのですね。なんでそんなに同じ様な人が何人もいるのか不思議なくらいですが、あまりにもお約束通りな感じがして笑ってしまいます。

 TAKE ME OUT TO THE BALLGAME
:7回表が終ったところで、観客がみんな立ち上がって「TAKE ME OUT TO THE BALLGAME」(「わたしを野球に連れてって」)を歌います。 みんなで背伸びをする時間だそうで、歌いながらストレッチをしたりします。なんともほのぼのとした曲調で、楽しい音楽です。

 そのほか、回の合間にオーロラビジョンに映し出されるアトラクションには、地下鉄レースや、ヤンキースについてのクイズなどがあります。電車好きの長男は地下鉄レースがお気に入りでした。

 試合が終わった後は、大混雑の地下鉄に乗って帰ります。このときばかりは日本の通勤電車なみのすし詰め状態です。 僕たちは、小さな子供連れであったこと、一度この帰りの地下鉄で財布をすられたことから、8回の裏くらいで球場を後にすることにしていました。

 おかげで2003年7月17日には、松井秀喜のサヨナラホームランを見逃すことになってしまったのでした。仕方なかったとはいえ、今から考えても、無念でなりません。

2007年7月19日 (木)

ヤンキースタジアムでの野球観戦3

 通常は殆どがヤンキースファンですが、サブウェイシリーズ(ニューヨーク・ヤンキース対ニューヨーク・メッツ)の時は、ヤンキースファンとメッツファンが入り乱れていたりします。

 「Let's go Yankees! 」と叫ぶヤンキースファンのとなりで、合いの手のようにメッツファンが「Yankees suck!」(ヤンキース サイテー!、またはヤンキース ムカツク!)と叫んでいたりします。

 隣同士でそんな掛け合いをやってたりしますが、だからといって喧嘩がおこる様な事は殆どありません。ブリーチャーズという外野席では、狂信的なファンがいたりするので違うかもしれませんが、、、。

 そう言えば以前、この外野席の一塁側に日本から来たと思われる一団が、日本式に松井コールをやった事がありましたが、試合の初めの方だけで、球場全体にひろがったり、試合最後まで続くということはありませんでした。

 ちなみに、この「Let's go Yankees!」は日本の巨人戦で巨人の応援団がやる「Let's go Giants!」と同じリズムです。San Francisco Giants の応援も「Let's go Giants!」なのでしょうか、そこはわかりません。

 関係ないですが、昔New York Giantsというメジャーリーグチームもあり、New York YankeesNew York Giantsというワールドシリーズ(サブウェイシリーズ)もあったそうです。

 今、New York GiantsというとNFLのチームになってアメフトのチームになってしまいますが。

2007年7月17日 (火)

ヤンキースタジアムでの野球観戦2

 さて、ようやく球場に入って、試合が始まる前、早めに行くと、以前に書いたモニュメントパークを見に行けます。なぜかこっちは延々と長い列が出来ていて、列の一番後ろに並ばないといけません。 多分、並ぶか並ばないかは、入り口前のスペースが広いか狭いかによっているのではないかと思います。

 試合が始まる前にはメンバー紹介があります。

 相手チームはダースベイダーのテーマでおどろおどろしく紹介されます。そしてその暗黒の世界に光をもたらすべく、ヤンキースのメンバーはスターウォーズのテーマで明るくかっこよく紹介されます。

 試合中の応援はいわゆる応援団の様なものはなく、各自が勝手に応援します。

 ジーターが出てくると、目がハートになって、黄色い声援を遙かに超越した豪快な応援を繰り広げる若奥様もいました。横に座っていた旦那さんはどんな気持ちだったのでしょう。


 クリーブランド・インディアンズとの試合では、斜め後ろに座っていた兄ちゃん二人が、クリーブランドとニューヨークの違い、インディアンズとヤンキ-スの歴史の違いについて延々と語り続けていました。どうも彼らはクリーブランド出身で、初めてニューヨークに出て来たようでした。

 シアトル・マリナーズ戦では、隣でおじいちゃんが、ポップコーンを食べながら「次はイチローか、こいつはデンジャラスなヤツだ。アウトにしとめないと、、、、ブツブツブツ、、、。」なんて一人一人を批評しながら観戦していました。

 思い思いのスタイルで野球を楽しむことが出来る、そんな感じでした。

2007年7月15日 (日)

ヤンキースタジアムでの野球観戦1

 ニューヨークにいた頃、子供を連れて何度かヤンキースタジアムへ行きました。 良い席のチケットをゲットするのはなかなか難しかったのですが、大学のレクリエーションオフィスと言う、生協チケットセンターみたいなところに安売りチケットとかが出たりして、贅沢を言わなければチケット購入は可能でした。

 ヤンキースタジアムの観客席はすり鉢状にせり立っているので、子供やお年寄りなど、転がって落ちちゃうんじゃないかと思うほどですが、逆に上の方でもグラウンドからはそんなに離れている感じはしません。

 球場の雰囲気はそれぞれ違うようで、ヤンキースタジアムと、メッツのシェイスタジアムではまた雰囲気がだいぶ違う感じがしました。ヤンキースタジアムの方が古くてゴチャゴチャしてますが、僕は殆どそっちばっかり行っていたので、今ではそれが懐かしい感じです。

 球場に入るときは結構厳密な荷物検査がありました。
当時は9.11後、まだ日が浅く、時によってはテロの警戒警報とかが出ていたりしました。このため、原則として、「鞄はすべて持ち込み不可」である事が殆どでした。

 僕の前に並んでいたヒトがブランドもののバッグをその場で捨てられてしまったこともありました。それを見た後ろのお兄ちゃんが、「ママ、鞄は全部おいてこないとダメだよ!!」と慌てて電話をしていました。このときは、バッグのようなものは全てその場で捨て、中身を透明なビニール袋に入れるか、入場を断念するかのどちらかを選択させらていました。

 なんとも面白いのは、中に入ってみると鞄を持っているヒトが結構いたりするんですよね。荷物検査をやるヒトによってその厳しさがだいぶ違っていたようです。でもそのようなことは米国では頻繁にあることなので、みんなあんまり気にしていないのだと思います。

 

 それから、そのような荷物検査などで、入り口が大混雑しているときの並び方も日本とは大分違います。

 列を作らないのですね。入り口の前のスペースにグワーっとみんな集まって、入り口に近い人から順に少しずつ入っていきます。ながーい列が出来てたりすると、係員がその列の横の方を指して「こっちの方がすいてるから、こっちに詰めて!」と指示されます。指示など待たずにどんどんすいている前の方に行かないと、永遠に入場出来ません。かくいう僕も、慣れるまでは列の最後尾に礼儀正しく並び、気が遠くなるほど長い時間並んでいました。

 

ちなみに、列を作らないのは、バスや地下鉄などの公共交通機関に乗るときもそうでした。

2007年7月13日 (金)

イチロー選手のランニングホームラン

  イチロー選手のオールスターでのランニングホームランは、勿論すごいのですが、日本の球場と米国の球場がちょっと違う事にも助けられていたのかなぁ、とちょっと思いました。

 試合が行われたサンフランシスコAT&Tパークという野球場の外野の形が、カクカクとしていびつな形をしています。日本では外野フェンスはフィールドが扇形になるように、まるく滑らかにつくられていますが、あの球場は丸くなっていないのですね。このため打球がフェンスに当たった時、思わぬ方向にバウンドしてしまった、、、と言う事も、あのランニングホームランが生まれた背景にはあるのだと思います。

 米国の野球場を沢山知っているわけではありませんが、ヤンキースタジアムも左右非対称で、ライト側が狭くなっていますし、球場設計自体が大らかなのだと思います。

 ヤンキースタジアムについては地下鉄のせいだとか、ベーブ・ルースのホームランが量産されるようにする為だとか、イロイロ説があるようです。サンフランシスコのAT&Tパークがどのような事情であのような形なのかは知りません。外はすぐ海だとのことですから、その辺が関係しているのでしょうか。

 おおらかなのは球場の作りだけではないと思います。

 ニューヨークにはヤンキースの提供するケーブルテレビのチャンネルがあって、一日中、「ヤンキース栄光の歴史」みたいな番組をながしています。次にお話しするのは、その中で流れていた映像です。

 ヤンキースタジアムのレフト側の外野フェンスの奥、外野席の前にベーブ・ルースやルー・ゲーリック、ミッキー・マントルといったかつての名選手のプレートが飾られているモニュメントパークという広場があります。現在は外野フェンスに守られていますが、これらのプレートは、かつては外野フェンスの前に並べられていました。そしてこのプレートの後ろに打球がまわってしまった為にランニングホームランになった事もあったようです。

 差し詰め、かつての名選手がヤンキースを助けてくれた、、、といった所かもしれませんが、逆の場合もあり得るわけで、ホントにそんなんでイイの?と思ってしまいます。

 真剣勝負をするフィールドでありながら、何となくその辺は大らかな感じがして、それも文化の一部なのでしょう。

2007年7月12日 (木)

イチロー選手のインタビュー

 イチロー選手、すごいですね。メジャーリーグ オールスター史上初めてのランニングホームランでMVPですか。それについては僕があらためて言う事もないと思います。

 僕が強く感じたのは、マスコミに対する対応の仕方でした。質問のあしらいも、彼が単に上機嫌だったと言う以上に堂に入ったものでした。

 アメリカに渡った時にはマスコミとの関係は最悪だったように思います。たしかあの頃は野茂投手もマスコミに対してリップサービスをする事もなく、サッカーの中田英寿選手もマスコミとの関係が悪く、不機嫌なヒーローが世を席巻していましたね。

 彼の変化は数年前から少しずつあるように思っていましたが、大きくイメージを変えたのはWBCだったと思います。

 そして今は、インタビューでの質問をイチローが批評し、自分の答えたいように彼が答える、マスコミもそれを受け入れて、完全に下手に出てしまっている、という状況になっています。

 渡米前は、マスコミの側も「この若造め、何を生意気ぬかすか」、という感じでしたが、メジャーリーグでの実績でマスコミの人たちをねじ伏せてしまった感じです。でもそれは 日本のマスコミに対してだけでなく、米国人記者の質問に対しても同様のスタンスだったようなので、イチロー選手自身の変化もやはりあるのでしょう。

 一つの齢の重ね方を見ているような気持ちになりました。

2007年2月17日 (土)

残念

 スノーボードFISワールドカップ富良野大会では2月16日第一日目男子パラレル・ジャイアント・スラローム(PGS)ではカナダのマシュー・モリソン選手が優勝。我がクリス・クルーグ君は表彰台にはあがれなかったようです。

 彼は最近のワールドカップでは表彰台から見放されているようです。彼のブログから察するに、2本続けて良いタイムを出す安定性に欠けているところもあるようですから、一流選手の中で良い順位を勝ち取る事は難しいのかもしれません。

 今日第二日はスノーボード・クロス、明日第三日はハーフパイプが行われる予定です。

 来年は休みをとって見に行きたいなぁ、と思っています。

2006年12月 6日 (水)

5 ヒーローは強くないと

 2005年の夏に僕たちが日本に帰ってきて、彼は当然のように日本のプロ野球にも興味を持ちました。彼の興味はヒーロー松井がかつて在籍していたジャイアンツです。

 ところがその年ジャイアンツは激しい最下位争い(?)を演じていました。ジャイアンツの順位が下から2番目である事を知った彼は
「え、、、ジャイアンツってよわいの?」
と失望を隠しませんでした。

 そして事もあろうに当時首位を走っていた阪神ファンになろうとしたのです。阪神ファンの方々には申し訳ありませんが、巨人ファンの僕としては息子が阪神ファンになってしまうのは、いくらジャイアンツが弱いと言っても納得がいきません。けれども、最下位争いを演ずるジャイアンツに幼い彼を振り向かせる力はありませんでした。
 「だって阪神強いよ。」

 困ったものだと思っていると、そこへ救いの手がやってきました。バレンタイン監督率いる千葉ロッテマリーンズです。
 彼らが2005年の日本シリーズで阪神を破り、優勝してくれたので、長男は阪神を忘れ、ロッテ大好きBOYとなりました。千葉に住んだ事のある僕にとって、これは許容範囲内です。かくして我が家は一家崩壊の危機をまぬがれることとなりました。めでたしめでたし。

 最後に最近の長男のびっくり。
「え、、、イチローって かねもちなの?」

2006年12月 5日 (火)

4 メジャーリーグとヒーロー

 長男にとってのヒーローは、なんと言っても松井秀喜とイチローでした。

 松井の在籍するヤンキースは自他ともに認める大リーグの王者です。ヤンキースとメッツが対戦した2000年のワールドシリーズのビデオは彼のお気に入りでした。もともとは僕が自分用に買ってきたのですが、彼は、ヤンキースが勝利した時のアナウンサーの雄叫びを覚えてしまうくらい何度も見ていました。ヒーローは強くなくてはならないのです。

 イチローは2004年のシーズンに年間最多安打記録を塗り替え、相当話題になりました。シアトルマリナーズの選手なのにNew York Timesでイチローのバッティングフォームを分析した特集が組まれたり、子供向けに「イチロー物語」みたいな本も出版されていました。

 長男はイチローにもあこがれを抱くようになりました。あるときイチローの在籍するシアトルマリナーズの連敗がテレビで話題になりました。数年前は記録的な強さを見せたこのチームがどうしてこんなにも弱くなってしまったのだろう、という話でした。それを見た長男は

「え、、、マリナーズってよわいの?」

と、大きな失望を感じたようでした。

 でも我が家には、強いニューヨークヤンキースがあったので、彼がマリナーズに失望しても、それでもめる事はあり得ませんでした。

2006年12月 4日 (月)

3 メジャーリーグと高校野球と少年

 僕たちが3年8ヶ月のニューヨーク生活に終止符を打って日本に帰国したのは2005年8月でした。

 帰国すると、テレビでは夏の甲子園大会が放映されていました。この年の甲子園大会は北海道代表駒大苫小牧が夏の甲子園二連覇を成し遂げた大会でしたが、その他にも京都代表の京都外大西が岡山代表の関西にサヨナラ大逆転で勝利し、敗れたエースがマウンド上で崩れ落ちて号泣するなど、いつも通りの数々の熱いドラマが繰り広げられていました。

 小さい頃、高校野球に夢中になってテレビにかじりつくように見ていたのを思い出しながら見ていると、5歳の長男が同じように高校野球を一生懸命見ていました。

 そんな彼が2−3日して突然、僕に質問してきました。
 「ねぇ、僕がどうして高校野球が好きだか知ってる?」

「わかんないなぁ。」
と僕。息子はニヤッと笑って
「それはね、子供がやってるから。」
と答えました。

 考えてみると、彼はニューヨークのテレビで見た事のある野球は全てアメリカ大リーグのものでした。彼にとってはテレビで見る野球=プロ野球だったのです。

 そんな彼には一球一球に思いを込め、緊張し、結果によっては泣き崩れてしまうような高校生の表情に、自分に通じる純粋さとあどけなさとを感じ取ったのでしょう。

 人の真剣な眼差しは、言葉がなくても通じるものだなぁと感じました。

2006年12月 1日 (金)

2 メジャーリーグと少年

 僕たちが渡米した当時1歳半だった長男は、ニューヨークで野球を見に連れて行かれたりしているうちに、野球に興味を持つようになっていきました。松井選手がヤンキースで活躍していたこともあり、僕たちはヤンキースタジアムに何度か野球を見に行き、彼も立派なヤンキースファン、松井ファンとなりました。だいぶ楽しかったようです。

 彼は、最初のころはルールなど全くわからなかったのですが、あちらの応援はゲームの流れによって盛り上がったり、拍手をしたりするので、雰囲気だけでもゲームの流れを感じられるようでした。

 ヤンキースが攻撃でチャンスになればオーロラビジョンに「make noise!」などと表示されます。最初の頃は何をどう、うるさくしたらいいのか戸惑いましたし、実際みんなバラバラなのですが、勝手に声をあげたり、手を叩いたり、口笛を吹いたり、何となく何かが起こりそうな雰囲気が盛り上がります。そしてヒットが出れば、もうみんな立ち上がって大喜び。そのうちに、彼もルールがだんだんわかってきて興味を持つようになっていました。

 帰国直前には、彼はアパートの裏にあるプレイグラウンドで、僕と一緒に野球のまねごとをするのが大好きになっていました。そしてケーブルテレビでは、相変わらず大男たちが強烈なパワーを放ちながら豪快にプレーしていました。

2006年11月30日 (木)

1 メジャーリーグと茨城県

 井川投手がヤンキースと契約交渉をする事になったようですね。ニューヨークで生活をしていた頃から、メッツよりヤンキースに思い入れのある僕としては嬉しいニュースです。頑張って良い成績をあげてもらいたいと思います。

 それにしても、どうしても茨城県には田舎のイメージがついてまわるみたいですね。松井選手も「ニューヨークにも水戸納豆があります」みたいな発言をしていましたし。彼を始め他の日本人選手で、「XX県からニューヨークへ!」なんて書き方をされた人は他に記憶にありません。石川県だって、田舎度では茨城県に負けていないと思うのですが。

 考えてみれば「いなかっぺ」という言葉の「かっぺ」というのも茨城弁です。東京に出て来れるギリギリの距離(?)で、ちょうど標的にするのに良い距離なのでしょうか。

 井川投手にインタビューをしていた同郷の先輩、デーブ大久保氏も意識的に茨城弁のイントネーションを表に出していたりして、茨城をアピールしていました。しかし、井川投手はあまりそれに乗ってはしゃぐ感じではありませんでしたので、彼の言葉も少しずつ標準語になっていきました。

 自分の留学前の心境を思い出しても、彼の心の中は喜び半分、不安と緊張半分で、金額の大きさとか米国に行ける事などに浮かれてはしゃぐ様な心境ではないのだと思います。これからがホントウの勝負だ、という感じでしょう。

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