2009年10月31日 (土)

医系小論文テーマ 7-a 遺伝子診断のもたらすもの

素人的医系小論文演習事始

テーマ 7-a 遺伝子診断のもたらすもの

 近年の分子生物学の進歩には凄まじいものがあります。ヒトゲノム計画が終了した後、2007年にはDNA二重螺旋構造の発見者のひとり、ワトソン博士個人の全DNA配列が解読されたそうです。

 

 ヒューマンゲノム計画が終了するのに全世界の研究所がよってたかって10年以上もかかりました。どのくらいの予算がつぎ込まれたのかわかりませんWikipediaによれば1990年、米国で組まれた予算が30億ドルだったそうですから、3000億円以上かかっているのは間違いありません。これに加えて日本を含め多くの国がこのプロジェクトに参加しています。

 

 約20年後の今日、ワトソン博士のDNAは1億2000万円程度で全部解読できてしまったそうです。

 

 近未来には個人のDNA配列が一時間もかからずに全て解析できるようになる事が、もう実現可能なレベルで語られているそうです。

 そんな脅威的な分子生物学、分子医学の進歩によって対する漠たる不安が課題文で述べられています。「ヒトゲノムが本当に解読されれば、生命科学にも医学にも革命がもたらされるでしょう」と書かれています。

 

 けれども僕はそうは思いません。進歩はつねに過去の歴史に基づくものだからです。

 大発見によって疾患概念が大きく変わることがあります。しかしそれでも、その新たな疾患概念もこれまでの臨床的知識のうえに成り立つものであって、「過去の観察や経験は嘘であった」というものではありません。

 大きく変わっても、過去の知見が否定されるわけではないのです。ただ、解釈が訂正されたり、これまで説明不能だった事に新たな説明が加わることはあるでしょう。

 例えば、ヒトゲノム計画の結果、「ある人が自分の将来の病気を知ることができるようになる。」それが問題であると課題文で例示されます。しかし、同様の事はこれまでもやってきているのです。家族歴などで。

 染色体第何番に原因遺伝子が存在するそういった病気が家族に発症している場合、自分が同じ遺伝子を持っているかどうか、なんていうのは確率論的にある程度はわかる事です。遺伝子診断によってわかるというのは、それがより具体性をもった言葉で、個々人について語れるようになるという事だと思います。本質的な部分で差違はあまりないのではないでしょうか。

 ヒトゲノム計画の結果として得られた膨大な情報と過去に積み上げられた知見をつなぎ合わせるバイオインフォマティックスによって得られる新たな知見も、その延長上にあると僕は思います。

 「遺伝子診断のもたらすもの」も基本的には、「これまでの知見」に「新たな知見」を加えて行くものであるはずだと思います。 分子生物学がどれほど進歩しても、生命観、医学観、倫理観が、過去と決別したかのような大転換を短時間のうちにする事はむしろ少ないのだろうと思います。

 

 現実が変わるわけではありませんから。

 ただそれを理解しないまま、過剰に反応してしまうと、課題文で示されているような健康保険に加入できなくなったり、社会的に不利益を被る事も出てくる可能性があるでしょう。

 新たな知見は、必ずや過去とのつながりの中で議論され、答えが導きだされるベキだろうと思いますし、そうなるのだろうと思います。この点では、新しい情報を前にしてパニックに陥る事にさえ注意をすれば、僕は大丈夫だろうと楽観的にとらえています。

 本当に大きな変化は、日々の生活では実感できないものだと思います。ふと立ちどまって、過去をじっくりと振り返ったとき、その連続した進歩の末に到達した道のりの長さをあらためて実感する、大きな変化、大きな進歩とは概してそういうものではないだろうかと思うのです。

 

 

 

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2009年10月23日 (金)

医系小論文テーマ 6-b 「人の死」を定義する

素人的医系小論文演習事始

テーマ 6-b 「人の死」を定義する

普段、多くの人が当然だと思っている事をあえて「定義」しようとすると意外に難しいものです。

「人の死」も同様だと思います。

人の死の診断は、従来より、心停止、自発呼吸停止、瞳孔の対光反射消失によってなされてきました。

かつて、「死の診断」について父から話を聞いたことがあります。

恐らく今から40年以上前の話だと思われます。そのころ、対光反射の消失はペンライトを用いて今と同様に行なわれたようです。しかし、心停止については、今のようなベッドサイドで見られる心電図モニタなども無く、自発呼吸の停止とあわせ、視診、触診、聴診によりなされていたようです。

このため、死の診断に困難を感じることがあったそうです。

実際に、「ご臨終」を告げられた後、患者さんが目を開けて「まだ生きているのに、死んだと言われた」と泣きながら息を引き取って行った患者さんもおられたそうです。

父も、「ご臨終」の診断を下す事ができず、ご家族に病室から出ていただいて、患者さんと二人きりの病室で、「この人は生きているのだろうか?死んでいるのだろうか??」と一時間近く悩んだ事があると行っていました。

この難しさは、実は「人の死」が電燈のスイッチのように突然オフとなるものではない事に由来します。

生命を維持するものは一義的には呼吸であり、循環であります。しかし、それを統合するのは神経であり、栄養的に支えるのは代謝であり、感染から守るのは免疫であったりして、どの一つが破綻しても、生命を維持する事はできなくなります。その影響はスピードの差こそあれ、徐々に他の臓器に及び、いずれ体の全ての細胞死に至ります。

この徐々に進行する死はどこかで不可逆となります。しかし、腎不全における人工透析のように、医療の進歩によって進行を止めることができるようになる事もあります。また、将来は再生医療によって逆行させることも可能となるかもしれません。

脳死についての議論は、臓器移植の話とペアとなって話される事が多くあります。しかし、本質は診断技術、治療技術の進歩に伴って、不可逆な「人の死」の診断基準の妥当性を我々の文化と照らし合わせて議論しているものだと僕は考えます。

この観点から考えれば、「人の死」については、常に再定義される可能性を含むものとして、今後も考え続けるべきものだと思います。

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2009年9月16日 (水)

医系小論文テーマ 6-a ドナー不足の理由

素人的医系小論文演習事始

テーマ6-a ドナー不足の理由

 臓器移植希望者は飛躍的に増加している一方でドナーが足りないという現状は世界共通です。そこで、各国ともそれぞれの文化的制限のなかでいろいろな努力をしています。

 これまで日本では、本人のカード所持と家族の同意を経て初めて移植が可能となるほか、年齢制限もあり、非常に厳しいドナー制限がもうけられていました。

 このため、小児を始めとして多くの患者さんが海外に渡航して臓器移植を受けねばならないという状況が続いていましたが、2009年、臓器移植法案の改正が行われました。

 これにより、年齢制限が撤廃され、本人が生前に拒否していなければ、家族の同意で臓器提供が可能となりました。今後、脳死臓器移植症例の増加が期待されます。

 しかし一方で、課題文で述べられているように、日本人が遺体そのものにこだわるという国民性がドナー不足の原因であれば、脳死臓器移植症例はそれほど増えないのかもしれません。

 確かに、そう感じる場面も経験される事ではあります。医師は、患者さんが亡くなった後、病理解剖をお願いする場面が多くあります。患者さんのご家族が解剖を断るとき、御遺体を傷つけたくない、という事がその理由である事がよくあります。

 一方で、新聞で報道されたアンケート結果では、数多くの若者が自分が脳死となった時にドナーとなる事に対して肯定的な意見を持っていました。ですから、脳死ドナーが今後増加する可能性はあるのだと思います。

 ただ、本人が同意していても、ご家族の同意が得られなければドナーとなることはありません。

 ある日突然家族が脳死となった時、その体から臓器を摘出する事に対して、どのように感じるかは、臓器移植について真剣に考えた事があるかないか、によって大きく異なると思います。考えた事がなければ、心理的に受け入れられない人は少なくないと思います。

 今回の法案改正などを機に移植医療への意識が高まること、移植医療について家庭で話がなされるような環境整備が大切だと思います。その環境整備の一環として、学校教育のなかで、賛成の意見、反対の意見をそれぞれ紹介し、議論を深めるのが良いように思います。

 
このような議論をするにあたって大切なのは、脳死臓器移植に反対する人の意見をなくしてはならない事だと思います。

 
ドナーとなるのは完全に自発的な意思表示でなくてはなりません。だからこそ、自由に反対意見を表明できる土壌が大切だと考えます。

 
反対意見を自由に述べられる状況であっても、国民全体の意識を高めることが出来れば、ドナーの数は今より大幅に増やせるのではないかと思います。

2009年9月 9日 (水)

医系小論文テーマ 5-b 「性転換手術」は治療行為か

 医師として仕事をしてきて、この問題について真剣に考えた事はありませんでした。恥ずかしながら。
 
 医学部受験生はこういう問題についてまで勉強する必要があるとすれば、大変ですね、、、、。
 
 でも、医学部入学前に全ての問題の専門家になる必要はないはずです。ですから、小論文のテーマそのものは評価を下すためのきっかけにすぎないと思います。評価の対象となるのは、内容に表現された倫理性、論理性だと思います。
 
 ですから僕も文章を書いていいのだと開き直りました。
 
 今回は「性転換手術は治療行為か」という課題文です。
 
 まず最初に自分の立場を明確にするならば、「性転換手術は治療行為となりうる」と考えます。
 
 課題文は、この問題について検討した倫理委員会の報告です。
 
 この中では「治療行為として認める」事が結論としてすでに出ています。それが理由だと思いますが、課題に対し、肯定的な論調となっています。
 
 倫理委員会では
 
「そこに悩む人がおり、それを治す技術を医学がもっているのなら、その苦痛を取り除くために、医療が手を貸すことは当然ではないか。」
 
という論理が主流を占めたそうです。僕もこれには基本的に賛成です。
 
 ここから先は専門家にとっては議論するまでもない事が多々含まれているかも知れません。「性同一障害」という病気について僕は一般の人と同じか、それ以下の知識と経験しか持ち合わせていないためです。
 
 手術が性同一障害の治療として認められるためには、安易な個別論に流れずに、下記の条件をみたす事が必要だと思います。
まず、疾患概念を確立し、確実に診断できるようにする事です。この点に関しては、もうある程度知見が蓄積し、疾患として確立しているのだと思います。
 
 次に、ある程度疾患概念が確立してくると、一般には疾患のタイプ分けが行われます。そのタイプ分けに基づき、通常のホルモン療法では不十分で、手術的加療が必要と考えられる患者さんと、そうでない患者さんを見分ける事が可能になれば、手術にふみきるハードルは低くなると思います。
 
 この時、治療としての手術が根治療法でない事は患者さんも医療者も強く意識すべきだと思います。手術に対しては充分なインフォームドコンセントが大切です。さらに、治療効果を冷静に評価し、その経験を蓄積していく事は、将来の性同一障害治療の進歩にとって不可欠だと思います。
 
 上記のようなステップは、新たな疾患概念が確立され、新たな治療が臨床の現場に導入されるときに踏むべきステップとしてある程度一般化できるものだと思います。

2009年9月 5日 (土)

医系小論文テーマ 5-a 科学研究の安全性と倫理

僕のようなものが語るには大きすぎると感じる課題で、かなり躊躇しました。どうみても内容がエラそうになってしまってお恥ずかしい限りです。でも、改めて考えてみれば今までの課題も同様に大きかったと思います。医学部受験小論文の課題について書いているのですから当然と言えば当然です。

これまでも厚顔無恥に書き続けてきたのですから今更何を思っているのかと、このような内容について語るのに僕より適切な人は世の中にゴマンといる事を承知の上で、恥も外聞もなく、「素人的医系小論文演習事始」で述べた初志貫徹することにしました。

同じ原子力が兵器となったり電力を生み出すためのエネルギーとなったりするように、科学研究において、マテリアルとしての研究結果そのものに善悪はありません。目的に善悪が生み出されます。

この事を基礎として、科学研究の安全性、危険性について考えれば、その内容は大きく二つに分かれると思います。

一つは、目的の善悪とは関係なく、その研究そのものが人間に与える危険性についての評価です。それにより、研究者が安全に研究を遂行できるように配慮する事が出来ます。

けれども、研究というのは往々にして結果がわからないから研究対象となるわけですから、これを評価する事は簡単ではありません。この点で、組み替えDNA実験の最初のguidelineが研究者自身によって策定された事は意義が大きいと思います。しかしたとえ一流の研究者であっても、まったくの前人未到の事に対して、危険性をあらかじめ評価し、適切な対応をする事は困難です。従って、この規制は試行錯誤のなか、進歩や経験の蓄積に応じ、改訂が必要ですし、実際にそのように運用されていると思います。研究内容そのものの持つ危険性の評価が適正になされれば、そのコントロールは可能なものとなると考えます。

もう一つは、その研究結果が使途によって人間あるいは人類、ひいては地球環境に与えうる危険性についての評価です。これは研究結果は予測できないという側面の他、人間の価値観や都合によって変わるコントロールできない部分もあります。このため、自身の研究がどのように位置づけられるのかについて、研究者自身が自覚する必要があると言えます。しかし、実際に細部にわたって論理をつめていくような研究している時に、自分の研究を俯瞰してみる余裕などないのが通常です。

それでは第二点に関して研究者が意識する事がいかにして可能なのでしょうか。

僕は、それを第一点についての自分の身を守るための考察を通じで可能とするべきであろうと考えます。課題文中にもある通り、危険性の評価そのものは科学的判断に人間の価値判断が加わってなされるもので、第一点と第二点の科学性についての差異は基本的に存在しない。

科学的研究を行うにあたり、自らを守るための考察が、より広い意味での安全性についての倫理的考察にも敷衍可能である事を認識する事が必要なのだと思います。

2009年8月26日 (水)

医系小論文テーマ4-b 尊厳死 安楽死 慈悲殺

素人的医系小論文演習事始

課題文を読んで書いた文章は課題そのものからはちょっとずれてしまったような気もします。

4-b 尊厳死 安楽死 慈悲殺

 
 課題文の筆者は法学的な立場からこの問題について論じていますが、医療に携わるものとしてはこの議論に違和感を覚えました。
 
 例えば、筆者は、
 
「個人が知的精神的判断能力のある間に終末期の医療処置について自分自身の希望などについて、前もって意思表示をして終末期になって法的に有効となる書面を残しておいても意味がない」
 
と言うことを強調し注意喚起します。僕も同意しました。
 
 それは、多くの患者さんにとって終末期にどのような状態に陥るのか、実感をもって想像することが難しいからです。自分が想像もしていなかったような症状み見舞われながら、過去に表示した意志に縛られて治療方針の選択肢が狭められる事は本末転倒と言えます。
 
 患者さんはいつでも心変わりして良いと思うのです。それは恥ずべきものではありません。その時点、その時点で最も良いと思われる方針を選択すべきであるという点で、前もって意思表示をしておくことそのものには必ずしも大きな意味はないと考えたからです。
 
 しかし筆者の根拠は異なりました。筆者の文章はこう続きます。
 
「なぜなら自発的安楽死の場合には、医師に実施してもらいたいその時点で知的精神的判断力のある患者が、自発的に医師に安楽死をさせて欲しいと口頭で依頼した上で、さらに署名した書面も提出して要請しなければならないからである。」
 
 ルール通りに終末期医療が行われなければ有罪となってしまうので、前もって意思表示しておいても意味がないですよ、と言うことです。あくまで先ずルールありきのロジックです。
 
ほかにも
 
「医師が行うインフォームド・コンセントの説明の際に、医師が安楽死を選択肢の一つとして患者に提示してはならないのである。」
 
と言うことの根拠が「有罪となる可能性がある」からとされています。
 
 論理を組み立てる際の根拠が、医療者が考えるものと全く異質です。
 
 例えば、不治の病に冒され、耐え難い激痛にさいなまれる患者さんを前に、生命短縮の危険があったとしても、症状緩和のための治療行わないなんて事は想像しがたい事です。
 
 課題文ではその治療を実行可能とする為には、過去の判決文から「生命短縮の危険があったとしても苦痛の除去を選択するという患者の自己決定権」の保証が必要だとされます。
 
「そんなことをいっているヒマがあったら俺は治療行為を行う。それで有罪だというならそれでもいい。」という医療者の方が圧倒的に多いと思います。
 
 医療裁判が増えている昨今ですが、倫理的に本当に正しければ、どのような法理であろうと有罪とすることは出来ないはずです。ですから普段からその様なことを考える必要はないと思います。
 
 しかし、このような論理の存在を知っておく事はマイナスではないと思います。なぜなら、医療者が患者さんの為にやっている医療の根拠が、単なる思いこみである可能性は常に否定できないと考えるからです。
 
 特に安楽死問題のような、時代や文化の影響を色濃く受ける問題については、まったく異なる論理から考えても正当性が証明できる行為が求められる事は自覚しておいた方がよいのだと思います。


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2009年7月22日 (水)

医系小論文テーマ4-a 日本人の死生観 その2

「日本人の死生観」という題に合致するかどうかわかりませんが、医系小論文テーマ別課題文集21世紀の医療 改訂版 (駿台受験シリーズ) 4-aの課題文を読んで、もう一つ文章が出来上がってしまいました。

こんなことをやり始めた経緯はこちら(素人的医系小論文演習事始

4-a 日本人の死生観 その2

 近年、医療の均質化を目的として様々な治療ガイドラインが作成されました。これによりある程度の医療の質の確保が可能になるという事に異論はありません。

 ご本人にとってどのような治療が最も望ましいのかについて、客観的な答えを出そうとするのが医学です。場合によっては患者さんに苦痛を伴う治療を勧めねばなりません。それを患者さんに説明し、納得し、治療を受けていただく時、ガイドラインは有用です。

 しかし高齢者が増え、複数の疾患を持つ患者さんが増える中、単純にガイドライン通りには治療ができない患者さんも増えていると思います。

 治療方針のみならず、がんの告知を含む様々な医療内容もマニュアル化されています。

 しかし、マニュアル化の結果として医療者が深く考えることなく致死的な疾患の治療方針やその予後について話ができるようになることのデメリットを認識すべきだと思います。

 客観的なデータは数字を頭に入れればそれで誰が話しても同じになります。治療方針も似たような方針が提示できるでしょう。しかし実際の所、それをどのように話すかによって患者さんの受ける印象が大きく変わることもあるでしょう。

 しかし、ターミナルケアを実践するにあたっては、その後の患者さんとのコミュニケーションが大切になります。病状はいつか悪化をたどります。望まない情報を提供しなくてはならない時、患者さんやご家族がそれを受け入れ可能となるように配慮することが必要です。

 キューブラー・ロス女史の「死ぬ瞬間」はそのような経験の積み重ねを体系化したものでした。今、私たちはそういったテキストを題材として効率的に学ぶ事が出来ます。

 その結果、今ではターミナルケアにおけるコミュニケーションも、技術論の中でかたづけられてしまいがちです。しかし、患者さんはそこに技術を求めているわけではないと思います。医療者と患者さんとが、ある種の感情を共有できることが、がん患者さんやそのご家族の求めるところだと思います。

 同じ様に発せられた共感を表す言葉でも、「技術」の一つとして発せられたものと、心から自然に発せられた言葉でどちらが心に響くかと言えば結果は明らかです。

 医学はある程度単純化した中での客観的論理的議論により、あるべき方向性を決定していきます。医療は複雑系なものを単純化せずにそのまま扱います。ですからそこには、単なる学問を超えた人間性が介在しなくてはなりません。

 マニュアル通りに仕事をこなすことで、医療者としての役割を果たす事ができたわけはありません。

 そして、職業として、様々な患者さんとそのような精神的な交わりを実感できるためには、医療者側が患者さんの感情を深く理解できる必要があります。そのためには日々、自らの人生観/死生観を深めておく事が大切なのだと思います。

 最終的な目標は患者さんの安寧です。しかしそれは、自分に都合の良い、少数の特定の患者さんを指すわけではありません。多くの患者さんにおいてそれを達成すべく自らの人生観/死生観について、常日頃考察する事は大切な事だと思います。

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2009年7月20日 (月)

医系小論文テーマ4-a 日本人の死生観

素人的医系小論文演習事始

4-a 日本人の死生観

 不治の病に冒された方と接することを職業とする者は、確固たる死生観をもっているべきである、という事は一見当然のように聞こえます。

 しかし現場においてこれが深く考えられているのか、というと、僕は疑問を感じます。

 理由の一つは医療者が忙しすぎることがあるでしょう。僕が研修医として初めて受け持った患者さんが亡くなったとき、その後しばらくボーっとしていたい気持ちになりました。しかし、当然の事ながら、病に冒された方は彼一人ではなく、次から次へと新しい患者さんが入院してきました。いつしか、「流す」事を覚えていったような気がします。

 実際に仕事をしていて、確固たる「死生観」をもって仕事をしていると周囲に感じさせる医療者はそう多くないと思います。医療者も普通の人間です。生や死について、医療者よりも深く考えている人たちは世の中にたくさんいるのではないかと思います。

 一方で、だからこそ医療者も、特別でない「普通の死生観」を持ちながら医療に携わっているとも言えるのではないでしょうか。

 ここで言う「普通の死生観」とは、日本に生まれ、ある程度共通した文化的影響をうけつつ成長してきた人がもつ感覚的なものをさします。そしてそれは、僕の意見では、自然をよしとして確固たる死生観を持とうとしない事であるように感じます。

 もちろん中には「確固たる死生観」をお持ちの方もいるでしょう。しかし多くの人はそれについて深く考えず、成り行きに任せようと考えるのではないでしょうか。

 確固たる死生観を持たない事を戦後教育の責任に帰する議論もありますが、死生観は各個人が家庭や社会のなかで成長過程において文化的影響を受けつつ育むもので、教育のみによって育まれるものではないと思います。

 研修医時代の僕の経験は、自らがどのような死生観もつのかを意識せずにこの仕事を始めたため、最初の患者さんの死に衝撃を受け、呆然としてしまったのだと今は考えています。しかし、その一つ一つの体験を受け止め、かつ流しながら仕事をし続けられるようになったのは、確固たる死生観を持っていなかったからではないかとも感じます。だからこそ現実を一つの経験として受け入れる事が出来たのだと思います。
 
 本当に自分が確立したものを持っていたら、僕の精神は最初の体験で粉々に破壊され医師としての仕事を続けられなかったのではないかとすら感じることがあります。
 
 現実をうけいれるとは言っても、自分に置き換えてみれば平均的な寿命を指しているわけで、今の自分に「死」の実感があるわけではありません。予定としては数十年先の話だからです。自分の予想と異なる形で「死」に直面した時、どのような形でそれを受け入れるのか、その答えが今、自分の中にあるわけではありません。これは「確固たる死生観」を持たない事のデメリットであると言えます。

 しかし、そのような場面に遭遇した何人かの先輩の話を耳にすることがあります。

 それまでと変わらぬ生活を精一杯続けた方がおられました。がんを専門とされていた方では、自らが行ってきたのと、まさに同じ哲学に基づく医療を主治医と相談して率先して自らに施されました。

 僕の父もがんのターミナルケアに長く従事していたため、自分ががんになった時の事をいろいろと考えていたようですが、突然死によってこの世を去りました。
 
 自分の思ったようにならないのが人生なのだと常日頃つくづく感じますが、先に逝かれた人達から学んで自分なりの死生観を手に入れたいと思っています。

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2009年7月 5日 (日)

医系小論文テーマ3-b 患者の知る権利と「告知」

医学系小論文事始 3b 患者の知る権利と「告知」

 とりあえず、課題文の中に自分の父親が出てきてびっくりしました。医学部を目指す人の参考書に取り上げられる文章の中に自分が出ているなんて事を、生きて聞くことができたら今頃、喜んでいたことでしょう。

 それから今、テキスト代わりに使っている医系小論文テーマ別課題文集21世紀の医療 改訂版 (駿台受験シリーズ) 課題文3bの文章中の「ガン」という表記も気になりました。正式には「ガン」は間違いです。さらに「がん」と「癌」を使い分けもあるのだと言うことは以前のエントリにもちょっと書きました。(「癌、がん、ガン」)

 医学系小論文を書く場合には、少し意識してもいい事だと思います。

 さて以下が本題となります。

 「がん」という病気が「不治の病」と同義に扱われてきたため、この病名を患者さん自身に知らせる事はなかなか世の中に広がることはありませんでした。これはヒポクラテスの誓いにもみられる医師のパターナリズムが大きく影響していたものと思われます。しかし、ヘルシンキ宣言、患者の権利章典に関する宣言などを通じ、インフォームド・コンセントという概念が広く定着し、患者主体の医療の必要性、正当性が認識されるようになりました。医師に求められる意識もパターナリズムからパートナーイズムへ主軸がおかれるようになり、がん告知も急速に浸透しました。

 結果として、がん告知は、医療の場における患者の主体性を尊重し、患者自身による治療法の選択を可能にするための情報提供として行われるものであると認識されています。病名を言い放って終わるものでは決してありません。

 そうであったとしても、一般には自分ががんに罹患した場合には真実を知らせて欲しいが、家族ががんに罹患した場合には知らせないで欲しいと願うかたが多いようです。このため、「告知マニュアル」によっては家族には知らせることなく、最初にご本人に話をするべきであると書いてあるものもあります。

 僕はこの意見には必ずしも与しません。病名はご本人に告げるべきだと思いますが、質の高いがん診療を実現するためにはご家族の協力が絶対不可欠だと思うからです。「マニュアル」がご家族を無視していいと書いてあるわけではないことは充分承知しているつもりですが、誤解を生む可能性があると思います。僕の考えでは、ご家族の意見をないがしろにすることは出来ません。

 現実的にがん診療は最終的に患者さんの癌死によって診療が終わることが多いのは事実です。だから告知が問題になるのです。この診療において最も大切なものは信頼だと僕は思います。

 がん告知には、検査結果とその解釈、診断名、病期診断、治療方針、治療に伴って予期される治療効果とリスク、予後など幅広いものが含まれます。治癒が望める場合には治癒率が大切な情報となるでしょう。治癒が望めない場合は生存率が大切な情報となることもあるでしょう。しかし、そういった数字や教科書に書いてあるような情報が最も重要なわけではないと思います。いずれの場合も信頼なくしてそこから先の診療は成立しません。

 信頼関係を構築するにあたり、基本に立ち戻って、互いにウソのないところから人間関係を再構築するのが、がん告知の手順であり、それこそがインフォームド・コンセントという概念の求めるところではないでしょうか。

 がん告知は「難しい疾患に罹患し、難しい状況におかれた患者さんの治療が少しでもうまくいくように、患者さん、ご家族、医療者が三位一体となって信頼関係を築き、頑張っていきましょう」という宣言に近いものになるべきだと思うのです。

 そしてその様なお話をして、告知に反対をされるご家族は僕の経験ではあまりおられません。とくに患者さんが若い場合には皆無に近いと思います。ですから僕にとって、最初に話をする相手が患者さんかご家族かは大きな問題ではないのです。

 同時に、病名を告知しない事が正当化される場合も確かにあると思います。代表的な例としては、患者さんが告知を希望されない場合です。希望しないこのような情報を、深い考察もなく突然、眼前にさらされることは大きなストレスに違いありません。

 僕はがんの確定診断がなされる前、検査の予約をする段階で殆どの患者さんに「もし、がんだったら告知をお望みですか?」と質問します。殆どの方は「イエス」と返事します。「ノー」とお答えの場合は告知されることのないよう、カルテに記載します。

 しかしこの場合も少なくとも、患者さんとご家族、医療者との間の信頼関係を構築せねばならない事は同様です。そしてこれは昔からなされてきた事そのものなのだと思います。そう考えれば、過去から現在にわたって医療そのものの本質に変わりはないことが理解されます。

 「告知」の問題は、患者さんの権利を尊重しながら信頼関係を築くための一つのプロセスとして考えるべきものであると思います。

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2009年6月24日 (水)

医系小論文テーマ3-a インフォームド・コンセント

素人的医系小論文演習事始

一回途中でやめて書き直しました。最近ちょっと時間かかりすぎです。

医系小論文テーマ3-a インフォームド・コンセント

 翻訳という作業は元々異なる文化において用いられている二つの言語をつなぐ作業と言えます。この事はそれぞれの言語における単語が一対一対応で一致する確率が極めて低い事を意味します。

 国際化社会の中でコンセンサスを得ながら形成した言葉でもなければ、このような事は起こりえません。

 江戸から明治にかけて多くの賢い人たちが、欧米の文化を輸入するにあたり、オランダ語、英語などの原書を日本語に翻訳して日本に紹介しました。この時、日本に存在していない単語の内容を日本人にわかりやすく伝えるため、多くの日本語を作り出しました。

「competition」を「競争」と訳されたのは江戸時代の事で、この言葉を発案したのは福沢諭吉だそうです。彼に翻訳を依頼した幕府の役人は「競争」という言葉を初めて目にした時、「争」という字に「穏やかならぬ」ものを感じ、将軍に献上する前に全て黒く塗りつぶしてしまったそうです。しかし全ての造語がすんなりと受け入れられて定着したわけではありません。諭吉は「right」(権利)を「通義」と訳したそうですが、今「通義」という言葉を見ても、意味を理解することはできません。

 インフォームド・コンセントという言葉が日本に広まる過程にも紆余曲折があります。「説明と同意」などと訳されたり、他の適切な日本語を当てようとしたこともあったようですが、今ではカタカナでインフォームド・コンセントとそのまま表記されるようになりました。インフォームド・コンセントという言葉がカタカナのままの外来語として定着することになったのは、この言葉に含まれる背景的な概念までを表せる適当な日本語が見つからなかったということでしょう。

 その背景とは何かと言えば、1964年にヘルシンキで開催された世界医師会において採択されたいわゆる「ヘルシンキ宣言」に起因します。これは、第2次大戦中に非道な人体実験がなされていたことが判明し、この過ちを繰り返さぬよう定められたものです。しかし、ここでは「医学の進歩のために人体実験が必要である」とまず規定していることが大きな特徴です。その上で「人体実験においては被験者の自由な意志による同意(freely-given informed consent)を取り付ける必要がある」としました。

 しかしインフォームド・コンセントの概念が広まるためにはこれだけでは不十分でした。

 医学の進歩に人体実験が必要であるということだけでなく、日常診療の場において、患者さんの権利が保障されなくてはインフォームドコンセントは成立しません。このため、1972年アメリカ病院協会は「患者の権利章典に関する宣言」を発表しました。ここでは、「患者は担当医師からみずからが理解することを合理的に期待しうる言葉で、その診断、治療、および予後に関する完全な現在の情報を取得する権利を有する」とされます。

 インフォームドの意味するところは単純な「説明」ではなく、コンセントも単純な意味での「同意」ではないことがわかります。

 しかし、実際の診療現場において上記の事まで患者さんに理解をしていただいてインフォームド・コンセントをとりつける事は不可能です。どこまでが現実的に可能なのかの線引きは難しいところです。この手続きは、現実にはヘルシンキ宣言で文書で合意を取り交わす事が望ましいと書いてある通りに書面でなされている事が多いと思われます。米国でもそうでした。

 手続きの簡略化というメリットの一方で、現在私達のすべき事は、理想の形骸化に対する警戒を怠らない事でしょう。

 インフォームド・コンセントの本来的意味と役割を忘れる事なく日常の業務にあたりたいと思います。

2009年6月17日 (水)

医系小論文テーマ2-b 近代医学の人間観を超えて

素人的医系小論文演習事始

今回はちょっと時間かかりました。

テーマ2-b 近代医学の人間観を超えて

 19世紀末、クロード・ベルナールによって著された「実験医学序説」は、近代医学における生命観を決定づけた古典的名著として名高いものです。原著を読んだことはありませんが、生物には特有の「生命」がやどり、無生物とは異なるとされていた生気論を否定し、実験によって証明される事実を積み上げることによってのみ、医学の正しい進歩が導かれると説いたのだと理解しています。

 彼の主張が正しかったことは、その後、ルイ・パスツールによって、生命の自然発生説が完全に否定される事で証明されます。そして、実験の再現性がいかに重要であるか認識されていきます。

 現在の科学論文において主流となっている書式はIMRD (Introduction, Materials and Methods, Results, Discussion)と呼ばれる書式です。ここでIntroductionにつづくMaterials and MethodsがResultsやDiscussionと同じレベルで重要視されていることは、こういったことを背景にしているのだと、僕は理解しています。

 ここで成立した生命観は生気論に対する機械論とも表現できるものです。生命現象を細かく分類し、一つ一つの構造、機能を特定し、他との影響を評価することによって理解が深まるという信念がその基本にあります。

 その時代その時代で、これがわかれば生命への理解が大きく進むだろうと期待をしながら生命科学は進歩してきたはずです。

 生化学の分野において、クレブス回路、尿素回路などをはじめとする、様々な物質の代謝経路が明らかになってきたとき、生物における物質代謝の全てを理解すれば、生命の神秘が明らかになるとの思いを抱いた人もいたと思います。

 生命の遺伝情報が染色体によっている事が解明され、その染色体の本体がDNAの2重螺旋構造による事が証明されたとき、その暗号を全て理解すれば理解が完結すると考えた人たちもいたでしょう。

 人の遺伝配列をすべて解明しようという、Human Genome Projectはそんな思いをもとに実行に移され、2003年に完結しましたが、生命の神秘は未だに神秘のままです。

 医学における機械論的生命観は、医学的専門分野が細かく細分されることで明らかですし、臓器移植といった医療行為は、臓器を機械の部品と見なしているとも考えられ、機械論の象徴といえるでしょう。

 臓器別に細分化された専門家達の医学議論も、「人間と言う機械を構成する部品たる臓器の全てが機能すれば死ぬはずがない」という事に立脚しています。機能が低下するためには原因が必要であり、その原因にたとえば「老化」という言葉は通常、見当たりません。

 こういったことに違和感を感じ、科学的生命観に疑問を投げかけるのはたやすいことです。けれども、その疑問に対し具体的な答えを用意できるひとは少ないと思います。その疑問は、科学に対する絶対信仰への対立軸を求めようとする姿勢を根底に持つからです。僕はそこに間違いがあるのだと思います。

 ノーベル物理学賞受賞者のファインマンは1960年代の公演でこう述べています。

 「現在科学的知識と呼ばれているものは実はさまざまな度合いの確かさをもった概念の集大成なのです。なかにはたいへん不確かなものもあり、ほとんど確かなものもあるが、絶対に確かなものは一つもありません。」

 絶対に確かな科学的知識がないのであれば、そこに不確かな点があるのは自明です。

 複雑な生命現象を科学が未だに説明しきれないことから科学の限界を論ずるのでなく、科学的生命観そのものが不確かなものであることを再認識することが、「近代医学の人間観」を超えることになるのだと思います。
 
 
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2009年6月10日 (水)

医系小論文テーマ2-a 全人的な痛みに総合的なケアを

素人的医系小論文演習事始
 
テーマ2-a 全人的な痛みに総合的なケアを
 
 現代医療の特徴の一つに細分化、専門化が挙げられます。臓器ごと、疾患ごとに医療が分類され、それぞれに対し高度に専門化された医療が繰り広げられています。これによって診断、治療の難しい疾患の予後が改善されてきた功績は誰もが認めるところだろうと思います。
 
 しかし、このことは同時に現代医療の弱みともなり得ます。現代医療を批判するとき、全人的、またはそれに類する言葉がキーワードとして用いられる事が多いのはそれを示していると言えます。
 
 医療が細分化されることにより、患者さん全体を診ることなくなり、患者さんと医療者との関係が希薄になってしまう事が危惧されているのです。
 
ターミナルケアの現場に上記のような細分化された医療がそのまま持ち込まれれば、困難な状況が容易に想像できます。比較的早い病期で、治癒の望める状態であれば、現代の専門化した高度先進医療がその疾患の治癒に貢献できることでしょう。しかし、進行した病気で治癒が望めなくなってきたとき、一つの領域のみでの医療は難しくなることがあります。
 
 痛みを例にとってみても、患者さんによって痛みの原因、性状は様々です。それを理解することなしに治療の向上は望めません。患者さんが悩まされる症状は痛み、嘔吐、便秘、呼吸困難、全身倦怠感など様々なものがあります。それらは治癒せしめるのではなく、コントロールすることが治療の目標になります。
 
 そういったさまざまな症状を、心と体を総合的に診ながらコントロールするところにターミナルケアの難しさがあるのだと思います。
 
 しかし、だから現代医療が進んできた道が間違いであったとは思いません。逆に、このことは現代医療が次に進むべき道を示しているのだと思います。
 
 すなわち、ターミナルケアのような、複数の領域を横断的に扱う医療も、専門医療の一つとして確立し、全人的なケアを必要とする人に適切な医療を提供できるようになることに、現代医療が次に目指すべき方向性があるのではないかと思います。

2009年6月 1日 (月)

医系小論文テーマ1-b 全人的医療の実践

素人的医系小論文演習事始

テーマ1-b 全人的医療の実践

 医療が数多くの専門分野に細分化され、医者が診療にあたるとき、人間を診なくなったと言われるようになって久しい。確かに、内科だけでも9分野に分類され、大病院で患者さんから「私はどこの科にかかったらよいのでしょう?」と質問される事も少なくない。

 また、診療の現場においても、複数の診療科の間でどこの科がイニシアチブをとって治療方針を決めていくべきなのか、綱引きのような状況を経験することがある。問題は患者さんのために最も良い診療方針を決定する事のはずなのだが、いつの間にか誰がイニシアチブ(責任)を取るのか、ということにすり替わっていたりする。

 このような状況には、診断や治療方針の決定が難しい患者さんほど陥りやすいものである。

 このことを理由として、医療の細分化が批判される事も多い。

 しかし、それぞれの分野が高度に専門化した現代の医療において、その全てを一人でこなせるスーパーマンはまずいない。内科総合専門医の資格を持っていても、消化器疾患、呼吸器疾患、血液疾患、循環器疾患、腎疾患、膠原病、代謝内分泌疾患、感染症、神経疾患の全てにおいてそれぞれの専門家と知識、技術の点で同等の診療ができる医者はまずいないと断言していい。

 このような状況の中、望ましいのは、少しでも関係する診療科の医師やコメディカルがみんなで一同に顔を合わせ、全員でその患者さんに最も良い治療方針を決定し、ワッショイワッショイと力を合わせ病状をより良い方向に導いていく事だと思う。

 これが実現できれば、医学の専門細分化が全人的医療を目指す方向と逆行するものであるとは私は思わない。

 これを実現するためには、医療者の側に患者さんへの共感がベースに必要となるであろう。その共感をもとに各医療者がフットワーク軽く一同に会し、熱い議論を繰り広げるというのが私の考える一つの理想的な姿である。

 しかし、一見同様に見えても、患者さんへの同情を基礎におくような行為は、医療者の傲慢につながり、先の押し付け合いの状況を容易に生み出すであろうし、クレームを避ける目的の迎合的態度で医療に臨むのであれば、精神的なストレスが大きすぎて、これまたトラブルの元となってしまうと考えられる。

 やはり医療者は患者さんと同じ目線にたって医療に対峙しなくてはいけないのだと思う。

 その上で、医師は、各自の医療に対する態度を常に自省すべきである。

 医療は日進月歩であり、また、時代や社会の影響を強く受ける側面も持っている。科学的には正しくなくても、世間の風潮や制度に応じて診療の内容やスタンスを変更せざるを得ない場合もある。この点で、医療を実践するにあたっては、各自が医療に対する哲学を持つ事が必要であると考える。

 この哲学は、医療観のみならず、生命観、人生観、死生観にまで及ぶと思われる。一人でも多くの医療者が、患者さんの身体的、臓器的問題のみならず、心理的、社会的問題、ひいては患者さん実存性を理解する努力をすることにより、全人的医療の実現に近づくのではないか。

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2009年5月20日 (水)

医系小論文テーマ1-a 医療の倫理とは何か

素人的医系小論文演習事始

テーマ1-a 医療の倫理とは何か

 医療の倫理とは何かと問われ、きわめて単純化して応えるならば、「人の生命の尊重」と言うことになるのだと思います。しかし、現代にあっては、時として生命の定義すらあいまいに感じられる様になりました。

 自分なりに納得できるような言葉で表現すれば次のようになると思います。

 社会的動物としての患者さんが精神的、肉体的な苦痛を被ることなく一生を全うできるようサポートすることを第一の目標とする。

 この目標実現の為には、患者さんの自己決定権が最優先されます。医者に全て任せるというのも、一つの自己決定といえるでしょう。その場合であっても検査、治療方針の決定には様々な制限があります。

 例えば、安楽死や尊厳死をどこまで認めるのかは法律によって制限があります。さらに、その制限の中でも医療者、患者さん本人、そのご家族の価値観によって大きく異なると思われます。また、法律を含め、それぞれの価値観は時代、社会によって影響を 受けています。

 近年では、医療の進歩に伴い、検査や治療の影響を予測したり、結果を理解したりするためには専門的な知識が必要になってきました。このため、検査や治療をする前に、患者さんが十分に説明を受け、同意を得ることが自己決定権を尊重するために必須となりました。

 「社会的動物としての」という書き方を敢えてしたのは、倫理判断の中には、「目の前の患者さんさえ救えれば何をやっても良い」という考え方が常に認められるとは限らないと考えるからです。

 医療者として「医療の倫理」をもって仕事に従事すると言うことは、自らの仕事が社会の中でどのように位置づけられるのかを理解しつつ、目の前の患者さん、必要な場合にはご家族も含めて強い信頼関係を結び、三位一体となって病苦に対し立ち向かうことで実現されていくのだと思います。

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素人的医系小論文演習事始

 今年の始めころ、大学入試の面接官をしながら、彼らと同じ質問をされたら今の自分はどう答えるのだろうと考える瞬間がありました。

 そこで、試しに、医学部を受験する学生が勉強するのと同じテーマで小論文を書いてみようと思い立ちました。

 今の自分がどのような文章を書くのか、自分でも興味があります。自分の文章力をつけるためにも、多少のストレスを加えた方が、漫然とblogを書くよりもよいだろうとも思いました。

 そこで、小論文の参考書として、医系小論文テーマ別課題文集21世紀の医療 改訂版 (駿台受験シリーズ) を購入してきました。遥か昔に通っていた予備校の参考書です。

 当時勉強した駿台予備校の参考書では、 「英語構文詳解」、「必修物理」などが今でも思い出深いものです。前者は英語の勉強について、「目からウロコ」を体験させてくれました。後者なんて読んで感動しちゃうような参考書でした。前者は未だにあるようですが、後者は絶版のようですね。受験生向けに出版されてたから売れなかったんじゃなかろうか。問題なんか一つもなくて、でも、読むだけですごく大変で、でもでも、読んだだけで物理の偏差値が10くらいあがった気がします。

 おっと、そういう話ではありませんでした。医系小論文の話に戻ります。

 僕が買ってきた本では14のテーマについて二つずつ課題文が掲載されています。それぞれの課題文を読んで小論文を書いていきたいと思います。

 時間をかけたり調べものをしたりしたのでは大学受験生と比較してあまりにアンフェアなので、次のようなルールを決めました。ちょっとfuzzyですが。

 課題文を読む時間も含め合計30−40分で書く事を目標とする。字数制限は特になし。

 Dutyにするとつらくなりそうなので、気が向いたときに不定期に続けていこうと思います。

 さてさて、どんな小論文が出来上がる事やら。

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