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自分なりの総括

2014年3月。STAP細胞が話題になっていた頃、「意外に近いところを実験してたなぁ。それが形にできなかったのは自分の力不足だなぁ、、、」と残念な気持ちになっていました。

それがその後、一転して大きなスキャンダルとなったことは周知の通りです。科学における論文の不正なんて、いくらでもあるのになぜ?というほどです。

かなり話題になったので、「捏造の科学者」「あの日」「STAP細胞残された謎 」と、関連書籍を三冊ほど読みました。そしてこのあたりで、この騒動について自分なりの総括をしておこうと思います。

僕は知らなかったのですが、STAP細胞の論文不正の調査報告日と同じ日に、もっと大きな不正事件の調査報告がなされていたそうです。

元東京大学分子細胞生物学研究所教授による不正です。33の論文で110箇所の捏造や改ざんが認定され、不正行為を行ったと認定されたのは計11人、費やされた研究費は15億円に上るということです。(「STAP細胞残された謎」109ページ参照)

STAP細胞の事件では1つの論文で認定されて不正は4箇所です。15億円もの研究費が投じられたとはとても思えません。でも、世間やマスコミから注目を集めたのはSTAPの方でした。

この点一つとっても、注目度の高さは尋常ではありません。これほどまでにマスコミが注目した理由の一つは話の始まりにあるのだと、僕は思います。

STAP細胞の発見は最初、理研からマスコミに向けて情報提供がなされます。キーとなりそうな人には直接のプロパガンダもあったようです。「捏造の科学者」の著者もその一人でした。

情報提供はマスコミが飛びつきやすいように修飾されたものでした。

「若くて可愛い天才リケジョが新しく発見したiPSを超える細胞。そのインパクトはノーベル賞級。」

直接にであれ、間接的にであれ、理研CDB内部でSTAP細胞論文に関わった人の中に、社会的に華々しく取り上げられることへの色気があって、小保方さんとマスコミを利用しようとした、という側面があったのだろうと思います。そしてその撒き餌に集まったマスコミによりお祭りが始まります。

しかし、その後、STAP論文の不正が明らかとなります。華々しく報道してきた分、特に真摯に科学報道に携わる方にとっては義憤に駆られる十分な理由となったと想像します。

「捏造の科学者」はその視点で書かれています。著者は、科学報道に携わるプロとして、義憤に駆られて必死で仕事をしたのでしょう。そして彼女は自身が真実だと信じる報道をし、この事件を総括しようとしました。その事は間違いないと思います。「正義は我にあり。」と言っているように感じられます。客観的であるようで、いささか感情的な正義感とか、危機感みたいなものが感じられます。

読んでいて、「正しいマスコミ」が「犯人」を追求する残酷さみたいなものを感じた本を思い出しました。「薬害C型肝炎女たちの闘い」 を読んだ時のことです。法廷闘争の過程で、自分たちの主張に有利な証言をしてくれた飯野四郎聖マリアンナ医科大学教授(当時)は完全無欠の正義の味方。製薬会社側の証言をした大学教授は悪の権化のような描かれ方でした。どちらも同じ業界の有名人です。一方が正義の味方、他方が悪の秘密結社の総帥みたいなことはありえません。義憤に駆られたマスコミは、単純化された勧善懲悪のストーリーを作り上げ、非情なまでに悪を懲らしめようとするものだと感じました。

STAP細胞問題でも同様の、マスコミの正義感に基づく過剰反応があったことは否めないのだと思います。

一方、「あの日」では渦中の人物が、その人の視点からストーリーを紡ぎます。前半のサクセスストーリーは非常に向上心の強い方であることが感じらました。問題が起こって以降のことについては当事者の視点であるため、客観性がどれだけあるのか疑わしいようにも思います。こちらもやや感情的です。そして、「STAP細胞はあります。」という思いも変わっていないようです。ただ、告発本を出版して、「私だけじゃなくて、もっと偉い人にも責任があるの!」と言ってもなかなか説得力が出づらいと思います。

なぜかといえば、科学はそういう形で進歩してきていないのですから。

科学界には昔からそういった不正が存在していました。「背信の科学者たち [ ウイリアム・J.ブロード ]」にはプトレマイオス、ガリレオ、ニュートン、ドルトン、メンデルなど、名だたる偉人達の著作やデータにもミスコンダクトが存在している事が記されています。彼らの発表したデータにも怪しいものが多々ありました。それでもなおかつ事実として認められています。そこには再現性があるからです。彼らの主張する内容が、時空を超えて様々なところで再現されているのです。

現代では、まず、研究費を獲得するために審査を受けます。さらに論文投稿時の審査を受けます。論文が発表された後には、他の研究室などにおける追試がなされます。そしてその追試によって結果が再現されることにより、最終的に正しい科学的事実と認定され、そこからさらに知見が積み重ねられます。

これらのシステムがあるので、ねつ造されたデータを基にした論文があっても、結果が「ありえないもの」であれば長期的には淘汰され、消えていきます。

逆にデータに多少の問題があっても、ちゃんと再現性が確認できれば後世に残っていくものです。(歴史はそうだと言うだけで、それを理由に不正をしても良いと言うつもりはありません。)STAP細胞論文に名前を載せた人たちは皆、そのくらいの事はわかっていたはずです。ただ、STAP細胞は、今の所、論文著者を含めてまだ再現されていません。

論文不正とその検証の問題に話を戻します。STAP細胞論文では、現代科学における標準的な倫理観に照らし合わせて正当化できない論文不正が存在していました。

しかし、それ以外にも、「STAP細胞残された謎」では様々な矛盾を指摘しています。この本はかなり専門的に、詳細なデータを一つ一つ洗い直して行きます。極めて論理的です。その検討の矛先は全てに平等に向けられます。マスコミ報道にも様々な不備があり、彼女の主張が正しいと思われる部分もしっかりあることがわかります。

調査委員会で公表された細胞の一致に関する検討を例にあげます。

調査委員会では99%以上一致していることを根拠に細胞の一致を結論付けていました。しかし、本書では、細胞が異なっていても99%は一致していること、99.9%以上一致していて初めて細胞が一致していると結論付けられることを、データをもとに示しています。

これらを見ると、小保方氏に責任があるのは明白ですが、彼女一人に責任を押し付けて事の終結を図るのは、トカゲの尻尾切りにように感じられます。けれども、この問題に関して、これ以上犯人探しをしても、多くの人にとって益は少ないとも思います。

科学における不正は上に書いたごとく数多くあって、その多くは結局うやむやに終わっているようです。そして時と再現性が最も有力な自浄作用のように思われるからです。

個人的には自分の経験などから、STAP現象(あるいはそれに似たもの)はあると思っています。でも、STAP細胞があるかどうかはわかりません。もしあるとすれば、いつか誰かがそれをより再現性の高いやり方で証明してくれることでしょう。なければこのまま忘れ去られていくことでしょう。

国立がんセンターで勉強していた時、当時、研究所の所長だった寺田雅昭先生が飲み会の席でこんなことを言っておられました。

「自然の美しさに魅了され、科学を芸術にたとえる人がいる。自然は美しい。芸術的に美しいこともある。でも、科学は芸術とは違う。ピカソの絵はピカソがいなければ描けなかった。でも相対性理論はアインシュタインがいなくても、誰かがいつか必ず発見していたはずである。」

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三種類のダイエット

 外来診療などで時々話していることですが、、、、僕が思うに、ダイエットには大きく分けて三つの種類があると思います。

 一つはアスリートのダイエットです。これは試合などに、試合などに焦点を当て、ここで最高のパフォーマンスを発揮できるように、食事や体重を含む体調管理をおこない、筋力などを増強するための負荷をかけていくものです。ここではストイックな食事管理と負荷の高い運動と分かちがたく結びついています。トータルの栄養バランスはややプラスに傾いているだろうと想像しています基本的にはパフォーマンス向上が目的なので、筋肉がつくことはあっても、体脂肪や余分な「お肉」がつくことはありません。でも、このダイエットで体重管理を一人でやっていくのは一般的には難しいと思います。

 もう一つは一つは美容のためのダイエットです。このダイエットは、短期間に(できれば楽して)一定の体重減少を目指すものです。一年中話題となりますが、「夏に向けて」とか、季節などが動機になることが多いような気がします。多くの場合、とりあえず痩せればいいので、数少ない食品に依存するダイエットや、記録することで意識を高めようとするものなど、イロイロな手段が存在します。最近流行りなのは炭水化物を少なくするものでしょうか。これは腎臓や肝臓に障害のない方には良い方法かもしれません。

 また、最近流行りの、ぽっちゃりお腹が引き締まった体に変身するコマーシャルのダイエットは上記二つを上手に組み合わせたもののような気がします。

 そして最後が健康のためのダイエットです。こちらは上記二つとは大きく異なると、僕は考えています。なぜかというと、短期間のコントロールではなく、健康寿命を意識した、長期のコントロールを目指したものだからです。2ヶ月で何キロ痩せたとしても、それだけでその人の「命の長さ」が変わるわけではありません。体重を一つの目安として、食習慣、運動習慣を中心とした日常生活習慣を何年も続けて初めて違いが明らかになるという性質のものだと思います。ですから、「今年の夏に向けて」なんていうダイエットは、ここでは意味をなしません。

 先日、肝臓病の栄養指導を積極的に行っている某大学のドクターと、管理栄養士の方にご講演いただきました。そちらの病院では、栄養指導を受けた群と受けなかった群で予後曲線を描いたら優位に栄養指導を受けた群での生存率が高くなった、なんていうデータも拝見しました。発表した先生自ら言っておられましたが、この結果をもとに「栄養指導が寿命を延ばしました」と結論付けることはできません。

 それは様々なファクターが関与していると思われるからです。栄養指導をうけた患者さんがたは、もともと具合の良い人たちだった可能性もあります。栄養指導をうける患者さんは健康への意識が高く、栄養指導をうける以外のことをたくさんやっている可能性もあります。そのどれかが効果を上げているのであって、栄養指導はあまり関与していないのかもしれません。

 でも、栄養指導のメリットも間違いなく存在します。食べ物には、体に良い食べ物と、体を害する食べ物があります。良いと思われる物でも過剰摂取は有害となることもあります。病気をお持ちのかたにとっては、必要な食品は、疾患によって異なることがあります。だから、テレビ、マスコミで流布されている様々な情報は、その患者さん個人には当てはまらないこともよくあります。

 結果として、栄養管理をただ、「ちゃんと」やっているつもりでも、第三者、プロの目から評価をしたら不十分であったり、間違いであったり、ということも十分にあり得ます。また、自分一人で考えてやるよりも、プロの栄養士と相談し、語りあいながら栄養管理をおこなうことで、長期にわたる管理をしやすくなるだろうと思います。

 ここまで書いて思いました。僕も栄養指導を受けてみようかしらん、、、。

言語化

 「はじめに言葉ありき」という有名な「言葉」があります。その深い意味を語る資格は僕にはありませんが、最近、言葉にすることの大切さを改めて感じます。

 みんなが同じ経験を同時にすることはできません。でも、それを共有できれば効率的に学ぶことができます。チームで仕事をするときには、この「経験の共有」が決定的に重要な要件となることもあります。共有することで集合知が広がり、議論が深まります。

 経験を共有するためには、それが情報化される必要があります。情報化には様々な手法があると思います。絵、写真、動画、文書などなど。音楽だってその役割を担うことがでるでしょう。

 でも、仕事の現場では通常用いられる手段は言語です。しかも、測定可能な言語化がより有用です。経験や情報を可能な限り測定可能なかたちで言語化することによって過去と現在を比較し、評価することが可能になります。それにより(近い)未来を予測することが可能になるのだと思います。

(音楽で情報共有する職場は想像しにくいですが、そういうカルチャーがあったら楽しいかもしれないと思います。)

神戸日帰り学会参加

日帰りで神戸に行って学会参加してきました。
今回は自分の発表はなかったので気楽といえば気楽です。

始発の電車で向かったのですが、参加費支払いとか、専門医の単位登録とかやっていたら、意外に時間がかかってしまいました。おかげで、朝一番のセッションで今日、2番目に聞きたかった招聘講演を聞き逃してしまいました。

うーむ、残念。あとは一生懸命聞いて帰ろうと、一日中、いろいろな発表を聞いて、勝手なことを夢想していました。

昼食も企業が開催するランチョンセミナーでお勉強。僕が聞いたのは、アベノミクス最初の成果とも言われる新しい検査についての講演です。開発を担当された先生が直にお話くださったので、迫力がありました。内容もわかりやすく、とてもよく理解できました。

国のため、産業界全体のために特許を取るけれど、それを独占はしない。「みなさん、どうぞ、お使いください。」といったあたりに気概を感じました。

かつての留学先の親分の発表も聞きました。

留学先のボスには「残念な知らせ」で書いたことについての詳細を聞きました。今回の来日が今年3回目のアジア訪問だと言ってました。当然全て招待講演。そのほかにもドイツとかがあって、ボスのさらに上司が怒ってしまったとのこと。自分の大学に全然いないじゃないかと。「俺も職がなくなると困る。」と言っていました。

結局、僕がお願いしていた日本の学会への招聘講演のほか、ドイツ、スイス、中国などへの渡航をキャンセルし、スカスカとなった今後の仕事の予定のカレンダーを見せて、納得してもらったのだとか。

いやいや、どんなに偉くなっても、もっと偉い人がいるものだと改めて思ったのでした。

そのボスの発表をはじめ、基本的にはインターナショナルセッションにいたので、最近使わない英語の勉強にもなりました。いや、英語力(特に会話力)、落ちてるかも、、、。来月米国で発表なのにまずいまずい。

留学先の先輩にも久しぶりに会えました。二人のお子さんはお二人とも医学部なのだそうで、お一人はもう卒業されたとのこと。それはそれは、おめでとうございます。

そして、ずっと昔の同僚にも会えました。彼の立派な仕事を聞いて、改めて自分も頑張らねばと思いました。

それにしても彼、仕事してるなぁ、、、。午後に、一緒に発表を聞いていたら、

「ちょっとお先にしつれいします。」

と、彼は席を立ちました。

「あれ?あぁ、帰るんですね。」

と僕。

「いや、これから宮崎に行って別の学会にでるんで、、、。」

と彼。

ええぇ、、確か、?先週はウィーンで発表していたはずなんだけど、、、。

まだまだ頑張りがたりません。

忙しいとか、大変だとか、文句言ってちゃいけないな。と思いました。


初期臨床研修医採用面接試験

今日は、来年度の初期臨床研修医採用面接試験でした。

面接していて改めて思ったことがあります。漫然と評価にあたれば、精神的に成熟していて、意識の高い人が高評価となりやすいと言うことです。もともとの能力が同じなら、この評価は学校の成績と良く相関しそうに思います。実際そう言う傾向があると思います。

でも、それだけで評価するのでは面接試験の意味は少なくなってしまいます。今日はペーパーテストだけでは測定することのできないものを見たいと思って面接官を担当させていただきました。

来年度の仲間を探す仕事です。誠心誠意誠実に、一生懸命に務めを果たしたつもりです。

来年度から、聖マリアンナ医科大学病院だけでなく、横浜市西部病院、川崎市立多摩病院が基幹型臨床研修病院となりました。

これは本年初頭より申請準備をしてきたものです。そして申請期限の6月下旬に両病院とも、申請書類を関東信越厚生局へ提出しました。8月27日に開催された審議会において、両病院の基幹型申請が承認され、翌28日に公示がされました。

大学病院、横浜市西部病院、川崎市立多摩病院の聖マリアンナ医科大学病院群に加え、東名厚木病院とのあいだでのたすき掛けプログラムを組みましたので、平成27年度からの研修はさらに充実したものとなると思っています。

今日面接させていただいた皆さんと一緒に仕事し、勉強できるのを楽しみにしています。

DDS学会雑感

DDS学会という学会に初めて参加してきました。

DDSというのはDrug Delivery Systemの頭文字をとったもので、「必要な薬物を必要な時間に必要な部位で作用させるためのシステム(工夫や技術)」(DDS学会HPより)のことを言います。このため、この学会では、医学、薬学、工学と言ったいろいろな分野の人達が集まって発表しています。「医学系」について言えば、基礎医学系の人達が多く参加しているように思いました。でも臨床系のさらなる貢献が望まれていることも事実のようです。

次年度は僕のオヤブンが会長をやる事になっています。オヤブンが主催し、僕が所属する教室はどっぷり臨床系です。それを意識してか、オヤブンが決めた来年のテーマは「DDSが変えた臨床の風景」となりました。僕はその事務局を担当する事になりました。そのため、今回の学会参加は学会運営などを中心に見学することが主目的です。

まずは宴会の偵察。学会が企画する宴会は「会長招宴」と「懇親会」です。

どちらの宴会も、恐らく僕が司会進行をやることになります。いまからドキドキしてしまいます。

特に会長招宴は僕たちの中で招待されているのはオヤブンのみ。当然ですが、実際の様子を見ることはできません。会場の様子、受付の様子だけ事前に見学させてもらって、僕たちはそのまま寂しく帰宅しました。宴会のメニューや式次第はオヤブンにメモしてもらいました。出し物など、イロイロな工夫がされていました。しゃれたアイデアが織り込まれています。

そして学会中日の懇親会。これは僕も参加できます。これまた会場の様子、メニュー、式次第、参加人数などをチェックしました。

いずれの宴会も、過去の学会で印象深かったものが未だに語り継がれていようです。東京ドームホテルで開催したときのチョコレートフォンデュは大人気だったとか。地方のどこそこではどうだったとか、、、。

来年、僕たちに何か良いアイデアは生まれるのだろうか。うーん。お金がないことだけは間違いありません。今から頭が痛いです。まぁ、悩み続けるしかなさそうです。

この他、学会ではどのようなセッションがあり(これはプログラムを見ればわかりますが)、それぞれのセッションには何人くらいの聴衆が集まっているか。

実際に会場はいくつ必要か。会場の広さはどの位が適当か。

学会運営の多くの部分は企業(いわゆる学会屋さん)にお願いするのだけれど、それ以外に大学からどの位の人員が動員されているか。

優秀演題を選定するための審査はどのように行われているか。

などなどを見て回りました。企業展示、ランチョンセミナーは全て挨拶回りをして名刺交換をしました。来年も多くの企業に参加をお願いしたいと思います。そのためにも、参加いただく各企業にもメリットがあるような工夫もしたいと考えています。
DDS学会は、1000人ちょっとの学会員数です。消化器病学会の30000人なんて言う規模から較べれば小さい学会です。でも、その1000人ちょっとの学会で、来場者数初日だけで800人でした。非会員も多く参加されているとのことだったのですが、学会規模からすると、とても盛況だったと言えると思います。

学会後、プログラム実行委員会が催され、来年のプログラムについて話し合いをしました。プログラム実行委員の先生がたが大変協力的で、イロイロなアイデアを出していただけることに加えて実務能力が高いので大変心強いです。今回の会議で大分形が見えてきました。毎年の伝統を継承しつつ「医学系」「臨床系」の色が出せそうに思います。

今回、初めてこの学会に参加して二つ、印象に残ったことがありました。

1つは、学会の重鎮の先生が会長招宴で言っておられた言葉です。上述のように僕は会長招宴に参加していませんが、特別講演で招聘された先生が、懇親会で紹介してくださいました。
「昔は専門バカというのは褒め言葉だった。しかし今は専門バカはただのバカだ。」

まぁ、確かに。そういう見方もできるでしょう。バカと言われるほど1つのことに没入できるのは立派なものだと思います。でも視野を広げることも同時に大切だな、と思いました。この学会が医学、薬学、工学の幅広い分野の知識の結集を目指していると言うことがよくわかりました。

そしてもう1つ。
若手の奨励賞の発表は張り紙によってなされていました。それを確認していた時、そばに賞に選ばれた大学院生(らしき若者)がいました。

彼はその張り紙に自分の名前があることを確認し、「よっしゃぁ。」とつぶやき、喜びのガッツポーズを小さくつくっていた。その姿がとても純粋に見えて印象的でした。

その想いに答えられるような学会運営をしたいと思ったのでした。

医学教育学会初参加

医学教育学会という学会に初めて参加してきました。今回は協同演者としての参加だったので、緊張することなく勉強主体で行ってきました。

開催地は和歌山。当番会長をされた和歌山県立医科大学理事長・学長の岡村先生のお話は特に心に残りました。和歌山県立医大がどのような背景をもち、その上でどのような医学教育を目指しているか、というお話でした。それぞれの施設にはそれぞれの歴史があって、そのストーリーの中で人材育成をしているのだということがよくわかりました。

今回参加して一番印象深かったのは、医学教育にかくも熱い情熱を傾ける人が、かくも多くいるものか、と言うことでした。「生涯現役」みたいな方もたくさんおられるようでした。

何と言っても日野原賞っていう賞があって、その日野原重明先生が毎年講演をされているとのことです。今年の懇親会にもおいでになって、
「僕はもうすぐ103歳になるんだけれど、、、」
とスピーチをされました。そこで
「2020年には東京オリンピックがあるし、、、」
なんて話しておられます。

学会賞の受賞スピーチでも、
「日野原先生には遠く及ばないけれど、日野原先生のお年までにはあと40年ある。少しは近づけるんじゃないか。」
なんて調子で60台の先生もやる気満々。いやいやどこまで学び続けるんじゃ、、、さすが医学教育学会。

また、口頭発表ごとに拍手で終わると言うのも新鮮でした。他にもそう言う学会はあるようですが、僕は初めての経験でした。何となく、お互いに「がんばれー」って感じがあっります。やる気をうながすようなポジティブフィードバックで終わらせるのは、確かに指導医講習会で勉強したことです。
「言行一致してるわ、、、」
と思いながら参加していました。

今回参加して、同じことを教えるにも、その方法論によって伝わり方が違うのだということ、指導には適切な評価が欠かせないことなどが改めてよくわかりました。

ただ、そういった方法論は確かに大切だけれど、その前に、それと同時に、伝えるものを持たなければいけないと思いました。 まだまだ勉強がたりません。

贈る言葉

 僕たちの大学の、腎臓・高血圧内科教授が本年8月をもって退任されます。昨年一年間大変お世話になりましたので、それを僕なりにまとめてみました。

 平成17年に僕が今の職場に赴任して以来、平成25年4月まで、僕と教授との接点は極めてわずかでした。主としてそれは所属診療科が違うことに起因します。僕は消化器・肝臓内科に所属しており、教授は腎臓高血圧内科の主任教授でいらっしゃいます。僕の中での勝手なイメージによれば、「教授=BIG MAN」「僕=その他大勢の1人」という構図です。一緒に仕事をする場面は多くありません。

 まれに仕事の関係で相談させていただいたことはありますし、宴会などで同席させいていただいたこともあります。それらを通した教授の印象は「やさしいBIG MAN」でした。でも「教授」です。「やさしい」だけのはずがない、、、なんとなくそう思っていました。

 平成25年3月に寝耳に水のことがおこりました。外来診療中に突然、病院長から電話がかかってきました。電話の主が「エラい人」からであることがわかった時点で、胸騒ぎがします。

「4月からメディカルサポートセンター(通称 : MSC)の副センター長をやってほしい。」

 副センター長の関連病院への異動に伴う依頼でした。多かれ少なかれ人の異動は周囲に影響を及ぼします。この依頼もそのような流れのなかで出てきたものでした。この依頼の返事に「No」はあり得ませんでした。

 MSCというのは、地域の医療機関から紹介のあった患者さんの受付とそれに付随する院内各部署との連絡調整の他、それら医療機関との情報交換会などを積極的にとりおこなっている部署です。このセンター長が教授でした。所属する職種は医師に加え、看護師、栄養士、ソーシャルワーカー、事務など様々で総勢100人をこえようという大所帯です。この人々が教授の陣頭指揮のもと、MSCは大きな盛り上がりを見せていました。今やMSCの存在は我が大学病院の特徴の一つと言っても過言ではありません。

 それまで自分の診療だけに目を向けていればよかった僕には壮大すぎてその全体像をつかむことすらおぼつきません。右も左も分からないなか、僕は不安で一杯です。何をしたらいいんだろうか、、、。仕事ができなかったら教授から叱られてしまうんじゃないだろうか、、、。

 教授の眼鏡の奥からキラリと光る知性にあふれた鋭い視線。にらまれただけで射すくめられてしまうでしょう。会議進行は冷静沈着に違いありません。理論に基づく鋭い指摘が繰り出され、部下の仕事を効率的に割り振っていくんだろうなぁ、、、。たてつくようなことがあれば「倍返し」、、、かもしれない、、、いやぁ、やばいことになった、、、。なんて、ビビりながらMSCのミーティングに出席しました。

 沈着冷静に議事が進んでいきます。コメント、指摘も的確。これは予想どおりです。でも違うことがありました。暖かいのです。教授の言葉が、口調が、視線が。思わず発言したくなるような議事進行。皆にも意見を求めます。その結果、教授ご自身の意見が孤立してしまうことすらありました。それでも柔和な笑みを浮かべてそれを良しとしておられます。懐の深さを感じます。そして無駄な時間を費やすことなく、皆の意見を集約して淡々と議事を進行していきます。

 教授はやっぱり「BIG MAN」でした。「冷静」で「論理的」で「やさしい」「BIG MAN」でした。MSCのメンバーがしたがうのもむべなるかな、と納得できました。優秀な人の仕事運びはかくあるべきか、そう思いました。そしてそれから約一年間、僕はMSC副センター長として、教授からいろいろなことを学ばせていただきました。

 短い時間でしたが、身近な場でご一緒できたことを、心から感謝申し上げます。最後に、先生のより一層のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

注:この文章は教授の記念誌に寄せる文章を、ブログ用に手直ししたものです。

第6回研修医Advanced OSCE大会

先週末に藤田保健衛生大学で開催されました第6回研修医Advanced OSCE大会に参加してきました。

OSCEというのは、Objective Structured Clinical Examinationの略で、通常「オスキー」と呼ばれるタイプの評価方法です。日本語に直訳すると、客観的体系的臨床能力試験とでもなるのでしょうか。様々なシナリオをもとに医療面接を行ったり、身体診察を行ったりして臨床能力を評価しようとするものです。

現在、医学部の学生は、このOSCEに合格することが、臨床実習で患者さんの前に立つための条件の一つとされています。

今回はそれのadvancedバージョンで、全国から集まった26人の研修医の皆さんを対象に行われました。彼らを「評価」するために、45人の指導医を含め、模擬患者さん、事務の方、看護師さんなど、総勢100人をこえる人的資源を投入して行われました。(全国に研修医が一学年7000人もいることを考えると、なかなか大変なことです。これは別の議論としてここではおいておきます。)

課題は学生対象のものより高度です。評価は医療面接から身体診察、心電図、腰椎穿刺、さらには後輩研修医を指導する技術にまで及び、二日にわたって行われました。

以前、ある指導医講習会で、研修医OSCEについて
「リアルでないので、『リアル』を知った研修医たちにとってはモチベーションがわかない」
というコメントを聞いたことがありました。

でも、今回、研修医OSCE大会に参加して、僕はちょっと違う意見を持ちました。

OSCEは臨床の現場と異なるのは当然です。シミュレータを使ったり、模擬患者さんにお世話になったりすることをはじめとして、様々な点が異なります。でも、臨床の現場の一部を切り取ったものであることも事実です。

似顔絵は、そのまま描いても「そっくり」にはならないと言います。その人の特徴的な部分、印象的な部分を強調してデフォルメすることで「そっくり」になると言います。デフォルメされた似顔絵がなぜそっくりと感じられるのかといえば、それは鑑賞者の想像力が刺激されるからだと思います。「そっくり」と感じるためには、鑑賞する側にも想像力が要求されているのです。

同様のことがOSCEにも言えると思います。

臨床の現場とは確かに異なります。けれどもその現場の何処か一部を確実に切り取ってきてできているものです。場合によってはつぎはぎもあるかもしれません。いずれにせよ、部分的にはリアルな要素が含まれています。シナリオを作られた先生方の解説を聞いて、様々な思いを込めて課題作成にあたられたのだということがよくわかりました。

それぞれのシナリオにこめられたメッセージを汲み取って、活かしていけるかどうかは、各人の想像力に依存するところが大きいと思います。実臨床を経験しているからこそ、想像力を働かせて『リアル』を感じ取れるのではないかと思います。
研修医の皆さんは、実臨床とは異なる雰囲気の中、緊張、戸惑いもあっただろうと想像します。それでも真摯に課題に向き合う姿には、大変印象的でした。皆さん、きっと何かを感じたことでしょう。僕自身も、自分の背筋が自然にまっすぐにたっていくような気がしました。

指導医の方々も、単に評価者として参加するだけでなく、患者役、出来の悪い後輩研修医役などの役回りをアドリブまじりで熱く演技していました。そして評価のあとには研修医の皆さんに様々なフィードバックをしていました。

点数をつけることが目的ではないのです。それを通して何を得るかが大切なのだと思います。「何かを得たい」「何かを得て帰ってもらいたい」そう言う共通意識を持った参加者全員の一生懸命な雰囲気がこの研修医OSCE大会全体を大きく盛り上げていたように感じました。

And yet it moves. それでも地球は回っている。

論文撤回とか、データのコピペとか、取り下げるとか取り下げないとか、科学論文がニュース番組をにぎわわせています。

データの扱いにはお粗末なところがあったのは確かなようで、このあたりが話をややこしくしているように思います。僕は「悪意による捏造があったかどうか」と、「報告内容の真実性」については分けて考えたいと思います。

遺伝法則を証明したメンデルのエンドウ豆の論文もデータは捏造されたものだったそうです。近年でも社会問題になるようなサイエンスの領域におけるデータ捏造事件がありました。過去から現代まで一定の頻度であったものなのだと思います。捏造がいいとは言いません。許されざることです。

何しろ科学コミュニティは、「科学者にそのようなことをする人はいないはずだ」ということが前提となっているからです。僕が教えられたり、経験した範囲で考えれば、通常、ウソをついて作った結果は、学問が進歩する過程で矛盾を生じます。そして更なるウソをつかねばならない状況に追い込まれていきます。いずれわかることです。

今回の問題で、データの取り扱いの問題は信用問題ですから、様々な方面に大きなダメージがあると思います。当事者となっている方々にとっては大変なことだと思います。でも、申し訳ないけれど、僕にとっては対岸の火事。だから、僕は悪意による捏造があったかどうかに興味はありません。

ただ、最先端の生物実験においては「ある一時期、なぜかうまくいっていたのに、ある時から再現できなくなってしまう。」ということが本当にあるようです。

STAP細胞が発表されたNatureと同じ系列の雑誌でNature Geneticsという雑誌があります。ここに掲載された「Nat Genet. 1995 Mar;9(3):243-8.」がその一例です。発表された時は報道ステーションなどでも取り上げられ、話題を呼びましたが、その後、なぜか再現できなくなってしまいました。

再現性の重要性を強調するときの悪い例として、総説に取り上げられたりもしていた記憶があります。

著者の先生方はその後、同様の現象が(効率は圧倒的に悪かったとしても)ある程度再現可能であることを、何年もかけ、大変な苦労をされて、証明されました。(Biochem Biophys Res Commun. 1999 May 10;258(2):358-65.)

だから、論文著者を含めて今回の報告と全く同じ内容を再現できなかったとしても、今回の論文が「メンデルの論文」の様なものなのか、「デタラメ」なのかを判断することはできないのかなぁ、、、と思っています。

僕は「STAP細胞(あるいはそれと似た細胞)が誕生するような生命現象」はあると思っています。つまり、細胞が生きるか死ぬかの状況におかれた時の「生き残り戦略」として、より未分化な細胞にトランスフォームするというのは「あり」なストーリーだと思うのです。文学的で、科学的な表現ではありませんが。

僕たちが「がん」の治療をするとき、がん細胞を死滅させるために薬をつかったり、熱で焼いたり、栄養血管をつめたりします。これは強い生存ストレスです。この治療の過程の中で、悪性腫瘍が突然性格を変えて狂ったように暴れだすことがあります。

僕たちはこれを実験的に再現してみようと考え、肝細胞癌の細胞株に10分間の熱ストレスを加えてみました。熱処理をされた細胞の中に強烈な増殖能力を持ったものが出現しました。(Hepatol Int. 2008 Mar;2(1):116-23. )この細胞につけられた番号は18番でした。当時、「怪物」と呼ばれ、レッドソックスで活躍していた松坂大輔投手の背番号と同じだったので、僕たちの間では「Matsuzaka」と呼んでいました。

この細胞は、「癌細胞」から作ったものですが、元の細胞と比較してES細胞などのような「幹細胞」のマーカー遺伝子発現が増強していました。僕は先に述べたような治療過程における悪性腫瘍のトランスフォームは生存ストレスに呼応した幹細胞化なのではないかと思っています。

ただこの「Matsuzaka」、再現性に問題がありました。10分間の熱処理で同じ「Matsuzaka」を作成することはついにできませんでした。幹細胞マーカーを発現したものは作れるのですが、、、。

そんなことで悶々としながらなんとか形にまとめようとしていたら、ハーバード大学の人達に先に発表されてしまいました。(Hepatology. 2013 Nov;58(5):1667-80.)

僕たちがやっていたことは間違っていなかったのだと自分をなぐさめていますが、昨年、ちょっと悔しかった瞬間です。

この経験から、生存ストレスによって細胞が変化することはあると思っています。ただ、熱だとか、酸だとか、ストレスに呼応する細胞の変性を厳密にコントロールするのはかなりデリケートなものであることは間違いないと思います。 

でも、もし著者らが、「STAP細胞は本当に存在する」のだと信じるのならば、堂々と主張していけばいいと思います。

研究の結果、間違っていたことが証明されるかもしれません。その時はその信念を捨てるしかありませんが、サイエンスにおいて、他人の意見で信念を曲げる必要はありません。

世界中の全ての人がその意見に異を唱えても、地球は太陽の周りを回っているのです。

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