医系小論文テーマ3-a インフォームド・コンセント
一回途中でやめて書き直しました。最近ちょっと時間かかりすぎです。
医系小論文テーマ3-a インフォームド・コンセント
翻訳という作業は元々異なる文化において用いられている二つの言語をつなぐ作業と言えます。この事はそれぞれの言語における単語が一対一対応で一致する確率が極めて低い事を意味します。
国際化社会の中でコンセンサスを得ながら形成した言葉でもなければ、このような事は起こりえません。
江戸から明治にかけて多くの賢い人たちが、欧米の文化を輸入するにあたり、オランダ語、英語などの原書を日本語に翻訳して日本に紹介しました。この時、日本に存在していない単語の内容を日本人にわかりやすく伝えるため、多くの日本語を作り出しました。
「competition」を「競争」と訳されたのは江戸時代の事で、この言葉を発案したのは福沢諭吉だそうです。彼に翻訳を依頼した幕府の役人は「競争」という言葉を初めて目にした時、「争」という字に「穏やかならぬ」ものを感じ、将軍に献上する前に全て黒く塗りつぶしてしまったそうです。しかし全ての造語がすんなりと受け入れられて定着したわけではありません。諭吉は「right」(権利)を「通義」と訳したそうですが、今「通義」という言葉を見ても、意味を理解することはできません。
インフォームド・コンセントという言葉が日本に広まる過程にも紆余曲折があります。「説明と同意」などと訳されたり、他の適切な日本語を当てようとしたこともあったようですが、今ではカタカナでインフォームド・コンセントとそのまま表記されるようになりました。インフォームド・コンセントという言葉がカタカナのままの外来語として定着することになったのは、この言葉に含まれる背景的な概念までを表せる適当な日本語が見つからなかったということでしょう。
その背景とは何かと言えば、1964年にヘルシンキで開催された世界医師会において採択されたいわゆる「ヘルシンキ宣言」に起因します。これは、第2次大戦中に非道な人体実験がなされていたことが判明し、この過ちを繰り返さぬよう定められたものです。しかし、ここでは「医学の進歩のために人体実験が必要である」とまず規定していることが大きな特徴です。その上で「人体実験においては被験者の自由な意志による同意(freely-given informed consent)を取り付ける必要がある」としました。
しかしインフォームド・コンセントの概念が広まるためにはこれだけでは不十分でした。
医学の進歩に人体実験が必要であるということだけでなく、日常診療の場において、患者さんの権利が保障されなくてはインフォームドコンセントは成立しません。このため、1972年アメリカ病院協会は「患者の権利章典に関する宣言」を発表しました。ここでは、「患者は担当医師からみずからが理解することを合理的に期待しうる言葉で、その診断、治療、および予後に関する完全な現在の情報を取得する権利を有する」とされます。
インフォームドの意味するところは単純な「説明」ではなく、コンセントも単純な意味での「同意」ではないことがわかります。
しかし、実際の診療現場において上記の事まで患者さんに理解をしていただいてインフォームド・コンセントをとりつける事は不可能です。どこまでが現実的に可能なのかの線引きは難しいところです。この手続きは、現実にはヘルシンキ宣言で文書で合意を取り交わす事が望ましいと書いてある通りに書面でなされている事が多いと思われます。米国でもそうでした。
手続きの簡略化というメリットの一方で、現在私達のすべき事は、理想の形骸化に対する警戒を怠らない事でしょう。
インフォームド・コンセントの本来的意味と役割を忘れる事なく日常の業務にあたりたいと思います。

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